上 下
16 / 26

16 ロデリックとヴァンダービル家②

しおりを挟む


「……………………」
「……………………」


 強く断じる言葉を投げ掛けられ、伯爵夫妻は目を泳がせた。

 ロデリックは深く嘆息する。


「お二人は、かつてマージェリー嬢のことを自慢の娘として社交界でも吹聴していたとか。
 将来設計が狂ったゆえの怒りか、それとも親が勝手にかけていた高すぎる期待を裏切ったことへの怒りですか」

「に、憎かった、わけでは……ただ、マージェリーのせいでジェームズとエヴァンジェリンの将来が脅かされるのが恐かっただけなのですっ。わたくしは、あくまでも母親として……」

「……で、殿下! わ、私は、妻がそこまでマージェリーを手酷く扱っているとは知りませんでした!
 私は父親として手を上げたことも暴言を吐いたこともございませんし、もし私が娘の状況を知っていれば、もっと待遇を良くしたはずです!」

「なっ、何を仰るのです!? 後始末をすべてをわたくしに押し付けたのはあなたでしょう!?」

「何を言うか! 教会と話を付けたのも、見返りに求められた多額の寄付金を捻出したのも私ではないか!? マージェリーのことはまかせていたのだから、そちらでうまくやってくれているものと思っていたのだ!」

「あの娘の顔もみたくない、口もききたくないとおっしゃいましたよね!?」

「し、知らぬっ! おまえの記憶違いではないのか!?」

「まだそんなことを……!?」


 噛みつかんばかりの言い争いを始めた目の前の二人は、社交界では仲睦まじいと評判の夫婦だった。
 取り繕うことも忘れ、互いに暴言をぶつけあう伯爵夫妻をしばらく呆れて眺めていたロデリックだったが、彼とて暇な身ではない。

 パン、パン。
 いい加減にしろ、という意味で手を叩いて鳴らすと、フッと二人は口を閉じた。


「そちらの元使用人より、誘拐事件の当日、伯爵がマージェリー嬢に暴力を振るったと証言を得ているが」

「あっ、それ、は……き、記憶にございませんでしたっ」

「伯爵夫人。母親としての思いだとさっきから言い訳なさっているが、ジェームズやエヴァンジェリン嬢だけでなく、マージェリー嬢の母親でもあるということを忘れておられるのか?」

「わっ、わたくし、はっ……。
 いえ、きっと、同じ状況に陥れば、他の貴族も同じようにいたしますわっ……。
 わたくしたちが、たまたま不幸に襲われただけなのですっ」

「あなたがたは、どうしてどこまでも自分たちだけが被害者だと思っているのだ。
 貴族が持つべき高貴なる精神の欠片もない恥ずべきやり方でマージェリー嬢を犠牲にして、その上で十年間貴族の特権的生活を謳歌していたくせに」

「…………」

「それに」


 マージェリーのことを思うと、ロデリックはヴァンダービル家に腹が立ってしかたがない。 


「どうして、さらわれた子どもが生きて還ってきたことを微塵も喜ばずにいられた。
 どうして、子どもがどれだけ傷ついたか、かけらも心配もせずにいられたんだ」


 貴族として、家長としての立場はもちろんあるだろう。
 それに、何か事件が起こったあと、当事者家族に周囲の人間から向けられる好奇の目が、想像を絶するほどつらいものであることは、ロデリックとてわかっている。

 たとえもし伯爵夫妻が事件のあと親としてマージェリーを守ろうとしていたとしても、苦闘の末に、結局諦めてしまったかもしれない。

 だが、実際に伯爵たちが親としてしたことは、遥かにそれ以前だ。
 命を奪われてもおかしくない恐ろしい目に遭わされて帰ってきた子を、優しく抱き締めることはできたはずなのに。
 どんな言葉をかけて良いかわからなくても、親としての愛を伝えることはできたはずなのに。


「今日はこれまで。
 使用人たちや関係者にも順次聴取を進めている。証言や諸々の物証がそろい次第、またお二人にはお話を伺います」

「で、殿下っ、あの、今週はジェームズとエヴァンジェリンをつれて出席する夜会がございますのっ」

「いまそれが許される立場だとでも?」


 ヒッ、と喉の奥で声を上げて、伯爵夫人はうつむく。
「も、申し訳ございませんっ……」と謝罪する声は、小さかった。


「お二方、退出していただこう」


 そういうと、伯爵夫妻は何か反論したげにしながら、部屋を出ていった。

 ────娘が『傷物』になった責任の一端は、殿下にもおありではないのか。
 そう、訴えたかったのだろう。


(……それが何を意味するのか、わかっているのか?)


『名誉は傷ついても、身は守っていただきました』
『やはり私にとって、殿下は恩人です』


 犯人のことを思い出すのも苦しい様子で、マージェリーは懸命に話してくれた。
 ロデリックの心を少しでも楽にしようと思ってのことに違いない。

 おかげで、十年前の自分の判断は間違いではなかったのだと思えた。
 いや、もちろん緊急時の権限を濫用したことは王族としては責められるべきものだろう。
 だが、もしあの判断をしなければあの悪魔に八歳の少女の心身が蹂躙じゅうりんされたというのなら……そのもしもを想像したらゾッとする。
 そうならなくて良かったと、思う。

 ただ、それでもロデリックにはまだ悔やむ気持ちがある。

 もっと早く気づいてやれれば良かったのに。
 それにあの日、もし自分が早々に離脱することなく、邸までマージェリーたちを送る役目を担っていたら……もしかして、何かの形で守ってやることができたのではないだろうか。
 マージェリーのこの十年は決して還ってこない。だから、つい考えてしまうのだ。

 また、それだけではない。


(私のことを人が良すぎるなどと言ったが、人が良すぎるのは君だろう?)


 マージェリー本人を見ていると……何か彼女のためにしてやりたいという気持ちになる。

 苦しそうにしながらもロデリックのために過去の話をしたときもそうだし、


(自分をもっと大切にしてください、など、初めて言われたな)


 求婚を断る言葉だったが、後から、その言葉の温かさがじわじわと体に染みている。

 いや、本心はもしかしたら姉の言うように単に自分と結婚したくなかっただけかもしれないが……。

 時間がかかっても、彼女のことを幸せにしてやりたい。何としても。


 ────ロデリックは立ち上がる。
 別件で女王と話さねばならないことがあった。

 護衛らを連れて執務室を出、王宮の長い廊下を歩く。
 国王の執務室は、少し離れていた。

 打ち合わせのついでにヴァンダービル伯爵夫妻の聴取についても軽く姉に報告しようか、などと考えていたのだが、その進路を塞ぐようにヒョコリと現れた人物にロデリックは眉をひそめた。


「お久しぶりですわ、王弟殿下」


 美しい顔をほころばせたのは、マージェリーの二つ下の妹、エヴァンジェリンだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

英雄王と鳥籠の中の姫君

坂合奏
恋愛
無慈悲で残酷なまでの英雄王と 今日私は結婚する グランドール王国の姫であるリーリエは、幼い頃に大量の奴隷を母親サーシャと共に逃がした罪から、王宮で虐待を受けていた。 とある日、アダブランカ王国を圧政から救った英雄王であるクノリス王からリーリエを嫁によこさなければ、戦争を仕掛けるという手紙がグランドール王国の王宮に届き、リーリエはアダブランカ王国に嫁入りすることになった。 しかし、クノリスはグランドール王国でリーリエ達が逃がした奴隷の一人で……

竜王の加護を持つ公爵令嬢は婚約破棄後、隣国の竜騎士達に溺愛される

海野すじこ
恋愛
この世界で、唯一竜王の加護を持つ公爵令嬢アンジェリーナは、婚約者である王太子から冷遇されていた。 王太子自らアンジェリーナを婚約者にと望んで結ばれた婚約だったはずなのに。 無理矢理王宮に呼び出され、住まわされ、実家に帰ることも許されず...。 冷遇されつつも一人耐えて来たアンジェリーナ。 ある日、宰相に呼び出され婚約破棄が成立した事が告げられる。そして、隣国の竜王国ベルーガへ行く事を命じられ隣国へと旅立つが...。 待っていたのは竜騎士達からの溺愛だった。 竜騎士と竜の加護を持つ公爵令嬢のラブストーリー。

姉の身代わりで冷酷な若公爵様に嫁ぐことになりましたが、初夜にも来ない彼なのに「このままでは妻に嫌われる……」と私に語りかけてきます。

恋愛
姉の身代わりとして冷酷な獣と蔑称される公爵に嫁いだラシェル。 初夜には顔を出さず、干渉は必要ないと公爵に言われてしまうが、ある晩の日「姿を変えた」ラシェルはばったり酔った彼に遭遇する。 「このままでは、妻に嫌われる……」 本人、目の前にいますけど!?

不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。

桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。 戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。 『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。 ※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。 時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。 一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。 番外編の方が本編よりも長いです。 気がついたら10万文字を超えていました。 随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...