14 / 36
第二章 むじな
5.スケベ
しおりを挟む
民俗学者の佐々木喜善が採集した話に、こんなものがある。
明治43年の夏、岩手県土淵村の尋常小学校(小学校の昔の呼び方だ)の運動場で一年生の児童数名が遊んでいると、見知らぬ一人の子供が遊びに参加してきた。
子供たちは仲良く遊んだが、この謎の子供は一年生の児童にしか見えなかった。「ここにいる」と指さし教えられても、上級生や大人たちはついぞその姿を捉えられなかった。
また、怪談研究家である熊沢隆道の著書では、次のような怪談が紹介されている。
平成十年台の新潟県の小学校に、大人には認識することのできない子供が現れた。児童らは当たり前のようにその子供を受け入れている様子だったが、先の話と同様、やはり大人は姿を見ることができなかった。
この見えない子供は一時期のあいだは毎日のように現れたが、やがてぷっつりと話題にのぼらなくなったという(熊沢はこの怪談に特に大きな関心を持ち、取材のために問題の小学校まで足を運んでいる)。
さて、これらとそっくり同じような現象が、水沼教諭が勤める龍ケ崎市立北竜台小学校でも起きているらしい。
児童にだけ認識される、実体のない謎の子供。
「まるで座敷童だ」
思わずそんな感想を漏らした。子供にしか見えない子供の姿をした妖怪といえば、なんといっても座敷童だろう。基本的には家に棲み着く存在だけど、時折は学校などの子供の集まる場所にも現れたという。
さっき名前を挙げた佐々木喜善も、一つ目の岩手の話を『遠野のザシキワラシ』としてあの柳田國男に紹介している。
「椎葉さんたら、本当にこういうのがお好きなんですね」
「あ、いえ、ちょっと職業柄というか……」
「オタクだよオタク。ここまで行くとなんかちょっと気持ち悪いよな」
やかましい。
「でも、座敷童とはちょっと違うかしらね」
「そうなんですか?」
「ええ。だって座敷童っていうのは、幸福を呼び込む善い妖怪でしょう?」
水沼さんは北竜台小学校のざしきわらし(仮称)について話しはじめる。
四月に新学年がはじまったあたりから、校内における児童の非行件数が目に見えて増加している。
教職員が事情を問いただすと、子供たちは口を揃えて「知らない子がやった」と証言する。
しかしもちろん、そんな子供は影も形も見当たらない。
「架空の存在に罪をなすりつけようとするなんて嘆かわしいって、ダーリンも最初はそう憤ってたんです。だけど、あんまりにもみんなして同じことを言うでしょう? それにダーリンが言うには、子供たちからはウソをついてる感じが全然しないんだとか」
しかし生徒たちがウソをついているのでないとしたら、校内に部外者が侵入している可能性がある。
それがたとえ子供であれ、児童の安全を預かる学校に侵入者はまずい。
「そんなわけで、今学校では防犯カメラの導入も検討しているそうですよ。ね? 正体がなんであれ、座敷童ではないでしょう?」
どちらかというと天邪鬼とかかしらね、と水沼さん。
「……」
僕はといえば、なにかが引っかかったような、すっきりしない気分に陥っていた。
見れば、夕声もそれは同じらしかった。彼女もえらく微妙な表情になっている。
そうだ。僕たちはこの話を、どこかで聞いたことがあるんじゃないか?
