首のない死体は生者を招く

新藤悟

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第拾九節(その3)

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 識也は薫の死体を見下ろした。たぶん、望はここまで何度も彼女の抱擁を受けていたのだろう。エンバーミング処理を行い、普段は冷凍保存をしているといっても「劣化」は否めず遺体のあちこちに傷がある。
 それでも薫の肉体は生前の女性らしい――母性を感じさせる体つきを保っていた。忍び込んだ望の自宅にある他の死体も、伊藤 しずるも、そして未来も共通しているのは豊かな胸を持ち、痩せすぎず女性的で柔らかさな肉感を持っていた。
 きっと望は求めていたのだ。優しくて自分を包み込んでくれるような、彼女が理想とした母親的な役割を果たしてくれる肉体を。その役割を担っていたのは薫の肉体だったが、唯一無二のそれは度重なる抱擁に少しずつ傷み、日常的に「愛情」を享受することができなくなった。
 だから望は殺人を繰り返した。彼女の代わりと成り得る女性を求めた。しかし余りにも薫のそれが理想的すぎた。他の女性では代わりにはなれず、束の間の慰めになるばかり。彼女を思うように抱けない切なさは募り、彼女を更に狂わせる。それまでは自制してきた高校の生徒にも探す対象を広げ、やがてしずるや未来に眼をつけた。
 不運だったのは、識也が時を遡ることができてしまったことだ。それさえ無ければきっと未来の肉体は望の元にあり、欲望を満たし続けていたに違いない。

 彼女が捕まることが無かったのは、確たる証拠も残していなかったということもあるだろうが、彼女が女性だったからというのが大きいと識也は思っている。
 被害者は全て女性。それも胸の大きい女性だ。未だ男性社会である警察は真っ先に男を犯人像として浮かべる事だろう。昨今、性的マイノリティーの存在は世の知る所となっているが、一度犯人を男と思い込んでしまえば犯人がレズビアンである可能性には思い至ることは無かったに違いない。それは功祐が未来の葬儀の時に発した言葉からも明らかだ。

「殺した事を謝罪はしませんよ、望さん。けれど、感謝はします。貴女のお陰で俺は自分の気持ちに気づくことができたんですから」

 ずっと自分を傷つけるだけの存在だと思っていた未来。けれども違った。識也には彼女が必要だった。
 彼女の死に顔を見た時に走った衝撃。あの光景は識也の脳裏に焼き付いて決して薄れゆくことはないだろう。メスが入っている方とは逆のポケットに手を入れると、未来にかつて贈ったかんざしが指先に触れた。
 未来を救うため識也は動いた。必死に出来る限りの事をした。今回の行動の計画を寝ずに練り、望への接触を図った。彼女を徹底的に観察し、何食わぬ顔をして会話を交わし行動の癖や好みを把握していった。
 並行して未来のスマホにGPSアプリをインストールし、未来がいつ、何処でのかも知った。彼女が殺される瞬間も目に焼き付けた。狂いそうな、ドス黒い感情を強い意思で塗り潰し、未来が死んだ後も感情を押し殺し、何も知らぬ善良な生徒のフリを続け、望と気安い関係となるまでに親しくなり、そうして彼女のメッセージアプリのアカウント情報と自宅の場所情報を入手した。
 それらの情報と共に、識也は再び自殺した。死の直前に手に持っていた物は一緒に時間を跳躍できる事はかんざしの件から分かっていた。だから学校内で望からキーケースを奪い取り、未来のかんざしを握りしめ、そのまま屋上から飛び降りた。
 そして四回目の十月七日の朝を迎えた識也は粛々と思い描いた準備を進めた。
 廃ビルに穴を掘り、必要な道具を買い込む。翌八日――つまり今日には無人の音無邸へ忍び込み、自宅に隠された多くの遺体と彼女の呼び出しに使えそうな写真を撮った。そして彼女のメスと一ノ瀬 薫の遺体、その他諸々を丸一日掛けて回収し、準備を整えた廃ビルへ音無を誘い込み、ここまでの事を成し遂げた。事件の発覚を遅らせるため、あの変質者が一連の行方不明事件の犯人だと功祐が勘違いするよう仕向けた。いずれあの男が全く関係ないと分かるだろうが、たった一日二日の猶予さえ作り出してくれればそれで十分である。
 そこまで振り返って、ふと識也は思った。ひょっとすると、識也をこうした繰り返しの中に導いたのは、果たして薫だったのではないだろうか、と。罪を重ねる最愛の人を止めてほしいと願い、或いは薫自身も遠く離れてしまった望が恋しくなり、識也にやり直しの機会を与えたのではないだろうか。
 しかし識也は、浮かんだその考えをすぐに唾と一緒に吐き捨てた。くだらない感傷だ。理由などに興味はない。識也にとって大切なのは、未来を取り戻せたその事実だけだ。美談じみた妄想など、蛇足でしか無い。
 ここまでの一連の行動には随分と骨が折れた。しょうもない空想を思い描いてしまうのも疲れているからだろう。実際に識也の全身を強い疲労感が襲っており、この場で眠ってしまいたい衝動さえある。だがそれは出来ない。まだ早い。
 まだ――道は半ばなのだから。

