上 下
89 / 90

後日談1ー3中編:【ダンテス視点】

しおりを挟む
   ◇ ◇ ◇

 療養施設には、医者の常駐する診療所が併設されている。

 その診療所で俺に与えられる仕事は、主に薬品の整理や掃除や洗濯やらだ。
 元王族の人間にとっては当然やったこともなく、当初は意外と重労働に感じ、腰を痛めかけた。だが、慣れれば適度に身体を動かせるという点では良い。
 周りの人間も俺の扱いに慣れてきたのか、最近は外国の文献の翻訳を頼まれることもある。

 この日は洗濯の日で、洗濯物を抱えて干場へ歩いていた俺は、診療所がにわかに騒がしくなったことに気づいた。


「どうかしたのか?」


 様子を見に来たファランに尋ねる。


「併設されている産所に、産気付いた女の人が運ばれてきたけど、どうやら逆子さかごで難産らしいッス」

「……難産?」

「今日、医者が少ないから、先生たち大変……」


 ファランが話している途中で、渡り廊下をあわてて走っていく、顔見知りの医師の姿を見つけた。


「ちょっと、これ持ってろ」

「え、ちょっ、殿でん、じゃなくて“名無し”さん!?」


 山盛りの洗濯物の籠を思わずファランの手に押し付けて、俺は医師の跡を追った。

 どこの誰かも知らない、俺が嫌う平民で、俺が嫌う女。
 そんな奴が生きようが死のうがどうでもいいはずなのに、気になってしまったのは『産気付いていた』せいだろう。
 妊婦なんて、ごくありふれた存在なのに。難産だって、珍しくもないものなのに。

 産所にはレクタム先生も駆けつけていた。
 専門外のはずだが、彼女も気になってしまったのだろうか。

 奥のベッドには、30歳ほどの年頃の女が、脂汗を浮かべ声も出せないほど苦しがっている。
 夫らしき男が、青い顔をして彼女の手を握る。
 医師たちは困惑した様子で、彼女の腹を見て話していた。


「……逆子と聞いたのですが?」俺はレクタム先生に尋ねる。

「昨日産気付いたそうなのですが、……ここに来るまで時間がかかってしまい、お母さんは一睡もできずに日を跨いで、かなり衰弱しているのです。おそらく赤ちゃんも……。
 長くお子ができず、やっと授かったのだそうで、何とか母子とも助けてあげたいのですが」


 望まれた子ということか。俺と違って。


「何か問題が?」
「麻酔を使える医師がいまここにいないのです」


 この国に来て、俺は麻酔というものを初めて知った。
 薬品によって人体の感覚を麻痺させ、本来激痛を伴う切開などの治療を可能にするものだという。

 麻酔を使うことを考えている、ということは。


「……腹を切って赤子を取り出すのですか?」

「ええ。
 お母さんは痛みにも耐えると言っています。
 ただ、麻酔なしで切って、衰弱したお母さんの身体が耐えられるかどうか……」


 緊急時に妊婦の腹を切って赤子を取り出すというのは古来から行われているが、多くは母親が先に死亡してしまって赤子だけでも助けたいという場合にだ。
 母親が生きているとしてもその場に治癒魔法を使える人間がいないと、確実に母親の死を意味した。

 幸い、ここには俺も含めて治癒魔法を使える人間が複数いる。
 あとは、衰弱した身体に与えられる切開の出血と凄まじい痛みを、どうするかなのだ。
 本人が事前にそれを受け入れていたとしても、人間は痛みでショック死ということがありうる。その痛みを軽減させられれば……。


「…………手伝います」

「は?」

「俺の〈認識操作魔法〉で、母親の痛みの感覚をなくします。同時に〈変則型治癒魔法〉で出血を抑え、赤子が無事腹の外に出たら、治癒魔法で開腹部分をふさぎます」

「しかし…………」


 しばし俺の顔を見つめ、レクタム先生は「……たぶん、死ぬほど痛いですよ」とささやいた。

「かまいません」


 痛みに唸る母親は、それでも苦しい息のもとで、泣きながら手を握る夫としばしば見つめあい、うなずきあっている。

 死んではいけない、と思った。母親も、子どもも。


 ────医師たちが準備を終えた。

「〈接続コネクト〉」

 まずは陣痛を和らげようと、俺は、自分の感覚と母親の感覚をリンクさせた。その時。


「!!!」


 腹に走る、引き裂かれたような恐ろしい痛みに思わず膝をつく。


「大丈夫ですか!?」


 レクタム先生に声をかけられるが、こちらの声が出てこない。
 馬車に轢かれでもしたようだ。人生で味わった中で一番の痛み。
 それは執拗に俺の腹を襲った後、嘘のように引いていく。

 つまり、これが陣痛なのか。
 この母親は昨日から数分おきにこの激痛を耐えてきたのか。
 ……『彼女』もそうだったのだろうか。


「……っ、問題ない」


 俺は深呼吸しながら立ち上がり、母親の痛覚を操作する。
 次の陣痛の波が来る。苦しんでいた母親の表情は、少し和らいだ。

 …………切開の準備が整った医師たちが母親の腹に刃を入れる。

 俺の腹に伝わったのはさらに声をあげてしまいそうな痛みだったが、俺はそれをこらえ、痛覚と血流を操作した。
 医師たちの手元を、母親の顔を、全身の神経を尖らせながら見つめる。
 血を補充する技術はこの国にもない。ここで一瞬でも気を抜いたら、母親の命はあっという間にこぼれ落ちる。

 ────時計の針が容赦なく回る。1時間……2時間……どれほど時間がたっただろう。

 医師が腹から、赤子の身体を取り出す。
 声を出さないその赤子に、血が冷えた。次の瞬間、思いのほか元気な産声が上がる。
 不安げな表情を浮かべていた母親の顔に、血の気が戻った。


(……ああ、生きてる)


 良かった。まず赤子は助かる。
 次は母親の腹を治さないと……。

 手元を治癒魔法に切り替えた、その時。
 目の前がぐらりと歪んだ。


(……!?!?)


