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◇6◇ はじめまして、“婚約者”様

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   ◇ ◇ ◇


 翌日の夜。
 ドレスに化粧に髪と完璧に貴族令嬢らしく仕上げてもらった私は、広くて座り心地が良いファゴット侯爵家の馬車に揺られ、ファゴット侯爵夫妻、マクスウェル様とともに大公家のおやしきへ向かった。
 貴族は、領地の邸と王都の邸とを持っていて、行き来するのだそうだ。大公家もそれにならい、うちの国の王都に邸を持っているとか。

 ────そして着いたのは、控えめに言ってファゴット侯爵邸の3倍はある大きさのお邸だった。



「お久しぶりです、よくいらっしゃった!」



 私と同じ年頃の黒髪の少年が、声を張り上げて馬車の前まで迎えにきてくれる。


「あれが、ギアン・ミンドグラッド・レイエス様だ」


 同じ馬車にいたマクスウェル様がこそっと囁く。
 私たちは馬車を下りる。


「長らくご無沙汰しておりました。
 今宵は素敵な宴にお招きにあずかり、深く感謝申し上げますわ」


 私は、他人のドレスで堂々とカーテシーをした。


「こうしてお目にかかるのは2年ぶりのことになるな、マレーナ殿。
 お会いしたかった!」


 多様な血を引く海洋民族のレイエス人に多いという、艶やかな小麦色の肌、癖のない黒髪。まっすぐな鼻筋と琥珀アンバーの瞳は、くっきりと強い印象を与える。
 やや童顔ではあるけれど、事前に見た肖像画よりもずっと美男子だ。

 ただ、笑顔を懸命につくっているように感じる。
 彼も“私”=マレーナ様にいい印象を持っていないから?


 マレーナ様の両親が挨拶する。


「大変ご無沙汰をいたしております、ギアン殿下。マレーナが婚約者でありながら、今まで折悪しく何度もご招待をお断りすることになってしまいました。
 長くお会いできずおりましたこと、まことに申し訳ございません」

「マレーナ殿のお身体はもう良いのでしょうか?」

「はい、問題はございません」と、私が答える。「ご心配をおかけいたしました」


 あくまで品は悪くなく答える。
 だけど好意を示すようには見せない。

 つくる顔のイメージは“氷の華”。

 ……好意を向けられるわけにも嫌われるわけにもいかない。
 この婚約について、私は何も影響を与えてはいけないから。


「では、中へどうぞ」


 ギアン様が豪奢な邸の中へと誘う。その背中を、私たちは追った。


   ◇ ◇ ◇


「ご無沙汰しておりました、大公殿下。
 ファゴット侯爵家長女、マレーナ・ファゴットでございます」

「久しいなマレーナ殿、よくいらっしゃった。
 この2年の間にますますお美しくなられたようだ。
 邸に金の薔薇が咲いたかと思うほどだ。お健やかなご様子、まずは安心した」


 大広間にて、ギアン様に良く似た黒髪の女性がゆったりと微笑む。
 35歳の女王陛下、いや、大公殿下、エリカ・レイエス様だ。

 レイエス民族の意匠らしいデザインをうまく取り込んだドレスは、絢爛豪華でエキゾチックで魅力的だ。
 きゅっとウエストを締めた幅広のベルトは金糸銀糸で縁取られ、髪を彩る金細工のアクセサリーと大粒の宝石たちに、思わず目を奪われる。

 ギアン様と同じく童顔で、かなりお若く見えた。

 叙爵よりも遥か昔から独立国の王だった家だけど、『大公殿下』と『女王陛下』、どちらで呼ぶべきか、事前にマクスウェル様に確認した。

 答えとしては
「我が国の王族や貴族がいる場では、王と呼ぶのは避けた方が良い」
ということだった。
 なかなか政治は難しい。


「長らくお会いできず、本当にご心配をおかけいたしました」

「お気になさらず。今宵の宴をどうか楽しんでくださると嬉しいのだが」

「お心遣い、まことにありがたく存じます」


 ────夜会は二部構成で、前半は晩餐会、後半はダンスパーティーだった。


 お食事会では男女隣り合うように席が決められ、お隣の方と歓談するのがマナーだという(会話が弾むように女主人が席を配置する)。


『おそらく、ギアン様と君が隣り合う席になるだろうな』


というマクスウェル様の事前予想どおり、私はギアン様の隣になった。

 マナー違反になるかもしれないけれど、マレーナ様の性格を無視して愛想よく歓談するわけにはいかない。
 できるだけ会話を抑えて、食事に集中しよう。
 仏頂面で、黙々と。
 ギアン様、ごめんなさい。


