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もうひとりの人魚姫
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「情けない話しだが……」
ヤツはガラスの戸を背に寄りかかりながらポツリと口にする。
「私はお前にコンプレックスを抱いていたんだ」
いきなり投げかけられた言葉に驚きながら向かい合う形で立ち尽くす。
「……なあ、弘樹。私は橘川家の婿養子だったんだ」
自嘲気味に笑うヤツは今までのことを語り始めた。
俺の知らない、過去の話だ。
ヤツは元々橘川の社員だった。そこで社長の娘とは知らずに母親の波子と出会ってしまった。
俺のじーさんに当たる社長に母親との仲を認めてもらうため必死でがんばり、ようやく付き合いが認められ結婚に至った。
その条件として婿養子になること。そして常に社長の補佐役として存在することだった。
母親と幸せになれるのならそれでも良かったと思っていたつもりだった。
ところが社長は会社のみならず、家庭でもその地位を強要した。自分が一番。娘が二番。ヤツは一番下だと。
婿養子のヤツは従うのみだった。母親はそんなヤツをいつも哀れんでいたらしい。
しばらくして俺が生まれ、社長が会長として引退を表明した。そして次期社長としてヤツが任命された。
やっと本当に認められたと両親は喜んだ。
これからは肩身の狭い思いをせずに堂々としてられるんだと。
実はそれがとてつもない勘違いだった。実質、会社の経営はヤツが動かしていたが、決定権は母親に与えてられていた。
しかも俺が生まれたことにより、もっと父親は蔑まされていたと気づく。
現役を退いたとはいえ、その時には会長は血の繋がった孫を跡取りとして既に遺言を作っていたという。
俺が成人するまでは全ての権利を母親が所持し、ヤツは結局は補佐役として存在し、その地位から抜け出すことなく使命を果たすように、と。
じーさんが亡くなったあと、その事実を知った時からヤツはおかしくなったという。
重圧な存在が消えても呪縛からは逃れることは出来ずに従うしかないという現実に。
どんなにあがいても頑張っても苦しい以外に何の見返りもないことに。
そのせいで家庭を顧みることはなくなり、ただ橘川の歯車として生きるのが苦痛になっていた。
それでも母親は変わることなく父親を慕っていた。だけどヤツは自分の上にいる存在としてしか見れなくなっていた。
家で待っていようとも慰めの言葉を掛けられても聞く耳持たずという訳だ。
そして、あの日が来た。
元々体の弱かった母親が睡眠薬を多用したらしい。
息を引き取る間際にヤツに向かって『あなたの願いを叶えられて良かった。弘樹を宜しくね』と微笑んで逝ったらしい。
母親が死んだ時は儚すぎて覚えていない。
あまりにも突然で眠ってるように死んでいたから。
「……波子がいなくなって気づいた。ようやく私の望んでいたものが手に入ったんだと。だが、こんな風に手に入れたかったわけでもなく、ましてや嬉しくも何ともなかった。……バカだった。波子は自らを犠牲にして私のために死んだんだ、と」
目頭を押さえながらヤツは一呼吸つく。
俺は呆然としたまま聞いていた。
「波子を忘れるため必死で働いた。それに会長の呪縛と波子の思い出が詰まった家には近づきたくなかった。バカな私はその2つの要素を持ったお前を見るのも苦痛で仕方がなかった。再婚することによりお前を押し付けたんだ。あの元秘書に……」
二番目の母親だった。
俺が小1から小5までの母親代わりの若い女だった。
結局、家のことを放棄し、散財するようになったため別れた母親だ。
「……もう私には会社を大きくすることしか考えられなくなっていた。会長を越えたいという気持ちと波子に酬いたいという気持ちとで。会社を軌道に乗せ、弘樹を立派な後継者として育てていかなければならないと。そして守っていかなきゃいけないんだと。波子が残したもの全てを。引き継いでもらってこそ意味があるんだと」
ヤツの瞳がかっと見開く。
「そんな時、あの女に出会ったんだ。再婚することによりさらに会社が大きく出来るチャンスだった」
そう言った後、頭をうな垂れる。
それは過ちだったと。
確かに会社を大きくする事は成功したがその裏では着実に乗っ取りの計画が進行されていた。
事業に夢中になっていたヤツはそのことに気づくのが遅かったらしい。
「波子が生きてた頃、何もかも無くなればいいと思っていたが、弘樹が事故に遭った時焦った。お前まで死んでしまったら私はどうすればいいんだ? その出来事で私はようやく素直に自分と向き合えた。そして家と会社を守るため走り回った」
それなのにあの女の方がうわ手であらゆるところに手を回していて絶望的な状態まで追い詰めていた。
諦めかけてたその時、会長の知り合いが手を差し伸べてきたという。
その相手とはじーさんがヤツ以外に母親と結婚させたかった人物らしい。
援助を約束する代わりに条件としてその娘と俺を結婚させること。昔果たせなかった願いを娘に託すためにと。
これで家も会社も何とかなるかもしれないと俺を探し回り、突き止めた。
そして知夏の病室に脇目も振らず飛び込んできた結果があれだ。
全てをぶちまけたらしいヤツはすっきりとした顔になっていた。
