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「あなた、怒らないんですの? どう考えたって、不敬罪に当たりますのに」
「そ、そ、それ、それ、それは……」

 ダミアンは何か言おうとして……けれどうまく言えず、黙り込んだ。

 その顔から滲み出る苦渋は、きっと彼がこうして言うのをやめた言葉が一つや二つではないということを如実に語っている。

(……気の毒ですわ)

 レイチェルの中に、同情が生まれ始めていた。王子という、常人より遥かに恵まれた立場でありながら、彼はきっとその幸運をうまく享受できていないのだろう。まるで昔のレイチェルのように。

(いえ、苦しいことも多かったけれど、わたくしの方が遥かに公爵令嬢生活を楽しんでいましたわ。それと比べてしまうのは、彼に失礼かもしれない……)

 レイチェルは辺りを見渡した。喋るのがだめなら、筆記はどうだろう。先ほど見た机の上に、羽ペンがあったはずだ。

「あっ、ありましたわ」

 目当てのものを見つけ、嬉々として文机に歩み寄る。それからふと、羽ペンのそばに開かれている小さな手帳に目が吸い寄せられた。開かれた頁は、びっしりと手書きの文字やら記号やらで埋め尽くされていたのだ。

「あら?」
「あっ」

 レイチェルが本を覗き込むと、ダミアンは小さく声を上げた。

 どうやらこれは彼が書いたものらしい。十五歳とは思えぬ、流れるような美しい字。ついつい魅了され、個人的な手帳であることも忘れてレイチェルは中身を読もうとした。

「あ、あ、ああ、あの、あの!」

 とたん、ドタドタと体を揺すりながら、顔を真っ赤にしたダミアンが走ってくる。そこでレイチェルはやっと手帳から目を離した。

「ごめんなさい! わたくしったらつい……。それにしてもあなた、字がとても綺麗ですのね。先生の書くお手本のようだわ」

 感心して褒めれば、彼は首を横に振り、困ったように口元をもにゅもにゅと動かす。

「ね、何か他に書ける端切れはないかしら。あなたの気持ちを紙に書いてくれればいいと思うのよ」

 手帳はあるが、それは彼の大事なものだろう。流石に使わせるわけにはいかない――と考えていたのに、肝心の本人は、なんとためらうことなくサラサラと手帳にペンを走らせ始めた。

「あっ! それを使っていいんですの?」

 戸惑うレイチェルを尻目に、彼は手帳をヌッと突き出す。

『ここに書く』

「……まあ、あなたがいいのなら、わたくしは構いませんけれど」

 レイチェルが言えば、ダミアンはコクリと頷いた。それからすぐにまた何かを書いて、目の前に突き出してくる。

『先程のことだけど、君が身代わりだとしても、僕は怒らない。何故なら僕には資格がないからだ』
「資格がないってどう言うことですの? ……まさかあなたも身代わり?」

 その答えに彼は面食らったようだった。ブンブンと首を振ってから、慌ててペンを走らせる。

『違う。僕は本物だ。でも見ての通り、醜い上にまともに喋ることもできない、“できそこない”なんだ』
「つまり……あなたは“できそこない”だから、家臣が身代わりの娘を寄越してきてもしょうがないと、受け入れるおつもりなのね?」

 問いかければ、そうだとでも言いたげにダミアンが憮然とした顔でうなずく。
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