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そんな気はしたけれど、イチはやっぱり車を駐車場に入れて、当たり前みたいな顔で僕について部屋に入った。ものすごくいやがってみせたら帰ってくれたかもしれない。
イチがソファに座った。僕はその対角線上に立った。
「で、何しにきたの」
イチは鞄から手のひらくらいの箱を取り出した。プロの手で包装されてリボンがかかっている。
「やる」
「なにこれ」
「ハンカチ」
「なんで」
「誕生日やりそこねたから。おまえの」
とりあえず受け取ってテーブルに置いた。
「誕生日なんか知ってたんだ」
「いや、確か8月ってしかわかんなくてとりあえず用意して、今日ノンコに聞いた、15日」
イチは鼻と口を手で覆って、うぅ、と呻いた。
「財布とかは使うかわかんないし、おまえ飯に興味ないから消えものも選べないし」
「俺好き嫌いなくない」
「飯食うときほんとに興味なさそうだろ俺のことばっか見て」
当たり前だ。イチと一緒に食べるものなんてその場の話の種としか見えていない。
「おまえ俺の誕生日」
「1月21日」
「そりゃそうだよな」
イチがネクタイを緩めた。陰影の深い喉だ。
「なに、セックスしに来た?」
僕はネクタイをほどいてソファに放った。
「違う。話しに来た」
「話」
「俺おまえのことよく知らないだろ」
「名前と生まれ月と出身県知ってたら十分だと思ったけど」
「おまえは俺のこともうちょい知ってる」
「だってイチ、俺の名前でググったこともないでしょ」
イチが膝の上で手を組む。
「ずっと連絡しなくて悪かった。どう話すかずっと考えてた」
僕はその場に膝をついて、イチの首に向けて手を伸ばした。イチは僕の右肘裏を手の甲で叩いた。
「今はやらない」
僕はその格好のまま、口に出すべき言葉を少し探した。
「俺たち、話さなきゃいけないようなことあったっけ」
イチは自分の顎に手をやって言った。
「おまえ俺と付き合う気あるか」
「は?」
僕はその場に尻をついて、正座の格好で自分の両膝を握った。
「俺とそういうのはなしって気づいたから連絡なくなったんだと思ってたんだけど」
「そんなこと一言も言ってないだろ」
「それはそうだけど」
イチと僕が付き合う。しっくりこない日本語だ。
「そもそも最初におまえとやったのは別におまえが好きだったからじゃない。それは認める。よく覚えてないけどむしゃくしゃしてたんだと思う」
「はっきり言うね」
「事実だから。それでこれも事実だから言うけど、今俺はお前と、なんというかコミュニケーションをとりたい。セックスするのも話すのも、おまえが嫌じゃなければ一緒に出かけるのも含めて。それを付き合うって呼んでて、おまえにその気があるのかないのかを聞いてる」
僕を見るイチの顔の、真ん中にまっすぐ通った鼻筋がきれいだと思った。僕は尋ね返した。
「俺、もう1回やりたいだけだったって言ったよね」
「言った。でもそれはこの19年の間のことだろ。もう1回やったんだから、その先どうするかがあるんじゃないのか」
「そんなもの」
僕の中にはちっともなかった。イチともう1回セックスしたいだけでいっぱいのまま19年生きてきて、とうとうやれたと思ったら、またもう1回セックスしたくなっただけだった。もう1回あのかたくて太くて熱い腕で抱きしめてほしい、僕はまだそんなことばかり考えている。
イチは僕を見ていて、僕はイチを見ていた。濃く茂った額のきわ、弓なりの眉、アーモンドの形の目、細くて高い鼻、薄い色の唇、昔よりは柔らかくなった皮膚。目を閉じて、これと違う景色を記憶の中で探す。酔いつぶれたイチ、雨に濡れたイチ、まだチビだったチビを抱いているイチの写真、イチを見送った後の部屋。全然だめだ。
唐突に、イチは立ち上がった。
「わかった、今日は帰る」
「や、待ってほんとに言ってる?」
「ほんとに言ってる。次はおまえから連絡して」
ネクタイを締め直して、鞄を取って出ていこうとするイチに、僕は膝をついたまま待ってと言った。イチの左ふくらはぎに触った。イチは、ふくらはぎについた僕の手を、自分の左手でゆっくり剥がした。次は連絡してとまた言ってから出ていった。僕は、ハンカチのお礼を言っていないことに気がついた。
