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八章

2 貪食の王

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 深夜美みやびと闘った疲労に潰されて膝を折る鎮神しずかたちの周りに、
ヒビシュと化した島民たちが集まってくる。

 ゾンビ映画さながらの眺めも恐ろしいが、荒津楼夫たかおの関与も衝撃的だった。

 深夜美が倒れてすぐ、楼夫がこの場に駆け付けたかと思うと深夜美を抱えて逃げ、
追いかけようとしたものの辺りから集まって来たヒビシュたちに行く手を阻まれることとなった。

 深夜美に重傷を負わせ、彼が超能力を展開できなくなったにも関わらず、
ヒビシュが命令を受けたかのように襲い掛かってくる。

 つまり灯台の周りからヒビシュを散開させるには、深夜美ではなく楼夫を倒す必要があったのかもしれない。
 楼夫が怪物たちの司令塔とするのが、不可解だが最も自然な推測だった。


 加護を用いるには体力が底をついていて、辺りには倉庫が破壊された時に散らばった物があるものの、
武器として使えそうな物は全て深夜美に対して投げきってしまった。

 鎮神、路加ろかまどか与半よはんの四人は近くの民家まで逃げて来て、
掃き出し窓や勝手口までいちいち探し出して施錠していてはその間に侵入されかねないので、
一階は捨てて二階の一室に籠る。

 施錠すると同時に、廊下側から扉が殴りつけられる。

 ほとんどのヒビシュが屋内まで追いかけて来て外ががら空きになっていれば、庭から地上に飛び降りようとも考えたが、
人を追跡するほどの知性が無いことが祟り、外にも多くのヒビシュが蠢いていた。


「っ……やばい、囲まれた……」
 呟いた団の呼気は、弱々しい笛のような音をあげている。

真祈まきさんは大丈夫なのかな……」
 団の背を擦りながら、鎮神が心配げに漏らした時、轟音が響いた。

 重々しい破壊音と共に、家屋が激しく揺れて床が少し傾くのを感じる。

「乗って!」
 その声は真祈のものだった。

 外を見ると、地面から無数の蔦が生えてきてヒビシュたちを絡め取っていた。
 真祈が雷を撃ち込んで植物を生み出したのだ。

 しかし雷に巻き込まれた家は一角が完全に崩壊し、鎮神たちが隠れている部屋まで攻撃が及んでいる。
 味方に直撃しなかったのは運の良い偶然でしかない。

 当の真祈はトラックでヒビシュの群れに突っ込んで来て、悪びれる様子もなくこちらを見上げていた。
 
 まだ病を得たように熱を持ち震えている体を引きずって、
窓を乗り越えて庇に移ると、そこからトラックの荷台へ飛び降りた。

 四人分の重みを荷台に受け止めたところで、トラックは発進する。


 深夜美が作りだした荒野が、戦場が遠ざかっていく。

 最後まで振り向いてそれを見つめていたのは与半だったが、やがて荒野は集落の影に隠れてしまった。



 島を南下し、神門かむとの商店街で車は停まる。
 真祈が出て来て、荷台でまだぐったりしている四人に話しかけてきた。
「どうにかご無事のようですね」
「まあ……一応」
 最後の最後で真祈に殺されかけたが、他にやりようも無かっただろうから仕方ない、と皆そのことについては黙っておいた。


「しかし、なんで荒津が化け物どもの頭なんてやってやがる……。
 しかもあいつがヒビシュになってないってことは、人外の血を取り入れたということでいいんですよね?」
 忌々しげに与半が問うた。

「そう考えて間違いないでしょう。
 アサルルヒの本質はあくまでも身体に呪いを溜めることで、他者に超能力を付与するような力は無い。
 蠱毒によりそういう能力を発現していたのなら、
ウトゥの加護を無効化できる者を作りだして投入するなど、活用方法は多い。
 私たちが勝てるはずがない」
 答える真祈の横で、路加が声を上げる。
「つまり……私たちと同じ……」
「おそらくは。
 宇津僚家は安荒寿のみならず、
血液さえも深夜美さんに盗まれたのです」

「それなら心当たりあるかも……」
 鎮神は頭を抱えた。
 思い出されるのは、まだ深夜美が野望を胸に現れたなどと知る由も無かった、ある森の朝。
「おれが指を切った時、深夜美さんに血を舐めとられたことがありました。
 あの時……」
「なるほど。
 深夜美さんを媒介に荒津さんもその血を摂取し、
自らの願いからあの能力を発現させたのですね」

「気にすることないよ、鎮神から血を奪わなくても、
深夜美なら誰からでもなんとしてでも血を奪っただろうから」
 苦々しい顔をしている鎮神に団が言う。

「ええ……でもどうして荒津さんがあちらに付いたんだろう。
 冥府の王ともあろう人が」
 そう言った鎮神の背後で、与半たちが何やら引っかかりを感じているような気配があった。

