一人で生きる

フルギノキフルシ

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07.

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 夏が終わってもイチからは連絡がない。僕は働くのと眠るのとを繰り返している。幸い、事務雑務から学生指導から非常勤バイトから原稿仕事から、作ろうとすれば作る仕事のある立場ではある。いくら働いても大した稼ぎにはならないし、稼げたところで使う予定もさほどはないのだけれど。
 何かしら頭を使っていないとすぐ、意識の隙間からイチが湧いてきてセックスに持ち込まれてしまう。19年間ずっと2回きりの記憶をしゃぶってきたのに急に5回に増えたものだから、僕の中のイチはずいぶん具体的に、かつエロ本のキャラクターみたいになって、そんなすごいのしたことないよね、みたいなことを平気で仕掛けてくる。
 いくらなんでも性欲があまりすぎているので、いったん本物の人間とセックスしたらどうかと考えた。考えてすぐ、ちっともあてがないことに気がついた。バーで座っていたらいい具合にお声がかかるようなタイプではないし、ネットでマッチングするためにはものすごい数のお断りを乗り越えないといけない。お金を払えば確実だろうといくつかのサービスを比較検討しているうちに飽きた。よく考えたらここ数年、ずっとイチとのことを思い出して処理してきたわけで、今さら急にがんばれるわけがなかった。
 イチのFacebookは石垣島に行ったところで止まっている。ただ、仕事つながり、子どものクラブつながりなんかの知り合いのポストから動向が確認できる。先週末は子どもたちとの面会日で、パパ友家族を交えてのデイキャンプだった。
 元奥さんは実家で元気そうにしている。猫を飼うことにした。髪を短くした。ピアスを集めるのが楽しい。K-POPダンスを始めた。
 下の男の子はまだSNSのアカウントを持っていないけれど、上の女の子は母親公認らしいTikTokがある。この子はイチがチビ、チビと呼ぶ方の子だ。でも正直もう全くチビではなくて、首から下なんかほとんど大人になっている。それでいてSNSの更新は大人たちより多いので、秋の間中チビの顔ばかり見ることになった。鼻はイチに似ているけれど、あとはだいたい元奥さんだと思う。
 仕事と睡眠と、食事と頭の中でのセックスと、あとはSNSの巡回をぐるぐる繰り返しているうちに肌寒くなってきた。夜、もう帰るのも面倒だから研究室の椅子で寝てしまおうかと思ったときに、片倉からメールが来た。高木が死んだそうだ。

 会場について、受付の列でイチを見つけた。いるに決まっているので驚かなかった。片倉康太と妻のノンコ、旧姓新井信子が寄ってきて、山崎久しぶり、と言った。
 片倉とノンコ、高木、イチ、僕、これでゼミ同期15人のうち3分の1だ。他に6人来てるよ、シュンなんかシンガポールから。ノンコが言った。卒業からずいぶん経つのにそれなりに集まりがいいのは、ゼミで1番おしゃべりだった片倉と1番仕切り屋だったノンコが結婚して、なんだかんだと2年に1回はホームパーティだのバーベキューだのを開いてきたからだ。イチはこういう場に義理堅く顔を出す人間なので、僕は不自然にならない程度に参加回数を間引きつつ、特に遠方にいた間は張り切って出ていきすぎないようにしながら、関係を切らないようにしてきた。飲み会好きの高木はだいたいいつもいて、一昨年だったかも顔を見たのだけれど、2ヶ月ほど前に亡くなったそうだ。
 葬儀は家族で済ませたけれど、友だちの多い人なのできちんとお別れの会を開きたいと、ご夫人の意向で決まったと聞いた。賑やかなのがいいだろうからセレモニーなしの立食で、友人同士声をかけてもらって、平服で、とのことだった。会場もホテルのホールなので、受付の様子は同窓会か何かに見えないこともない。小学校の友だちとかいう人たちも来ているらしい。
 ホールの中もほとんど普通の立食パーティ会場として設えられていた。ただ前方中央に献花台と高木の大きな写真がある。スタッフに促されて献花列に並び、花を受け取った。こういうときの花は白いものだと思い込んでいたけれど、ピンクのカーネーションと紫の蘭だった。
 献花台の隣に、子どもを抱えた女の人と小学生か中学生の男の子、年配のご夫婦が立っていた。抱えられた子どもは口を開けて中空を見ている。僕はその人たちの前で頭を下げて、献花台に花を置いた。写真の中の高木を見た。野球帽を被っている。仕事の合間に息子の野球クラブの面倒を見ている、最近は子どもが減ってしまって練習試合を組むのも大変だ、といったようなことをいつだったか話していた。

 食事が始まると、ノンコがゼミの連中を集めてきた。当然ながらイチもいて、僕を見てもなんでもない顔をした。僕も努めてなんでもない顔をした。
 片倉はいつもよりずっと低い声で途切れずに喋った。ゼミ旅行の伊豆で高木がロケット花火をどうしたこうしたとか、そういう話を片倉は何時間でも続けられる。シュンが、あいつほんとそういうやつだよなと言った。シュンは海外駐在が長い。久しぶりに顔を見た。顎まわりがずいぶんゆるくなったようだ。
 ほんと、飲み会やると絶対来るし。酒強いし。あたしより料理うまいの。うん、まあだから、今日もこういう感じがよかったんだろうね。
 イチはおう、おうと相槌を打ちながらずっと烏龍茶を舐めている。僕の方はあまり見ないで、たまに高木の方を振り返る。献杯のあと、献花台の後ろにスクリーンが下りてきて、ずっとスライドショーを流している。職場の納会の高木とか、奥さんと旅行の高木とか、子どもの運動会の高木とか。
 まだ40なのにとシュンが言った。順番だろとイチが言った。僕はふと、そうだねと言ってみた。

 会は2時間ほどで終わった。ホールの出口でご遺族が頭を下げていた。小さい方の子は奥さんの腕の中で眠っていた。
 ロビーで片倉が、駅まで行く人はタクシー相乗りでと言った。用事があるからと辞退した。別に何の用もないけれど、1人で歩こうと思っていた。全員を見送ってから外に出た。
「山崎」
 呼びかけられて振り向いた。イチがいた。
「さっき出たよね」
「裏で待ってた。用事なんかないだろ。送る。車」
 イチの後について歩きながら、山崎は久々だな、いつもおまえでたまにフミなのになと思った。
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