「ねぇ静さん。子供たちの非行って、どんなん?」
ややあってから、夕声がそう訊いた。
「そうねぇ。非行の内容自体は大したものじゃないのよ。お友達をぶって泣かせたり、先生を狙って黒板消しをもくもくさせたり……深刻なものでもせいぜいこのくらい」
あ、それから、と水沼さんは思い出したように言った。
「それから、トイレで飴の袋が見つかることが増えたとか」
その瞬間、僕と夕声は揃って「あっ!」と声をあげた。
※
「そっか。お前らが通ってる学校って、そういやホクショーだったな」
夕声がそう言うと、三人の小学生は順番に「なかよくー」「かしこくー」「たくましくー」と返した。
なんだそれ? と首をかしげる僕に「ホクショーの校訓だよ」と夕声が解説する。聞けば彼女も北竜台小学校の卒業生なのだそうだ。
水沼さんから話を聞いた日の夜だった。
我が家には夕声と、それから子ダヌキトリオの松・竹・梅が集まっていた。
「それじゃ君たち、水沼先生って知ってる?」
僕が聞くと、子ダヌキたちはやっぱり声を合わせて「知ってるー」「ねっけつー」「ぽじてぃぶー」と答える。
やれやれ、世間のなんと狭いことか。
「おい。そんなことより」
「ああ、うん」
夕声に促されて、子ダヌキたちに来てもらった本題を思い出した。
「君たちが前に言ってたことって、ほんとだったんだね」
「まえ?」「はて?」「なんぞ?」
三人揃ってこてんと首を傾げる。
「ほら、入学したばっかの頃にお前ら言ってただろ。なんか学校に乱暴者の悪い奴がいるとかって」
三人分の「あー」が綺麗に重なった。思い出してくれたようだ。
「ごめんね。最初に君たちから話を聞いた時、きちんと取り合わなくて」
四月の後半のことだから、もう三週間も前になる。
神社の社務所ではじめてこの話を聞いたとき、僕も夕声も話を掘り下げて聞こうとはしなかった。
語られた悪事のスケールが小学生サイズだったこともあるし、学校に通い始めたばかりの子供が空想にとらわれるというケースも……。
いや、いまさら理由を並べたところで言い訳にしかならない。
「……ごめん! すまない! ……申し訳ない!」
もう一度、三人に向かって頭を下げる。心から謝罪する。
そんな僕の態度に、子ダヌキのトリオも、それに夕声も、ひどく驚いた顔をしていた。
「い、いいよー」「ゆるしたよー」「というか気にしてなかったよー」
大人の僕に神妙な調子で謝罪されて、子供たちが慌ててとりなしてくる。
三週間前、僕は三人の訴えを真面目に聞かなかった。
だけど、水沼さんの話を聞いたいまとなってはもう、捨て置くわけにはいかない。
「もう一度、詳しく話を聞かせてもらっていいかい?」
三人の目をまっすぐに見ながら、そう切り出した。
僕のシリアスさが伝わったのか、子ダヌキたちもまた真剣な調子で『ホクショーの天邪鬼』について語り出す。
とはいえ彼らの証言にあるのは、やっぱり小学生サイズの悪事とささやかすぎるその被害ばかりなのだけれど。
「悪事っていうより、ほとんどイタズラだな」
「うん。だけど、悪意を持った奴がいるのは確かみたいだ」
たとえその悪意が小学生サイズだったとしても、それでも悪意は悪意だ。
「君たちはそいつが何者なのか、全然わからないのかい?」
一縷の望みをかけて質問してみたものの、返ってきた答えはやっぱり三人声を合わせての「わかんなーい」だった。
「たしかお前らさ、『そいつはタヌキと人間と両方の敵だー』みたいなこと言ってたよな? てことは、そいつも化生ってことか?」
「んー、たぶん?」「おそらく?」「めいびー?」
「なんだよ、それさえはっきりしないのかよ」
夕声が「やれやれ」と口にする。
おい、それはひょっとして僕の真似か?
