19 / 26
19 お誘い②
しおりを挟む
***
「お化粧なんて……私がしても変じゃないかしら」
「鏡をご覧になってください。とてもお綺麗ですよ?」
「リサさん、髪は最近王都で流行りの結い方でいきましょう」
「そうですそうです、衣装部屋には髪飾りもたくさんありますしね」
翌日。
朝食のあと、鏡の前に座らされた私は、リサと二人の侍女たちにヘアメイクをされていた。
服は、ロデリック殿下がご用意してくださった外出着ドレスの中から、さんざん悩んで選んだ。
恥ずかしながら流行りがわからないので、侍女たちに意見を聞き続けてなんとか選べたものだ。
クラシカルな格子柄が綺麗な、とっても素敵な外出着ドレス。だけど。
「……私が着るとなんだか、ドレスに着られてしまっている感じがしない……?」
「しません。大変よくお似合いです。ばっちりです。さすが殿下です」
「だ、大丈夫……?」
お化粧もしたことがないので、これで正しいのか、綺麗に見えているのかよくわからない。
手際の良い三人によってメイクは仕上がり、丁寧に髪も結われ。確かに鏡の中の私は別人のような姿になった。
……さきほど朝食をご一緒したばかりの殿下は、どうお思いになるかしら。
(……落ち着きなさい、私。デートじゃないのよ。お優しい殿下が、あくまでも私の気分転換とかのために誘ってくださっているのよ。でもそれはそれとして、少しでも綺麗に見えたら嬉しいだけだから)
心の中で自分に一生懸命言い訳している。
しっかりしなさい。求婚を断ったのは私の方なのよ。うかれるのはやめなさい。平常心、平常心……。
(私はもう大人よ。大人なのだから、できるはず)
何度も深呼吸して、立ち上がる。
玄関ホールに降り、殿下をお待ちする。私のほんの少し後に、殿下が階段を降りていらっしゃった。
私の姿を、その完璧な形の眼に収められた双眸に捉える。
(……?)
殿下のお姿をつい食い入るように見いってしまう私は、ある小さな変化に気づいた。
素晴らしく美しい殿下の両目が、一瞬、見開かれたような。
緊張で息が止まりそう。
そのまま殿下は私のそばまでいらっしゃる。なぜか、何かに耐えるように手で顔の下半分を覆っていた。
「……っ、よく似合っている、とても」
「……あ、あのっ」
「どこに出してもおかしくない完璧な淑女だ」
「あ。ありがとうございます!?」
(及第点……ということで良いかしら?)
あまりに緊張しすぎたせいなのか、出掛ける前だというのにドッと肩に疲れが乗ってくる。
だけど試練はまだ終わっていなかった。
なんと殿下が、私に手を差し出していらしたのだ。
「さぁ、お手を」
「はい」
震えそうになるのを賢明におさえ、穏やかな笑みを心がけながら、殿下の大きな手に、自分の手を重ねる。
二人の手の大きさが違いすぎて、とても大人同士の手とは思えない。まるで大人と子どものようだ。
手袋越しでも、その殿下の熱や手指のわずかな動きが如実に伝わってくる。
(平常心、平常心……!)
心の中で呟いている間に、外へと誘われる。
玄関入り口の階段を降り、その前につけられていた殿下の馬車に乗り込んだ。
何度も沸き上がってくる緊張と闘いながら、ロデリック殿下と向かい合って座った。
座面はとても座り心地が良くて、手触りもとても滑らか。
殿下と二人きりになる緊張をごまかすために、つい、馬車のなかを観察する。
(……王家専用の馬車、よね……これは……)
ここに来るまでに乗った馬車もとても上等だったけれど、明らかにそれを上回っている。
やがて馬車は走り出した。動き出したことに気づくのが遅れるほど、快適な乗り心地だった。
「王都に着いたら、まず王立美術館だったな」
「はい。子どもの頃、あの美術館が大好きで……アンナにも連れていってもらったのです」
子どもの私には高尚な美術のことはなにもわからなかった。
だけど、美術館という非日常な空間と、自分が知らない色彩感覚で描き出される絵に刺激を受けるのがとても大好きだった。
「好きな画家はいるのか?」
「ああ……いえ、好きな絵も多かったのですが、子どものころはあまり画家の名前をちゃんと見ていなかったのです。後から新聞で画家の名前を覚えたことも多くて……。
ただ、アンドリュー派のマリゴールドが描いた神話の連作は特に大好きで……」
