リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴

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資産家令嬢誘拐事件

資産家令嬢誘拐事件4『取引』

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【次の指示だ。1億円を用意しろ。場所は伊豆急下田駅のコインロッカー。金を入れた後、ロッカーキーを、喫茶店『わかば』の5番テーブルの裏に貼り付けろ。午後5時までだ。それ以上遅れると娘は帰ってこない。】

 佐伯は震える手でそのメッセージを見つめた。喉が乾き、体が硬直する。

「1億の現金……?」

 指定された身代金は1億円。

 そして、それを伊豆急下田駅のコインロッカーに入れ、鍵を駅近くの喫茶店『わかば』の5番テーブルの机の裏に貼り付けるよう指示されていた。

 額に冷や汗がにじみ、背中に冷たい感覚が走る。

 1億円――その数字は単なる金額以上の意味を持っていた。

「……どうしてこの額なんだ……」

 佐伯は小さく呟いたが、その言葉は妻には聞こえなかった。

 妻は椅子に崩れ落ち、目を赤く腫らしながら泣き続けていた。

「美夏……美夏……」

 彼女は現実を受け入れられないようだった。

 佐伯は冷静を装いながらも、心の中は嵐のように揺れていた。

 だが、犯人の要求に応えなければ娘は戻らない。それだけはわかっていた。


 ---

「警察はダミーを用意するつもりです。1億円の現金をそのまま犯人に渡すわけにはいきません。」
 優斗は冷静な声で、佐伯に計画を説明した。

 警察は偽の現金を用意し、犯人を欺くという作戦だった。しかし、佐伯は首を振った。

「いや……私は現金を用意する。1億の現金を、私自身が……」

 優斗の目が一瞬、驚きに見開かれた。

 1億円という金額は、普通の人間にとって巨大すぎる。

 しかし、佐伯はその額をすぐに用意できると言っている。

 その表情には強い決意と、何か隠されたものが混ざっていた。

「佐伯さん、本当に大丈夫ですか? 警察のサポートを……」

「大丈夫だ。だが……頼むから、美夏を……」

 その時、佐伯の目には決して言葉にはできない複雑な感情が宿っていた。

 優斗はそれ以上問い詰めることをやめた。

 佐伯が何かを隠していることは感じ取れたが、今はそれを追及すべき時ではない。

「わかりました……ただ、決して独断で行動しないでください。我々が全力で監視しています。犯人が動き出したらすぐに対応しますから」


 ---

 数時間後、佐伯は伊豆急下田駅のコインロッカーの前に立っていた。

 アタッシュケースの重みが、彼の手にずっしりと感じられる。

 中には1億円が詰め込まれている。

 周囲を見回すと、変装した警察官たちが姿を潜めながら監視しているのがわかる。

 佐伯の心臓は激しく脈打ち、冷や汗が背中を伝って流れ落ちた。

 この1億円が過去に関わる何かとリンクしていることに気づいていたが、今はそれを考える余裕がなかった。

 美夏を取り戻す――ただそれだけが彼の心を支配していた。

「よし……これでいい」

 彼は深呼吸をし、冷静を装ってコインロッカーにアタッシュケースを押し込んだ。

 そしてロッカーを閉め、カチリと鍵を回す。その音がやけに大きく響いた気がした。

「次は……喫茶店『わかば』か……」

 犯人が指示した次の場所へ向かうため、佐伯は駅を後にした。


 ---

 喫茶店『わかば』は古びた駅近くの店だった。

 中に入ると、ほのかにコーヒーの香りが漂っている。

 店内には数人の客がいたが、彼の目はすぐに5番テーブルに釘付けになった。

 だが、そこにはすでに別の客が座っていた。

「……!」

 佐伯の胸が一瞬、凍りついた。

 焦りが一気に押し寄せる。

 5番テーブルは犯人が指定した場所だ。

 しかし、今この席に鍵を隠さなければ、すべてが無駄になるかもしれない。

 彼は店員に近づき、小さな声で頼み込んだ。

「あの……どうしても、あの5番テーブルに座りたいんです。申し訳ないんですが、今の方にお願いして、席を変わってもらうことはできませんか?」

 店員は一瞬困惑した表情を浮かべたが、佐伯の必死な様子に戸惑いながらも、客に交渉を始めた。

「お客様、申し訳ありませんが、こちらのお客様がどうしてもその席をお使いになりたいとおっしゃっていまして……」

 不機嫌そうに顔をしかめた客は一瞬、抗議しようとしたが、最終的に渋々と席を譲ってくれた。

 佐伯は心から安堵したが、その安堵はすぐに消え去り、再び緊張が押し寄せてきた。

 彼はゆっくりと5番テーブルに腰を下ろし、周囲を気にしながらアイスコーヒーを注文した。

 そして、ふとした動きで、誰にも気づかれないようにそっとロッカーの鍵を机の裏に張り付けた。

「よし……これでいい」

 コーヒーが運ばれてきたが、佐伯はほとんど味わうことなく一気に飲み干し、すぐに店を出た。


 ---

 東京へ戻る列車に乗り込んだ佐伯は、車窓の外をぼんやりと見つめていた。

 心の中では、さまざまな思いが交錯していたが、表情は無機質なほど無表情だった。

 1億円――それがただの身代金ではないことは、彼の中でわかりきっていた。

 だが、今はそれについて深く考えることを避けていた。

「美夏……どうか無事でいてくれ……」

 その祈りのような言葉だけが、彼の頭に浮かんでいた。


 ---

 一方、優斗たちは喫茶店『わかば』周辺で張り込みを続けていた。

 警察は慎重に監視し、佐伯が残したロッカーの鍵を犯人が取りに来るのを待ち続けていた。

 張り詰めた空気の中、時間が静かに過ぎていく。

 しかし、犯人はまだ姿を現さない。

 時計の針がゆっくりと動いていくたびに、優斗は不安を感じ始めた。

「……本当に犯人は来るのか?」

 焦りが優斗の胸を締めつけた。

 もし犯人が何らかの理由で計画を変更したなら、美夏の命が危険にさらされる可能性が高い。

 今は動きたくても動けない状況だが、その緊張がじわじわと優斗の精神を削っていく。

 果たして犯人は現れるのか――。


 ---

 つづく


 ---
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