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下巻 第一章 (1)

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 そのころ、十条警部は捜査本部に戻っていた。
「警部、お帰りなさい」
 声をかけてきたのは、十条班で最古参の刑事、鈴木警部補である。
「まいった。東京駅からの足取りが、ぷっつりだよ」
「報告ではそうみたいですね。昨日と同様に、朝から東京駅近辺では、応援の刑事たちを総動員し、『少女を連れた怪しい人物を見かけなかった』と、聞き込みを続けているのですが。しかし、本当に、東京駅に放置された車に連れ込まれていたのですか?」
「鈴木さん、何を言っている?」
 警部が気色ばんだ。
「いや、不思議なのですよ。あのワゴン車から、後部座席、トランクどちらからも、人が押し込まれたという形跡は見つかりませんでしたし」
「それは、わかっているよ。もっと、詳しく調査をしたのか!」
「しましたよ。しかし、警部、冷静ではありませんね」
「ぼくが、まだ冷静ではないって?」
「それは、今回のガイシャ、警部の命の恩人で、目をかけている女の子でしたから。ですが、ここは、冷静になりませんと」
「そんなことはわかっているよ!」
「そうですか、では、その後の調査について報告をします。鑑識は、研究所に持ち込んだワゴン車にサーモ検査を行いました。その結果、何とトランクにも後部座席にも、六時間以内に人が押し込められた形跡がない、という結論が出たのです」
「だいたい、その検査は、あてになるのか」
「そのようなことを突っ込まれたらいやなので、何度も慎重に検査をした、と。ですが、結果は同じでした」
「そんなこと、ありえるか! 裏口だって、開いた証拠が残っているのに!」
「警部、やはり、いつもの警部ではありませんね。普段の警部なら、今回のような鑑識の言葉に耳をかたむけているじゃないですか。そして、別の推理を立てています」
「別の推理?」
「私も長年、警部の下にいますので、警部の捜査テクニックは、だいたいのところ、わかっているつもりです。いつもの警部なら、このようなケース、犯人側の目くらまし、という可能性も考えているはずです。相手はマンションの警備員です。裏口の開閉操作は、その気になれば工作できるでしょう。怪しげなクリーニング屋の車も、向こう側の仕掛けた偽装だと。まことに、言いにくいことですが、今の警部、視野が狭くなっています。ガイシャがガイシャですから気持ちはわからないわけでもないのですが」
 鈴木警部補の言葉に、十条警部は冷静になり始めた。
〈確かに僕の視野は狭くなっている。鈴木さんの言っている通り、もっと、様々な推理をしているはずだ。これ以上は、あの車には、こだわらない方がいいかもしれない
  と考え直した警部は、次の言葉を言った。
「では、あの子が、まだマンション内に隠されていると」
「そのような可能性もあるということです。今回、住民の証言に矛盾をした内容がありましたね。いつもの警部なら、そこも考慮して、捜査を続けるはずなのですが」
「住民の証言の矛盾? もしかして、あの主婦の!」
「そうです。あの証言です。裏口への通路を誰も通っていないという」
「よし今一度、徹底的に中を調べてみよう。鈴木さん、全世帯の部屋は調べたか」
「任意の世帯だけは、事件が事件ですので、おおかた協力をしてくれましたが、まだ全世帯までは。資産家が多いですし、上と親しい人物もいますし」
「そんなことは言っておられない。共犯がいて、そこに閉じ込められている可能性が高い」
「わかっています。ですが、さすがに令状がおりませんと、そこまでは」
「では、ぼくが裁判所を説得してもらってくる。それと、もう一つ、見逃せないことが!」
「見逃せないこととは?」
「相手は警備員だ。隠し部屋の存在だって考えられる。そこも、徹底的に調べないとな!」
  警部は興奮しながら、捜査本部を出て行った。その姿を、鈴木警部補は、ホッとしたような、頼もしそうな表情を浮かべて見つめていた。

