哀―アイ―

まるちーるだ

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3.三節

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 何処までも深い青は空を遠く見せ、色づいた紅葉が山に被さる。その山には何時も彼らが居た。今宵は新月、配下の鬼達はここぞとばかりに山を降りて若い娘を攫いにいった。待ちわびる鬼の一人となった茨木童子はその天女の如き顔で笑っていた。酒呑童子と言う男鬼有らば、隣に茨木童子と言う男鬼有り。そうとまで謂われるほど茨木童子の悪名は高かった。

「茨木童子、今日は久々の宴よ。」

酒呑童子の言葉に茨木童子は口端を歪ませる。いつの間にか宴が楽しみになりはじめた。若い娘の血を酒と呼び、肉を肴と呼んで食す。何も違和感はなかった。しかし違う違和感が生まれ始めた。どこかこの男に捉えられると生娘のように硬直してしまう。

「頭!若い娘が集まりましたぜ!」

その言葉に立ち上がった酒呑童子は奥の部屋に行く。連れてきた娘達を吟味するかのように酒呑童子はその娘たちを抱く。たった一晩でも、束の間の生と分かっていても美しい彼に抱かれた娘たちは恐怖を無くして死んでいく。茨木童子はその哀れな娘たちを羨ましくも思うようになった。

「頭は相変わらず、新しい娘を独り占めするなぁ?」

一人の鬼が羨ましそうに語った。茨木童子以外の誰もがその言葉に頷いた。生娘は頭以外が抱くことは許されなかった。

「いいじゃねぇか、生娘は無理でも頭の気が済めば若い娘は好き放題よ。」

他の独りが厭らしく笑う。そんな会話に耳を傾けつつも、我関せずと酒を飲み続けた。1ヶ月振りの新鮮な酒と肴に舌鼓をうちながら鬼の会話を聞き続けた。

「茨木童子から言って貰えばなんとかなるかもな。」

誰だか分からない一人が水面に雫を垂らすように小さく呟いた。その言葉に波紋は起こった。

「そうだよ、茨木童子もそう思うよな!」

グッと距離を詰めてきたのは最初に波紋を起こした男鬼だった。呆れたような茨木童子は一度溜め息を吐いた。

「我は言わぬ。だいたい酒呑童子が一番最初に味見をするのは序列を崩さぬ為よ。」

茨木童子の言葉に部屋は静まり返った。誰もが耳を傾け、目を向けた。

「もし文句があるなら酒呑童子と闘え。まぁ我は酒呑童子を味方するだろうが。」

ニヤリと笑う茨木童子に鬼ですら畏怖を覚えた。この山で酒呑童子と名を呼べるのは茨木童子だけであった。それは酒呑童子に認められての事であり、他には許されていなかった。

「終わったぞ。どうしたこの空気?」

突然静まり返った部屋に響いた酒呑童子の声。他の鬼達が慌てふためく中、茨木童子は平然とした様子で口を開いた。

「怪談話をしておったら鬼の癖に怖がりよった。」

さも愉快なように笑う茨木童子に周りも笑い出した。酒呑童子は「そうか。」とだけ呟いていた。

「後は好きにしていいぞ。」

酒呑童子の言葉に目の色を変えた男鬼達が我先にと立ち上がった。茨木童子は決して娘を抱きはしないが、その部屋には足を運ぶ。部屋まで行けばそのまま自らの部屋に戻っても怪しまれることはない。しかし今日は立ち上がりと共に腕を引かれた。