 そう私は考えていた。
 ……食事を始めるまでは。


(何この、ウミガメのスープ!!
 コク、香り、旨み……何をとっても美味しすぎる!!)

(このテリーヌ、なめらかで、ぷるぷるっ。
 しっかり具材のお肉と野菜の味のハーモニーがあって、口のなかでとろけてく……最高!!
 添えられてる新鮮生野菜のサラダ!!
 美味しい! 薄味のジュレがかかってるだけなのに、野菜自体の味が別物って感じ??)

(香草とパン粉をまぶしたサーモンのムニエル、口のなかに入れた瞬間の香ばしさ! そこから溢れるお汁がたまらない……私の知ってる鮭じゃない……)


 どれもこれも別世界レベルの美味しいものたちだった。

 気をしっかり持っていないとカトラリーを持つ手が震えてしまっただろう。

 顔には出していない。出していないが、味が良すぎて何度か心を奪われてしまった。
 まだ序盤だけど終わったらすぐスタンディングオベーションしたい。否、いますぐ厨房にいって料理人の皆さんにブラボーと叫びたいぐらい美味しい。いやできないけど。これは素晴らしい、芸術品だ。


「大丈夫か?」


 突然、隣の“婚約者”様から声がかかった。
 “氷の華”風の顔を崩さないまま目だけそちらに向けて、「何か?」と私は返す。
 料理には感嘆していたが、それがバレるようなへまはしていないはずだ。


「わたくし、何かいたしましたでしょうか?」

「ここまでまったく残さず綺麗に召し上がっているが、メインディッシュまで食べられるだろうか?」

(!!)


 ギアン様の言葉に、動揺を抑えながら周囲にちらりと目を走らせた。
 確かに、周りの来客たちは料理を残している。
 こんなに贅を尽くしただけじゃなく絶対心もこもってる美味しいものを? どうして残せるの?
 ……いや、それが貴族ということなら、軌道修正して合わせなければ。


「失礼いたしましたわ。
 その……お料理があまりに素晴らしく、美味しかったものですから」


 ここは場に応じ、目を伏せ、高慢令嬢キャラに許される範囲の羞恥を見せる。
 本物のマレーナ様ならもっとツンとするかもしれないけれど、それじゃ感じが悪くなるのと、マレーナ様の評判をおとしかねないから。


(……そうか。貴族女性はコルセットでぎりぎり身体を締め付けているし、あまり食べられないのが普通なのかな)


 私はマレーナ様より少し細いので、彼女の身体に近づけるため、コルセットの紐は緩めだった。


「それなら良かった。
 今宵の料理は我らの料理人が腕によりをかけてこしらえている。このあともっと美味しいものがある。マレーナにはぜひ、最後まで味わってほしい」


 安堵した様子のギアン様は、しっかりと私の顔を見ながら言う。
 笑顔の固さはまだ残る。
 だけどあくまでも笑みを絶やさず、“婚約者”を気遣った言葉をくれる。琥珀の瞳が綺麗。


「お気遣いありがとうございます。
 すべては食べきれないかもしれませんが、本当に素晴らしいお料理だと、料理人の方にお伝えいただきたいですわ」


(普通に優しいな、この人。そして、ちゃんとしてる)


 もしも家が決めた婚約じゃなくて、夜会でこうして隣り合ってお話したのが出会いだったなら……マレーナ様もギアン様に好感を抱いたんじゃないだろうか。


 そう思いながら私は、運ばれてきた次の料理に手をつけた。

 それから。人生で初めて食べるぐらい美味しい料理たちを、血の涙を流す気持ちで少しずつ残しながら、最後のデザートまで食べきった。


   ◇ ◇ ◇
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