(────父に何度も、絵の解説をせがんだのだったわ)
父の顔が浮かんでしまった。
キリキリとした胸の痛みを無視しながら「……何度も繰り返しその前を往復してしまって、怒られたこともございました」と、笑ってみせたのだった。
***
王立美術館は、私の記憶した通りの場所に今も残っていた。
……という言い方はおかしいかもしれないけど、十年間来られなかった私にとってはそんな感覚だ。
少しだけ増築をされてはいたけれど、古い宮殿を再利用したその美術館の外観は十年前と変わらず保たれていて、馬車の窓から建物を眺めただけで、懐かしさで胸が一杯になった。
殿下に再び手をとられ、私は馬車を降りる。
十年ぶりの王都の空気を吸い込んだ。
空が明るい。
ヴァンダービル伯爵領の領主館でいつも見上げていた空は、晴れた日でも狭くて灰色がかって見えた。今、私の頭上にある空は、青くてどこまでも広がっている。子どもの頃見上げた空そのままだった。
「ありがとうございます。とても懐かしいです」
「ならば良かった。行こう」
「はい」
早い時間だからか、人が少ない。
その見学者たちも平民らしい人が多く、貴族は見たところいない。
私のことをマージェリー・ヴァンダービルだと気づく人がいませんように。
美術館の中に足を踏み入れる。
────子どもの頃ワクワクした世界が、そこには広がっていた。
「お化粧なんて……私がしても変じゃないかしら」
「鏡をご覧になってください。とてもお綺麗ですよ?」
「リサさん、髪は最近王都で流行りの結い方でいきましょう」
「そうですそうです、衣装部屋には髪飾りもたくさんありますしね」
翌日。
朝食のあと、鏡の前に座らされた私は、リサと二人の侍女たちにヘアメイクをされていた。
服は、ロデリック殿下がご用意してくださった外出着ドレスの中から、さんざん悩んで選んだ。
恥ずかしながら流行りがわからないので、侍女たちに意見を聞き続けてなんとか選べたものだ。
クラシカルな格子柄が綺麗な、とっても素敵な外出着ドレス。だけど。
「……私が着るとなんだか、ドレスに着られてしまっている感じがしない……?」
「しません。大変よくお似合いです。ばっちりです。さすが殿下です」
「だ、大丈夫……?」
お化粧もしたことがないので、これで正しいのか、綺麗に見えているのかよくわからない。
手際の良い三人によってメイクは仕上がり、丁寧に髪も結われ。確かに鏡の中の私は別人のような姿になった。
……さきほど朝食をご一緒したばかりの殿下は、どうお思いになるかしら。
(……落ち着きなさい、私。デートじゃないのよ。お優しい殿下が、あくまでも私の気分転換とかのために誘ってくださっているのよ。でもそれはそれとして、少しでも綺麗に見えたら嬉しいだけだから)
心の中で自分に一生懸命言い訳している。
しっかりしなさい。求婚を断ったのは私の方なのよ。うかれるのはやめなさい。平常心、平常心……。
(私はもう大人よ。大人なのだから、できるはず)
何度も深呼吸して、立ち上がる。
玄関ホールに降り、殿下をお待ちする。私のほんの少し後に、殿下が階段を降りていらっしゃった。
私の姿を、その完璧な形の眼に収められた双眸に捉える。
(……?)
殿下のお姿をつい食い入るように見いってしまう私は、ある小さな変化に気づいた。
素晴らしく美しい殿下の両目が、一瞬、見開かれたような。
緊張で息が止まりそう。
そのまま殿下は私のそばまでいらっしゃる。なぜか、何かに耐えるように手で顔の下半分を覆っていた。
「……っ、よく似合っている、とても」
「……あ、あのっ」
「どこに出してもおかしくない完璧な淑女だ」
「あ。ありがとうございます!?」
(及第点……ということで良いかしら?)
あまりに緊張しすぎたせいなのか、出掛ける前だというのにドッと肩に疲れが乗ってくる。
だけど試練はまだ終わっていなかった。
なんと殿下が、私に手を差し出していらしたのだ。
「さぁ、お手を」
「はい」
震えそうになるのを賢明におさえ、穏やかな笑みを心がけながら、殿下の大きな手に、自分の手を重ねる。
二人の手の大きさが違いすぎて、とても大人同士の手とは思えない。まるで大人と子どものようだ。
手袋越しでも、その殿下の熱や手指のわずかな動きが如実に伝わってくる。
(平常心、平常心……!)
