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ホームレス殺人事件
ホームレス殺人事件14『覚悟』
しおりを挟む冷たい秋風が吹く中、優斗は警察庁の長官官房から届いた突然の呼び出しに、緊張した面持ちで指定された料亭の前に立っていた。
高級感漂う和風の佇まいに、彼は胸の中の不安を押し殺しながら、足を踏み入れた。
「竹内優斗様ですね。こちらへどうぞ。」
着物姿の女性従業員に案内され、奥まった個室へと通される。
引き戸が開かれると、そこには和室の畳の上に一人の壮年の男が正座していた。
警察庁長官の滝川隆二だった。
厳格で冷静な表情は、警察組織の頂点に立つ者としての威厳を漂わせている。
「竹内刑事、よく来てくれた。座りたまえ。」
滝川は静かに促しながら、隣の小さなテーブルに置かれた茶を指し示した。
優斗は緊張を隠しながら正座し、滝川の目をまっすぐ見つめた。
「長官、お話というのは…?」
滝川は一瞬、目を閉じてからゆっくりと話し始めた。
「今回の再開発地区の事件についてだ。君が手にした証拠について、私も耳にしている。速水聡の死に隠された真実、そして藤原が残した証拠…。それらが非常に敏感な内容を含んでいることも理解している。」
優斗は心臓が跳ねるのを感じながら、滝川の言葉に耳を傾けた。
この呼び出しが何を意味するのか、彼には分かりかけていた。
「君が正義感に燃えているのは分かる。しかし、これは一刑事の手に負えるようなものではない。組織全体の安定を崩しかねない事態だ。そこでだ、捜査を中断してほしい。これ以上、深入りしないように。」
滝川の言葉は冷静でありながら、その裏には圧倒的な威圧感が漂っていた。
優斗はその意味を理解しながらも、強い反発を感じた。
「それは、この件を闇に葬れということでしょうか?速水さんや藤原の無念を晴らすために、真実を追い続けてきたのに、それを見過ごせというのですか?」
滝川は静かに首を振り、茶を一口啜った。
「君の言いたいことは理解している。しかし、これ以上捜査を続ければ、君自身も危険に晒される。いや、君だけではない。家族や友人、周囲の人々まで影響を受けることになる。捜査一課の刑事として働き続けたいのならば、ここで手を引け。」
その言葉に、優斗は拳を握り締め、深い葛藤を感じた。
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滝川は厳しい表情を崩さずに言った。
「君は捜査一課から外されるだろう。そして、警察組織にもいられなくなるかもしれない。それでも構わないという覚悟があるのか?」
優斗はその言葉に一瞬息を呑んだ。
彼の中で様々な思いが渦巻いていた。
長い沈黙の後、優斗は静かに顔を上げた。
「分かりました。捜査はここで中断します。」
その言葉を口にするのは、まるで自分の一部を切り捨てるような感覚だった。
だが、滝川の表情にわずかな安堵の色が浮かんだのを見て、優斗は悔しさを噛み殺した。
「よろしい、君ならそう決断してくれると信じていた。これで安心して仕事を続けることができるだろう。」
滝川は微笑み、立ち上がると優斗の肩を軽く叩いた。
「では、これからも頼むぞ。」
優斗は何も言えず、ただ深く頭を下げた。
そして、滝川に一礼して、料亭を後にした。
外に出ると、冷たい風が彼の体を包み込んだ。
「くそっ…」
悔しさと無力感が一気に溢れ出し、思わずその場で拳を握りしめた。
翔に連絡を取らなければならない。
彼に今回の決断を報告するために、スマートフォンを取り出した。
「翔さん、俺だ。捜査はここで中断することになった。長官から直々に命令が下った。俺が続ければ、組織全体に影響が出るって…」
優斗の声には悔しさが滲んでいた。
翔はしばらくの沈黙の後、優しく語りかけるように言った。
「優斗、それでいいんだ。無茶をするな。俺たちはここまでよくやった。速水さんも藤原も、君のことをきっと誇りに思うだろう。」
「でも、俺は…」
優斗は唇を噛み締め、涙を堪えた。
真実に手が届きそうだったのに、それを掴むことができなかった自分が悔しくて仕方なかった。
「もういい、無理はするな。俺たちが生きていれば、また機会はある。まずは無事に戻ってこい。」
翔の言葉に、優斗は少しだけ心が軽くなった気がした。
だが、その時、目の前に黒塗りの高級車が静かに停車した。
重厚な佇まいのセンチュリー。
車の窓が開き、中から現れたのは、政治家の山崎信一だった。
彼は優斗を一瞥し、何事もなかったかのように料亭へと向かっていった。
優斗はその姿を見つめながら、胸の奥に再び怒りの炎が燃え上がるのを感じた。
「…山崎信一、あの男が…」
彼の心の中で何かがはじけ、無謀だと知りながらも、ある決意が芽生えた。
ポケットの中に、警察で使っていた小さな盗聴器がある。