イチがソファに座った。僕はその対角線上に立った。
「で、何しにきたの」
イチは鞄から手のひらくらいの箱を取り出した。プロの手で包装されてリボンがかかっている。
「やる」
「なにこれ」
「ハンカチ」
「なんで」
「誕生日やりそこねたから。おまえの」
とりあえず受け取ってテーブルに置いた。
「誕生日なんか知ってたんだ」
「いや、確か8月ってしかわかんなくてとりあえず用意して、今日ノンコに聞いた、15日」
イチは鼻と口を手で覆って、うぅ、と呻いた。
「財布とかは使うかわかんないし、おまえ飯に興味ないから消えものも選べないし」
「俺好き嫌いなくない」
「飯食うときほんとに興味なさそうだろ俺のことばっか見て」
当たり前だ。イチと一緒に食べるものなんてその場の話の種としか見えていない。
「おまえ俺の誕生日」
「1月21日」
「そりゃそうだよな」
イチがネクタイを緩めた。陰影の深い喉だ。
「なに、セックスしに来た?」
僕はネクタイをほどいてソファに放った。
「違う。話しに来た」
「話」
「俺おまえのことよく知らないだろ」
「名前と生まれ月と出身県知ってたら十分だと思ったけど」
「おまえは俺のこともうちょい知ってる」
「だってイチ、俺の名前でググったこともないでしょ」
イチが膝の上で手を組む。
「ずっと連絡しなくて悪かった。どう話すかずっと考えてた」
僕はその場に膝をついて、イチの首に向けて手を伸ばした。イチは僕の右肘裏を手の甲で叩いた。
「今はやらない」
僕はその格好のまま、口に出すべき言葉を少し探した。
「俺たち、話さなきゃいけないようなことあったっけ」
イチは自分の顎に手をやって言った。
「おまえ俺と付き合う気あるか」
「は?」
僕はその場に尻をついて、正座の格好で自分の両膝を握った。
「俺とそういうのはなしって気づいたから連絡なくなったんだと思ってたんだけど」
「そんなこと一言も言ってないだろ」
「それはそうだけど」
イチと僕が付き合う。しっくりこない日本語だ。
「そもそも最初におまえとやったのは別におまえが好きだったからじゃない。それは認める。よく覚えてないけどむしゃくしゃしてたんだと思う」
「はっきり言うね」
「事実だから。それでこれも事実だから言うけど、今俺はお前と、なんというかコミュニケーションをとりたい。セックスするのも話すのも、おまえが嫌じゃなければ一緒に出かけるのも含めて。それを付き合うって呼んでて、おまえにその気があるのかないのかを聞いてる」
僕を見るイチの顔の、真ん中にまっすぐ通った鼻筋がきれいだと思った。僕は尋ね返した。
「俺、もう1回やりたいだけだったって言ったよね」
「言った。でもそれはこの19年の間のことだろ。もう1回やったんだから、その先どうするかがあるんじゃないのか」
「そんなもの」
僕の中にはちっともなかった。イチともう1回セックスしたいだけでいっぱいのまま19年生きてきて、とうとうやれたと思ったら、またもう1回セックスしたくなっただけだった。もう1回あのかたくて太くて熱い腕で抱きしめてほしい、僕はまだそんなことばかり考えている。
イチは僕を見ていて、僕はイチを見ていた。濃く茂った額のきわ、弓なりの眉、アーモンドの形の目、細くて高い鼻、薄い色の唇、昔よりは柔らかくなった皮膚。目を閉じて、これと違う景色を記憶の中で探す。酔いつぶれたイチ、雨に濡れたイチ、まだチビだったチビを抱いているイチの写真、イチを見送った後の部屋。全然だめだ。
唐突に、イチは立ち上がった。
「わかった、今日は帰る」
「や、待ってほんとに言ってる?」
「ほんとに言ってる。次はおまえから連絡して」
ネクタイを締め直して、鞄を取って出ていこうとするイチに、僕は膝をついたまま待ってと言った。イチの左ふくらはぎに触った。イチは、ふくらはぎについた僕の手を、自分の左手でゆっくり剥がした。次は連絡してとまた言ってから出ていった。僕は、ハンカチのお礼を言っていないことに気がついた。
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