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資産家令嬢誘拐事件
資産家令嬢誘拐事件6『手紙』
しおりを挟む佐伯家の居間は、突入の失敗を知ってから一層の静寂に包まれていた。
美夏が助からなかったという報せに、佐伯とその妻は深い絶望に沈んでいた。
優斗が何を言っても、それが慰めになることはなかった。
佐伯は妻を慰めるどころか、自分自身の心を支えることさえできなかった。
重い沈黙が、二人の間にのしかかっていた。
妻は深い悲しみに暮れ、ソファにうずくまって泣き続けている。
佐伯は家の中にいることに耐えられなくなり、何も言わずに外に出た。
冷たい風が彼の頬を撫で、少しだけ心を落ち着かせる。
だが、外に出ても、頭の中から美夏のことが離れない。
あの無邪気な笑顔、明るい声が脳裏に蘇るたびに、胸が締め付けられる。
「美夏……」
呟いたその時、ふとポストが目に入った。
何の気なしに手を伸ばし、ポストを開けると、中には一通の封筒があった。
無機質な白い封筒。消印は世田谷区。
だが、佐伯はそれを見ただけで全身に緊張が走った。
震える手で封を開ける。
中には一枚の手紙が入っていた。犯人からのものだ。
『明日、3時。伊豆ダイヤモンドタウンの別荘A-22に来い。また警察がいたら娘の命はない。』
その一文を見た瞬間、佐伯の心臓が一瞬止まったかのように感じた。
伊豆ダイヤモンドタウン……そして、A-22――それは、佐伯自身がかつて手に入れ、今ではほとんど忘れ去っていた別荘だった。
過去に犯した、決して語ることのできない出来事が蘇る。
「なぜ……なぜあの場所を……」
佐伯は息を詰まらせた。
犯人がこの場所を指定したことには、明確な意図がある。
あの別荘はただの隠れ家ではない。
そこには佐伯が長年封じ込めてきた秘密がある。
心の奥底に押し込んできた、許されざる罪が埋まっている場所――。
その時、背後から声がした。
「佐伯さん、どうかしましたか?」
佐伯は驚いて振り返った。そこには、優斗が立っていた。
優斗は怪訝そうに佐伯を見つめている。
「……いえ、何でもありません」
とっさに答えた佐伯だが、その声には動揺がにじんでいた。
手元の手紙を見つめ、どうすべきかを瞬時に考えた。
優斗や警察に知らせれば、娘を助け出せるかもしれない。
だが、犯人は警察が動けば美夏の命はないと言っている。
娘の命がかかっている以上、安易に警察を巻き込むわけにはいかない。
佐伯の手は震えた。
どうすべきか――自分一人で犯人の元に向かうべきか、それとも警察に頼るべきか。
その葛藤が彼の胸を掻き乱していた。
頭の中では様々な選択肢が巡るが、どれも最悪の結末を想像してしまう。
「本当に、大丈夫ですか?」
翔がもう一度優しい声で尋ねてきた。その言葉に佐伯は、一瞬、全てを打ち明けたくなった。だが、次の瞬間、彼は決意を固めた。これ以上、誰かを巻き込むわけにはいかない――そう思った。
「……大丈夫です。本当に、何でもありません」
そう答えながら、佐伯は手紙をポケットに押し込んだ。
翔は少しの疑念を抱きながらも、それ以上は何も言わずに頷いた。
「わかりました。何かあれば、すぐに教えてください」
「はい、ありがとうございます」
佐伯は頷き、静かに家の中に戻っていった。
そのポケットには、明日3時の命運がかかった手紙が潜んでいた。
果たして、佐伯はどのような決断を下すのか――。
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つづく
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