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第1章 修道院での子供時代

26、3人の博士はなぜ3人なのか

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公現祭の劇が終わるとすぐにフアンは元のフアンにもどった。夜、修道士の宿舎にある私たちの部屋に戻るとさっそく話しかけてきた。

「ミゲルお兄ちゃん、今夜も影の薄い人がたくさん集まっていたね」

影の薄い人というのは生きている人間ではなく、カルロス先生も見たという死者のことらしい。フアン、カルロス先生、そしてフェリペは普通私達には見えない死者の姿が見えるという特別な力を持っている。さらにフアンは今ここにいる死者だけでなく、遠い昔の出来事まで見えるというからややっこしい。

「ミゲルお兄ちゃんも影の薄い人になって、光を持って立っていた」
「そうか、僕も死者の1人になったのだね」
「違うよ。ミゲルお兄ちゃんは大きな光を持っていた。陰の薄い人は光をもらって星のように小さくなって空へ帰っていった」
「うん、そうだね。光がたくさん空に帰っていってきれいだった」
「お兄ちゃんにも見えたの?」
「僕は陰の薄い人とか死者の姿は見えないけど光は見えた」

私には何も見えてないけど、とりあえずフアンに話を合わせた。フアンは見えないものが見えるだけでなく、いろいろごちゃ混ぜにする。光を持った人というのはフェリペによると初代修道院長の修道士ニコラのことらしい。昔現れたという伝説の修道士の霊と私がごちゃ混ぜにされている。

「どうして3人の博士は3人でイエス様のところに来たの?」

突然フアンの言うことが変わった。

「どうしてって3人の博士は3人でイエス様のところを訪れたに決まっているじゃないか。僕が演じたメルキオールは黄金を持ち、カルロス先生のバルタザールは乳香、ニコラス先生のカスパールは没薬を持って訪れた。ニコラス先生の台本は聖書の話と少し変えていた。ヘロデ王は3人の博士に神の子が生まれたら知らせるように伝えたが、博士たちはイエス様に会った後違う道を通ってそのことを知らせず、それで怒ったヘロデ王が2歳以下の子を殺すように命じて、マリア様とヨセフ、そしてイエス様はエジプトに逃れたというのが本当の話だ」
「どうして3人の博士は3人なのか、ミゲルお兄ちゃんは教えてくれたよ」

イエス様が生まれた時の話は子供用の本を何度もフアンに読んであげていた。もちろん子供用の本でもニコラス先生の台本とは違いイエス様はベツレヘムで生まれて3人の博士と会い、その後聖家族はヘロデ王の幼児虐殺を逃れるためにエジプトへ行っている。なぜニコラス先生は台本を聖書の記述と変えたのか、私はそのことの方が気になった。




ニコラス先生の授業の日、私とアルバロ、フェリペの3人は図書館の上にある秘密の部屋に連れていかれた。迷路のような通路や小さな部屋を通った後で、広い部屋に出る。そこが修道士ニコラの気に入りの部屋だと前に教えられている。机の上には青い表紙の「シチリアの神の恵み」が置かれていた。修道士ニコラが書いたと言われる幻の本である。私たち3人は先生に勧められるまま椅子に腰かけた。

「君たちはもう気づいていると思うが、公現祭の時の劇は聖書の記述とは順番が少し違っている」
「そうですね。でも僕はマリア様を演じていて、あの順番で特に違和感はなかったです」
「俺も最初にヘロデ王の役をやってよかったです。ヘロデ王で大暴れして疲れたからヨセフの役もうまくできた、順番が逆だったらうまくできなかったかもしれない」
「でもあの劇だと見ている人はイエス様はエジプトで生まれたと勘違いしてしまいますよね。3人の博士が訪れたのもエジプトとなれば聖書の記述とはかなり違ってしまいます。カルロス先生は何も言わなかったのですか?」