「まぁ、下手人があたしらの御同類だってなら、そんなに心配することもないんじゃないか? やってること無茶苦茶しょぼいし、大それたことはできないだろ」
「確かにその手の類が犯人ならそうかもしれないけど、本当に怖いのは犯人が人間だったときだよ。生徒以外の子供が紛れ込んでたくらいの話ならいいけど、もしも変質者が侵入してるとかだとしたら……考えるだけでゾッとする」
というか、考えるだけで頭にくる。
絶対安全なはずの学校に侵入して子供たちの安寧を脅かす不埒者……そんなのがいるなら、ちょっと許せないぞ。
……と。
「ん? みんな、どしたの?」
そこで、僕は全員の視線が自分に集中していることに気がついた。
子供たちと夕声は、きょとんとした顔で僕を見ていた。
「なぁ、ハチ。あんた、どうしてそんなにマジになってるんだ?」
ややあってから、代表するように夕声が言った。
僕には質問の意図するところがわからなかったのだけれど、見れば子ダヌキたちは揃ってうんうんと肯いている。
「さっきからあんた、すごく真剣に心配したり怒ったりしてるだろ。前にこいつらの話を聞き流してたことについても、びっくりするほどマジに謝ってたし」
「うん」
「いや、それは全然悪いことじゃないというか、むしろありがたいことだと思うんだけどさ。でも不思議なんだよ。どうしてあんたがそこまでって」
夕声が言い、子ダヌキたちがやっぱり揃って首を縦に振る。
「なんでって……」
僕は少しだけ困惑しながら言った。質問の解像度はあがったけれど、それでもみんなの疑問の在処は僕には不明だった。
いったい、みんななにを言っているんだ?
「そんなの、僕が大人で君たちが子供だからに決まってるだろ」
子ダヌキたちと、それから夕声を順番に見て、言った。
「だって、身内同然の子供が通ってる小学校に、変質者が出没してるかもしれないんだよ? そんな問題を笑って放置できる大人がどこにいるっていうんだ?」
そんなの当たり前だ、と僕は言い切る。
本当に、なんでそんなことをわざわざ聞くんだ?
僕が答えたあと、少しの間、夕声も子ダヌキたちもぽかんとして僕を見ていた。
ややあってから、子ダヌキの一人が動いた。
いつも他の二人の後をくっついている印象のある最年少にして紅一点の梅が、僕に歩み寄ってひしっと抱きついてきたのだ。
「ハチにいちゃん、すき」
「え?」
梅の突然の行動に戸惑っていると、
「おれも、あんちゃん好き」
「ぼくも」
残る松と竹も、口々に僕への好意を表明した。
「は? みんな、なんで急に」
狼狽える僕とその僕にまとわりつく子ダヌキたちを、夕声は黙って見つめていた。
彼女はひどく嬉しそうな表情を浮かべていた。
※
それから数時間後、僕と夕声は神社へと夜道を歩いていた。
寝落ちした子ダヌキたちを抱えて。
「おもい……」
あの後、どういうわけか子ダヌキたちは僕から離れようとしなかった。
夕声が「そろそろお暇するぞ」と声をかけても、まだあんちゃんと遊ぶ、ハチにいちゃんと一緒にいると言い張って聞かず、結局こうして電池が切れるまで我が家に居座り続けた。
「気持ちよさそうに寝ちゃって……タヌキが夜行性だって話はウソだったのか」
「こいつらは生まれた時から人の中で生きてるからな。人間が板についてるんだよ」
そう返事をした彼女の声は、なんだかやけに弾んでいた。
今夜はずっと、夕声はえらく機嫌がいいのだ。
彼女が質問して僕がそれに答えた、あのときから。
「僕、なにかおかしなこと言ったかな?」
隣を歩く夕声に、意を決して聞いた。
彼女の機嫌がいいのも、それに子ダヌキたちの突然の好感度アップも、そこに原因があるのは明白だった。
僕が問いかけると、夕声は小さく声を出して笑った。やっぱり嬉しそうに。
「言ったよ。でもあんたにはそれがわからないんだろ?」
「うん、さっぱりわからない」
そう答えると、夕声はさっきよりもさらに楽しそうに笑った。
「そこなんだよ、こいつらが嬉しかったのは。あんたは当たり前のようにこいつらを『身内の子供』って言ってくれたし、『だから僕が君たちを大事に思うのも当たり前だ』って、そう言ってくれたんだ」
「いや、だってそんなのは――」
「そんなのは当たり前、なんだろ? うん、あんたにとってはそうなんだろうさ。だからあんたには『自分はいい奴です』って鼻にかけたところが全然ないんだ。でもそれって、すごいことだと思うぞ? 人間だとか化生だとか関係なくさ」