「……」

 識也は一度眼を閉じた。そして穏やかな表情を浮かべて未来のところへ帰っていく。
 足音が静かな廃ビルに響く。一人うつむいていた未来はその足音に弾かれたように顔を上げた。月明かりの影からやがて識也が姿を見せると、未来は一層涙を零した。
 識也は未来に微笑みかける。そしてしゃがみこんで手の拘束を解き、口に貼られていた粘着テープを剥がしてやる。
 途端、識也の胸に彼女が飛び込んだ。

「しーちゃん!」
「ゴメンな、未来」識也は優しく未来を抱き留めた。「怖い思いさせて。それと、助けるのが遅くなってゴメン」
「しーちゃん、しーちゃぁぁん!」

 何度も識也の名を連呼し、愛しい人の体を抱きしめて未来はわんわんと鳴き声を上げた。これまで我慢していた恐怖や切望を吐き出し、幼子みたいに号泣する。
 青年へと成長途中の、昔に比べれば厚くなった胸に強く頭を押し付け、跡が残りそうなくらいに未来は識也の背中に強く強く爪を食い込ませていく。その痛みさえ、今の識也には狂おしい。
 識也は未来の柔らかい頬を両手で包み込んだ。指先で撫で、未来に負けじと強く頭部を抱きしめる。
 長い長い二人の抱擁。未来の鳴き声が次第に収まり、嗚咽へ、そしてすすり泣く小さな声へと変化していった。夜の暗闇に不思議な静謐さで溶け込み、それは厳かな儀式の様でもある。
 どれだけそうしていたか。未来の声は完全に消え去り、識也は彼女から体を離した。名残惜しそうな泣き顔で見上げる彼女の姿に、識也の顔にも微かに笑みが零れた。

 そして識也はキスをした。

 柔らかく甘い彼女の唇を味わう。愛しい。甘美な悦びが胸に広がっていく。隙間だらけだった心が確かに満たされていく。
 突然の事に未来は驚き大きな眼を見開いた。だがすぐに彼女も多幸感で満たされていく。頬が闇の中でも分かる程に赤らんで、何年も待っていた想い人の感触を味わう。
 長い口付け。やがて重なった影が二つに分かれた。

「未来」
「……なに、しーちゃん?」
「お前のことが好きだ。今回の事で分かった。俺は……お前が居ないとダメなんだ」

 真剣な眼で未来を見つめ想いを口にした。すると一層彼女が愛おしく狂おしくなる。
 未来は嬉しそうにはにかんで、しかし恥ずかしそうに顔を伏せた。けれど、識也の首に腕を絡めてまたキスをして想いに応える。

「ありがとう、しーちゃん……嬉しい。たぶん、今まで生きてきた中で一番嬉しいよ。さっきまで怖かったけど、全部吹っ飛んじゃった。こんな事があったのに、きっと今日が一番幸せな日だよ」
「そっか……
 ゴメンな。今まで待たせて」
「ホントだよー! でも、良いんだ。しーちゃんが謝る事なんてないんだよ。私が勝手にしーちゃんの事大好きだっただけだから。
 でもねでもね……やっぱり嬉しい。好きな人と気持ちが通じ合うのって、こんなに幸せなんだね。しーちゃんの事を考えるだけで楽しくて幸せだったけど、全っ然違うの。幸せすぎて、しーちゃんから離れたくない」
「俺もだ。俺もだよ、未来」

 抱き合い、互いの耳元で囁き合う。未来は識也の温もりを感じ、識也は未来の頬や髪を触り味わう。

「これからもずっと俺の傍に居てくれるか、未来?」
「うん! 私はしーちゃんさえ居れば何もいらない。ずっとしーちゃんの傍に居られるなら、それだけで幸せだから」

 ああ、と識也は溜息を漏らした。愛した人が彼女で良かった。心からそう思えた。識也も同じ気持ちだ。未来さえ居れば、他に何も要らない。
 その気持ちを表現するように未来の顔を抱き寄せる。何度目か分からない抱擁を交わし、離れて識也は柔らかく微笑んだ。
 口元が、弧を大きく描いた。
 それは、夜空に怪しく浮かんだ三日月と同じ形をしていた。



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