心の中で呟いている間に、外へと誘われる。
玄関入り口の階段を降り、その前につけられていた殿下の馬車に乗り込んだ。
何度も沸き上がってくる緊張と闘いながら、ロデリック殿下と向かい合って座った。
座面はとても座り心地が良くて、手触りもとても滑らか。
殿下と二人きりになる緊張をごまかすために、つい、馬車のなかを観察する。
(……王家専用の馬車、よね……これは……)
ここに来るまでに乗った馬車もとても上等だったけれど、明らかにそれを上回っている。
やがて馬車は走り出した。動き出したことに気づくのが遅れるほど、快適な乗り心地だった。
「王都に着いたら、まず王立美術館だったな」
「はい。子どもの頃、あの美術館が大好きで……アンナにも連れていってもらったのです」
子どもの私には高尚な美術のことはなにもわからなかった。
だけど、美術館という非日常な空間と、自分が知らない色彩感覚で描き出される絵に刺激を受けるのがとても大好きだった。
「好きな画家はいるのか?」
「ああ……いえ、好きな絵も多かったのですが、子どものころはあまり画家の名前をちゃんと見ていなかったのです。後から新聞で画家の名前を覚えたことも多くて……。
ただ、アンドリュー派のマリゴールドが描いた神話の連作は特に大好きで……」
(────父に何度も、絵の解説をせがんだのだったわ)
父の顔が浮かんでしまった。
キリキリとした胸の痛みを無視しながら「……何度も繰り返しその前を往復してしまって、怒られたこともございました」と、笑ってみせたのだった。
***
王立美術館は、私の記憶した通りの場所に今も残っていた。
……という言い方はおかしいかもしれないけど、十年間来られなかった私にとってはそんな感覚だ。
少しだけ増築をされてはいたけれど、古い宮殿を再利用したその美術館の外観は十年前と変わらず保たれていて、馬車の窓から建物を眺めただけで、懐かしさで胸が一杯になった。
殿下に再び手をとられ、私は馬車を降りる。
十年ぶりの王都の空気を吸い込んだ。
空が明るい。
ヴァンダービル伯爵領の領主館でいつも見上げていた空は、晴れた日でも狭くて灰色がかって見えた。今、私の頭上にある空は、青くてどこまでも広がっている。子どもの頃見上げた空そのままだった。
「ありがとうございます。とても懐かしいです」
「ならば良かった。行こう」
「はい」
早い時間だからか、人が少ない。
その見学者たちも平民らしい人が多く、貴族は見たところいない。
私のことをマージェリー・ヴァンダービルだと気づく人がいませんように。
美術館の中に足を踏み入れる。
────子どもの頃ワクワクした世界が、そこには広がっていた。
27
お気に入りに追加
89
あなたにおすすめの小説
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】今夜さよならをします
たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。
あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。
だったら婚約解消いたしましょう。
シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。
よくある婚約解消の話です。
そして新しい恋を見つける話。
なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!!
★すみません。
長編へと変更させていただきます。
書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。
いつも読んでいただきありがとうございます!
冷酷な旦那様が記憶喪失になったら溺愛モードに入りましたが、愛される覚えはありません!
香月文香
恋愛
家族から虐げられていた男爵令嬢のリゼル・マギナは、ある事情によりグレン・コーネスト伯爵のもとへと嫁入りすることになる。
しかし初夜当日、グレンから『お前を愛することはない』と宣言され、リゼルは放置されることに。
愛はないものの穏やかに過ごしていたある日、グレンは事故によって記憶を失ってしまう。
すると冷たかったはずのグレンはリゼルを溺愛し始めて――!?
けれどもリゼルは知っている。自分が愛されるのは、ただ彼が記憶を失っているからだと。
記憶が戻れば、リゼルが愛されることなどないのだと。
(――それでも、私は)
これは、失われた記憶を取り戻すまでの物語。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
もう彼女でいいじゃないですか
キムラましゅろう
恋愛
ある日わたしは婚約者に婚約解消を申し出た。
常にわたし以外の女を腕に絡ませている事に耐えられなくなったからだ。
幼い頃からわたしを溺愛する婚約者は婚約解消を絶対に認めないが、わたしの心は限界だった。
だからわたしは行動する。
わたしから婚約者を自由にするために。
わたしが自由を手にするために。
残酷な表現はありませんが、
性的なワードが幾つが出てきます。
苦手な方は回れ右をお願いします。
小説家になろうさんの方では
ifストーリーを投稿しております。
政略結婚のハズが門前払いをされまして
紫月 由良
恋愛
伯爵令嬢のキャスリンは政略結婚のために隣国であるガスティエン王国に赴いた。しかしお相手の家に到着すると使用人から門前払いを食らわされた。母国であるレイエ王国は小国で、大人と子供くらい国力の差があるとはいえ、ガスティエン王国から請われて着たのにあんまりではないかと思う。
同行した外交官であるダルトリー侯爵は「この国で1年間だけ我慢してくれ」と言われるが……。
※小説家になろうでも公開しています。
王命を忘れた恋
水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』
そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。
強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?
そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。
記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。
せいめ
恋愛
メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。
頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。
ご都合主義です。誤字脱字お許しください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる