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第1章 修道院での子供時代

15、人間の与えた痛み、神の与えた痛み(2)

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「戦争が始まる。手を離して」

フアンは突然そう言ってつないでいたフェリペの手を振りほどき、足を引きずって家畜小屋を離れ、広場に向かって歩き出した。

「たくさんの馬と人がいて、カルロス先生がどこにいるのかよくわからない」

彼は止まって空を見上げた。

「おい、フェリペ。フアンは今度は何をしている」
「わからない。空にいる何かを探しているみたい」
「空にいる何かと言っても鳥しか飛んでないぜ」

アルバロは不満そうだったが、私たちはそれでも空を見上げた。小さな鳥の群れとは別に1羽の大きな鳥が飛んできた。

「あの鳥だ!」

フアンが空の鳥を指さした。大きな鳥は私たちの頭のすぐ近くまで来て、また空へと戻った。

「カルロス先生は馬に乗って司令官のすぐそばにいる。この中で司令官の次に偉い。向こう側に反乱を起こした人がたくさんいる。向こうもこちら側も馬に乗った人が10人ぐらい、馬に乗ってない人は30人ぐらい、みんな長い槍を持っている。馬が動き出し砂煙があがった。叫び声が聞こえ、何も見えなくなった」

フアンは地面にバタリと倒れた。私はそばに駆け寄ろうとしたが、フェリペに止められた。

「今は誰も近づかない方がいい。大丈夫、フアンはすぐに起き上がる」

フェリペの言葉通りフアンはすぐに立ち上がった。まるで高い所から見ているかのように、広場の地面をじっと見つめている。

「たくさんの兵士が血を流して死んでいる。槍や矢が体に刺さったままの人もいる。馬の体にも槍が刺さって倒れている。先生は馬から降りて倒れている人から剣を奪い、その両手を縛りあげた」

言い終わったフアンはまた地面に倒れた。そして座ったままで話し始めた。

「戦争は終わり、反乱軍の首謀者10人はみな捕らえられた。10人は王様の前に引き出され、1人ずつ斧で首を切られた。それを見ていたカルロス先生も首に激しい痛みを感じた。ありがとう。おかげでよく見えた」

空に向かって話しかけ、空を飛んでいた大きな鳥は見えなくなった。



私たちはフアンに近寄った。フェリペがしゃがんでフアンを抱きかかえ、話しかけた。

「ありがとう、フアン。よくわかったよ。君は神様から特別な力を与えられている。でも君はその力をむやみに使ったり、見たことをのべつまくなしに人に話してはいけない。ほとんどの人間は君のような力は持っていない。だからよく考えて慎重に使わなければならない」
「はーい」

フアンはフェリペの膝の上で素直に返事をした。

「俺にはよくわからないけど、どうして反乱者が処刑された時にカルロス院長の首まで痛くなったんだ。院長は国王軍にいて手柄を立てた。何も問題ないはずだ」
「それは・・・カルロス院長の受けた痛みは人間の与えた痛みではなく神様の与えた痛みだから・・・でも僕たち子供はカルロス院長の過去についてはこれ以上触れない方がいいかもしれない」
「よくわからないけど、俺は失言した罰で鞭打たれなくてもよくなったのだな」
「大丈夫だよ、アルバロ。フアンと約束した。見えたものも聞こえた言葉も人にむやみに話してはいけないと」
「それならいい、安心だ」
「ミゲル、君たちはそろそろ戻った方がいいのではないか?そしてフアンが今話したことはカルロス院長には内緒にしてほしい」
「わかったよ」

私はフアンを連れて宿舎に戻った。




フェリペと約束したけど、私はカルロス先生が昔は兵士だったということが気になってしょうがなかった。そこで学習室で先生と2人きりになった時に聞いてみた。

「カルロス先生、先生はどうして修道士になったのですか?」
「私が修道士になった理由か・・・そうだな、お前ももう8歳になった。そろそろ私の過去を話してもいいだろう」

カルロス先生は椅子に深く腰掛け、ゆっくりと話し出した。

「私は貴族の家に生まれたが、跡継ぎになれる子ではなかった。両親は私が聖職者になることを望み、パリの大学で神学を学ばされた。だがその頃の私にとっては聖職者になるよりも兵士となって自分の力で出世することの方がずっと魅力的だった」
「そして兵士になったのですか?」
「両親には内緒で密かに武芸を磨いてきた。そして両親を説得して国王直属の軍隊に入った。貴族の家柄で馬にも乗れる私は軍隊の中ですぐに出世した」
「先生は馬に乗れるのですか?」
「ああ、私の乗馬技術は国王軍の中で1番だと言われた」

先生は少しだけ微笑んだ。

「だがある時、貴族の反乱が起きた。人数が同じくらいなら戦争に不慣れな反乱軍は我々国王軍の敵にはならない。戦いはすぐに決着がつき、我々は命令通り歩兵はすべて殺し、首謀者10人を捕虜にした。捕らえられた反乱軍の
首謀者は国王の前に引き出され、その場で処刑されることになった」
「・・・」
「よくあることだ。斧を使っての斬首刑は貴族にとっては最も名誉を守る処刑方法で特別残酷だとはその時まで思っていなかった。だが、斧が振り下ろされた瞬間、私は首に激しい痛みを感じて叫び声を上げ、意識を失ってしまった」
「・・・・・」
「その日から私は剣を握ることができなくなった。剣を握るたびに処刑の光景が蘇り、激しい痛みに襲われた。しかたがないので戦場で怪我をして剣を握れなくなったと話し、報奨金をもらって退役した」
「それで修道士になったのですね」
「いや、それ前にまず街の教会で司祭の見習いになった。だが、その街で行われた異端者の処刑に立ち会い、そこで私はまた激しい苦痛に襲われた。異端者の処刑は生きたままの火刑が多い。その苦痛に耐えきれないと感じた私はこっそり街を離れた」
「・・・・・」
「私は自分の生きられる場所を求めてさまよい続けた。そしてある日この修道院にたどりついた」
「この修道院にですか?」
「そうこの修道院にだ」

先生は大きく息を吸った。

「この修道院は昔ながらの祈りの形がそのまま残されていた。この辺りは雨が少なく、作物が豊かに実るとはいいがたい。だが厳しい環境のこの土地にも修道士は住み付き、村人と協力して葡萄畑を作り、羊を放牧した。見捨てられていた土地が人間の力で豊かによみがえった。ここに住む修道士はみなその伝統を守って慎ましく暮らしている。私はここを私にとっての理想郷だと信じている」
「理想郷ですか?」
「私は昔感じた痛みは神によって与えられたと思っている。神が私をここへ導くためにあえて痛みを与えた。だがミゲル、ここは私にとっての理想郷だが、お前の理想郷になるとは限らない」
「どうしてですか?」
「お前にはお前の人生がある。お前はいつかここを出て自分の理想郷を見つけなければならない。その日のためにも私はできるだけよい教育をお前に与えたいと思っている」
「カルロス先生・・・」
「私はお前を愛している。だからこそ別れの日には精一杯の愛と知識を与えたと胸を張って言えるようにしたい」
「ありがとうございます・・・」

カルロス先生は私の体を強く抱きしめた。
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