首のない死体は生者を招く

新藤悟

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第拾九節(その2)

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「ありがとうございます。先生が話の分かる人で良かった。やっぱり損得が勘定できる人間というのはいいですね」
「御託はいい。早く、早く薫の居場所を教えろ」
「分かってますって」

 識也が顎でしゃくる仕草で音無を促すと、彼女はやや逡巡しながらも未来から手を離した。未来は音無を一度見上げるも、すぐに識也へと走っていった。

「おっと」

 脚がもつれ、転びそうになりながらも未来は識也の胸に飛び込み、識也は彼女をしっかりと抱き留めた。すぐにくぐもった嗚咽が聞こえ、制服越しにすがりつく彼女の温もりが微かに感じられる。それは、未来が生きている証拠だ。

(やっと……)

 やっと未来を取り戻した。彼女の柔らかな髪、そして暖かい頬。胸に押し付けられた眼から零れた涙が識也の制服に染み込んでいく。未来の頭を、愛おしそうに抱きしめた。

「……約束通り彼女は返した。頼む、薫を返してくれ」
「ええ、案内しますよ。
 未来、悪いな。もうちょっとだけここで待っててくれ。終わったら拘束もすぐに解いてやるから」

 未来の頭を名残惜しそうに引き剥がし、識也は微笑みかける。涙に濡れ、悲しそうな瞳を彼に向ける未来だったが、ぎこちなく微笑んで小さく頷くとその場に座り込んだ。

「お待たせしました。こちらです。足元が少し悪いので気をつけてください」

 優しく未来の頭を撫で、識也は丁寧に音無を誘導していく。音無は無言のままで付いていき、十メートル程歩いていたところで識也は脚を止めて彼女へと振り返った。

「どうぞ、こちらです」

 識也が示した場所。そこには人が一人くらい横になれる程の大きさで、長方形に地面が掘られていた。そしてその中に横たわる――首なしの死体。

「薫……!」

 仄かな月明かりに照らされたその死体を認めた途端、音無の両眼からは涙が零れ落ちた。左手に握っていたメスが地面に落ち、感極まった様子で口元を覆うとすぐに穴の中へ飛び降りた。
 汚れるのも厭わず一ノ瀬 薫の死体を抱き起こす。そして優しくその豊かな胸を、尻を、背中を撫でていく。
 識也が告げたように穴の中にはいくつもドライアイスが並べられていて、死体は酷く冷たい。だがそれも気にせずに音無は死体の体をそっと抱きしめた。

「薫、薫……!」震える声と共に吐息が漏れた。「ああ、良かった……無事で良かった……すまない、もう傍から離さないからな……!」

 まるで生者に語りかけるかのように謝罪を繰り返し、音無はすでにあちこちに傷の入った死体を抱き、愛撫する。頬を伝った涙が死体を濡らし、再会を心から喜んだ。
 泣きじゃくる声が静かな廃ビルに木霊する。穴の中の二人を識也はしばし見下ろしていたが一度息を吐き出し、ゆっくりと音無へ近づいた。彼女の背後に回り、膝を突く。そして身を乗り出すと音無の首にするりと腕を回した。
 先程、未来に対してしたのと同じように音無の艶やかな黒髪を撫で、頬を包み込み優しく涙を拭う。指先に乗った雫は、冷えきっていた。

「水崎……?」
「僕の為に――ありがとうございました」

 そして――識也の左腕が勢い良く引かれた。
 瞬間、音無の首からおびただしい血が噴き出した。血管を深く斬り裂かれ、飛沫は識也の顔半分を赤く染め、瞬く間に音無の足元に血溜まりを作り上げた。

「み……ず、さき……?」

 壊れた機械のようなぎこちない動きで振り返る。彼女の瞳の中には深い絶望が横たわっていた。出血の勢いは収まる事を知らず、音無の体と一ノ瀬 薫の凍った死体が見る見る間に赤く染まっていった。彼女の瞳には、朗らかに笑みを浮かべた識也の姿が映っていた。

「誰にも邪魔されることのない場所で、愛する人とお眠りください」

 そう告げると、彼女の瞳から光が消えていく。彼女の顔から絶望と恐怖が消え、微睡むような穏やかさが次第に広がっていく。口角が緩やかな弧を描き、嬉しそうな笑みが浮かんだ。顔は天を仰ぎ、一ノ瀬 薫の死体を抱いたまま体が傾いでいく。

「――」

 力をほぼ失った喉が微かに震えた。掠れた音が確かに空気を振動させ、だがそれも刹那。柔らかい土の上に倒れた音でかき消されて識也に届くことは無い。
 自らの血の中に沈みながら音無は薫を抱き寄せた。もう薫の感触も何も感じられないが、それでも薫は暖かかった。音無はそんな気がした。

「薫……愛して――」 
 そして、音無は一ノ瀬 薫の所へと旅立った。

「……」

 識也はその場に立ち尽くしたまま、静かに音無 望と一ノ瀬 薫の死体を見下ろした。
 やがて溜息と共に識也の口から深い溜息が吐き出される。途方も無い疲労感を覚え、何気なく額に手を当てるとぐっしょりと自身の汗、そして音無の血で濡れていた。
 力の抜けた指先から、音無が持っていたものと全く同じメスが滑り落ちて土の地面に一度真っ直ぐに突き刺さり、倒れた。
 識也は項垂れ、取り出したハンカチで顔の汗と血を拭っていく。そしてもう一度溜息を零しながら音無の死体を見下ろした。
 識也の掘った穴は彼女ら二人を送るための棺だ。真っ赤な血が黒い土に染み込んでいき、その上で並ぶ音無と薫の死体。音無の表情は今際の際に浮かべた穏やかな、彼女を蝕み苛む何もかもから解放されたかのような喜びと安堵に満ちた笑みであり、両腕は強く、もう二度と手放さないとばかりに薫を抱きしめている。そして偶然の産物か、或いは神の気まぐれか、凍りついていた薫の両腕もまた音無の体を抱きしめるように柔らかく彼女の背に回されていた。
 決して識也は音無の事を想って殺したわけでない。ただ純粋に自らのエゴで殺した。だが、そんな二人の様子を見ていると何処か救われたような、羨ましいような気持ちになった。

「……これでようやく終わる……」

 落としたメスを拾い、布を巻いてポケットに仕舞う。そして手袋を装着し、音無が落とした方のメスを拾い上げると音無の腰の辺りにそっと落とした。これで音無 望のが出来上がりだ。かつて、自分が殺してしまった恋人を儚んで自死を選んだ様に見えるだろう。そうであって欲しい。でなければ、ここまで慎重に事を進めた意味が無いのだから。

「……貴女が未来を選ばなければ、いつかは共通の趣味を持つ友人となれたかもしれませんね」

 そう口に出して、すぐに識也は頭を横に振った。
 識也が音無に対して波長が合うと評したとおり、彼女もまた社会不適合者サイコパスだった。識也が愛するように、彼女も真に愛するのは死体。違いは、愛した場所が頭部か肉体かの違いだけだ。それだけに互いを知れば趣味を同じくする無二の親友と成り得たかもしれないが、しかし決して口外できない趣味だけに自分と音無が交じり合う事は無かっただろう。

「たぶん……先生も僕と同じだったんでしょう」

 ここからは全て識也の推測に過ぎないが、彼女が自分の異常な性癖に気づいたのは恐らく薫を殺害してしまった時だろう。識也が未来を殺されてその大切さに気づいたように、生きた一ノ瀬 薫という存在を失い自らの心の奥に秘めていた欲望を知った。薫の死が偶然の事故なのか、はたまた喧嘩の末に激昂してしまった結果かは分からない。だが後者だろうと識也は思っている。
 それを裏付けるのが殺害された伊藤 しずるの切断された頭部だ。顔には酷い暴行の跡があった。それは肉体の綺麗さに比べて余りにも対照的だ。
 木梨校医の話では、音無――望の両親は彼女に対して厳しかったとの事だった。家でかなり口汚く罵られたりしていたのかもしれない。それに耐えて両親の希望を叶えた望だったが、彼女の心の中でトラウマとなって残ってしまった。
 自分に向かってぶつけられる言葉の刃。それを発している口や思考する脳というのは彼女にとって嫌悪――憎悪の対象でもあった。上手くいっている時は顕在化しないが、一ノ瀬 薫との間で口論となった時、きっと薫から強く感情をぶつけられ、結果発作的に薫を殺害してしまった。その推測が正しいかは最早知る由も無いが、識也の頭の中ではその時の情景が生々しく展開されていく。
 思わず恋人を殺してしまい、呆然とする望。だがそこで彼女は気づいた。気づいてしまった。

(失ってから気づくものもあるんですね)

 木梨校医に語った彼女の言葉が蘇る。あれは、一ノ瀬 薫を心から愛していたという事と、彼女の死体を生前以上に愛してしまったという事の二つの意味があったのだ。自分を傷つける事の決してない死者が、ただただ自分の求めに応じてくれる物言わぬ女性らしさだけを残した肉体が何よりも大切であったのだ。



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