上 下
28 / 55

夫の愛人

しおりを挟む
マリーが帰ったあと、エレーヌは疲れ切ってソファに沈み込んだ。

マリーは何度も「ゲルハルト」と口にした。ゲルハルトとの仲がとても深いことを匂わせた。

――たとえ、愛人を作っても。

(マリーさまは、ゲルハルトさまに愛人がいることを知ってるんだわ)

ソファに座り込み立ち上がれないでいるエレーヌに、ハンナが声をかけてきた。

「マリーさま、######」

エレーヌの膝に乗った人形を、ハンナは手に取り、胸に抱いてあやすようにしている。いつもは好ましく感じるだけのハンナなのに、そのときは不快に感じた。

(ハンナまでマリーさまの味方なの?)

そう思ってエレーヌはマリーをまるで敵のように感じていることを自覚した。

(ハンナには悪気がないのに、私、恥ずかしいわ。私が一方的にマリーさまに反感を持っているだけだもの)

そう思ってみても、人形を抱いてあやす仕草をするハンナが、マリーのように見えてしようがなかった。

ハンナの隣で、ディミーが説明してきた。

「ラクアには言い伝えがあるそうですわ。赤ちゃんを身ごもった女性が作った人形をもらえば、もらった女性は身ごもることができる、と。そして無事の出産を祈願して、人形をあやすのですわ。マリーさまも、どなたかから抱き人形をもらったはずですわ。そして、お返しにエレーヌさまのために人形を作ったのでしょう」

(マリーさまは、私の妊娠を願っているの?)

ハンナがエレーヌに人形を渡してきた。人形は髪も目も黒色だった。

(ゲルハルトさまを模した人形だわ)

世間知らずで鈍感なエレーヌでも、いい加減、勘づくものがあった。

――ゲルハルトを返してね。

マリーはゲルハルトが自分のものであるような言い方をした。

エレーヌの胸がえづいた。

(マリーさまが、ゲルハルトさまの愛する人なのね………)

もう認めざるをを得なかった。妊娠している幼馴染みが王宮に引っ越してくる理由と言えばそれしかない。

「ハンナ、マリーさまは赤ちゃんを産むために王宮に来たのね………?」

ハンナは無邪気に答える。

「マリーさま、お子、#####」

エレーヌはところどころ聞き取る。

「赤ちゃんを王宮で育てるのよね」

「マリーさま、ゲルハルトさま、######、ウレシイ」

ハンナはやはり嬉しそうに答える。

訳されなくてもわかった。

ゲルハルトとともにマリーは王宮で子どもを育てるのだ。ゲルハルトもそれを嬉しく思っている。

(マリーさまのお子はゲルハルトさまのお子。マリーさまがゲルハルトさまの愛する人………)

初夜にゲルハルトに言われた冷たい言葉がエレーヌに襲い来る。

――俺はあなたを愛することはない

もう何度もよぎってはエレーヌを苛んできた言葉。

その言葉が立体化し、重量を増す。

今まで見えなかった「ゲルハルトの愛する人」の正体がわかった。それはとても可愛らしい令嬢で、エレーヌには太刀打ちできない女性だった。

(でも、でも………)

エレーヌは息が苦しくなった。頭の中ですがるものを探す。

ゲルハルトはエレーヌに愛情たっぷりに接してくれている。

(わ、私だって、ゲルハルトさまに愛されているわ、そのはずよ。毎晩、私の部屋にやってきてくれるわ)

だが、それは妊婦に負担をかけないためのようにも思えてきた。

――今日だけはゲルハルトを返してね

(今は、ゲルハルトさまはマリーさまと過ごしているの? 王宮に上がったばかりのマリーさまのもとをゲルハルトさまは訪ねているの? マリーさまはそれを匂わして言ったの?)

「ハンナ、マリーさまの部屋を知ってる? 連れて行ってくれない?」

(行ってどうしようというの? まさか乗り込んで喚き散らすつもり?)

