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第1章 修道院での子供時代

12、怒りと涙

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フアンと一緒に部屋で待っているとカルロス先生が迎えに来た。昼食前に体を清めなければならない。部屋を出て階段を下りて手足を洗う場所に行くのだが、足の不自由なフアンと一緒だと時間がかかった。洗い終わって広い食堂に入った時にはもう他の修道士は席に座っていた。長いテーブルの真ん中にカルロス先生が座り、その周りにいるのは修道院の中でも位の高い人ばかりだと聞いている。位の低い人や入ったばかりの修道士は別のテーブルで食べることになっている。私はいつも院長先生の隣の席で食事をしているのだが、今日は私が座るべき場所に別の修道士が座っている。カルロス先生は遠くの席を指さし、料理を運んでいた修道士に小声で話した。

「2人を向こうの席に案内してくれ」
「かしこまりました」

修道士は料理の皿を置いた。お皿の上には骨付きの大きなチキンと野菜を焼いたものがのせられていた。めったに食べられないごちそうである。料理を運んできた修道士は小さなフアンを抱き上げ、私に目で合図をして歩き出した。

私とフアンの席は広い食堂の端の方に用意されていた。子供用の小さなテーブルと2つの椅子、小さく切った肉と野菜が入ったスープと小さなパンがいくつかのせられたかごが置いてある。3歳のフアンにはちょうどよいかもしれないが、私には少なすぎる。修道士はフアンを椅子に座らせ、私が席に座るのを見届けると無言で離れていった。



カルロス先生の祈りの言葉の後、みんな昼食を食べ始めた。たくさんの修道士が並んで食べているのだが、みな無言である。なるべく音も立てないで食べるようにしていたので、フアンのスープをすする音が気になった。

「このスープ、変な味がする」

フアンが大きな声で言い、修道士たちが振り返った。

「だめだよ、フアン。食事の時にはしゃべってはいけないきまりだ」

私は小声で言った。

「だって本当に変な味がするんだもん。ミゲルお兄ちゃんも食べてみて。変な野菜が入っているから」
「フアン、静かに・・・」

私はもうフアンの声が気になって落ち着いて食べられない。

「このパンも固くてマズイ!」
「フアン、静かに・・・」
「こんなパン、こうしてやる!エーイ!」
「だめだ、フアン!」

私は大声でフアンを止めたが間に合わなかった。フアンは片手に持ったパンを勢いよく床に投げつけていた。

「フアン、なんてことするんだ。食べるものを粗末にしてはいけない!」

大声で怒鳴りつけた。フアンは一瞬キョトンとしたが、その後大声で泣き出した。

「うわーん、ミゲルお兄ちゃんがいじめた!」
「僕はいじめていない。ただ注意しただけだ」
「ミゲルお兄ちゃんがいじめた!もういやだ。もとのおうちに帰りたい!」

フアンが大声で泣いている。私はすぐそばにカルロス先生が立っているのに気付かなかった。

「お前たち何を騒いでいる!」
「ミゲルお兄ちゃんがいじめるの。僕はもうもとのおうちに帰りたい!」
「もうよい!お前たちはもう食べなくてよい!部屋に戻って反省していなさい。フアンを連れて行ってくれ」

近くの席にいた修道士がフアンを抱き上げて歩き出した。私はその後を追いかけた。

「いやだー!こんなところいやだー!もとのおうちにかえたい!」

抱かれている間もフアンは泣いて暴れていたが、修道士は無言で階段を上がり、私たちの部屋に入ってフアンを床におろした。私も追いついて部屋に入った。

「カルロス院長の命令です。ここでおとなしくしていてください」

修道士はそう言い残して去り、部屋のドアを閉めた。



「ミゲルお兄ちゃんがいじめる!こんなところいやだー!パンもスープもマズイ!いやだー!」

フアンは床にひっくりかえって泣き喚いた。私も床に座り込んでしまった。泣いているフアンを見ているうちに私のお腹に熱い塊ができ、それが胸を通って喉に押し上げてくる。その熱い塊が苦しくて、私もまた声を上げて泣き出した。

「ミゲルお兄ちゃんどうしたの?」

いつの間にか泣き止んだフアンが私の顔を覗き込んでいた。

「うるさい!お前なんか大っ嫌いだ!あっちへ行ってくれ!」

フアンは一瞬静かになった。足を引きずってベッドの方へ行き、顔をうずめて声を出さずに泣き始めた。さっきとはあきらかに様子が違うが、私はどうしたらいいかわからない。ボロボロ泣いている時に外からカルロス先生の声が聞こえた。

「ミゲル、どうしている?入ってもいいか?」
「はい、先生」

私は力なく答えた。



カルロス先生は部屋に入ってすぐ泣いているフアンを抱き上げた。

「フアン、どうした?何を泣いている」
「ミゲル・・・お兄ちゃんが・・・きらいって・・・」

フアンが答えた。先生がフアンを抱いて私に近付いた。

「カルロス先生、ごめんなさい。僕には無理です。フアンの世話をすることは、僕には・・・」

言葉がつかえ、涙が出てきた。

「食堂で何があった?」
「僕は・・・」
「パンとスープがまずいから、パンを床に投げて・・・」

うまく答えられない私に代わってフアンがスラスラ答えていた。

「フアン、そんなことしたのか?」
「だって、スープの中にマズイ野菜が入っていたから」
「これから先、お前はずっとこの修道院の宿舎で生活することになる。嫌いなものが出たならばそっと残せばよい。この先もしパンを床に投げるようなことをしたら、私はお前を許さない。どんなに小さくても鞭打ちの罰を与える。覚えておきなさい」
「はい」

フアンは小さな声で返事をした。カルロス先生はフアンを床に下し、私を抱き上げようとしたがすぐに諦めて包み込むように私の体を抱きしめた。

「ミゲル、大きくなったな。いつの間にか抱き上げることができなくなっていた」
「・・・・・」
「辛い思いをさせてすまなかった」
「ごめんなさい、先生。僕はフアンの世話がうまくできなくて、泣かせてしまい、それから大嫌いと言ってしまいました」
「お前は本心からそう言ったわけではないだろう?」
「はい、先生。でも僕はもうどうしたらいいかわからなくて・・・」

カルロス先生は少し私の体を話して体を低くして私の顔を見た。

「お前のしたことは間違っていない。お前は正しくフアンを導こうとした。ただ今までにない経験だからうまくいかなかっただけだ」
「は、はい」
「ミゲル、生まれてから死ぬまで一度も間違いを犯さない人間がいると思うか?」
「・・・・・」
「特に子供の時はいろいろな過ちを犯す。子供は怒ったり泣いたり笑ったり、いろいろな経験をして成長していく。私はフアンと一緒に生活することがお前にとっていい経験になると信じている。修道士は感情を出すことを禁じられている。神との対話を深めるためには個人の欲望や感情が邪魔になるからだ。だがミゲル、お前はまだ子供だ。大人の修道士と同じように感情を殺すことがお前にとっていいこととは思わない。お前は子供の時にいろいろな体験をして心豊かな人間になって欲しい」

先生はもう1度私を抱きしめた。私の目から涙がこぼれた。

「先生、ミゲルお兄ちゃんだけでなく僕もだっこして」

近付いて来るフアンを先生は抱き上げた。

「修道院長である私がこんな姿を人に見られるわけにはいかない。この部屋の中だけだ」
「はーい」

フアンが無邪気に笑い声をあげていた。
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