 一方で真祈にそんな様子は無い。

 異なる反応に挟まれた鎮神はおずおずと振り向く。

「王って、荒津が?」
 怪訝そうに与半が訊いてくる。
 咄嗟に声が出て来ず、鎮神は頷きだけを返した。

「そんなの聞いたこと無いよ。
 むしろ、死の国の番人だから近付くなって、関わると冥界に引きずられるからって……
そう代々教わってきたんだ。
 ですよね、真祈様」
 団が、幼い頃から両親に教えられていたことを、無邪気に復唱する。
 与半と路加も同じ認識のようであった。

 しかし真祈は頭を振る。
「荒津様は征服者の長、それが罪を償うために転じて冥府の王の責務を負うこととなったのです。
 黒頭を代表し、空磯からいそが来たるその日まで死者に眠りを与える司祭。
 死神ではなく、あくまでも人の王です。
 冥界へ引きずるような力などありませんよ」

 宇津僚家、とりわけ島の歴史を研究している真祈と、島民たちとの間に、
荒津について認識のずれがあるようだった。

 反論しているとはいえ、真祈は知っていることを述べただけであって、『真実』を押し付けて与半たちを説き伏せたいわけでもない。
 どちらの主張が正しいか、などは些事だ。

「荒津家が島中から避けられてたってことですか……? 
 何代にもわたって?」
 声を震わせながら鎮神が言う。

 問題は、荒津家に二ツ河島の人々がどう接してきたかだ。
 
 出会ったその日、長屋門から島を見下ろしながら、
荒津は宗教的に重要な一族だと、真祈は教えてくれた。
 その時に感じた、真祈から荒津家への敬意――それが丸っきり反転してしまったかのように、人々は荒津家を軽んじている。
 もしかすると、反転という見方はさほど外れてはいないのかもしれない。
 為政者から受けた敬意のぶんだけ、他の住民からは妬みを浴びた。
 それだけのことで言い伝えは歪んでしまったのだろう。

「艶子様や淳一様、さらにその前の代の方々も、荒津に深く関わりたがっていないように見えたから……
そういうものなのかと思っていました」
 路加は困惑しきっている。
 もしかしたら無自覚のうちに、楼夫にずいぶん酷いことをしていたのではないか。
 過去の自分が誅罰となって追いかけてくるようで、急に恐ろしさが募る。


「私には、荒津様が周囲から遠ざけられているようには見えていませんでした。
 かといって特別愛されているようにも見えていなかった。
 そして私は、負の感情を観測することが出来ない。
 つまりそういうことなのでしょう」
 荒津への迫害は、悪意が生み出した現象なのだと、
きっかり半分に欠けた真祈の心は証明してしまう。

 王を疎外するという不合理を真祈が止められなかったのは、
慣習に疑問を持つことなく従い続ける怠惰や他者への妬みといったものを、
そしてそれを動機として表出する無形の暴力をそもそも認識できていなかったからなのだ。

 かといって、人間的な感性を持つ艶子や淳一にも、迫害を止めることは出来なかった。
 彼らは怠惰を知っていた。

 この島の歴史が、それを紡ぐ人々が、幾奥の刃となって荒津の心を殺し続けていたのだ。
 きっと楼夫は二ツ河島を、世界を、救いを与えてはくれない神を憎んだだろう。
 壊せるものなら壊してやりたいほど。


「荒津さんが深夜美さんに付くのも当然か……。
 たとえ利用することが目的だったとしても、
荒津さんの心を開くことが出来たのは深夜美さんだけだったって事実に変わりは無いですから」
 でも、と鎮神は続ける。
「一度敵対したからもう対話しないなんてことにはしたくない、と思います」

 誰もそれに反対しようとはしなかった。
 与半、路加、団には、無自覚であったとはいえ楼夫を追い詰めていたことへの悔恨が芽生えていた。

 真祈は、今の話をどこまで理解できているのかは怪しいものだが、
鎮神が考えて出した結論を認めてくれているのだろう。

「深夜美さんは、まだ生きている。
 刻が来るまで、深夜美さんは力の回復に努めるでしょう。
 仕掛けてくる可能性は低い。
 それまでは皆様も休まれた方がいい」
 真祈は月と金星を見上げながら告げた。

「その、刻っていうのは?」
 路加がすかさず訊ねると、詩祈山に目を遣りながら真祈は答える。
「帝雨荼の復活――深夜美さん自身の言葉を借りれば、
彼が神の怒りを喰らって最強の呪物となる時、です」
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