そんな惨めなことはしたくない。けれどもエレーヌは高ぶった気持ちを抑えられないでいる。

ハンナが首をかしげたままなので、ディミーに言った。

「ハンナに私をマリーさまのもとへ連れていくように言って」

ディミーはエレーヌに痛々し気な目を向けてきた。

「エレーヌさま、そんなことをしてもあなたがおつらいだけです」

ディミーもマリーがゲルハルトの愛人であることに気づいたのだろう。どことなく憐れみも浮かんでいる。

人形をあやすハンナにも、憐れみの目を向けてくるディミーにも、そして、わざわざエレーヌに宣戦布告のようなことをしに来たマリーにも、腹が立って抑えられなくなった。

何よりゲルハルトに腹が立つ。

(ひどい人......)

「ハンナ、こっちに来て」

エレーヌはバルコニーに出た。

「マリーさまの部屋はどこ? 教えて」

ハンナはエレーヌの剣幕に驚きつつも、心配げな顔を向けてきた。何が言いたいのかわかったようで、部屋を指さした。

(私と同じ並びの、南向きの部屋なのね。バルコニーも広いわ)

エレーヌは望遠鏡を取ってきて、バルコニーの手すりを持って、その部屋を覗き込んだ。

開いたままの窓から、揺れるピンクブロンドが覗いていた。

(マリーさま、いたわ………!)

部屋を盗み見ることは良くないとわかりつつも、エレーヌは止めることができなかった。

どこかでマリーがただの幼馴染みであることにすがっていたエレーヌだったが、ピンクブロンドの背後に長身の黒髪が現われてエレーヌは息を飲んだ。

(ゲルハルトさま………!)

望遠鏡ではその表情までもが見える。

ゲルハルトは穏やかな顔つきをしている。

マリーは胸に赤ん坊を抱いていた。その赤ん坊はマリーの持っている抱き人形に違いなかったが、エレーヌには本物の赤ん坊を抱いているように見えた。

マリーはゲルハルトを見ると笑い、ゲルハルトも優しげな顔を向けてマリーにほほ笑んだ。

二人は、とても幸せそうに笑い合っていた。

(あれが本当の家族………!)

エレーヌは望遠鏡を手から取り落した。

(マリーさまがゲルハルトさまの本当の妻………!)

胃から酸っぱいものが込み上げてきた。

とどめようもなく吐き気が起きてきて、エレーヌは口を手で覆った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】お世話になりました

こな
恋愛
わたしがいなくなっても、きっとあなたは気付きもしないでしょう。 ✴︎書き上げ済み。 お話が合わない場合は静かに閉じてください。

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

夫に離縁が切り出せません

えんどう
恋愛
 初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。  妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。

愛してほしかった

こな
恋愛
「側室でもいいか」最愛の人にそう問われ、頷くしかなかった。  心はすり減り、期待を持つことを止めた。  ──なのに、今更どういうおつもりですか? ※設定ふんわり ※何でも大丈夫な方向け ※合わない方は即ブラウザバックしてください ※指示、暴言を含むコメント、読後の苦情などはお控えください

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

どうやら婚約者が私と婚約したくなかったようなので婚約解消させて頂きます。後、うちを金蔓にしようとした事はゆるしません

しげむろ ゆうき
恋愛
 ある日、婚約者アルバン様が私の事を悪く言ってる場面に遭遇してしまい、ショックで落ち込んでしまう。  しかもアルバン様が悪口を言っている時に側にいたのは、美しき銀狼、又は冷酷な牙とあだ名が付けられ恐れられている、この国の第三王子ランドール・ウルフイット様だったのだ。  だから、問い詰めようにもきっと関わってくるであろう第三王子が怖くて、私は誰にも相談できずにいたのだがなぜか第三王子が……。 ○○sideあり 全20話

あなたの仰ってる事は全くわかりません

しげむろ ゆうき
恋愛
 ある日、婚約者と友人が抱擁してキスをしていた。  しかも、私の父親の仕事場から見えるところでだ。  だから、あっという間に婚約解消になったが、婚約者はなぜか私がまだ婚約者を好きだと思い込んでいるらしく迫ってくる……。 全三話

処理中です...