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4日経って、ルノワール展に行こうとイチが連絡してきた。いいけど予定合わせないとと僕は答えた。美術館が開いているのは10時から17時30分で、その間にお互いの都合がつくのは4週間後の日曜日だった。
会場は混んでいた。混んでいたので僕とイチの体はときどき触れあった。僕たちは人の波の一部になって、ルノワールほか何人かの画家たちの描いたものの前をぬるぬる進んだ。
展示を抜けたあと、疲れたろとイチが言って、ミュージアムカフェでコーヒーを飲んだ。おまえフランス好きじゃなかったっけ。イチは続けた。近代フランス政治史で飯を食ってはいるけれど、別に好きでも嫌いでもない。イチはパリに3回行ったことがあるそうだ。どの旅行も元奥さんがブログまたはInstagramで詳細に行程を説明していたので、どこで何をしたのかは知っているのだけれど、それは言わずに話を聞いた。空いていた常設展を見て、イチの車で部屋まで送ってもらった。
4週間後の夜に、スポーツバーで閉幕間際のプレミアリーグを見た。イチはディスプレイを見ながらビールをゆっくり舐めて、ときどき僕の方を振り向いた。イチのするパブ料理とサッカーの話に、僕は予習してきたとおりに応えた。気持ちよく酔っぱらっている客が多くて、僕たちは別に目立ちもしなかった。
また4週間後の金曜、お互い仕事を片付けたあとに、名画座でゴーストバスターズとニュー・シネマ・パラダイスの2本立て深夜上映を見た。イチは座席の上ではじっとしていて、僕がタクシーに乗るときになって、1度だけ肩を小突いてきた。気をつけてと言われた。
さらに4週間後の週末はホテル最上階の夜景のきれいなレストランだったので、笑わずにいられなかった。もうじき夏で、街は夜でもじんわりと暑く、イチは髪を短く刈り込んでいた。
僕は白ワインを飲むイチの喉や、舌平目を咀嚼する口を見ながら食事をした。グラニテが出てきたときにイチは目を上げて、外見ろよと言った。
そういえば夜景に縁のない人生だった。空は真っ平らで、地上ばかりが光っている。イチは言った。
「最近どう。仕事とか」
「まあぼちぼちやってけてる」
ルノワール展にいくことにしたとき、イチは、大学教授って土日祝休みじゃないんだっけと驚いていた。とりあえず、俺講師だよと言っておいた。
「なんか変わったこととか」
「俺仕事に刺激感じるタイプじゃないんだよね」
スポーツバーから出たあと、イチは僕の顔と体をじろじろ見てから目を逸らした。
「そうだっけ。仕事はまあ好きって昔言ってなかったっけ」
映画館を出てタクシーに乗る僕の肩を小突いたとき、イチは軽い力のつもりだったのだろうけれど、僕は大きくよろけた。イチはうわ、と言って僕の肘を掴んだ。
「言ったかな」
ウェイターが焼いた羊を運んできたので、イチの意識が僕から離れた。
食後のコーヒーとプチマドレーヌを、イチはのろのろと口に運んだ。僕は同じくらいのろのろとコーヒーを飲みながらイチの唇を見た。春先にあったひび割れはすっかり治った。白ばかり飲んでいるから色素の沈着もさほどない。
「毎月出てきてもらって悪いな」
「別に無理してるわけじゃないよ、休める日だから」
「休みなんだからやることないの」
「特に」
イチが窓の外を見たので、僕も視線を動かした。空にあるべき明かりを根こそぎ地面に散らかしたような街だ。きれいだろとイチが言った。きれいだと思えてきた。僕は言った。
「きれいだねって言ったら下に部屋とってあるって返ってきそう」
「さすがよくわかってる」
そんな馬鹿なと思ったあと、やっぱりと思った。僕はイチを見た。イチはコーヒーカップを見ていた。
部屋に入って、僕はイチを見た。イチは唇を引き結んで、目ばかり大きく開いていた。20歳のころ、隣のテーブルで飲んでいた女の子を連れてタクシーに乗り込んだときも、イチはこんな顔をしていた。