もし、この車にそれを仕掛けることができれば、山崎信一の裏の顔を暴くことができるかもしれない。
「やめておけ、優斗。そんなことをしたら、本当に取り返しがつかなくなるぞ。」
翔の声が優斗の耳に響く。
だが、優斗はその声を振り払うかのように、盗聴器を手に握り締めた。
彼の目の前には、運転手が車を離れ、周囲を警戒している姿が見える。
「ここで何もしなければ、俺は一生後悔することになる…」
優斗はそう呟き、センチュリーに近づいていった。
心臓が激しく脈打ち、全身が緊張で強張っている。
盗聴器を仕掛けることができれば、これまで聞けなかった彼の会話を記録できるかもしれない。
しかし、失敗すれば、自分のキャリアどころか、命すら危うくなる可能性がある。
だが、優斗は迷わなかった。
速水や藤原の無念を晴らすためには、もう一歩踏み込む必要がある。
「翔さん、俺はやる。たとえ、これで全てを失っても。」
優斗は盗聴器を手に、決意を込めた一歩を踏み出した。
センチュリーのエンブレムが目の前に迫る。
運転手はちょうど電話を取りに離れたところで、周囲には人の気配がない。
この一瞬しかないという緊迫感が、彼の心臓をさらに強く脈打たせていた。
「優斗、考え直せ!今ここで無茶をしても、無駄死にするだけだ!」
リモート越しに翔の声が耳に響く。
だが、優斗はその声に耳を傾ける余裕もなく、盗聴器を車の底部にそっと取り付けた。
その瞬間、指先から冷たい汗が滴り落ちるのを感じた。
「…よし」
彼は小さく呟き、盗聴器の位置を確認すると、すぐにその場から離れた。
心臓が壊れそうなほど高鳴っている。
車から数メートル離れたところで足を止め、深呼吸をしながら振り返る。
幸い、運転手は戻ってきたが、盗聴器の存在に気づく様子はない。
「優斗、大丈夫か?」
スマートフォン越しに翔の心配そうな声が聞こえる。
優斗は大きく息を吐き、何とか落ち着きを取り戻して答えた。
「ああ、何とか取り付けた。でも、まだ何も終わってない。これで山崎信一の動きを探ることができるかもしれない。あの男がどんな会話をしているのか、どこで何を企んでいるのか、それを知る手がかりになる。」
「分かった。俺もすぐに盗聴器の信号をキャッチして、解析を始める。だが、無理はするなよ。もしこのことがバレたら、お前だけじゃなく、周りの人間にも危険が及ぶかもしれない。」
翔の言葉に、優斗は静かに頷いた。
「分かってる。だけど、もう引き返せない。ここまで来たら、やれることは全部やるしかない。」
その時、料亭の玄関が再び開き、山崎信一が姿を現した。
彼は運転手に何かを耳打ちしながら、車に乗り込む。
優斗は身を隠しながらその様子を見つめ、彼が車に乗り込んだ瞬間に耳を澄ませた。
盗聴器からの微弱な電波が、スマートフォンに伝わる。
翔がリモートで盗聴器の音声を解析し始めたのが分かる。
山崎信一の声が、かすかにだがはっきりと聞こえてくる。
「これで竹内の件は片付いた。だが、彼が手にしている情報がどこまで拡散しているか分からない。唯川興業には引き続き監視を続けさせろ。もし奴が動くようなら、消せ。」
その言葉に、優斗の体が凍りついた。
山崎信一は、優斗自身を完全に消し去ろうとしている。
これまで自分がどれほど危険な状況に置かれていたかを、改めて思い知らされた。
「翔さん、聞いたか?俺を消すつもりだ。」
「聞こえた。だが、お前を守るためにも、ここで諦めるわけにはいかない。彼の次の動きも見逃すな。もっと深く、奴の腹の中を探るんだ。」
「了解。けど、こっちも限界が近い…」
優斗は心の中で焦りを感じながらも、山崎信一の車が動き出すのを見守った。
彼の命を狙う者たちが、すぐそこに迫っている。だが、それでも自分が動かなければ、速水や藤原の無念を晴らすことはできない。
車がゆっくりと走り出し、料亭の前を離れた。優斗は盗聴器の電波が途切れないように、一定の距離を保ちながらその後を追い始めた。
「翔さん、追跡を続ける。どこに向かっているか確認してくれ。」
「わかった。GPSで位置を確認する。どうやら中央区の方に向かっているようだ。何か大きな動きがあるかもしれない。」
優斗はハンドルを握りしめ、決意を新たにした。
これ以上の危険は承知の上だ。
それでも、速水と藤原のため、そして自分自身の正義のために、この戦いを終わらせなければならない。
「俺は、最後までやるぞ。」
彼は自分自身に言い聞かせるように呟きながら、山崎信一の車を追い続けた。
これが最後の戦いになるかもしれない。
だが、真実を掴むため、彼はその先へと向かう決意を固めた。
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次回、最終回へつづく
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