森の雫、リン

ぽぽ太

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第二章

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 馬に乗ると、その速さは、やはり歩きとは比べ物にならないくらいに速かった。速さの違いを実感してはじめて思い至るのは、歩きだけではいつグルタグに着くか分かったもんではないということだ。自分の無計画さが恥ずかしい。
 山を経由したことで、谷間に構えていた火族の拠点は越えたことになる。ひとまずは危ない場所は脱したということだ。ラピラの宿で襲われたことを考えると、今もタックたちの行動を監視されてる可能性も捨てきれないが、敵国にいる限りそんな心配をしていてはきりがない。
 タックたちは、ラピラの提案で、一番の近道を選択することにした。
 グルタグとナリ村を一直線で結ぶ道に乗ろうという話だ。もちろん、実際はグルタグとナリ村を結ぶというよりは、グルタグとそのほかのナゴタ国内の村々とを結ぶ役割のほうがとても大きいという。
「ナゴタの南は畑がたっくさんだよ!ナリ村に住んでるお客さんにとっちゃここは北かもしれないけど、僕らナゴタ国民からしたらここは南だからね!」
「たしかに」
 山を過ぎてから、肌寒さを感じていたが、それでもナゴタにしてみれば、これでもあったかいのかもしれない。
「今日入れてあと二日もすればグルタグに着くと思うよ」
 ラピラは宿の焼け跡から持ってきたという少し焦げた自分の肩掛けのカバンの中身を確認している。昨日も思ったが、タックの黒い髪やラピラの灰色だか銀色だか分からない髪はなかなかに目立つ。ここは宿だから旅人が多くてまだいいが、外を歩くと、見る人見る人ほとんどが赤髪だ。グルタグに近づくにつれて赤髪はもちろん、人の数が確実に増えてきた。そんなことは無いのだろうが、なんだか皆が自分たちを見ているようでタックは落ち着かない。
「お客さん、ほら、行くよ!いつまでも宿でダラダラしてるわけにもいかないでしょ?」
「あぁ、うん。あ、お金!」
「前払いだよ、もう昨日払っちゃった。はは、お客さん、本当に外のことは何も知らないんだね」
 ラピラには一昨日戦った後と、昨夜寝る前に事情を話してある。火族のこともリンのことも。もちろん、タック自身のことも。
「え、じゃぁ……」
「いいのいいの!将来、立派な宿を建ててくれれば!」
 たぶん、ラピラは嫌味とか皮肉の類を言うような人ではない。だから、ラピラはまっすぐな気持ちで言っているのだろう。まっすぐな気持ちにはまっすぐな気持ちで返せばいい。
「ありがとう。宿、任せといて」
 約束を守るという固い意志以外当然ノープランだったが、タックは胸を張って答えた。リンを助けることができたら真っ先にラピラの宿を建てる計画を立てなくては。そんなこと考えて、少しタックは笑顔になる。
 未来にやることが、やりたいことがあるといいうのはいいことだ。それだけで少し元気になれる。
 ラピラが宿主さんと言葉を交わしているので、タックは先に宿を出ることにした。古びた宿の戸に手をかけて開ける。
「うわあ!」
 戸を開いて目に飛び込んできた景色に、タックは思わず声が漏れた。
 あたり一面、橙色だったのだ。どこまでも続く橙。
「どぅ?びっくりした!?」
 宿主さんとの話が終わったのか、ラピラが後ろからタックの顔を覗き込んできた。
「ナゴタの南はね、畑がたくさんなの!花畑!」
 無数の花のそよぎで、その上をなぞる風のラインが一目で分かる。
「どうして昨日は気が付かなかったんだろう?」
「花畑のある地区に入った頃には日が暮れてたからね。暗かったってこともあるだろうし、そもそも、日が暮れるとここの花々は、花弁を閉じちゃうから」
「へぇ……」
 一生をナリ村で過ごしていたら、決して見ることのなかった景色だ。タックは、息を吸うことも忘れ、しばらくの間見入ってしまった。
