蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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五章

14 真祈から鎮神への挑戦

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 日付が変わっても眠れず、鎮神しずかは東屋に出ていた。
 

 真祈まきが解剖した有沙は、内側から体を溶かされて死んでいた
――苦しみを紛らわせるために噛んだであろう木片が腔内に大量に突き刺さっているのが、その死の壮絶さを物語っていた。

 感情が希薄な真祈とは別種の、悪意からくる残虐さを、かおの無い下手人からは感じる。

 そこまでされるような恨みを彼女は買っていたのだろうか。
 もし、犯人が恨んでいたのが有沙個人ではなく、もっと大きいカテゴリ、例えば二ツ河ふたつがわ島や人間であれば、これからも同じようなことは起こりかねない。
 
 そこまで考えてから、自身の発想に寒気を覚えた。
 この身に通う異形の血への恐怖、劣等感が、当然のように繁栄を享受する人間への憎悪に転じることは全く無かったと、言いきれるだろうか。
 己が無実は、自分が一番知っているはずなのに、なぜか胸が苦しい。


 視界の端に、萌黄色の光が灯った。
 月の光を受けた真祈が履物をつっかけて庭へ出て来ていた。

 手にティーカップの乗った盆を持っており、東屋へ近付いて来る。
「寝つきが悪いのなら、白湯を飲むといいですよ。
 いくら熱帯夜でも、内臓が冷えていては眠れませんからね。
 はい、結構熱いから気を付けて……」
 真祈はテーブル越しにティーカップを差し出してきた。

 しかし言ったそばから、真祈の方がテーブルの脚に躓いて、カップの中身を鎮神にぶちまけた。
 熱湯を頭から浴びた、と思い鎮神は身を固くするが、実際に降ってきたものは冷たかった。

「めっ、めちゃくちゃじゃないですか……
 気を付けてって言いながら躓くし、熱いとか言っておきながら白湯は冷めてるし……」
「すみません、鎮神を試しました。
 それはただの水です」
 真祈は用意していたらしきタオルハンカチを渡してきた。

「鎮神の念動は、液体を動かすことができるのか。
 それを知りたかったのです」
「液体って……例えば、酸とか?」
 真祈が目線で肯定したことで、鎮神も全てを察した。
 真祈は、鎮神が有沙を殺した犯人かどうかを試し、たった今容疑者から外したのだ。

「おれが念動で干渉できるのは固体だけ。
 一度にたくさんの物を動かすとか、重い物を動かすとかは、かなり集中しないと不可能です。
 生き物にも多少効きますけど、身体の一部を掴むくらいしか出来ない。
 あとテレポートっていうのかな、密閉された空間に物を移すとか、目視できないほど遠くにある物を移すとか、そういうのは全く無理みたいです」
 冷水を拭いながら、鎮神は自分の能力について分かっていることを説明した。

「なるほど。ウトゥ神の加護による能力は一人に一つ。
 私は鎮神の能力を見たことがありますし、ここまで手の内を明かされたのならば疑うわけにもいきませんね」
 鎮神を疑わなくて済むことを、真祈は特別喜んでくれているだろうか。
 きっと真祈にとっては、監視対象が一人減ったというだけなのだろう。

 有沙の死を悲しむ様子も無く、個人的な目的も無く、ただカルーの民の遺伝子が導くままに、どれだけ傷つくかも分からない戦いに真祈は身を投じていく。

「今は潮路加ろかさんの現場検証の結果を待ちましょう。
 私がうろつくと目立ちますし、こちらはこちらでやることがある」
「やることって?」
「そのうち鎮神にも声をかけます。
 それより今度こそ温かいお茶を淹れますので、一緒にどうですか」
「じゃあ、いただきます……」
 髪の水分を絞りながら答えた。

 星が映る澄んだ池、その上の橋を渡って二人は東屋を出て、住人の一人減ってしまった母屋へ帰って行った。




 楼夫たかおの目前で、刃を失ったナイフのグリップだけがどんどん腐れ落ちていき、やがて無へと還る。
 それを見届け、深夜美みやびはほくそ笑んだ。

 ナイフの持ち主は、つい先日、無残な姿でここ荒鏤あらるに運ばれて来た有沙であった。
 彼女が深夜美に抱いた恐怖心や憎悪が、深夜美に腐食や酸を司る呪力を与え、彼女自身を滅ぼしたのだ。