俺は初めてヤツが父親としての本当の姿を見せた気がした。
ヤツはガラスの戸を背に寄りかかりながらポツリと口にする。
「私はお前にコンプレックスを抱いていたんだ」
いきなり投げかけられた言葉に驚きながら向かい合う形で立ち尽くす。
「……なあ、弘樹。私は橘川家の婿養子だったんだ」
自嘲気味に笑うヤツは今までのことを語り始めた。
俺の知らない、過去の話だ。
ヤツは元々橘川の社員だった。そこで社長の娘とは知らずに母親の波子と出会ってしまった。
俺のじーさんに当たる社長に母親との仲を認めてもらうため必死でがんばり、ようやく付き合いが認められ結婚に至った。
その条件として婿養子になること。そして常に社長の補佐役として存在することだった。
母親と幸せになれるのならそれでも良かったと思っていたつもりだった。
ところが社長は会社のみならず、家庭でもその地位を強要した。自分が一番。娘が二番。ヤツは一番下だと。
婿養子のヤツは従うのみだった。母親はそんなヤツをいつも哀れんでいたらしい。
しばらくして俺が生まれ、社長が会長として引退を表明した。そして次期社長としてヤツが任命された。
やっと本当に認められたと両親は喜んだ。
これからは肩身の狭い思いをせずに堂々としてられるんだと。
実はそれがとてつもない勘違いだった。実質、会社の経営はヤツが動かしていたが、決定権は母親に与えてられていた。
しかも俺が生まれたことにより、もっと父親は蔑まされていたと気づく。
現役を退いたとはいえ、その時には会長は血の繋がった孫を跡取りとして既に遺言を作っていたという。
俺が成人するまでは全ての権利を母親が所持し、ヤツは結局は補佐役として存在し、その地位から抜け出すことなく使命を果たすように、と。
じーさんが亡くなったあと、その事実を知った時からヤツはおかしくなったという。
重圧な存在が消えても呪縛からは逃れることは出来ずに従うしかないという現実に。
どんなにあがいても頑張っても苦しい以外に何の見返りもないことに。
そのせいで家庭を顧みることはなくなり、ただ橘川の歯車として生きるのが苦痛になっていた。
それでも母親は変わることなく父親を慕っていた。だけどヤツは自分の上にいる存在としてしか見れなくなっていた。
家で待っていようとも慰めの言葉を掛けられても聞く耳持たずという訳だ。
そして、あの日が来た。
元々体の弱かった母親が睡眠薬を多用したらしい。
息を引き取る間際にヤツに向かって『あなたの願いを叶えられて良かった。弘樹を宜しくね』と微笑んで逝ったらしい。
母親が死んだ時は儚すぎて覚えていない。
あまりにも突然で眠ってるように死んでいたから。
「……波子がいなくなって気づいた。ようやく私の望んでいたものが手に入ったんだと。だが、こんな風に手に入れたかったわけでもなく、ましてや嬉しくも何ともなかった。……バカだった。波子は自らを犠牲にして私のために死んだんだ、と」
目頭を押さえながらヤツは一呼吸つく。
俺は呆然としたまま聞いていた。
「波子を忘れるため必死で働いた。それに会長の呪縛と波子の思い出が詰まった家には近づきたくなかった。バカな私はその2つの要素を持ったお前を見るのも苦痛で仕方がなかった。再婚することによりお前を押し付けたんだ。あの元秘書に……」
二番目の母親だった。
俺が小1から小5までの母親代わりの若い女だった。
結局、家のことを放棄し、散財するようになったため別れた母親だ。
「……もう私には会社を大きくすることしか考えられなくなっていた。会長を越えたいという気持ちと波子に酬いたいという気持ちとで。会社を軌道に乗せ、弘樹を立派な後継者として育てていかなければならないと。そして守っていかなきゃいけないんだと。波子が残したもの全てを。引き継いでもらってこそ意味があるんだと」
ヤツの瞳がかっと見開く。
「そんな時、あの女に出会ったんだ。再婚することによりさらに会社が大きく出来るチャンスだった」
そう言った後、頭をうな垂れる。
それは過ちだったと。
確かに会社を大きくする事は成功したがその裏では着実に乗っ取りの計画が進行されていた。
事業に夢中になっていたヤツはそのことに気づくのが遅かったらしい。
「波子が生きてた頃、何もかも無くなればいいと思っていたが、弘樹が事故に遭った時焦った。お前まで死んでしまったら私はどうすればいいんだ? その出来事で私はようやく素直に自分と向き合えた。そして家と会社を守るため走り回った」
それなのにあの女の方がうわ手であらゆるところに手を回していて絶望的な状態まで追い詰めていた。
諦めかけてたその時、会長の知り合いが手を差し伸べてきたという。
その相手とはじーさんがヤツ以外に母親と結婚させたかった人物らしい。
援助を約束する代わりに条件としてその娘と俺を結婚させること。昔果たせなかった願いを娘に託すためにと。
これで家も会社も何とかなるかもしれないと俺を探し回り、突き止めた。
そして知夏の病室に脇目も振らず飛び込んできた結果があれだ。
全てをぶちまけたらしいヤツはすっきりとした顔になっていた。
俺は初めてヤツが父親としての本当の姿を見せた気がした。
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