あんたは『当たり前のいい奴』なんだ。そう言って夕声は肩肘で僕をつつく。
僕はといえば思いっきり照れて、たぶん真っ赤になっている。こう見えて僕はすぐに赤くなるタイプだ。
「それから、もう一つ」
「なに?」
「あんたはこいつらを、まるっきり人間の子供とおんなじに扱ってくれてるんだって、それがわかったから。こいつらのタヌキの姿まで見てるあんたがさ。……そんなの、嬉しいに決まってるよ」
なんだかしみじみと言って、それから夕声は続けた。
「あたし、こいつらがうらやましいな」
「うらやましい?」
うん、と言って、夕声は続けた。
「なぁハチ。もしもあたしがキツネの本性をさらしても、あんたはあたしを受け入れてくれるか?」
軽口の延長のような口調。だけど、軽口に見せかけたその問いかけには真剣な期待と不安がない交ぜになっていると、僕にはそう感じられた。
だから、僕も真剣に考えて、それから言った。
「わかんないな。だって、僕はまだ君のキツネの姿を見てないもん。ということで、そろそろ一度見せてくんない?」
イエスともノーとも答えず、僕はそう言った。
それが正しい返事だったのかどうかはわからない。
夕声は少しだけきょとんとした顔をしたあとで、今度はにんまりと笑みを広げて、次のように言った。
「スケベ」
明治43年の夏、岩手県土淵村の尋常小学校(小学校の昔の呼び方だ)の運動場で一年生の児童数名が遊んでいると、見知らぬ一人の子供が遊びに参加してきた。
子供たちは仲良く遊んだが、この謎の子供は一年生の児童にしか見えなかった。「ここにいる」と指さし教えられても、上級生や大人たちはついぞその姿を捉えられなかった。
また、怪談研究家である熊沢隆道の著書では、次のような怪談が紹介されている。
平成十年台の新潟県の小学校に、大人には認識することのできない子供が現れた。児童らは当たり前のようにその子供を受け入れている様子だったが、先の話と同様、やはり大人は姿を見ることができなかった。
この見えない子供は一時期のあいだは毎日のように現れたが、やがてぷっつりと話題にのぼらなくなったという(熊沢はこの怪談に特に大きな関心を持ち、取材のために問題の小学校まで足を運んでいる)。
さて、これらとそっくり同じような現象が、水沼教諭が勤める龍ケ崎市立北竜台小学校でも起きているらしい。
児童にだけ認識される、実体のない謎の子供。
「まるで座敷童だ」
思わずそんな感想を漏らした。子供にしか見えない子供の姿をした妖怪といえば、なんといっても座敷童だろう。基本的には家に棲み着く存在だけど、時折は学校などの子供の集まる場所にも現れたという。
さっき名前を挙げた佐々木喜善も、一つ目の岩手の話を『遠野のザシキワラシ』としてあの柳田國男に紹介している。
「椎葉さんたら、本当にこういうのがお好きなんですね」
「あ、いえ、ちょっと職業柄というか……」
「オタクだよオタク。ここまで行くとなんかちょっと気持ち悪いよな」
やかましい。
「でも、座敷童とはちょっと違うかしらね」
「そうなんですか?」
「ええ。だって座敷童っていうのは、幸福を呼び込む善い妖怪でしょう?」
水沼さんは北竜台小学校のざしきわらし(仮称)について話しはじめる。
四月に新学年がはじまったあたりから、校内における児童の非行件数が目に見えて増加している。
教職員が事情を問いただすと、子供たちは口を揃えて「知らない子がやった」と証言する。
しかしもちろん、そんな子供は影も形も見当たらない。
「架空の存在に罪をなすりつけようとするなんて嘆かわしいって、ダーリンも最初はそう憤ってたんです。だけど、あんまりにもみんなして同じことを言うでしょう? それにダーリンが言うには、子供たちからはウソをついてる感じが全然しないんだとか」
しかし生徒たちがウソをついているのでないとしたら、校内に部外者が侵入している可能性がある。
それがたとえ子供であれ、児童の安全を預かる学校に侵入者はまずい。
「そんなわけで、今学校では防犯カメラの導入も検討しているそうですよ。ね? 正体がなんであれ、座敷童ではないでしょう?」
どちらかというと天邪鬼とかかしらね、と水沼さん。
「……」
僕はといえば、なにかが引っかかったような、すっきりしない気分に陥っていた。
見れば、夕声もそれは同じらしかった。彼女もえらく微妙な表情になっている。
そうだ。僕たちはこの話を、どこかで聞いたことがあるんじゃないか?
