君を知るということ

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英雄

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午前5時、やけに起き抜けが良くスッキリとした目覚め。
朝礼まではまだ余裕がある。
デスクから上体を離し、仮眠室に併設されているシャワーブースへと向かう。
身体に纏わりつく嫌な汗を洗い流し、無防備な自分にスイッチを入れる。
泊まり込みになった際のルーティンだ。

「チェックお願いします。」

頼まれていた資料の作成、寝てしまった分を取り返すように何とか間に合わせることが出来た。
小泉先輩が書類を一通り確認し、チェック済みの印を押す。
徹夜していたのか目の下のクマが目立つ。

「…神崎も寝るならベット行けよ。休まらねえし、仕事に支障が出る。あの子にも心配かけさせていいのか?」

先輩の指摘はもっともなのだが、寝不足の相手に言われているせいか説得力がない。
同僚以外の職員にもすっかり『あの子=凪』でまかり通っている。
俺がそれに弱いのを知っているのか先輩の笑みは若干不適だ。

「研修が終わったら落ち着きますよ。」

「それまでの辛抱か。」

「奢りだ」と差し出された缶飲料を飲み干す。
口に含めば、エナジードリンク特有の人工的な甘さが喉に注がれる。
意識を夢から引き戻すにはちょうどよかった。


*  *  *  *

「お疲れか?」

「…子供って元気ですね。」

最近はリハビリやら面会であまり院内学級には足を運べていなかった。
凪も同様で、久しぶりに会った小学生達に遊び相手をせがまれて大変だったらしい。
約束があるからと上手くなだめて、教室を出ることには成功した。

ロビーを真っ直ぐ進んだ先にある大きな自動ドアを抜けると外へと続く。
2月中旬にしては暖かく、ダウンジャケットさえあれば大丈夫そうだ。

「段差あるから気をつけろよ。」

速度こそは遅いが、しっかり自分の足で地面を蹴っている。
車椅子に乗っていた頃に比べればかなりの回復だ。
目に見えるものに好奇心を躍らせ、シャッターを構える凪。
「面倒見のいい年上」ではない「探求心に満ちた少年」としての姿は魔法のように俺を惹きつける。

「あれ、何ですか?」

「行ってみるか。」

坂の向こう側には大樹がそそり立つ。
緩やかなスロープ状の道を歩くと、東京とは思えない程の景色が広がる。

「ほら、掴まれ。」

最後の階段に差し掛かったあたりで手を取ろうと振り返る。
急な斜面でバランスを崩すのを防ぐためだ。

「…ありがとうございます。」

まごつきながらも握られた左手。
全身にしびれる波、頂上に辿り着くまでの数十秒。
鼻をくすぐるほのかな香りと不思議な感覚が胸を打つ。

なだらかな丘に横になると、凪も隣で真似をした。
大樹の枝が適度に日差しを遮り、緑が安らぎを与えてくれる。

「桜、退院までには咲くといいな。」

春になれば葉が落ちた木にも新たな花が芽吹く。

「最後の一枚はそれで決定ですね。」

「最後になんかさせねえ。凪には見せたいものが沢山ある。」

「…見せたいもの」

律の指す『一人のためのヒーロー』
子供の頃の想像とは違う理想、俺なりの正解。

「連れてってやるって言っただろ?」

君を箱庭から解き放つ英雄に、俺はなれるだろうか。

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