上 下
6 / 25

第二章 (2)

しおりを挟む

 朝となり、日差しが、机にかぶさって、うたた寝をしている警部補に降り注いでいた。
「はっ」
 と、して起き上がった彼女は反射的に時計を見つめた。午前七時すぎである。
「あら、いつのまにか寝てたようだわ。もう、こんな時間なの」
 警部補は起きると、どことなくつぶやいた。そして、
〈あーあ、結局は、見つからなかったわ。では、あの子を起こさなくては〉
  と思うと、天美のいる居間に向かった。そこでは天美はすでに起きていた。
 いや、起きたというより、寝ていなかったという方が正しいであろう。昨日、警察署で居眠りをしたために目がさえていた上、警部補のことが気になって寝付かれなかったのだ。
 警部補は微笑みながら声をかけた。
「あら、起きていたの? そう言えば、あなた昨日は、署でも寝ていたからね。では、今から出発よ。食事の方は、署の近くの食堂でするから」
 そして、二人は、支度をすますと一緒にアパートを出たのである。
 ところが、ここで、大変な事件が発生することになった。時刻にして、午前七時半頃、天美は警部補と一緒に路上を歩いていた。
 そこには、一人の妙な格好をした少年がうろついていた。
 少年は、ベースの黒髪に、左側に赤色、右側に緑色のメッシュを入れていた。また、両耳にも、左に赤色、右に緑色のピアスをつけ、両腕にも、同様に左右に、それぞれ、赤と緑のサポーターを巻き、手袋もこれまた同様に赤と緑、
 どこからどうみても、カラーギャング団の一員といった格好である。
  その眼は何かシンナーかクスリでもやっているのか、正気ではなく、ほうっておいたら、今にも何か、やらかしそうな様子であった。
 天美は、その少年の姿を見たとき、なんともいえない不吉な予感がした。
  その少年を発見し藤原警部補も動き出した。
「ちょっと待っててね」
 警部補はそう天美に言い付けると、職務質問をかけるために、少年のもとに、づかづかと近づいていった。
 目の前に、人が立ちはだかっても、少年はただ、うつろな目をして、その場に立っているだけであった。彼女は、その少年に、すぐさま尋問を始めた。
「あなた、こんな朝早くから、いったい何をしているの?」
 だが、少年は無言であった。
「あなた。返事をしなさい。どういうつもりなの?」
 警部補は尋問を続けた。だが、少年はまだ無言であった。
「本当に、ここで、何をしていたの!」
 警部補は、なおも質問を続けた。それでも、少年は無言である。ただ、不気味な目をして、警部補をにらんでいるだけであった。
「答えなさい! あなた、ここで何をしているの!」
 警部補のしつこい追求に、ついに、面倒くさげに声を出した。
「うーるーせーなー。関係ないだろ!」
「関係なくはないわね。あたしは、京港署の少年係よ」
 警部補はピシっとした声で答えた。
「お巡りか!」
 少年は反射的に叫び、逃げようとした。
「待ちなさい」
 警部補は少年の前に回り込んだ。退路をふさがれ、あとがなくなった少年は、凶悪な顔つきに変わり、威嚇をするようにポケットの中から鋭いナイフを取り出した。
「危ない!」
 天美は、あわてて警部補を止めに入ろうとした。ところが、それより早く、藤原警部補は少年に仕掛けたのだ。
 彼女は、下上警部補のまな弟子だけあって、合気道はかなりの有段者である。
 その腕には自信があり、いくら、相手がナイフを持っていても、この間合いなら、軽くいなすことができるはずであった。だが、前日の徹夜のような行動の影響か、身体が極度に疲れ、動きがいつものようにはとれなかったのだ。
「アー」
 天美が甲高い叫び声を上げたのも無理はない。藤原警部補の腹に、少年の突き出したナイフがつき刺さっていた。
 ナイフで下腹を刺された警部補は、うずくまるように道路に倒れた。
 思わぬ出来事に、少年の顔は青ざめていたが、すぐに、ハッとしたような顔をして、我に返ると、一目散に、その場から逃げ出していった。
 天美は反射的に追いかけようとしたが、その行動をとめた。まずは、ケガをした警部補を介抱することが先決だと感じたからだ。
 彼女は、逃げる少年を口惜しげに見つめながらも、苦しそうな表情をして倒れている警部補のもとに駆け寄った。そして、声を上げた。
「し、しっかりして!」
 警部補は薄目を開けて天美の姿を見つめた。その薄れゆく意識の中、何かを思いついたのか、苦しい息をしながら天美にある言葉を話しかけた。
「あ、あなたは、この国の子ではないでしょう。ひょっとして日系人ね」
 突然の真実の言葉に天美は戸惑った。まさかの発言であったからだ。
「今は、もう、しゃべらない方が」
「ご、ごまかそうとしても、いけません。わ、わたしは、あなたのことは、ちゃんとわかってしまいましたから」
  言葉どおり、警部補は、天美の素性を見破っていた。おそらく、意識がぼやけているうちに、天美と彼女の母である下上警部補の顔が、オーバーラップしたのであろう。
 結局、天美は、今までとはうって変わったような真剣な表情をして、
「そう。わったし、南米のセラスタから来たの」
 と返答をするしかなかった。ごまかせないというよりも、警備補の傷の場所や状況から見て、絶対に助からないと感じたのであろう。
 警部補は天美の告白を聞き目を細めた。そして言った。
「その目つき。ま、間違いないわ。や、やっぱり、そうだったのね。こ、これで、あたしは、きちんと、先輩との仕事を果たしたわ」
「何、言ってるの。お仕事というのは、わったし、家に帰すことでしょ!」
「ごめんなさい。そこまで、できなくて、でも外国の家に帰ったら、お母さんに伝えておいて、けいこは、がんばったって」
  警部補は最後にそう言葉を残して息を引き取った。
 天美は、警部補が最後に口走った意味が、何がなんだかわからなかった。まさか、その母さん、という言葉が、本当に自分の母を指しているとは思わなかったからである。
 また、今、このような状態で、警部補の言葉を考えている余裕がなかった。すぐに、次の行動をしなければならないからだ。
 まずは、警察に事件を通報しなければならない。とはいっても、彼女は携帯等の連絡機を持ち合わせていなかった。
  だが、記憶力はよかった。その記憶をたぐって、すぐに、公衆電話を見つけると、そこから、事件発生の一報を入れたのである。
 間もなくして、パトカーのサイレン音が鳴り響いてきた。通報後、現場に戻った彼女は、とっさに警官たちから見えないところに隠れた。
 隠れて見つめている中、現場に到着した二人の制服警官がパトカーから降りてきた。
 制服警官たちは、倒れている死体を発見すると、信じられないように目を開いた。
 そして、交互に緊張した顔つきで会話を始めた。
 そのあと、警官の一人が無線のスイッチを入れ、大声で、無線機に向かって叫んだ。

しおりを挟む

処理中です...