「ねぇ静さん。子供たちの非行って、どんなん?」
ややあってから、夕声がそう訊いた。
「そうねぇ。非行の内容自体は大したものじゃないのよ。お友達をぶって泣かせたり、先生を狙って黒板消しをもくもくさせたり……深刻なものでもせいぜいこのくらい」
あ、それから、と水沼さんは思い出したように言った。
「それから、トイレで飴の袋が見つかることが増えたとか」
その瞬間、僕と夕声は揃って「あっ!」と声をあげた。
※
「そっか。お前らが通ってる学校って、そういやホクショーだったな」
夕声がそう言うと、三人の小学生は順番に「なかよくー」「かしこくー」「たくましくー」と返した。
なんだそれ? と首をかしげる僕に「ホクショーの校訓だよ」と夕声が解説する。聞けば彼女も北竜台小学校の卒業生なのだそうだ。
水沼さんから話を聞いた日の夜だった。
我が家には夕声と、それから子ダヌキトリオの松・竹・梅が集まっていた。
「それじゃ君たち、水沼先生って知ってる?」
僕が聞くと、子ダヌキたちはやっぱり声を合わせて「知ってるー」「ねっけつー」「ぽじてぃぶー」と答える。
やれやれ、世間のなんと狭いことか。
「おい。そんなことより」
「ああ、うん」
夕声に促されて、子ダヌキたちに来てもらった本題を思い出した。
「君たちが前に言ってたことって、ほんとだったんだね」
「まえ?」「はて?」「なんぞ?」
三人揃ってこてんと首を傾げる。
「ほら、入学したばっかの頃にお前ら言ってただろ。なんか学校に乱暴者の悪い奴がいるとかって」
三人分の「あー」が綺麗に重なった。思い出してくれたようだ。
「ごめんね。最初に君たちから話を聞いた時、きちんと取り合わなくて」
四月の後半のことだから、もう三週間も前になる。
神社の社務所ではじめてこの話を聞いたとき、僕も夕声も話を掘り下げて聞こうとはしなかった。
語られた悪事のスケールが小学生サイズだったこともあるし、学校に通い始めたばかりの子供が空想にとらわれるというケースも……。
いや、いまさら理由を並べたところで言い訳にしかならない。
「……ごめん! すまない! ……申し訳ない!」
もう一度、三人に向かって頭を下げる。心から謝罪する。
そんな僕の態度に、子ダヌキのトリオも、それに夕声も、ひどく驚いた顔をしていた。
「い、いいよー」「ゆるしたよー」「というか気にしてなかったよー」
大人の僕に神妙な調子で謝罪されて、子供たちが慌ててとりなしてくる。
三週間前、僕は三人の訴えを真面目に聞かなかった。
だけど、水沼さんの話を聞いたいまとなってはもう、捨て置くわけにはいかない。
「もう一度、詳しく話を聞かせてもらっていいかい?」
三人の目をまっすぐに見ながら、そう切り出した。
僕のシリアスさが伝わったのか、子ダヌキたちもまた真剣な調子で『ホクショーの天邪鬼』について語り出す。