カルロス先生なら聖書はすべて暗記するほど読み込んでいるはずである。聖書の記述と違っている劇を演じてなぜ何も言わなかったのだろう。

「カルロス院長はご自分の状況にとまどわれて劇の内容を詳しくチェックする余裕はなかったようだ」
「確かにあの夜も死者がたくさん集まっていました。カルロス先生にも見えたのでしょうか?」
「そのようだ」
「そうか、亡霊がうじゃうじゃ見えたらさすがのカルロス院長だって落ち着いて劇なんか見ていられないだろう」
「あの方は慈悲深く寛大な方だから死者の霊ですら頭から否定したり追い払ったりはなさらない。そうであっても、修道院長としての信仰心と実際に自分の目に見える者の違いにさぞ困っていらっしゃるに違いない」
「でもだからこそ、あの方がここの修道院長に選ばれたのだと思います。修道士ニコラがカルロス院長を選んだのです。ここの院長としてふさわしい力を持っていると」
「フェリペ、よいことに気づいた。修道士ニコラの力はこの修道院に今も残っている」
「今も力が残っているって、どんだけ長生きで力持ちのじーさんなんだ」
「ハハハ、アルバロ、力が残っていると言っても、君が考える力とは少し違う・・・」

ニコラス先生は大きな声を出して笑っていた。




「さて、本題に入るが、公現祭の劇の台本はこの本に書いてあった脚本をほとんどそっくりまねて書いた」
「修道士ニコラの書いた本に劇の脚本もあったのですか」
「そう、公現祭の劇を行ったというだけでなく、脚本も書いてあった」
「でも修道士ニコラはカトリックの修道士ですよね。それなのにどうして聖書の記述と違う内容の脚本を書いたのでしょうか?」
「あえて順番を変えることで伝えたいことがあったのかもしれない。それに3人の博士がなぜ3人なのかについても書いてある」
「あ、それ劇が終わった日の夜にフアンが言っていました。3人の博士がなぜ3人で来たのか、僕が教えてくれたって言ったのです」
「フアンか。あの子は予言の力があるのかもしれない。私がこれから君たちに話そうとしていることを先に感じ取ってミゲル、君に話した」
「僕が知らない話をどうして先にフアンが知っているのですか。僕にはよくわからない」
「私にもフアンの力はよくわからない。ところで君たち、3人の博士はなぜ1人ではなく3人で来たのか、少し考えてみてくれ。間違ってもかまわない」
「3人の博士がなぜ3人で来たかって、それは持ってきた贈り物、黄金と乳香、それから没薬が1人で持つには重すぎるからだと思います」
「重すぎるって言うけど黄金も乳香も没薬も貴重な物だからたくさんは持ってこられない。それぞれ取れる国も違うから、3人の博士は別々の国から来ているのだと思います」
「3人の博士は青年、中年、そして老人と別々の姿で来ています。贈り物はそれぞれの年齢で求めなければならないものの象徴です。若い時はまず現実的な生活、つまり黄金を求めて働かなければなりません。でも働いて財産ができたら、今度はそれをどのように使うか考えなければなりません。そのためには乳香、神とつながることが大切になります。神の意志を知って正しく生きる、そのためには乳香が必要になります。そして最後、老人になった時は死について考えなければなりません。没薬は古代エジプトでミイラを作るために使われました。肉体を保存して永遠の命を得るために何が必要か、没薬は生と死を考えるために使われます」

ニコラス先生は私たち3人の話を熱心に聞いていた。そして次にこう話した。

「3人ともよいことに気づいている。3つの贈り物は1人で持つには重すぎるかもしれないし、それぞれ取れる国が違い、しかも大変貴重なものばかりである。さらに生きる上で欠かせないものを象徴もしている。でもそれだけではない。修道士ニコラは本の中でこう書いていた。3人の博士の贈り物、黄金と乳香と没薬、すなわち俗世間での権力や財産、神への神聖な力、生と死の審判、この3つは3人が分かれて持つからこそ調和と平和が保たれる。もし1人の人間が3つの贈り物すべてを手に入れたらどうなるか、力の使い方を誤り怖ろしい悲劇が起こる。3つの贈り物を1人で受け取ることができるのは神の子キリストだけである。神でない人間は決して3つの贈り物を同時に受け取ってはならない。そう書いてあった」
「どうしてそうなのですか?」
「修道士ニコラがなぜ3人の博士の贈り物を1人の人間が受け取ってはいけないと書いたのか、そして聖書とは違う内容の脚本を書いたのか、その理由を今からこの本にそって説明しよう」

ニコラス先生は「シチリアの神の恵み」の紙を挟んでいたページを開いた。
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