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84、王女は目標を一つ達成する

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   ◇ ◇ ◇

 私たちは、無事にベネディクト王国に帰ってくることができた。

 しばらくは、イーリアス様は、急な出国の間に溜まった仕事の処理に奔走し、すごく忙しそうだった。
 私は私で気力を使いすぎたのか、しばらくは何かしようという気持ちも湧いてこず。
 やしきでゆっくり過ごす日々を送った。

 友達ができて良かった、と思うのはこんな時だ。
 手紙を出す相手もいれば、邸を訪ねてきてくれる人もいる。


 そんな中、ある日、


「あの……実は私も、初夜は失敗したのです」


と、こっそりと教えてくれたのは、テイレシア様の邸でお友達になった女性、ヘスティア夫人だった。


「え、あの……それは……」

「あ、いえ、暴漢が王妃様に無理矢理言わせた嘘でしたらすみません……。
 でも、夫は待ってくれたんですけど、1人すごく焦ってしまって申し訳なくて。
 だけど誰にも言えなくて」

「そうだったのですね……」


(こんな悩みさえ、私だけのものじゃないんだわ……)


 それから、夫人とたくさん話しこんだ。
 彼女の場合は、私とはまた違う理由だったけど、時間が解決したのだそうだ。

 私もきっとそうなる。
 いまや、かなりイーリアス様と触れ合えるようになったのだし。
 そう信じたい。


 それから、クロノス王太子殿下経由で、ウィルヘルミナからの手紙を受け取った。
 苦労はしているようだけど、どうにか国王としての仕事をこなしているらしい。

 昼間は政務に励み、夜はダンテス兄様の牢に行って指導を受けているのだとか?


『実際教わる人、兄様しかいないしね』


 首脳陣がごっそりいなくなった分、私がいた時よりも政務を大幅に整理し、また、どんどん下位貴族からも人を登用しているのだそう。


『――――兄様のこと、どうにか、追放で調整がつきそう』


 その一文を見て、私もホッとした。

 形としては追放ではあるけれど、ウィルヘルミナとしては東方のある国に送りたいらしい。
 彼女があちこち手を尽くして調べた結果、その国には〈精神治癒〉の魔法に長けた医師がいるのだそう。
 詳しくは書いていないけれど、ウィルヘルミナは兄様の精神的ケアが必要と考えている様子だった。
 できればそこで、少しでも心を休めて欲しい。そう思ってしまう。

 ……で、それに続く文面はといえば。


『ただ、それだとアルヴィナ姉様の暗殺を企んだ元帥を処刑にすると、刑罰のバランスが取れなくなるの。
 悪いけど、労役付きの終身刑にさせてくれない?』


 さりげなく書いているけど、それむしろ本人的には処刑よりきついんじゃ?
 ……と思ったけど、返事には『陛下のご存念のままに』と書いておいた。
 返事を受け取ったらどんな顔するかしら。


   ◇ ◇ ◇


 ――――結婚して半年。
 20歳の誕生日を迎えた私は、イーリアス様からあるプレゼントをされた。
 それは……。


「……素敵です!! 
 大樹のような大きさに、この渋い黒鉄の輝き。
 それに、こんなにもたくさんの人を乗せて運べるだなんて…!!」


 私は目の前の汽車をうっとりと眺めた。


「お気に召しましたか」
「はい! やっぱり汽車は最高です!!」


 北に隣接したヒム王国へと向かう、最新鋭の汽車での小旅行。
 1年は待たせるのでは、と言っていたイーリアス様だけど、予想より早く、都合をつけてくれた。

 イーリアス様は大きな体で周囲を警戒するように見ながら、こそりと私に尋ねる。


「しかし、本当に貸し切らなくて良かったのですか。
 今回は一等車とはいえ客車です。
 おそらく他の客と顔を合わせることになりますが……」

「こんなに素晴らしいものを独り占めなんて、悪いです。
 せっかくの汽車に乗る楽しみを他の人から奪うなんて、申し訳なさすぎます!」

「殿下がそうおっしゃるならば……」


 ジリリリリリ……ベルの音が鳴る。
 汽車に乗り込むと、以前にトリニアスから来るときに乗ったのとはまた違ったおもむきの内装で、胸が高ぶる。
 
 イーリアス様と並んでソファに腰かけ、客室全体を眺めて堪能していたら、汽笛とともに、ゆっくりと汽車が走り出した。


「わあああっ……」


 汽車はどんどん加速する。
 美しい街並み、景色があっという間に流れていくこの感じ。
 ああ、久しぶりで、なんて素敵。
 ワクワクが止まらない。
 世界の広さが、私の中に流れ込んでくる気がする。

 しばらく、私は景色をひたすら堪能した。


「殿下は本当に汽車がお好きなのですね」

「ええ。存在も、体験も、すべてが最高です。
 この汽車に乗っている人たちも同じように、この景色を楽しんでいるのでしょうね……」


 そう言いながら、ガラス窓から振り返ると、イーリアス様が思いのほか私の近くにいてびっくりした。
 私と同じように外を眺めていた?
 距離の近さにドキドキする。


「……失礼しました」


と目を伏せ距離をとろうとするイーリアス様の肩に、私は手を置いた。

「殿下?」

「あの。なんだか今の私、何でもできる気がして……」


 そう。うまくは言えないけど、突然何でもできる気がした。
 あまりに、汽車が素晴らしくて。
 あまりに、近くで見るイーリアス様が素敵すぎて。


「た、ためしてみても良い、でしょうか」


 両手を伸ばし、イーリアス様の頬を挟む。
 イーリアス様が軽く眉を上げたので、私が何をしようとしているか察してくれたと思う。
 顔を近づけようとした。


(……え、待って。このままいくと鼻がぶつかる?
 くちづけの軌道って、これで良いのかしら?)


 唐突に寸前で悩み始めた私。


 ところが、ふわっと後頭部に、イーリアス様の手が回った。

 その手の動きはとても自然で、私を落ち着かせるもので。
 その手に身をゆだねることがとても自然なことに思えて。

 流れるように私の身体は引き寄せられてイーリアス様の膝の上へと移動し、唇は、イーリアス様のそれに重なった。


(…………………!!!)


 くちづけをしている。
 今、私は、イーリアス様とキスをしている。
 その事実に、心の底から感動でふるえた。
 柔らかくて、優しくて、甘くて。
 感じるすべてをひとつも逃したくなくて、息さえするのがもったいなくて。

 イーリアス様の唇が名残惜しく離れていったとき、私は知らず知らずのうちに、彼の服をぐっとつかんでいた。


「……くちづけ、できました」噛みしめながら、私は言う。

「愛する人とのくちづけって、こんなに素晴らしいものだったんですね……」


 目が熱くなったと思ったら、涙がこぼれていた。


「……殿下。
 あまりに可愛いことを仰らないでください。
 私を殺す気ですか」


 膝の上に私を載せたまま、イーリアス様は私を抱きしめるような体勢で、そっと髪を撫でて、それからもう一度くちづけた。
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