「疲れたなら寝る? ベッド2つあるし」
「いやそういうわけにいかない」
「いかないったってじゃあどうすんの」
イチは僕の顎に手をかけた。なんということもない顔をしていられればよかったのだけれど無理だった。僕はイチの首に腕を回して、キスの間ずっと体をイチに擦り付けていた。
唇の離れたときイチは目を開けていた。僕の腕はイチの背中に、イチの手は僕の頬と腰にかかっていた。僕は言った。
「4回目のデートだし、そろそろする?」
イチは目を伏せた。
「やれんの?」
「俺がどのくらいイチのちんこのこと考えてるか知ってる?」
信号待ちとか、スマートフォンをロックしたときとか、グラスに少し残った水を飲んでいる間とか、とにかく隙間という隙間にイチは湧いて出て、セックスに持ち込もうとする。この間本当にしたとき、空っぽになった自分の人生を哀れんで泣いたのに、結局ちっとも空っぽになっていない。
イチは必要なものを用意していたし、なんだか慣れたように入ってきた。やたら胸を触ってくるのでほとんど反射でいやだと言うと、気持ちいいだろうと心底不思議そうに言われた。それはそうだけれどもと思った。
頭を撫でられて頬に唇をつけられて、どうしたらいいのかわからなかった。イチにしがみついて腰を揺らしてだらだらと声をあげてどこにも集中できないまま、ただ気持ちはいいなと思っているうちに終わった。
後始末を終えて、僕はベッドに戻った。イチも同じベッドに入ってきた。
「2つあるけど」
「不自然だろ」
枕と肩の間にイチの腕が差し込まれた。太くてかたくて熱いのでちんことだいたい同じだなと思った。寝心地はよくない。首を痛めそうだ。ただでさえ肩から背中から慢性的に張っているのに。
寝返りを打ってイチに背中を向けた。イチはベッドに敷いた腕を少し曲げて僕の頭を抱え込み、小さい声で言った。
「次うちくるか」
4週間に1度僕と街を歩くイチは、いつも緊張していて気の毒だ。
「うん」
イチは一晩中腕枕をやめてくれなくて、僕はうまく眠ることができなかった。イチも、眠っているにしてはあまりにまっすぐなまま朝まで動かなかった。
会場は混んでいた。混んでいたので僕とイチの体はときどき触れあった。僕たちは人の波の一部になって、ルノワールほか何人かの画家たちの描いたものの前をぬるぬる進んだ。
展示を抜けたあと、疲れたろとイチが言って、ミュージアムカフェでコーヒーを飲んだ。おまえフランス好きじゃなかったっけ。イチは続けた。近代フランス政治史で飯を食ってはいるけれど、別に好きでも嫌いでもない。イチはパリに3回行ったことがあるそうだ。どの旅行も元奥さんがブログまたはInstagramで詳細に行程を説明していたので、どこで何をしたのかは知っているのだけれど、それは言わずに話を聞いた。空いていた常設展を見て、イチの車で部屋まで送ってもらった。
4週間後の夜に、スポーツバーで閉幕間際のプレミアリーグを見た。イチはディスプレイを見ながらビールをゆっくり舐めて、ときどき僕の方を振り向いた。イチのするパブ料理とサッカーの話に、僕は予習してきたとおりに応えた。気持ちよく酔っぱらっている客が多くて、僕たちは別に目立ちもしなかった。
また4週間後の金曜、お互い仕事を片付けたあとに、名画座でゴーストバスターズとニュー・シネマ・パラダイスの2本立て深夜上映を見た。イチは座席の上ではじっとしていて、僕がタクシーに乗るときになって、1度だけ肩を小突いてきた。気をつけてと言われた。
さらに4週間後の週末はホテル最上階の夜景のきれいなレストランだったので、笑わずにいられなかった。もうじき夏で、街は夜でもじんわりと暑く、イチは髪を短く刈り込んでいた。
僕は白ワインを飲むイチの喉や、舌平目を咀嚼する口を見ながら食事をした。グラニテが出てきたときにイチは目を上げて、外見ろよと言った。
そういえば夜景に縁のない人生だった。空は真っ平らで、地上ばかりが光っている。イチは言った。
「最近どう。仕事とか」
「まあぼちぼちやってけてる」