とはいえ彼らの証言にあるのは、やっぱり小学生サイズの悪事とささやかすぎるその被害ばかりなのだけれど。
「悪事っていうより、ほとんどイタズラだな」
「うん。だけど、悪意を持った奴がいるのは確かみたいだ」
たとえその悪意が小学生サイズだったとしても、それでも悪意は悪意だ。
「君たちはそいつが何者なのか、全然わからないのかい?」
一縷の望みをかけて質問してみたものの、返ってきた答えはやっぱり三人声を合わせての「わかんなーい」だった。
「たしかお前らさ、『そいつはタヌキと人間と両方の敵だー』みたいなこと言ってたよな? てことは、そいつも化生ってことか?」
「んー、たぶん?」「おそらく?」「めいびー?」
「なんだよ、それさえはっきりしないのかよ」
夕声が「やれやれ」と口にする。
おい、それはひょっとして僕の真似か?
「まぁ、下手人があたしらの御同類だってなら、そんなに心配することもないんじゃないか? やってること無茶苦茶しょぼいし、大それたことはできないだろ」
「確かにその手の類が犯人ならそうかもしれないけど、本当に怖いのは犯人が人間だったときだよ。生徒以外の子供が紛れ込んでたくらいの話ならいいけど、もしも変質者が侵入してるとかだとしたら……考えるだけでゾッとする」
というか、考えるだけで頭にくる。
絶対安全なはずの学校に侵入して子供たちの安寧を脅かす不埒者……そんなのがいるなら、ちょっと許せないぞ。
……と。
「ん? みんな、どしたの?」
そこで、僕は全員の視線が自分に集中していることに気がついた。
子供たちと夕声は、きょとんとした顔で僕を見ていた。
「なぁ、ハチ。あんた、どうしてそんなにマジになってるんだ?」
ややあってから、代表するように夕声が言った。
僕には質問の意図するところがわからなかったのだけれど、見れば子ダヌキたちは揃ってうんうんと肯いている。
「さっきからあんた、すごく真剣に心配したり怒ったりしてるだろ。前にこいつらの話を聞き流してたことについても、びっくりするほどマジに謝ってたし」
「うん」
「いや、それは全然悪いことじゃないというか、むしろありがたいことだと思うんだけどさ。でも不思議なんだよ。どうしてあんたがそこまでって」
夕声が言い、子ダヌキたちがやっぱり揃って首を縦に振る。
「なんでって……」
僕は少しだけ困惑しながら言った。質問の解像度はあがったけれど、それでもみんなの疑問の在処は僕には不明だった。
いったい、みんななにを言っているんだ?
「そんなの、僕が大人で君たちが子供だからに決まってるだろ」
子ダヌキたちと、それから夕声を順番に見て、言った。
「だって、身内同然の子供が通ってる小学校に、変質者が出没してるかもしれないんだよ? そんな問題を笑って放置できる大人がどこにいるっていうんだ?」
そんなの当たり前だ、と僕は言い切る。
本当に、なんでそんなことをわざわざ聞くんだ?