「なんだ?」

如何にも不機嫌と言う顔の茨木童子に酒呑童子は思わず笑った。この男は俺を楽しませる。酒呑童子は出逢ったときからそう感じていた。

「一人酒は寂しい。偶には付き合え。」

構わずに行こうとした茨木童子の腕をしっかりと握っていた。茨木童子は軽いため息の後にその隣に座った。

「早よ酔って寝ろ。」

そう言いながらも酒呑童子の杯に酒を注ぐ。酒呑童子はゆっくとその酒を飲み干した。朱色の杯に紅の酒は注ぎ足される。

「お前は飲まないのか?」

酒呑童子は茨木童子の手にある酒壺に目をやった。中には青銅製の壺の色と紅の混ざった混沌とした色に見えた。

「もう充分呑んだ。お前が邪魔しなければ一番良い娘を取れたモノを。」

心にない言葉を発すと上機嫌になった酒呑童子は茨木童子の肩を叩く。詫びを入れるわけでもなく、上機嫌で酒を飲み続けた。

「新鮮な酒の日はいつも一人酒だ。生憎月も拝めねぇ。そうなればやはり友だろ。」

歪ませた口端は本当にそう思っているようだった。しかし酒呑童子の言葉は茨木童子の胸を深く抉る。女として隣に居られないのか?そんな邪念すら浮かんでしまう。

「酒呑童子?」

急に口が止まった酒呑童子に声を掛けるが、全く反応はなかった。その手に杯を持ったまま瞼は降りていた。

「寝たのか。」

ポツリと呟いた茨木童子は周りを見渡した。酒におぼれるモノ、女におぼれるモノ、様々にいるが、殆ど眠りについている。捕まえた娘たちは酒呑童子の瞳術によって逃げることも出来まい。

「『軽』」

茨木童子の言霊は部屋に吸い込まれた。小さく笑いを漏らした茨木童子は自分よりも大きな酒呑童子の身体を持ち上げた。言霊により軽くなった酒呑童子の身体を持ち上げるなど、茨木童子であっても雑作も無いことだった。軽い足取りで酒呑童子の部屋に入った。ソコにあるのは寝台だけで、珍しいモノなどはなかった。茨木童子は少しの苛立ちを含めて酒呑童子を寝台に投げた。言霊で軽くなった酒呑童子は羽根のようにゆっくりと寝台へ降りた。

「全く、迷惑掛けよって。」

呆れながらも少し疲れた茨木童子は寝台に腰掛けた。気持ちよさそうに眠るその唇を指でなぞる。自分のモノよりも薄い唇に視線を落とした。茨木童子は邪念だと分かりつつも自らの欲望に抗えなくなっていた。

「『イザナギ、我を解放せよ。』」

小さく呟いた茨木童子は今まで着ていた着物が合わなくなった。白銀の髪は地に着き、月色の瞳は眠る男を捉えた。いつもとは違う細く折れそうな手で酒呑童子の顔に手を添える。迷うことなく薄い唇と自らの唇を合わせた。肌の触れ合う感触に我を戻した茨木童子は慌てて逃げようとした。細く折れそうな腕は強く逞しい腕に捕らえられた。

「それで終わりか?」

驚いて居ると、酒呑童子は腕を引き、寝台の上で娘の身体を捕らえた。黄金の瞳からは肉食獣のような駆るもの煌めきがまっすぐに向けられる。

「女鬼か?珍しいなこんな所に来るのは。」

恐怖からか、それとも驚きからか娘は声が出なかった。口元を歪ませる酒呑童子は面白そうに笑った。

「婆様の目を盗んで来たのか?」

酒呑童子の言葉に娘は少しの安堵を覚えた。酒呑童子は娘が茨木童子だとは気付いていない。娘は視線を逸らした。真っ直ぐに瞳を見返す程の勇気は娘が茨木童子としても無理だと感じた。

「答えないか?まぁ、いい。良くあることだ。お前が来るのは初めてだがな。」

ニヤリと笑うその姿はさながら鬼であった。それからは彼が寝るまで泣き続けた。身体中に酒呑童子の烙印を押されながら泣き続けた。それは嬉しさなのか、悲しさなのかは、分からなかった。
娘はゆっくりと瞼が開いた。目の前には気持ちよさそうに眠る酒呑童子、そして娘は昨夜のままその腕に抱かれていた。我に返った娘は相手を起こさないように、静かに寝台から抜け出し、自分の着物を纏った。一度、酒呑童子の寝顔を見てから音も立てずに部屋を出た。
自分の部屋に駆け込んだ娘は泣いた。何の涙だかは自身でも分からなかった。

「『イザナギ、御身を…与え賜え』」

涙ぐんだ茨木童子の言霊は従った。

そして娘は茨木童子となった今は泣くことも許されなかった。

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