 楼夫にとっては、深夜美を追い込もうとした者がどのような末路を辿ろうと知ったことではない。
 ただ深夜美が無事であったことを喜び、その呪力の成長を祝った。

「真祈が島中に私のやったことを触れ回ってくれれば、余所者の私は皆から疑われ、恐怖を集められたのかもしれないが……
 さすが真祈、そう上手くは利用されてくれないか」
 手ごわい相手のことを想って、深夜美は肩を竦めた。

「貴方の力は既に逃れようのない凶悪な奇跡です。
 深夜美様こそ神殺しにふさわしい」
 恍惚と楼夫が言うと、深夜美は苦笑しながら、楼夫が腰掛ける寝台に振り向いた。
「まだ駄目だ。
 カルーの民の血はアサルルヒやルルーの民の呪力を打ち消す力がある。
 その上、彼らが私に近付いても奴らの加護が弱まることは無い。
 ただの人間であれば血を酸に変えてやることも出来たが、カルーの民にそれは通用しないと本能で分かる。
 精神が不安定な時の艶子に対して簡単な暗示をかけるくらいならば出来た。
 しかしあの真祈を相手にするなら、単なる力比べでは勝てないと考えるべきだ」
 自らの劣った点を語りながらも、深夜美の口角は上がっていた。
「しかし、それならば力比べ以外のところで勝てばいいだけの話だ。
 神殺しの副産物、神でさえ御せぬ軍勢。私はそれを利用する。
 そのために安荒寿あらずを盗んだのだから。
 そして、楼夫が軍勢の司令塔になってくれればどんなに頼もしいか、とも考えている」
「その軍勢って……まさか」

 二ツ河島に染み込んだ血の歴史。
 人の王が冥府の王となり、楼夫の運命までをも決めた戦いの物語が思い出される。

「私は呪力の邪魔にならない程度に、しかしその特性は受け継がれるよう、宇津僚の血を体内に取り入れた。
 この血は貴方を囚人でも冥府の王でもない、我が剣へと変える――楼夫が望むのならば。
 しかし決戦においては、大剣さえ我が炎のたきぎとしてべられるだろう。
 否と言うならば追わない。本当に、私と共に来るか?」
 堕落へ誘う芝居がかった言葉は、きちんと逃げ道も与えてくれている。

「もちろんです。この身朽ちても、私は永遠にお側に」
 そんな深夜美だからこそ、楼夫は付いて行くのだ。

「では、血を拝領しろ。
 口の中だから目立たないし治りが早いとはいえ、母の似姿たるこの身を手ずから傷つけてやるのだ、有難く思うがいい」
 その言葉の意味を悟った楼夫は深夜美を膝の上に迎え、唇を重ねた。
 蛇の肌のように冷たく柔らかな深夜美の舌が楼夫の腔内に伸べられ、同時に鉄の匂いが鼻を抜けて行く。
 酸の能力で自らの舌を傷つけたのだろう。
 母にそっくりの容姿に傷がつくことは、深夜美が何より嫌うことであるにも関わらず、そこまでして楼夫を求めてくれている。
 
 赤き騎士の大剣となることを願いながら生温い血を呑み下せば、アサルルヒの血に混じって、カルーの民の神聖な血が流れ込んでくる。
 『メ』が身体の中で小さな開闢かいびゃくもたらし、生体を創り変えていく。
 体のどこかが確実に人間を逸脱し、宇宙へと接続された感覚があった。

 カルーの民の血の力はこんな少量でも凄まじい神秘を持っている。
 それに比べて、同じ人外でもアサルルヒの血の、なんと空疎なことか。
 しかし楼夫にとって好ましいのは、やはり、深夜美が受け継ぐアサルルヒの血の方であった。
 弱いものが強大なものを裏から蚕食していく。その在り方は、楼夫一人だけでは見られなかった夢。


「なにもかも踏み躙り、私たちは悪の栄えを掴むのだ。約束しよう、楼夫」
 楼夫のおとがいまで垂れた血を舐めとりながら、深夜美は囁いた。
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