ルノワール展にいくことにしたとき、イチは、大学教授って土日祝休みじゃないんだっけと驚いていた。とりあえず、俺講師だよと言っておいた。
「なんか変わったこととか」
「俺仕事に刺激感じるタイプじゃないんだよね」
スポーツバーから出たあと、イチは僕の顔と体をじろじろ見てから目を逸らした。
「そうだっけ。仕事はまあ好きって昔言ってなかったっけ」
映画館を出てタクシーに乗る僕の肩を小突いたとき、イチは軽い力のつもりだったのだろうけれど、僕は大きくよろけた。イチはうわ、と言って僕の肘を掴んだ。
「言ったかな」
ウェイターが焼いた羊を運んできたので、イチの意識が僕から離れた。
食後のコーヒーとプチマドレーヌを、イチはのろのろと口に運んだ。僕は同じくらいのろのろとコーヒーを飲みながらイチの唇を見た。春先にあったひび割れはすっかり治った。白ばかり飲んでいるから色素の沈着もさほどない。
「毎月出てきてもらって悪いな」
「別に無理してるわけじゃないよ、休める日だから」
「休みなんだからやることないの」
「特に」
イチが窓の外を見たので、僕も視線を動かした。空にあるべき明かりを根こそぎ地面に散らかしたような街だ。きれいだろとイチが言った。きれいだと思えてきた。僕は言った。
「きれいだねって言ったら下に部屋とってあるって返ってきそう」
「さすがよくわかってる」
そんな馬鹿なと思ったあと、やっぱりと思った。僕はイチを見た。イチはコーヒーカップを見ていた。
部屋に入って、僕はイチを見た。イチは唇を引き結んで、目ばかり大きく開いていた。20歳のころ、隣のテーブルで飲んでいた女の子を連れてタクシーに乗り込んだときも、イチはこんな顔をしていた。
「疲れたなら寝る? ベッド2つあるし」
「いやそういうわけにいかない」
「いかないったってじゃあどうすんの」
イチは僕の顎に手をかけた。なんということもない顔をしていられればよかったのだけれど無理だった。僕はイチの首に腕を回して、キスの間ずっと体をイチに擦り付けていた。
唇の離れたときイチは目を開けていた。僕の腕はイチの背中に、イチの手は僕の頬と腰にかかっていた。僕は言った。
「4回目のデートだし、そろそろする?」
イチは目を伏せた。
「やれんの?」
「俺がどのくらいイチのちんこのこと考えてるか知ってる?」
信号待ちとか、スマートフォンをロックしたときとか、グラスに少し残った水を飲んでいる間とか、とにかく隙間という隙間にイチは湧いて出て、セックスに持ち込もうとする。この間本当にしたとき、空っぽになった自分の人生を哀れんで泣いたのに、結局ちっとも空っぽになっていない。
イチは必要なものを用意していたし、なんだか慣れたように入ってきた。やたら胸を触ってくるのでほとんど反射でいやだと言うと、気持ちいいだろうと心底不思議そうに言われた。それはそうだけれどもと思った。
頭を撫でられて頬に唇をつけられて、どうしたらいいのかわからなかった。イチにしがみついて腰を揺らしてだらだらと声をあげてどこにも集中できないまま、ただ気持ちはいいなと思っているうちに終わった。
後始末を終えて、僕はベッドに戻った。イチも同じベッドに入ってきた。
「2つあるけど」
「不自然だろ」
枕と肩の間にイチの腕が差し込まれた。太くてかたくて熱いのでちんことだいたい同じだなと思った。寝心地はよくない。首を痛めそうだ。ただでさえ肩から背中から慢性的に張っているのに。
寝返りを打ってイチに背中を向けた。イチはベッドに敷いた腕を少し曲げて僕の頭を抱え込み、小さい声で言った。
「次うちくるか」
4週間に1度僕と街を歩くイチは、いつも緊張していて気の毒だ。
「うん」
イチは一晩中腕枕をやめてくれなくて、僕はうまく眠ることができなかった。イチも、眠っているにしてはあまりにまっすぐなまま朝まで動かなかった。
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