僕が答えたあと、少しの間、夕声も子ダヌキたちもぽかんとして僕を見ていた。
ややあってから、子ダヌキの一人が動いた。
いつも他の二人の後をくっついている印象のある最年少にして紅一点の梅が、僕に歩み寄ってひしっと抱きついてきたのだ。
「ハチにいちゃん、すき」
「え?」
梅の突然の行動に戸惑っていると、
「おれも、あんちゃん好き」
「ぼくも」
残る松と竹も、口々に僕への好意を表明した。
「は? みんな、なんで急に」
狼狽える僕とその僕にまとわりつく子ダヌキたちを、夕声は黙って見つめていた。
彼女はひどく嬉しそうな表情を浮かべていた。
※
それから数時間後、僕と夕声は神社へと夜道を歩いていた。
寝落ちした子ダヌキたちを抱えて。
「おもい……」
あの後、どういうわけか子ダヌキたちは僕から離れようとしなかった。
夕声が「そろそろお暇するぞ」と声をかけても、まだあんちゃんと遊ぶ、ハチにいちゃんと一緒にいると言い張って聞かず、結局こうして電池が切れるまで我が家に居座り続けた。
「気持ちよさそうに寝ちゃって……タヌキが夜行性だって話はウソだったのか」
「こいつらは生まれた時から人の中で生きてるからな。人間が板についてるんだよ」
そう返事をした彼女の声は、なんだかやけに弾んでいた。
今夜はずっと、夕声はえらく機嫌がいいのだ。
彼女が質問して僕がそれに答えた、あのときから。
「僕、なにかおかしなこと言ったかな?」
隣を歩く夕声に、意を決して聞いた。
彼女の機嫌がいいのも、それに子ダヌキたちの突然の好感度アップも、そこに原因があるのは明白だった。
僕が問いかけると、夕声は小さく声を出して笑った。やっぱり嬉しそうに。
「言ったよ。でもあんたにはそれがわからないんだろ?」
「うん、さっぱりわからない」
そう答えると、夕声はさっきよりもさらに楽しそうに笑った。
「そこなんだよ、こいつらが嬉しかったのは。あんたは当たり前のようにこいつらを『身内の子供』って言ってくれたし、『だから僕が君たちを大事に思うのも当たり前だ』って、そう言ってくれたんだ」
「いや、だってそんなのは――」
「そんなのは当たり前、なんだろ? うん、あんたにとってはそうなんだろうさ。だからあんたには『自分はいい奴です』って鼻にかけたところが全然ないんだ。でもそれって、すごいことだと思うぞ? 人間だとか化生だとか関係なくさ」
あんたは『当たり前のいい奴』なんだ。そう言って夕声は肩肘で僕をつつく。
僕はといえば思いっきり照れて、たぶん真っ赤になっている。こう見えて僕はすぐに赤くなるタイプだ。
「それから、もう一つ」
「なに?」
「あんたはこいつらを、まるっきり人間の子供とおんなじに扱ってくれてるんだって、それがわかったから。こいつらのタヌキの姿まで見てるあんたがさ。……そんなの、嬉しいに決まってるよ」
なんだかしみじみと言って、それから夕声は続けた。
「あたし、こいつらがうらやましいな」
「うらやましい?」
うん、と言って、夕声は続けた。
「なぁハチ。もしもあたしがキツネの本性をさらしても、あんたはあたしを受け入れてくれるか?」
軽口の延長のような口調。だけど、軽口に見せかけたその問いかけには真剣な期待と不安がない交ぜになっていると、僕にはそう感じられた。
だから、僕も真剣に考えて、それから言った。
「わかんないな。だって、僕はまだ君のキツネの姿を見てないもん。ということで、そろそろ一度見せてくんない?」
イエスともノーとも答えず、僕はそう言った。
それが正しい返事だったのかどうかはわからない。
夕声は少しだけきょとんとした顔をしたあとで、今度はにんまりと笑みを広げて、次のように言った。
「スケベ」
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

30歳、魔法使いになりました。
本見りん
キャラ文芸
30歳の誕生日に魔法に目覚めた鞍馬花凛。
そして世間では『30歳直前の独身』が何者かに襲われる通り魔事件が多発していた。巻き込まれた花凛を助けたのは1人の青年。……彼も『魔法』を使っていた。
そんな時会社での揉め事があり実家に帰った花凛は、鞍馬家本家当主から呼び出され思わぬ事実を知らされる……。
ゆっくり更新です。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる