女化町の現代異類婚姻譚

東雲佑

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第一章 きつね火

3.オナバケの夕声

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 玄関のドアを開けると、訪問者は一人の女子高生だった。

 外見の描写は必要か?
 おそらくは必要だろう、と僕は判断する。

 まずは服装だけど、これは先にも記した通りジャージと制服の取り合わせという如実に身分を物語った代物(これで女子高生じゃなかったら逆にホラーだ)。
 髪は少しも脱色していない黒で、セミロングの長さのそれを頭の後ろの高い位置で束ねている。
 顔つきは年齢相応にあどけなく、目元には人懐っこさと勝気さが同居している。

 さて、ジャージのポケットに手を突っ込んだままで女子高生は言った。 

「あたし、オナバケの栗林夕声」

 必要と思われる前提情報の提示を一切省略した、名前だけの自己紹介だった。シンプルすぎて清々しくすらある。

「あ、そう……ええと、僕は、 椎葉しいば八郎太……」

 完全に面食らっていた僕は、ついつい相手のシンプル・イズ・ベストに倣った返事をしてしまう。
 それから慌てて「今日からこの家に住んでます」と付け加える。これだって状況に適した言葉だとは到底思えない。

 しかし、女子高生は当然のように言った。

「うん。知ってる」
「……は? 知ってる?」
「いや、名前までは知らなかったけど、今日引っ越してきたのは知ってる。だからこうやって会いに来たんだし」

 言って、女子高生は続けた。

「あんた、 日置ひおきさんの甥っ子だろ?」
「あ、うん」

 日置とは叔父の名字である。

「あたし、日置さんからあんたのことを頼まれてるんだ。いろいろ面倒見てやってくれって」
「は?」

 なんだそれ?

「ありゃま、その様子じゃなんにも聞いてないらしいな。いいよ、ゆっくり説明してやるよ、この夕声さんがさ。
 ええと、ハチロウタだっけ? 長いからハチでいいよな。なぁハチ、それピザだろ? 長くなるだろうから、食いながら話そうぜ」

 なんだかよくわからないけど、とにかくそういうことになった。なってしまった。



   ※



 リビングに通すと、女子高生は勝手知ったるという感じでテレビのリモコンを手に取った。勝手にチャンネルを変えて、勝手に音量を一上げる。
 それから、これも勝手にピザのパッケージを開けて、誰よりも早くひと切れ食べる。
 僕よりも先に。もちろん許可なんて出してない。

 さすがにこの傍若無人っぷりは目に余った。
 混乱も落ち着き始めていた僕は、とにかく一言言ってやろうとして……。

「にゃはは、あたしここのピザ好きなんだ。うーん、うんまい!」

 ……一言も言ってやれなかった。
 嬉しそうにサラミを味わい、楽しそうにチーズを伸ばしている彼女の表情が、あまりにも屈託くったくがなさすぎて。
 こんなにも裏表のない表情なんて、きっと生まれてこのかた見たことがなくて。
 文句を言う気なんて、完全に失せてしまった。

「このピザ屋、日置さんから教わったんだろう?」
「……あ、うん。さっき電話で。デリバリーの圏内だからって」
「だよな。日置さん、あたしたちにもよくご馳走してくれてたんだ。ああ、それでその日置さんだけどさ」

 言いながら彼女はふた切れ目に手を伸ばす。
 やれやれ、ようやく本題か。そう思いながら僕もひと切れ手に取った。少し冷めかけていたけど、まだ温かかった。

「ええと、あんたのおじさんが白鳥と結婚したのは知ってるよな?」

 一口かじったところでそう言われて、手も口も止まった。

「なんだよ。それも知らなかったのかよ」
「あの……栗林さん?」

 僕がそう呼びかけると、「夕声でいいよ」と彼女は言った。

「あんたのほうが年上だし、呼び捨てでいいよ」

 ガッコの友達はボイスとかジョーカーとか呼ぶから、なんならそっちでもいいよ、と彼女は付け足した。
 ボイスはそのまんまだとして、ジョーカーはどういう由来のあだ名なんだろう。

「じゃあ夕声……さん。……あの、白鳥って、あの白鳥?」

 頭の中に龍ケ崎市駅上り線の発車メロディが響いていた。
 三十羽あるいは四十羽が市内北西部に位置する牛久沼に生息しているという美しい水鳥に由来した選曲。
 白鳥の湖。

「その白鳥だよ。日置さんは牛久沼の白鳥と結婚したんだ。そんで何年かここで暮らしてたんだけど、ほら、関東って夏場の猛暑ヤバいだろ? 白鳥の奥さんには結構キツかったんだよ。ほら、奥さん一年中いるコブハクチョウじゃなくて冬に北から渡ってきたオオハクチョウだったからさ。だからふたりして北の方に引っ越してったの」

 なに言ってんだこいつ、と僕は思う。

「なに言ってんだこいつ」

 気付いたら声に出てた。

「失礼なヤツだな」

 女子高生……夕声は、少しだけムッとして言った。

「あんましオープンにされちゃいないけど、日置さんみたいに人間以外と結婚する人って昔も今も珍しくないんだよ。特に日本ではさ」

 ほら、昔話でも結構あるだろ、と夕声。
 それは、つまり、あれか?

「……異類婚姻譚?」
「お、よく知ってんな。そうそれ、イルイコンインタン。日置さんが言ってた通りだ。『甥はそういうのに理解があるんだ』って」

 確かに、こう見えて僕は民話や伝承には詳しいタイプだ。
 しかし、それと理解があるかどうかはまた別の話である。
 こんな荒唐無稽な話、誰がすんなり受け入れられるというのか。

「日置さんは奥さんと知り合う前からここらの妖怪変化と仲良くしててさ、若いサラリーマンと恋仲になった蛇女の恋愛相談とかも聞いてやったりしてたし。でも、まさか本人がイルイコンインタンの当事者になっちまうとは――」
「待て待て、待って! ちょ、ちょっとタンマ!」

 立て板に水と続く夕声の話を、どうにかこうにか遮る。
 ……このまま聞いてたら頭がおかしくなる。

「あまりにもツッコミどころが多過ぎる……。だいたい、今の話が全部事実で現実だとして、君の立場はなんなんだ? 君みたいな女子高生が、いったい叔父とどういう……」
「あたしはここらの化生けしょうどもの、まぁ連絡役みたいなもんだよ」

 彼女はあっさりとそう答えた。
 化生……? 妖怪、あやかし、魑魅魍魎とか、ああいうの……?

「あたしは近所にある神社で世話になってんだけど、そこの管理下にある森が化生どもの溜まり場でさ。で、さっきも言った通り日置さんはそういう連中と仲良くしてたから。人間のくせにタヌキたちの酒盛りにしょっちゅう顔だして――っておい、お前また『なに言ってんだこいつ?』って思ってるだろ」

 いかん、顔に出てたらしい。
 いや、でもだって仕方ないじゃん。

「まぁいいけどさ。いきなり信じろって言っても無理なのわかるし」
「……いやまぁ、信じたよ」
「まじか!」
「まじだよ」
「わーい、やったね! 流石のあたしの説得力ってところだな!」

 夕声は実に全身で喜びを表現した。わーいって言って喜ぶ人を初めて見た僕である。

「それじゃ、ここまででなんか質問とかあるか?」
「んーと……君って何歳? 高校何年生?」
「……? 来月の四月で十七歳で、同じく四月に高二だけど……」

 へえぇ、かなり限界まで遅生まれなんだなぁ。早生まれの僕には羨ましい。

「おい、それがなんなんだよ?」
「いや、ということは、今は十六歳の高校一年生なんだなって」
「そだよ?」
「うん。十六歳で高一なら、中二病を引きずっててもギリギリセーフだね。春休みのうちに出来るだけ治した方がいいとは思うけど」
「うん……ん?

 ……あっ! もしかしてあんた、ホントはあたしの話を少しも、一ミリも信じてないだろ!?」

 当たり前だ。信じろという方が無理である。
 僕は彼女の手を引いて立ち上がらせると、残りのピザを半ば押し付けるように持たせて、リビングの外に連行する。

 今夜語られた内容の中で僕にとって一番重要だったのは、彼女が『十六歳の高校一年生』だということだった。
 もう夜の八時をすぎてるのにJKが(それもJK一年生が)一人暮らしの男の家にいるのは、こう、なんかまずい。なんか由々しい。
 そう、具体的には事案になりかねないのだ。不埒ふらちな男が未成年をかどわかした系の。

 事案は困る。事案は嫌だ。
 だから、お引き取りいただくのである。

「このっ! いいか、あたしは日置さんにあんたを頼まれたんだからな!」

 だから、また来るからな! と彼女は言った。
 もう来ないでくれ、と僕は思った。

 さて、さんざん喚いていた夕声だったけれど、玄関にたどり着く頃にはすっかり大人しくなっていた。
 彼女のイメージにぴったりの活発な色合いのスニーカーに踵を入れながら、そういやさ、と夕声は言った。

「そういやさ、この家の鍵、むちゃくちゃわかりやすい場所にあったろ?」
「ああ……」

 玄関ドアにガムテープで貼り付けられた鍵を思い出す。……思い出すたびに頭が痛くなる。

「日置さん、人間のくせに時々とんでもない真似するからな。でもあれが盗まれなかったのはさ、ここらに住んでるタヌキどもが見張ってくれてたからなんだぞ」

 怪しい奴が来たら警官に化けて話しかけたりしてさ、感謝しとけよ、と夕声。
 僕はため息をついた。この子の病状は相当重篤じゅうとくらしい。

 それから、ふと思いついて言ってみた。

「もしかして、君の正体もタヌキだったりするのか? それとも白鳥?」

 冗談半分、皮肉半分のつもりだった。
 僕のこの皮肉に、しかし夕声は楽しそうに笑って言った。

「あはは、ハチって面白いこと言うな。あんた、このあたしがタヌキや白鳥に見えるか?」

 見えない、と僕は言った。YESが返って来なかったことに、少しだけ安堵しながら。
 しかし『昔側』の玄関から出ていくとき、夕声はとんでもない台詞を口にした。

「だろ? だってあたしはキツネだもん」

 僕は脱力してその場にへたり込んだ。
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