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77、【手紙】
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* * *
親愛なる、というほどは仲が良いとは言えない我が妹ウィルヘルミナへ。
おまえは近いうちにその地位を失うことになる。
まだ届いていないだろうが、ベネディクト王国の宰相に、王家の中でおまえだけは役に立つと、俺の名前で手紙を書いておいた。
すぐに荷物をまとめ、いつでも逃げられるようにしておけ。
ことが始まれば母親とその家族とともにベネディクトを頼ると良い。
くれぐれもそれ以外の、他の王女たちや自分の周りの人間を助けようなどとするな。速やかにこの国から逃げろ。
何か障害があったときのために、国王代行の委任状を置いておいた。
これで大抵のことはできるだろう。
国王と王妃、それから重臣たちの罪について、この手紙を読む頃にはおまえはそれを知っていると思う。
ただ、裁きたいのは彼らだけじゃない。
この国そのものだ。
俺はこれから、国王と王妃を殺す。
王位継承権のある者はすでに外国にしかおらず、その国へはすでに、俺の名前で書簡を送ってある。
国王の死後、トリニアス王国をヒム、ノールト、アドワの3つの国で植民地として分割する提案だ。
もちろんそこに有力貴族の抵抗はあるだろうから、俺の目論みどおりなら、トリニアス全土が戦乱に巻き込まれる。
1人の女性の命を、心を、身体をないがしろにしたことでトリニアス王国は滅ぶ。
それが大陸の歴史に大きな教訓を残すことになるだろう。
彼女のことを知ったのは、昔おまえにも少しだけ話したことがある、忌まわしいできごとがきっかけだった。
男女の関係の意味もわからないような歳頃、王妃が突然、俺の寝所に入ってきた。
後から思えば王妃は、ギリギリ間に合ううちに俺の子種を使って孕もうとしたのかもしれない。『畑よりは種でしょうに』と、そういえば繰り返し呟いていた気がする。
……俺は何でもないことだと思おうとした。
女はこういう時『犬に噛まれたと思って忘れろ』と言われるそうだ。
同じように自分に言い聞かせようとした。
だが、できなかったんだ。
その時からまるで、誰かが勝手に俺の魂を書き換えたように、俺は俺じゃなくなった。
夜が来るのが恐ろしく、ろくに眠ることができない。
周りの大人たちが信じられない。
当たり前にできていたはずのことが、できない。
強制的に人格を入れ換えられてしまったみたいに、感情がコントロールできない。
それまで『優秀な世継』として、期待されることは大体こなしていたはずの自分が、めちゃくちゃに壊されていた。
俺の様子がおかしい、急に気難しくなった、能力が落ちたようだと、王城の中でも噂が立つほど、俺は何もできなくなった。
俺がどんなに苦しくてもがいていても、大人たちはそれをただの反抗期だと一蹴した。
その時国王がどうしたか。これはおまえにも話した。
きっと思春期だ、女をあてがえば収まるだろうと、俺の寝所に女を日替わりで送り込んできたのだ。
それが俺の状態をさらに悪化させたのに、女が送り込まれたことを知っている周りの大人たちは、初めての女の味はどうだったかと笑っていた。
(王家や貴族だから誰も彼もこんなに汚いのか?)
