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「お前だな。この村にいる、平民らしからぬ娘というのは」

 うららかな陽が昇る、よく晴れた日の昼。レイチェルの働く飯屋に、一目で貴族とわかる豪奢な服を着た男がやってきた。

 蛇のように鋭く冷たい眼をした壮年の男は、入るなりレイチェルに詰め寄り、上から下までじっとりとした視線で舐めまわす。

(何ですのこの方。貴族なら女性を不躾に見ることがどれほど失礼なのか、当然知っているでしょうに)

 後から知ったことだが、貴族男性の中には平民女性を人間だと思っていない人も多いらしい。この男がそうだった。

「――確かに瓜二つだな。それに、身のこなしには淑女のような気品もある。よかろう、ついてこい。今日からお前は私の娘“クリスティーナ”だ。いいな?」
「いえ、全然良くありませんわ。わたくしはレイチェルよ。あなたの娘では――」

 反論しかけたところで、男の大きな手にガッと顔を掴まれる。すぐさま村の男たちが立ち上がったが、連れの護衛達が素早く剣を抜いて牽制した。

。拒否は許さん」
「な、ん……!」

 両頬に食い込む指が痛い。レイチェルが男の腕を叩くとようやく離してくれたが、その瞳は冷たく、一言も彼女の反論を許していないのがわかる。

。私には、お前やお前の両親を潰すことぐらい、簡単にできるんだ。――だが大人しくついてくれば、両親の面倒は見てやろう。聞くところによると、定期的に薬が必要なんだろう?」

 母のことを出されて、レイチェルは黙るしかなかった。この男、腹立たしいことにちゃんと弱点を調べ上げていたらしい。

「今日の夜に迎えをよこす。いいか、決して逃げるでないぞ。もし逃げたら必ず探し出して、死んだ方がマシだと思う目に遭わせるからな」

 ギラギラと底光りする瞳を見ながらレイチェルはコクコクと頷いた。この男は本気だ。なら、今は決して逆らってはいけない。いつか必ず逃げ出すチャンスはあるのだから、と自分に言い聞かせながら。

 それからレイチェルは慌てて自宅に帰り、父と母に事情を説明した。二人ともひどく怒って一緒に逃げようと言ってくれたが、それはできない。あの男はきっと言葉通り、地の果てまで追いかけてくるだろう。悔しくとも素直に従った方が、少なくとも両親は守れるはずだ。

「いつか必ず帰るから、待っていて……」

 レイチェルには、そう言うのがやっとだった。
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