 しまった。魔力切れだ。駄目だ、この、こんな時に、どうして。
 ……助けられないのか?
 また俺は死なせてしまうのか?

 視界は真っ暗になり、意識が闇の奥に落ちていった。


   ◇ ◇ ◇

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

不要なモノを全て切り捨てた節約令嬢は、冷徹宰相に溺愛される~NTRもモラハラいりません~

美杉。節約令嬢、書籍化進行中
恋愛
 皆様のお陰で、ホットランク一位を獲得しましたーーーーー。御礼申し上げます。  我が家はいつでも妹が中心に回っていた。ふわふわブロンドの髪に、青い瞳。まるでお人形さんのような妹シーラを溺愛する両親。  ブラウンの髪に緑の瞳で、特に平凡で地味な私。両親はいつでも妹優先であり、そして妹はなぜか私のものばかりを欲しがった。  大好きだった人形。誕生日に買ってもらったアクセサリー。そして今度は私の婚約者。  幼い頃より家との繋がりで婚約していたアレン様を妹が寝取り、私との結婚を次の秋に控えていたのにも関わらず、アレン様の子を身ごもった。  勝ち誇ったようなシーラは、いつものように婚約者を譲るように迫る。  事態が事態だけに、アレン様の両親も婚約者の差し替えにすぐ同意。  ただ妹たちは知らない。アレン様がご自身の領地運営管理を全て私に任せていたことを。  そしてその領地が私が運営し、ギリギリもっていただけで破綻寸前だったことも。  そう。彼の持つ資産も、その性格も全てにおいて不良債権でしかなかった。  今更いらないと言われても、モラハラ不良債権なんてお断りいたします♡  さぁ、自由自適な生活を領地でこっそり行うぞーと思っていたのに、なぜか冷徹と呼ばれる幼馴染の宰相に婚約を申し込まれて? あれ、私の計画はどうなるの…… ※この物語はフィクションであり、ご都合主義な部分もあるかもしれません。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。

海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】 クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。 しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。 失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが―― これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。 ※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました! ※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。

寝取られ予定のお飾り妻に転生しましたが、なぜか溺愛されています

あさひな
恋愛
☆感謝☆ホットランキング一位獲得!応援いただきましてありがとうございます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)  シングルマザーとして息子を育て上げた私だが、乙女ゲームをしている最中にベランダからの転落事故により異世界転生を果たす。 転生先は、たった今ゲームをしていたキャラクターの「エステル・スターク」男爵令嬢だったが……その配役はヒロインから寝取られるお飾り妻!? しかもエステルは魔力を持たない『能無し』のため、家族から虐げられてきた幸薄モブ令嬢という、何とも不遇なキャラクターだった。 おまけに夫役の攻略対象者「クロード・ランブルグ」辺境伯様は、膨大な魔力を宿した『悪魔の瞳』を持つ、恐ろしいと噂される人物。 魔獣討伐という特殊任務のため、魔獣の返り血を浴びたその様相から『紅の閣下』と異名を持つ御方に、お見合い初日で結婚をすることになった。 離縁に備えて味方を作ろうと考えた私は、使用人達と仲良くなるためにクロード様の目を盗んで仕事を手伝うことに。前世の家事スキルと趣味の庭いじりスキルを披露すると、あっという間に使用人達と仲良くなることに成功! ……そこまでは良かったのだが、そのことがクロード様にバレてしまう。 でも、クロード様は怒る所か私に興味を持ち始め、離縁どころかその距離はどんどん縮まって行って……? 「エステル、貴女を愛している」 「今日も可愛いよ」 あれ? 私、お飾り妻で捨てられる予定じゃありませんでしたっけ? 乙女ゲームの配役から大きく変わる運命に翻弄されながらも、私は次第に溺愛してくるクロード様と恋に落ちてしまう。 そんな私に一通の手紙が届くが、その内容は散々エステルを虐めて来た妹『マーガレット』からのものだった。 忍び寄る毒家族とのしがらみを断ち切ろうと奮起するがーー。 ※こちらの物語はざまぁ有りの展開ですが、ハピエン予定となっておりますので安心して読んでいただけると幸いです。よろしくお願いいたします!

四回目の人生は、お飾りの妃。でも冷酷な夫(予定)の様子が変わってきてます。

千堂みくま
恋愛
「あぁああーっ!?」婚約者の肖像画を見た瞬間、すべての記憶がよみがえった。私、前回の人生でこの男に殺されたんだわ! ララシーナ姫の人生は今世で四回目。今まで三回も死んだ原因は、すべて大国エンヴィードの皇子フェリオスのせいだった。婚約を突っぱねて死んだのなら、今世は彼に嫁いでみよう。死にたくないし!――安直な理由でフェリオスと婚約したララシーナだったが、初対面から夫(予定)は冷酷だった。「政略結婚だ」ときっぱり言い放ち、妃(予定)を高い塔に監禁し、見張りに騎士までつける。「このままじゃ人質のまま人生が終わる!」ブチ切れたララシーナは前世での経験をいかし、塔から脱走したり皇子の秘密を探ったりする、のだが……。あれ? 冷酷だと思った皇子だけど、意外とそうでもない? なぜかフェリオスの様子が変わり始め――。 ○初対面からすれ違う二人が、少しずつ距離を縮めるお話○最初はコメディですが、後半は少しシリアス(予定)○書き溜め→予約投稿を繰り返しながら連載します。

処理中です...