と思い始めた俺は、何度か市井に癒しを求めて街に出た。
だが、結局国民たちも同じだった。
俺の話をしているのを聞くと、こういう話ばかりだ。
『そろそろダンテス王子も精通が始まる頃だ』
『早く結婚して世継ぎをこしらえてもらわないと』
『もう女をあてがってもいいんじゃないか』
『愛人の子でも、産まれなくてやきもきするよりはマシだ』
ようやく俺は気づいた。
上から下までこの国の大人たちが本当に俺に求めているのは、王としてじゃなく、種馬としての役割だと。
この国の大人たちは俺たちのことを、家畜のように繁殖させてつなごうとしているのだと。
そんな時だ。
『命がけでダンテス殿下をお産みになった産みの母上が、どんな風に殿下のことを思われていたかお知りになれば、お気持ちも変わるのでは?』
そう言って善意のつもりで、ある人物が、俺を産まされた女性の日記を持ってきた。
本人以外が開けないよう魔法で封印されていたが、俺の魔力なら難なく開けた。
日記を持ってきた人物は、彼女が俺を妊娠している間、日々育つ我が子を思って慈しみながらその思いを綴っているだろうとでも思っていたらしい。
……実際の彼女がどんな地獄を味わっていたかも知らずに。
命と引き換えに俺を産んだと死後勝手に美談にされてしまった彼女は、生前地獄の中で変わらぬ夫への愛をつづり、国王、王妃、俺を呪っていた。
……俺にだけは時折哀れみと、抱いてしまう憎悪への罪悪感を書いてはいたが。
(俺と同じだ)と思った。
いや、違う。彼女は他ならぬ俺のせいで、この苦しみを与えられてしまった。
こんな国に産まれてしまったばかりに。
人間とは、他の動物よりもずっと難産なのだそうだ。陣痛が始まってから早くて数時間、長ければ2日や3日もかかって産むのだと。
それを知って、最後の最後までどれだけ……と思い、さらに彼女のことが頭から離れなくなった。
彼女ら夫婦のことを調べ、そして彼女の夫の手記も手に入れた。
国王と王妃が、この国が、どんな罪を犯したのか、2冊の日記をあわせて読めばよくわかると思う。
2人の思いを知り、考えた。
俺は本当は、どうしたいのか。どうするべきなのかと。
その間にも、この国への怒りが冷めることはなかった。
この国の誰も彼も、踏みにじられた夫婦の苦しみを、残された家族の悲しみを知らないまま。知ろうともしないまま。無邪気に俺を『未来の国王』だと言い、ちやほやする。
国ひとつでよってたかって、人を家畜のように扱い死なせたくせに、その無邪気さ、他人事さに怒りが増していった。
結局、俺の心の傷は、今の歳まで癒えていない。
女への欲望どころか、女を抱くくらいなら喉を掻き切って死にたい。
『ああ、もう俺は種馬役をすることもできないのだ』
そうわかったから、俺は、腹を決めてこの国の断罪をすることにした。
敵国王太子の篭絡に娘たちを使おうとするような(もっとも、おまえとアルヴィナ以外はみんなあの王太子に夢中だったが)下卑た国王にも。
権力欲と物欲に取り憑かれ、俺に気持ち悪い執着を向け続ける王妃にも。
表面上は従順に言うことを聞き、その一方でずっと好機を狙っていた。
そうしてやってきたのが、アルヴィナの結婚、しかも王位継承権を失う形で、という千載一遇の機会だった。
今回、夫の手記は、いつか世に出ることを望んでのものだったから、素性を伏せて新聞で公開させた。
だが、妻の日記は本来妻だけの秘密のものだ。
これをおまえに託すのは、彼女の無念をわかってほしかったからだ。
どうか、他の者には見せないように。
今でも俺にとっては『何でもないこと』にはなっていない。
何とか表面上は取り繕い続けてきたが、ずっとずっと苦しい。
被害に遭う前の自分をなまじ覚えている分、あの出来事さえなければ、俺はどんな人生を生きられたんだろうと考えてしまう。
だからその度に思い出す。
その俺よりも遥かに長い間強要され続け、女として妊娠までさせられ、人類が味わう最大の痛みとともに命を奪われた彼女のことを。
俺は終わりにしたい。この愚かな国を。
おそらく同じように名もなき悲劇を起こし続けているであろう、他の国への警鐘として、可能な限り悲惨な形で。
俺ごと終わりにしてしまいたい。
……ただ、断罪の対象にアルヴィナは入っていないから安心しろ。
俺は元々あいつを王妃と同じ悪だと思い込んでいた。正当な王位継承者であることも含め、断罪の標的に加えるつもりだった。
だが、アルヴィナが完全なる被害者であること、俺が一番傷つけてはいけない相手だということを、おまえのおかげで知ることができた。
顔が王妃に似すぎたあいつに、ずっときつく当たってきたことを謝りたいが、あいつは俺の顔など見たくもないだろうな。ただの俺の自己満足のための謝罪なら、ない方がいい。後悔があるとすればそれだけだ。
最後に。
おまえを愛していると何気なくいつも言っていたおまえの母親が、生きてこの世にいるのは奇跡だ。
父親はこの世で一番最悪な外道だが、せめて母親がおまえを愛することができて良かった。
大事にしろ。一緒に逃げろ。お願いだからおまえたちは無事に逃げ切ってくれ。そのための委任状だ。どうか、頼む。
王家に与えられた名などもう名乗りたくもない兄より。
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親愛なる、というほどは仲が良いとは言えない我が妹ウィルヘルミナへ。
おまえは近いうちにその地位を失うことになる。
まだ届いていないだろうが、ベネディクト王国の宰相に、王家の中でおまえだけは役に立つと、俺の名前で手紙を書いておいた。
すぐに荷物をまとめ、いつでも逃げられるようにしておけ。
ことが始まれば母親とその家族とともにベネディクトを頼ると良い。
くれぐれもそれ以外の、他の王女たちや自分の周りの人間を助けようなどとするな。速やかにこの国から逃げろ。
何か障害があったときのために、国王代行の委任状を置いておいた。
これで大抵のことはできるだろう。
国王と王妃、それから重臣たちの罪について、この手紙を読む頃にはおまえはそれを知っていると思う。
ただ、裁きたいのは彼らだけじゃない。
この国そのものだ。
俺はこれから、国王と王妃を殺す。
王位継承権のある者はすでに外国にしかおらず、その国へはすでに、俺の名前で書簡を送ってある。
国王の死後、トリニアス王国をヒム、ノールト、アドワの3つの国で植民地として分割する提案だ。
もちろんそこに有力貴族の抵抗はあるだろうから、俺の目論みどおりなら、トリニアス全土が戦乱に巻き込まれる。
1人の女性の命を、心を、身体をないがしろにしたことでトリニアス王国は滅ぶ。
それが大陸の歴史に大きな教訓を残すことになるだろう。
彼女のことを知ったのは、昔おまえにも少しだけ話したことがある、忌まわしいできごとがきっかけだった。
男女の関係の意味もわからないような歳頃、王妃が突然、俺の寝所に入ってきた。
後から思えば王妃は、ギリギリ間に合ううちに俺の子種を使って孕もうとしたのかもしれない。『畑よりは種でしょうに』と、そういえば繰り返し呟いていた気がする。
……俺は何でもないことだと思おうとした。
女はこういう時『犬に噛まれたと思って忘れろ』と言われるそうだ。
同じように自分に言い聞かせようとした。
だが、できなかったんだ。
その時からまるで、誰かが勝手に俺の魂を書き換えたように、俺は俺じゃなくなった。
夜が来るのが恐ろしく、ろくに眠ることができない。
周りの大人たちが信じられない。
当たり前にできていたはずのことが、できない。
強制的に人格を入れ換えられてしまったみたいに、感情がコントロールできない。
それまで『優秀な世継』として、期待されることは大体こなしていたはずの自分が、めちゃくちゃに壊されていた。
俺の様子がおかしい、急に気難しくなった、能力が落ちたようだと、王城の中でも噂が立つほど、俺は何もできなくなった。
俺がどんなに苦しくてもがいていても、大人たちはそれをただの反抗期だと一蹴した。
その時国王がどうしたか。これはおまえにも話した。
きっと思春期だ、女をあてがえば収まるだろうと、俺の寝所に女を日替わりで送り込んできたのだ。
それが俺の状態をさらに悪化させたのに、女が送り込まれたことを知っている周りの大人たちは、初めての女の味はどうだったかと笑っていた。
(王家や貴族だから誰も彼もこんなに汚いのか?)
と思い始めた俺は、何度か市井に癒しを求めて街に出た。
だが、結局国民たちも同じだった。
俺の話をしているのを聞くと、こういう話ばかりだ。
『そろそろダンテス王子も精通が始まる頃だ』
『早く結婚して世継ぎをこしらえてもらわないと』
『もう女をあてがってもいいんじゃないか』
『愛人の子でも、産まれなくてやきもきするよりはマシだ』
ようやく俺は気づいた。
上から下までこの国の大人たちが本当に俺に求めているのは、王としてじゃなく、種馬としての役割だと。
この国の大人たちは俺たちのことを、家畜のように繁殖させてつなごうとしているのだと。
そんな時だ。
『命がけでダンテス殿下をお産みになった産みの母上が、どんな風に殿下のことを思われていたかお知りになれば、お気持ちも変わるのでは?』
そう言って善意のつもりで、ある人物が、俺を産まされた女性の日記を持ってきた。
本人以外が開けないよう魔法で封印されていたが、俺の魔力なら難なく開けた。
日記を持ってきた人物は、彼女が俺を妊娠している間、日々育つ我が子を思って慈しみながらその思いを綴っているだろうとでも思っていたらしい。
……実際の彼女がどんな地獄を味わっていたかも知らずに。
命と引き換えに俺を産んだと死後勝手に美談にされてしまった彼女は、生前地獄の中で変わらぬ夫への愛をつづり、国王、王妃、俺を呪っていた。
……俺にだけは時折哀れみと、抱いてしまう憎悪への罪悪感を書いてはいたが。
(俺と同じだ)と思った。
いや、違う。彼女は他ならぬ俺のせいで、この苦しみを与えられてしまった。
こんな国に産まれてしまったばかりに。
人間とは、他の動物よりもずっと難産なのだそうだ。陣痛が始まってから早くて数時間、長ければ2日や3日もかかって産むのだと。
それを知って、最後の最後までどれだけ……と思い、さらに彼女のことが頭から離れなくなった。
彼女ら夫婦のことを調べ、そして彼女の夫の手記も手に入れた。
国王と王妃が、この国が、どんな罪を犯したのか、2冊の日記をあわせて読めばよくわかると思う。
2人の思いを知り、考えた。
俺は本当は、どうしたいのか。どうするべきなのかと。
その間にも、この国への怒りが冷めることはなかった。
この国の誰も彼も、踏みにじられた夫婦の苦しみを、残された家族の悲しみを知らないまま。知ろうともしないまま。無邪気に俺を『未来の国王』だと言い、ちやほやする。
国ひとつでよってたかって、人を家畜のように扱い死なせたくせに、その無邪気さ、他人事さに怒りが増していった。
結局、俺の心の傷は、今の歳まで癒えていない。
女への欲望どころか、女を抱くくらいなら喉を掻き切って死にたい。
『ああ、もう俺は種馬役をすることもできないのだ』
そうわかったから、俺は、腹を決めてこの国の断罪をすることにした。
敵国王太子の篭絡に娘たちを使おうとするような(もっとも、おまえとアルヴィナ以外はみんなあの王太子に夢中だったが)下卑た国王にも。
権力欲と物欲に取り憑かれ、俺に気持ち悪い執着を向け続ける王妃にも。
表面上は従順に言うことを聞き、その一方でずっと好機を狙っていた。
そうしてやってきたのが、アルヴィナの結婚、しかも王位継承権を失う形で、という千載一遇の機会だった。
今回、夫の手記は、いつか世に出ることを望んでのものだったから、素性を伏せて新聞で公開させた。
だが、妻の日記は本来妻だけの秘密のものだ。
これをおまえに託すのは、彼女の無念をわかってほしかったからだ。
どうか、他の者には見せないように。
今でも俺にとっては『何でもないこと』にはなっていない。
何とか表面上は取り繕い続けてきたが、ずっとずっと苦しい。
被害に遭う前の自分をなまじ覚えている分、あの出来事さえなければ、俺はどんな人生を生きられたんだろうと考えてしまう。
だからその度に思い出す。
その俺よりも遥かに長い間強要され続け、女として妊娠までさせられ、人類が味わう最大の痛みとともに命を奪われた彼女のことを。
俺は終わりにしたい。この愚かな国を。
おそらく同じように名もなき悲劇を起こし続けているであろう、他の国への警鐘として、可能な限り悲惨な形で。
俺ごと終わりにしてしまいたい。
……ただ、断罪の対象にアルヴィナは入っていないから安心しろ。
俺は元々あいつを王妃と同じ悪だと思い込んでいた。正当な王位継承者であることも含め、断罪の標的に加えるつもりだった。
だが、アルヴィナが完全なる被害者であること、俺が一番傷つけてはいけない相手だということを、おまえのおかげで知ることができた。
顔が王妃に似すぎたあいつに、ずっときつく当たってきたことを謝りたいが、あいつは俺の顔など見たくもないだろうな。ただの俺の自己満足のための謝罪なら、ない方がいい。後悔があるとすればそれだけだ。
最後に。
おまえを愛していると何気なくいつも言っていたおまえの母親が、生きてこの世にいるのは奇跡だ。
父親はこの世で一番最悪な外道だが、せめて母親がおまえを愛することができて良かった。
大事にしろ。一緒に逃げろ。お願いだからおまえたちは無事に逃げ切ってくれ。そのための委任状だ。どうか、頼む。
王家に与えられた名などもう名乗りたくもない兄より。
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