最初のキスまで

フルギノキフルシ

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第6話

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 黙って歩いているうちにだいぶん経った。この間はもっと早くにガンディーさんと別れた気がする。寮まで行くものかと思ったら、俺こっちだからと言って。
「あの、ガンディーさんちこっちですか」
「え、んーん」
 ガンディーさんは、視線を斜め上の空から航に向けた。ほっそりした目を見開いて、思ってもみなかった、みたいな顔をしている。
「寮、いろいろあってもう出てるから、でも今日はちょっと用事と思って」
「用事」
「友だちに会いに」
「あ、4月に1回談話室来てたんですよね。俺話聞いて降りてったけど間に合わなかったんですけど」
「そうね、結構早めの時間にばいばいしちゃったからね」
「あれでも寮には3時くらいまでいませんでしたっけ。俺廊下ですれ違ったと思ってました」
「あーうん、友だちの部屋にいたの」
 1号棟の玄関で、談話室に行くかと聞かれた。はやく眠りたい気持ちが1人になりたくない気持ちに負けた。
 金曜の夜なので、B談話室は賑わっていた。ガンディーさんは扉をくぐるなり後輩に囲まれた。わたるはそっとその輪を抜けてソファに座った。人のマリオカートでも見ていることにした。ガンディーさんはハリドに引っ張られて、航の知らないボードゲームのテーブルについた。

 肩先に人の脈を感じて目を開けた。
「あ、起きた」
 サカケンさんの声だ。感じたのはサカケンさんの脈で、サカケンさんの脈を感じたのはサカケンさんの体にもたれて眠っていたからだと気がついた。跳ね起きた。
「わ、ごめんなさい、俺」
「疲れてたんだろ。彼女みたいな寝方するからびびったけどさ」
 顔に血が上るのを感じながら、努力して笑った。時計は3時半を回っている。
「すいません重かったすよね」
「いや全然」
 本当に居眠りをしていたのか不安になるくらい、談話室の様子は変わっていない。マリオカートは続いているし、カクタさんは地べたであぐらをかいて寮歌を歌っている。ハリドのテーブルにもボードゲームが乗ったままで、ガンディーさんはいない。サカケンさんに尋ねてみる。
「ガンディーさん帰ったんすか」
「ああ、そういやいないね」
 あの夜は友だちの部屋にいたとガンディーさんは言っていた。誰かと一緒に抜け出して部屋にいるのかもしれない。他に誰がいなくなったのか考えてみたけれど、そもそも何人いたかもよくわからないのにわかるはずがなかった。
「部屋戻ったんじゃないの」
「今もう寮生じゃないらしいですよ」
「へぇ、全然知らん」
 ラーメン屋での話が本当なら、サカケンさんもカクタさんもガンディーさんから見て大幅に後輩になるわけで、ましてこのいい加減な寮の中で、大したことを知らなくても当たり前だ。
「前、3階の廊下の奥から出てきたとこ会ったことあるんです。あの辺かな」
「か、2棟か3棟か」
 そういえば、1階と3階には第2棟とその向こうの第3棟につながる渡り廊下がある。向こうに親しい友だちがいるわけでもなく、いちばん賑やかで人が集まるのが1棟なので航はあまり通り抜けたことがないけれど、2棟の友だちのところで飲んでくるとか、そういう話は珍しくない。
「4棟ではないですよね」
 ガンディーさんは4棟の彼女のヒモという噂も一応ある。ただ、女子寮である4棟は、他の棟とは直接繋がっていない。表に出て中庭を抜けないといけないし、夜は4棟前の門と玄関扉を開けるのに暗証番号がいる。
「いやまあ、4棟帰りをごまかすのに3棟経由で帰るみたいなのはあるけど」
 それはサカケンさんのことじゃないのかと思った。ゲリラ豪雨彼女とサカケンさんが2人で、部屋でなにかする。
「言ってそこそこでかい寮だし、いるんじゃないの友だちくらいは」
 サカケンさんはそう言って、ソファの足元に落ちていた少年ジャンプを拾った。そうですねと航は返し、トイレと呟いてB談話室を出た。

 308号室の前を通りすぎて、316号室までゆっくり歩く。どの部屋も静かだ。眠っているか勉強しているか、もしくは出払っているか。渡り廊下に繋がる扉を開けた。雨が降り始めていて、思ったよりも寒かった。短い廊下を渡るあいだ、細い雨の音と濡れた土のにおいがした。2棟に入る。1人で来るのははじめてかもしれない。建物の質感や掲示物は1棟とあまり変わらないけれど、1本の廊下に並んでいる部屋の数が少ない。音楽が漏れている部屋が2つあった。ここかもしれないけれど違うかもしれない。3棟への渡り廊下に出る。3棟側の扉が開いて、背中を丸めたガンディーさんが出てきた。その顔を見て、航は言った。
「あの、雨ですね」
「うん。さっきまで星きれいだったのにね」
 会話が途切れた。好奇心と勢いでここまで来たけれど、いざ会えたときにどうするべきかなにも考えていなかった。ガンディーさんは首を突き出して立っている。店ではきっちりくくっていたはずの髪がほどけている。蛍光灯の青い光だけに照らされているからにしても、顔の左半分が不自然に黒い。
「顔どうかしたんですか」
「ぶつけた」
「そうなんですか」
 どこにどうやってぶつけたっていうんですか、と言ったつもりなのに、口からちゃんと出てこなかった。顔を半分黒くするようなぶつけかたなんてそうそう大人がするものか。ガンディーさんはうんと言って、背中を丸めたまま航の脇を抜けた。
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