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エレーヌの新たな日々2

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シュタイン城にやってきて一週間ほど経った朝、エレーヌはドレスのサイズがちょうど良くなっていることにふと気づいた。

(私、太ったのかしら……?)

しかし、シュタイン城に来てより、むしろ食は細っているために、それはないに違いなかった。

衣装部屋を見ると、前に見たときとは、中身が入れ替わっているように感じた。赤毛を引き立てる色味の鮮やかなものが減り、白や水色や薄紫など、エレーヌの金髪に紫の目の色を引き立てるような寒色系の色味のものが増えていると感じた。

鏡台の引き出しを開けてみれば、中のものがごっそりなくなっていた。その代わり、新しいリボンや髪留めに櫛が入っていた。

チェストの引き出しからも、この部屋の主だった令嬢のものはすっかり無くなっていた。

令嬢の肖像画のあった場所を見れば、肖像画は外されていた。

(シュタイン夫妻は、私を養女にでもしてくれるつもりなのかしら。義理堅く、本当に親切な方たちなんだわ)

ディミーのことがあっても、まだ人を疑うことを知らないエレーヌは、そう思うだけだった。

***

エレーヌが、毎日の日課となった刺繍を楽しんでいると、シュタイン夫人が言ってきた。

「エレーヌの腕なら、リボン刺繍もこなせそうね」

リボン刺繍というのは、糸の代わりに細いリボンを使う刺繍だった。図柄が立体的となり、とても豪華なものだ。技巧的には難易度が高い。

「できますわ。刺繍リボンさえあれば」

ときおり老婆が、塔に、絹のリボンを持ってきていた。ブルガンの貴族の間でも、リボン刺繍は需要が高かった。

母親がいたころは、母親が花を、エレーヌは葉っぱを刺していた。母親の方が技量が上だった。

母親がいなくなってからは、ときおり持ち込まれるそれをエレーヌが一人で仕上げていたが、次々とリボン刺繍の仕事は舞い込んだのでエレーヌの腕も不足はないはずだ。

シュタイン夫人は、侍女に手鏡を持ってこさせると、手鏡の背中を見せてきた。

鏡の背中には見事なリボン刺繍を施された布が貼ってあった。それは、ところどころリボンが朽ちるほど、古いものだった。

「これは、わたくしの母がブルガンにいた頃に両親から贈られたものなのよ」

エレーヌにはその図柄に見覚えがあった。百合をモチーフにしたその図案は、母親からエレーヌと伝わった図案だった。

(お母さまの図案………!)

エレーヌは母の温もりに触れたような気がした。

しかし、母親の手で刺したものにしては古すぎる。顔も知らない祖母か近縁の者が刺したものに違いなかった。

それがブルガンに生まれ育ったシュタイン夫人の母親に、縁あって渡ったのだろう。

シュタイン夫人がエレーヌの顔つきを見て訊いてきた。

「これを知っているの?」

「母が伝えてくれた図案です。なので、私の祖母が刺したものかもしれません」

「まあ、そうなのね。奇遇ね!」

シュタイン夫人も驚いた声を出していた。

「では、この手鏡をあなたに差し上げるわ」

「いいんですか?」

エレーヌに手渡された手鏡の背中を、エレーヌはそっと撫でた。

「そのかわりに、新しいものを私に作っていただけないかしら」

「えっ? ええ、ぜひ!」

自分の刺繍の腕を求められて、エレーヌは嬉しかった。

「では、リボンと生地を、商人に持ってこさせるわね」

その手鏡のせいもあって、シュタイン夫人とのつながりを母がもたらしてくれたのではないかと思い、シュタイン夫人に《えにし》を感じ、ますますシュタイン夫人を信じるようになった。

***

それから、エレーヌはシュタイン城でとても穏やかな日々を過ごすことになった。

午前は女ばかりで楽しく刺繍をし、午後は夫妻とともに散策し、晩餐を迎える。

それは温かで穏やかで、エレーヌは、シュタイン城で過ごすうちに、王宮でのことが日に日に薄れていくことを感じていた。

思えばゲルハルトとともにいた頃は嵐のような日々だった。突然、エレーヌの孤独に入って来て強引に心を奪い、鮮烈な愛を残していった人。

いまだエレーヌは夜になれば、目が覚めれば、空を見れば、ゲルハルトを思って胸が騒がしくなる。苦しくてたまらなくなる。

それでも、穏やかで温かさに包まれた日々に、ゲルハルトのことが思い出になることを確信していた。

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