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◇42◇ 【ギアン視点】

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「どうしたのだ。最初から良き様子ではないか」


 夜会のなかで、姉はそう私にささやいた。


「前はもっと、傍目にわかるほどにそなたや我々に無礼であったろう。今宵は、レイエス人への態度もベネディクト人へのそれと変わらぬ。心境でも変わったか」

「さぁ……どうなのでしょうか」


 本当なら自信満々に、やはりマレーナこそが……と姉にアピールするところだったが、それはできなかった。

 今夜のマレーナは、初めて会った時に感じた高鳴りとは違うものを覚えさせる。

 かつてよりも安定感のある立ち居振舞い。
 なのに、何かそれがはかないもののように思えてしまうのだ。


 ……思いながら、目が離せない。
 無意識に、目が彼女を追ってしまう。


 あれは、本当にマレーナなのか?という疑念が一瞬頭のなかにわいてきて、あわてて打ち消した。


 せっかく来てくれたのだ。
 要らぬ疑いをかけるべきではない。

 それに、いくらなんでも別人なら私にだってわかる。他人の空似ということもあるだろうが、こんなに似ている別人などいない。声だって、紛れもないマレーナの声だ。耳だって、形の良いマレーナの耳だ。

 きっと久しぶりに会って、私も動揺しているのだ。滞りなく夜会を終え、それから、久しぶりにゆっくりと話したい。

 ────話しかけたら拒まれるのではないか?

 ……ゾワッと、かつての嫌な記憶がよみがえる。振り払いたくて、マレーナに再び目をやった。


(……?)


 マレーナが何かを鋭く見ている。
 瞬間的に左手が動いた。
 その目線の先には、姉……ではなく。


「……!?」


 手にナイフを受けた男の手から拳銃が落ちた。


「──暗殺者だ!!」


 姉の命が狙われた。ここ数年、姉を狙う暗殺者はたびたび出現していたから身体はとっさに動いた。
 だが、急いで暴漢を取り押さえながら、頭のなかは疑問符でいっぱいだった。

 なぜマレーナが? なぜ、警備の人間たちよりも早く気づいたのか? こんな投げナイフの腕を隠し持っていたのか? 右利きだったはずでは?

 姉はすぐにナイフが飛んできた方向を気にした。
 マレーナは「兄です」と言った。
 自分がナイフを投げたことを知られたくないようだ。

 ファゴット家に礼を言い、憲兵を呼ぶ指示を出し……姉は、取り押さえられた男の手からナイフを引き抜き、それを眺める。
 かなり簡素な、飾りひとつないナイフ。
 姉は、何かに気づいたように目を細め、

「──ふふ、そう来たか」

と呟いたが、丁寧にぬぐって、ナイフをマクスウェル殿に返した。

 …………姉の命が救われた。
 それは本当に感謝したい。マレーナの腕も賞賛したい。
 けれど…………どうしてこんなに胸がざわざわするのか。


 再びマレーナを見る。
 気丈にも変わらない様子を保っているが、瞳には時折不安がよぎる。
 そうだ、マレーナだってこんな事態、不安なはずなのだ。
 私は何を疑ったりしていたのか。



「くっ……くそっ!!
 レイエス人どもが……」


 拘束されていた暴漢が暴れはじめ、姉と私をにらみつける。
 ああ、やはり。レイエス人という民族に反感を持つ者たちか。


「我々のような古参の貴族を差し置いて、よそ者が大公だなどと、ふざけるなッ……!
 黒髪の野蛮人どもの国はさっさと戦争で植民地にして、我らがベネディクト王国の支配下に置くべきなんだッ」


 戦場に出たこともなさそうな男が、勇ましいことを言う。あれがどんな場所なのか、何が起きるのか、おまえはわかっているのか?


「野蛮な劣等民族のレイエス人に、ベネディクト人と対等な顔なんか……ッ」

「――――あら。夜会に乱入して、女性を撃ち殺そうとした野蛮人が何かわめいていますわね」


(……………………?)


 それは、確かにマレーナの声だった。


「な、なんだと、この…………ば、馬鹿にしてるのかぁ!?」

「愚か者が恥を知れと言っているのです。
 見た限り貴族らしい装いをしてみせているようですけれども、あなた、大公殿下がいまここでお命を落とされることで、逆にベネディクト王家の立場が悪くなり、窮地に立たされうる。そんな可能性にも思い至りませんの?」


 私が戸惑うなか、マレーナはすらすらと続ける。


「あなたがなさろうとしたのは、国際的に何も正当性を主張できない行為。思いきり我が国を窮地においやろうとした方が、国の未来の何を語ろうと言うのかしら?
 それに、あなたが独りよがりな頭のなかで身勝手な序列をどうつけようが、民族に優劣をつけないのは、外交儀礼の基本中の基本ですわよ? どちらの学校に通われていたのかしら?」


 …………思わず、へたりこみそうになった。

 マレーナが、ベネディクト人とレイエス人の間に差をつけるべきではないと言っている。
 レイエス大公家の重要性を、はっきり説いている。

 男を楽しませる洒脱な会話以外は何もものを言わない慎ましさが好ましい、とされるベネディクト貴族の娘が、はっきりと、我々を尊重してくれている。

 この瞬間、違和感は、吹き飛んだ。

 この5年が、報われた気がした。

 この女性を妻にしたい。そう思ったのだ。


   ◇ ◇ ◇


 マレーナは生まれ変わったのだ。
 何か、きっと思うところがあって、私とうまくやっていこうと考えてくれているのだ。
  そう、私は信じた。


「あまり態度は以前と変わらないように見えますが」


 従者のひとりはそう言ったが、全然違う。
 よくよく見れば、一挙手一投足に下の立場の人間への気遣いがあるし、会話でも、私の言葉をさえぎらない。些細な違いに、マレーナが、とても優しくなったことを感じた。


 毎回、彼女のために花を選ぶのが楽しくて仕方なかった。
 会いに行くたび、いつも私が贈ったドレスを着てくれて、それが恐いぐらいだった。


 この数年ずっと彼女には笑顔を向けようとしてきた、その積み重ねで、作り笑顔には慣れたつもりでいた。
 だが、いまのマレーナと話していると、自然と心から笑顔になってくるのだ。

 それに…………表情の微細な変化も、少しずつ感じ取れるようになった。

 手土産はあまり豪奢なものだと引くようだが、(とはいえ、プレゼントが国庫を圧迫するのでは、と意見をくれたとき、私との将来のことを本気で考えているのだと嬉しくなった)菓子はどうやら本気で美味しいと思ってくれている。
 一番美味しい食べ方を考え、レイエスの菓子にあった飲み物も準備をしてくれるようになったのだ。


 …………幸せだった。

 やっと、本当に婚約者になれた気がした。


   ◇ ◇ ◇
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