「ほら、入り口の前でぼーっと突っ立ってないで!行くよ、お客さん!」
 ラピラがタックの背中をほんの少し力を入れて叩いた。タックの右足がバランスをとるために無意識的に一歩だけ前に出る。
「待って、ラピラ」
 それでも、タックはその場を動こうとはしなかった。広がる橙の世界の中に、たった一つ、ぽつんと浮かんで風に揺れる白い光のようなものを見つけたから。
「向こうのほう、誰かいる!」
「んー?農家の人じゃないかなあ」
「違う!」
 見れば見るほど、違った。ふわりと揺れているのは、白い光なんかじゃなかった。真っ白いワンピースだった。一人の女の子だった。
「リンだ!」
 叫んだ時には走り出していた。
 道とか柵とかそういうものが目に入らず、まっすぐに、白い少女に向かって走る。
まっすぐに、ただまっすぐに朝日の中、橙の花畑の中を走る。
「リン!リン!」
 大きな声で、叫んだ。喉がひりひりした。足がもつれた。
 それでも、この声が彼女に届いているか不安でもっと大きい声を出した。
「おぉっと、不審者君、ここまでだ」
――ドンッ
 タックは、気づいたら転んでいた。どうやら足を引っかけられたらしい。一瞬で馬乗りにされた。
「リンの名前を呼んでたし、お友達なんじゃないかしら」
 頭上から降ってきたのは、その大人びた口調とは不釣り合いの少し高めで幼い声。
「でもリンに会わせるのは、敵か味方かわかってからだ」
 それと、至極まっとうな台詞とは不釣り合いな軽いノリを含んだ声だった。
「とても敵には思えないけれど」
「まあな、まず無鉄砲すぎる」
 タックのことを話しているはずなのに、当のタックは置いてきぼりらしい。さっき見た少女がリンなのか確かめたいとはやる思いと、何者かに捕まってしまったという恐怖心で、タックは現状を呑み込めないでいる。
「リンは!お二人はリンの知り合い?」
 上から押さえつけられている頭を何とか前に向けてとりあえずは二人尋ねる。
「さあね。そんなことより君は?」
 逡巡する。もし今タックの上に乗っているのが火族だったら、自分の身元を明かせば、タックは殺されてしまうかもしれない。
――ゴオッ
 風が吹いた。と同時にタックの背中に乗っていた重さが軽くなる。その隙を見逃さず、タックはその場から飛びのいた。もう分かっている。ラピラが助けてくれたのだ。
「お客さん!」
 目の前に差し伸べられた手を反射で握る。グイと引っ張りあげられる力と地面を蹴った反動でタックはチョッキーにとびのった。ラピラは、わき目もふらず、白いワンピースの少女に向かってくれる。
 こっちを向いた。間違いない!リンだ!
「おい、待て!」
 背後から男の声が聞こえた。振り向くと、赤い髪をした男が右に赤い髪の少女を抱きながら、左の掌をこちらに突き出していた。
「ラピラ、危ない!」
 そう、タックは、知っている。もうこれで三度目だ。あの掌からは、火の玉が……!
――ボォゥ
 飛んでこなかった。
「燃えてる!ラピラ!鞄!」
 火の玉は飛んでこなかった。だが、いきなりラピラの肩掛け鞄が燃え出した。
「うわわわあわ!どうしよう!熱い!熱いよ!」
 飛び降りれば、火が花畑に燃え移り、ここら一帯が大火事になることは容易に想像できた。
 かといって、タックには、火を消す手段など無い。
「ぐるるるるるぅっ!」
 チョッキーが、背中の上の異変を察知してパニックを起こす。
「鞄捨てて!」
 視界の隅に一瞬映った土色をした路。運よくあそこに落下してくれれば!
 ラピラは燃え盛る肩掛け鞄を首から取ると、迷いなく、放り投げた。
 そしてその鞄は
――びしゃあ!
 大きな水の玉とぶつかって、その身に纏う炎を捨て去ると、ふぁさっと音を立てて、橙の花畑の中に着地した。
「久しぶりタック。だめだよ、こんなにきれいなお花畑を荒らしたりなんかしたら」
 つい数日前に聞いたはずなのに、とても懐かしいその声は、タックを破顔させた。
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