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第1章 修道院での子供時代

14、人間の与えた痛み、神の与えた痛み(1)

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その日はカルロス先生もニコラス先生も忙しくて学習はできないと言われたので、私はフアンを連れて散歩に出かけた。どこに行きたいか聞いたらロバのビエホーに会いたいと言うから家畜小屋に向かった。家畜小屋周辺ではいつものように孤児院の子供たちが働いていた。

「やあ、ミゲル。今日は2人だけか?」
「うん、カルロス先生もニコラス先生も忙しいみたい」
「それならロバだけでなくて、向こうにいる羊を見に行かないか。俺たちが案内するよ。今の時期なら生まれたばかりの子羊がいる」
「生まれたばかりの子羊か・・・フアン、向こうへ行こうか?」
「やだ!ここがいい!」
「俺が抱いて連れていってやるからさ。フアン行こうよ。ロバなんていつも見られるだろう?」
「いやだー!ロバのビエホーがいいー」

小さなフアンは意外と頑固で言い出したら聞かない。

「僕がフアンを見ているから、ミゲルはアルバロと一緒に羊の群れを見てくればいい。羊のいる場所は広くて犬を使って羊を集めている。ミゲルは見たことないだろう?」
「うん、僕はここから先に行ったことがない」



アルバロに案内されて私は少し離れた場所にある羊の放牧場まで行った。生まれたばかりの子羊がいて私は恐る恐る手を触れた。そこは修道院の敷地内にあるけど修道士でない羊飼いが羊たちの世話をし、孤児院の子供たちが手伝っていた。

「君がミゲルか?院長の許可なしにこんな遠くまで来ていいのか?」
「俺がついているから大丈夫だ。今日はカルロス院長は忙しいらしい」
「それはよかった。院長の見回りさえなければのんびりできる。あの人は突然馬に乗って来ることもあるから油断ができない」
「カルロス先生は馬に乗れるの?」
「滅多に乗らないが、ここの修道院の敷地内をすべて見ようとしたら歩いては回れない」
「そうなんだ・・・」

私はカルロス先生が馬に乗る姿を見たことがなかった。先生はほとんどいつも長い僧衣を着ている。馬に乗る時は作業着を着るのだろうか。



フアンのことが心配だったので、すぐにロバのいる場所に戻った。フアンはフェリペと一緒にロバの前で楽しそうに話をしていた。アルバロが先に行って2人に話しかけた。

「お前たち、ずっとここにいたのか?」
「フアンはロバのビエホーが大好きなんだ」
「アルバロお兄ちゃん、ビエホーって誰かに似ているよね」
「・・・」

フアンの無邪気な言葉にアルバロとフェリペの顔がこわばった。2人は小声で話した。

「おい、フェリペ。これはまずい展開だぞ」
「そうだね。ロバの顔があの方に似ているなんてこと、フアンに気づかれない方がいい」

アルバロはフアンを抱き上げて大きな声で話しかけた。

「フアン、ビエホーは何度見てもロバの顔だよ。ロバの顔がカルロス院長に似ているなんてありえない。全然似ていない」
「わかった!ロバのビエホーはカルロス先生に似ているんだ。アルバロお兄ちゃん、教えてくれてありがとう」
「アルバロ・・・」
「あれ、俺何かマズイこと言ったかな」
「マズイなんてもんじゃない・・・」
「あー、俺は馬鹿なこと言ってしまった。いいか、フアン、俺が言ったことは今すぐに忘れるんだ。カルロス院長はロバになんか似ていない。全然似ていない」

アルバロは急いでフアンを下におろした。フェリペが笑いながら言った。

「もう遅いよ。1度口に出した言葉は取り消せない」
「ああ、どうしよう。フアンがカルロス院長の前で、アルバロお兄ちゃんが先生の顔ロバに似ているって言ってたよ、なんてしゃべったらおしまいだ。絶対に懺悔室に連れて行かれて鞭で打たれる」
「そうだね」
「フェリペ、お前人のことだから笑っているだろう。ああ、どうしよう。そうだ、ミゲル、お前はいつもフアンのそばにいる。フアンが余計なこと言ったらすぐに口を閉じてくれ」
「無理だよ。フアンは突然変なこと言い出す。僕には予想がつかない」
「俺の運命はどうなる?」
「もしフアンがしゃべったら、真剣に誤ればいいよ。鞭打ちの罰は免れなくても、回数は減らしてもらえるかもしれない」
「いやだ、俺は鞭打ちの罰が大嫌いなんだ。頼む、フェリペ。お前は小さい子供の扱いに慣れているだろう。この危機を脱出できるうまい方法を考えてくれ」