 競羅はなんとも言えない顔をして道を歩いていた。通話のあと彼女は、その場所にとどまることができなかった。興奮した声を上げ、周りの目を引いたことも一つなのだが、衝撃的な成り行きに耐えられなくなったからだ。
〈もう、あの子は、手の届かないとこに行っちゃったよ。向こうに行ったら、間違いなく脳改造を受けて、別人種だよ〉
 別れ際の数弥のなじる声が耳に残っていた。
「まだ、連れ込まれたわけではないんすよ。取り返すことを、あきらめるんすか!」
「さっきまで、威勢よく言ってたでしょ。国際問題になろうが、あの子を取り戻すって」
 だが、場所を知った、あの瞬間から、彼女の身体は前に動かなかった。
  携帯の地図を追っていった場所、アメリカ軍基地、そこは難攻不落の要塞だ。すべての出入口は、軍によって監視されており、侵入という行動自体、不可能であろう。
 約七五〇ヘクタール、この広い基地内の、どの場所に連れ込まれているかわからなければ作戦すらたてられない。中の情報を得ようとしても、高いスキルを持ったハッカー対策の最高セキュリティが待ち構えているし、へたをしたら身元がたぐられて返り討ちだ。
〈もし、当初の予定通り、無理に奪回をしようなんてしていたら、あたりは、とんでもない大惨事になっていたよ。米軍か、奴らは無茶をやるからね。それにね、よくよく考えたらね、もともと、数弥の推理なんて、あてにならないのだよ。たいてい、はずしているからね。大使館だって、たまたま基地に用があっただけだったのだよ〉


〈でも、こんな思いをするなら、もう少し、早く手を打っていれば・・〉
  思考は続いたが、むなしくなるだけであった。そのとき、
  チャンチャララララ
  携帯電話がかかってきたのだ。
〈きっと、数弥だね〉
 競羅は、いったんは顔をしかめたが、画面の表示を見て、反射的に通話ボタンを押した。
 相手は御雪だったのだ。そして言った。
「あー、あんたか」
「元気のない、お声ですね。それに、どうも、また、どなたかと間違われたようですね」
 御雪はそう応答をした。ここで、いつもの競羅なら、
『そんなこと、どうでもいいだろ! それで、何の用事だい! さっき、言い忘れたことでもあったのかい!』
 と切り返すはずだが、今回はおとなしく答えただけである。
「ああ、間違えてしまったみたいだね」
 その競羅の調子に、御雪も、さすがにおかしいと感じたのか心配そうに声を出した。
「何か、お困りのことが御座いましたか?」
「いや、なにもないけど」
「その様子、何もないとは思えませんが。もしかしたら、天美ちゃんのことでしょうか?」
「えっ!」
「どうやら、図星のようですね。いかようなことが御座いましたか。まさか!」
 御雪の口調も変わった。よくないことを想像したのか、
「いや、あんたが思っているようなことは、間違いなく起きてないよ」
「でしたら、一応は無事ということですね」
「けどね、もう、あの子に会うことは出来ないよ」
「どういうことでしょうか?」
「どう言うも何も、もう、二度と会えないと言うことだよ!」
 競羅は声を荒げた。
「ですけど、お亡くなりになってないということですよね」
「ああ、そうだよ」
「でしたら、会えると存じますが」
「それが、会えないのだよ」
「もしかしたら、大けがで、どこかの病院に入院されてるとか」
「怪我もしてないはずだよ」
「記憶障害で、どこかの病院に隔離されているとか」
「う・・」
 競羅は思わず言葉が詰まり、それを、聞き逃さなかった御雪。
「さようで御座いますか。どこかに隔離されていらっしゃるのですね」
「まあ、そうなのだけど、場所がね」
「でしたら、居場所が判明した、ということですね」
「ああ、そうだよ」
「むろん、わたくしには教えていただけますよね」
「そのことだけど、ちょいと電話では話せないね」
「電話で話せない内容ですか」
「ああ、盗聴される可能性があるから話せないよ」
「場所を変えられてお話をすれば、よろしいのではないでしょうか」
「そういう問題ではないよ。この通話自体が、今後、盗聴される可能性が大きいのだよ」
「今、一つ事情が読み込みませんが」
「とにかく、相手はそれぐらいの連中なのだよ」
「さ、さようで御座いますか」
 御雪はそう答えたが、どうも、納得がいかないようである。
「何にしてもね、相手が相手だから、これ以上の情報は危なくて、電話では話せないよ」
「では、いかがいたしましょう」
「あんたも、これ以上は、深入りしない方がいいと思うよ。もう、終わったことだからね」
「終わったと申しますと」
「言葉通り、終わったのだよ。あの子は、もう手が届かないところにいるのだよ」
「納得がいきません」
「納得いこうがいこまいが、終わったのだよ。命が惜しかったら手を引きな!」
「競羅さん。もしかしたら、お酒を飲んでいらっしゃいますか」
 御雪はそう尋ねた。言葉が支離滅裂ぽく感じたからか、
「まだだけどね、今から、やけ酒を飲みに行こうと思っているのだよ」
「でしたら、わたくしのところで飲みませんか」
「あんたのところでか」
「さようで御座います。大きな鬱憤がたまっていそうですから」
「ああ、そうだね。やはり、あんたには、一応相談することにするよ」
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