体が大きくいつも堂々としているアルバロが信じられないくらいオロオロしていた。

「わかったよ。昔父さんに習った方法を使ってみる。うまくいくかどうかわからないけど。君たち2人は少し離れていて」

フェリペはそう言うとフアンと手をつないでロバの顔がよく見える位置に立った。



「ねえ、フアン。さっきも話していたけど、ロバのビエホーはどんな気持ちかな」
「泣きたい気持ち。本当はロバになんか生まれたくなかった」
「どうしてロバに生まれたくなかったの?」
「いつも重い荷物を背負って歩かなければならないから。少しでも足を止めると人間に鞭で打たれる」

2人の話を聞いて、少し離れた場所にいるアルバロが私に向かって小声で話しかけた。

「あの2人は何を話しているんだ?だってロバはロバだろう。贅沢言っている場合じゃない」
「僕もそう思うけど・・・」

フェリペとフアンの会話は続いている。

「鞭で打たれたら痛いよね。僕も昔、鞭で打たれたことあるからよくわかる。でもフアン、よく見て。ビエホーが荷物を運んで鞭打たれたのは昔のことだよ。今は年を取って働けなくなったから、荷物を運ばなくていいし、鞭で打たれることはない。それでもビエホーはまだ泣きたい気持ちなのかな」
「人間に鞭で打たれたことはずっと覚えている。人間は怖い。抵抗できない動物を死ぬまで鞭打って働かせようとする」
「そうだね。ビエホーは人間を怖がっているね。でもね、フアン。ビエホーは君のことも怖がっているのかな」
「怖がっていない。僕はビエホーのことよくわかるから」
「ビエホーは君のこと大好きだよ。君がビエホーのこと好きなのと一緒だよ。フアン、ビエホーの体のどこに痛みが残っているか、君にはわかるか?」
「うん、わかるよ」
「その場所を触ってあげるといい」

フェリペがフアンを抱き上げ、フアンはロバの背中を優しく撫でた。しばらくそうした後、フェリペはフアンを下におろした。

「フアン、見てごらん。ビエホーの顔が変わったよね」
「うん、なんかほっとしている」
「これからも時々ビエホーに会いに来て背中をさすってあげるといいよ。僕やアルバロが君の手助けをするから」
「ありがとう、フェリペお兄ちゃん」

フアンが微笑んだ。アルバロが我慢できなくなって2人に近付いた。

「おい、フェリペ。俺にはよくわからない。ロバが人間を怖れているとか、体に痛みが残っているとか、そういうことが俺の人生最大の危機とどう関係がある?」
「フアンは他の人には見えないものがよく見えるし、動物の気持ちもよくわかる」
「お前もその、見えないものが見えるのか?」
「僕は昔父さんに習って少しできるようになったけど、でもフアンほどはっきりは見えない。フアンは誰にも教えてもらわなくても生まれつきその力がある」
「そうか、よくわからないけどなんかすごいな」
「フアンはまだ小さいから自分が感じたことを人にどう伝えたらいいかわからない。だから突然おかしなことを言ったりかんしゃくを起こしたりする。だからフアンの話をじっくり聞いてあげれば、突然変なことをしゃべることもなくなると思う」
「そうか、それなら俺の失言がカルロス院長に知られることもない。フェリペ、お前はなんてすごい奴だ。前から頭のいいやつだと思っていたけど、そうか、頭というものはこうやって使えばいいのか。ありがとう。これで今日も安心して過ごせる」

アルバロはフェリペの手を握り締めた。

「待って、フアンが話したいことはまだ終わっていない。カルロス院長の過去の方がもっと複雑みたいだ。ビエホーの痛みは人間が与えたものだけど、カルロス院長の痛みは神様の与えた痛みかもしれない」
「なんだ、その神様の与えた痛みって。ミゲル、お前にわかるか?」
「僕にはよくわからない」

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