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第拾七節、第拾八節
しおりを挟む-拾七-
同日、夜半
夜の国道を、黒いスポーツカーが走り抜ける。
時刻は十時を既に回っていた。国道とは言え都市中心部からやや離れており、走行する車の数は少ない。
スポーツカーは通行する車の間を縫うように快調に進み、車線を変更しながら次々と追い抜いていく。
「はぁ……はぁ……」
運転席から荒い息遣いが車内に響いていく。肩を小刻みに上下させ、だがそれは疲労によるものではない。興奮によるものだ。運転者の紅潮し、緩んだ口元からそれが如実に伝わってくる。
「んーっ! んんーっ!!」
後部座席には制服姿の未来が転がっていた。両手両足を縛られ口には粘着テープが貼られており、呻く以外に音を発することができない。それでも何とか逃げるきっかけを作ろうとドアを蹴飛ばしたり体を起こそうとしたりと懸命にもがいた。
だがそうしていれば運転者にもすぐにバレてしまう。ルームミラーで後ろの様子をチラリと見遣り、露骨に顔をしかめた。
うるさい奴は嫌いだ。運転手は鋭く未来を睨みつけ、嫌悪を露わにする。鏡越しに睨まれた未来は射竦められ、体を強張らせた。恐怖で両眼から涙が零れた。
未来の動きが止まると、運転手は舌打ちと共にアクセルを踏み込んだ。
これだから「顔」のある人間は嫌いだ。声に出さず吐き捨てる。
口があるから、頭があるから人は醜くなる。全く、なんて余分なものなのだろうか、頭部というものは。
苛立ちが募る。ステアリングを握った両腕に力がこもる。
やがて、不意に過去の記憶が蘇った。その途端に猛烈な頭痛が起き、思わずうめき声を発した。
「ぐっ……!」
頭を咄嗟に押さえ、眉間に深いしわが寄る。だがそれも記憶が遠ざかると同時に収まっていく。
うるさいのも後少しだけだ。運転者の顔の苦痛が消え、再び愉悦に満ちた表情が戻ってくる。首を落としてしまえば人間なんて静かになる。そうすれば、残った肢体だけを存分に堪能できる。
そうだ、後、少しだ。口元が大きな弧を描いた。
もうすぐ彼女の体を手に入れられる。柔らかで女性的な肉体。豊かな乳房。それを幾らでも抱きしめられる。味わい、満たされる。それを想像するだけで昇天してしまいそうだった。
興奮そのままにステアリングを切り、アクセルが無意識に踏み込まれる。カーブを高速で曲がっていく。だが勢い余ってセンターラインを越えてしまい、ハッとした時には対向車とぶつかりそうになっていた。
「……ふぅ」
とっさにブレーキを踏みステアリングを大きく回した。辛うじて衝突は避けることができ、しばし呆然としていたがやがて一気に引いた血の気のおかげで冷静さが戻ってくる。事故を回避できたと理解が追いつき、運転者の腕から力が抜けて肺から空気が一気に押し出されて空っぽになる。危ない危ない、気を逸らせすぎてはダメだ。自分に言い聞かせる。
伊藤 しずるの時もそうだった。せっかく手に入れかけていたのに、焦ってしまい体を傷つけてしまった。殺すだけだったのに、人は抵抗するものだということをすっかり失念して傷物にしてしまった。そうなるともうダメだ。どれだけ他の部分の状態が良くても興奮しない。抱いても満足感が得られない。そうなると、もう破棄するしかない。素材が立派だっただけにあれはとても残念だった。
息を吐いて気持ちを落ち着ける。都筑 未来は伊藤 しずるよりも上物だ。これ程のもの、滅多にお目にかかれない。今度は何としても丁寧に慎重に殺して解体しなければ。
下腹部が疼き気持ちが逸る。それを抑えるためにやや外れた方向へ考えを巡らせる。今日は何処で首を落とそうか。伊藤 しずるは我慢できずに近くの廃ビルで殺してしまった。また近場で首を落としてしまえば、何かと面倒が起きるかもしれない。
そうだ、今回は離れた山奥にしようか。幸いにして明日は休日。少々遅くなっても問題ない。斬り落とした頭部の処理も簡単だ。
荒々しさに消えた滑らかなドライビングで山間部の方へ車を走らせる。まるで誕生日の子供のようにウキウキと顔を綻ばせていたが、その時スマートフォンが鳴った。
上機嫌だったのに水を差され、舌打ちをして助手席に放られたスマートフォンを睨む。路肩に車を止め、乱暴な手つきでそれを手に取りメッセージアプリを立ち上げた。
送り主のアカウントは不明。見たこともないものだ。何かの勧誘かと思い無視しようとしたが、「重要なお知らせ」という、いかにもなタイトルが何故か妙に気になって開くだけ開いてみる。
そして、そこに記載された内容に眼を釘付けにされた。
『アナタが奪ったものを返して頂きたい』
後部座席を思わず振り向いた。まさか、バレたのか? 想定外の事に思考が乱れ頭を掻きむしる。
(いや……そんなはずがない)
まだ彼女を拐って殆ど時間が経っていない。車に押し込む時も辺りに誰も居なかった事は確認済みだ。幾らなんでも露見するには早すぎる。
たまたまいたずらのメッセージが状況と合致しただけだろう。そう思い直して跳ね上がった心臓を鎮めようとするが、再び連続でメッセージが届く。
『と言っても返す気なんてないでしょうから』
『私の方でもアナタの大切なものを頂きます』
『それと彼女を交換ということで如何でしょうか?』
丁寧な文面。しかしその内容にいよいよ心臓が掴まれているかのような錯覚を覚えた。
(バレている……!)
スマートフォンを握る手が震える。自分が何を奪ったのか、その点には触れていないが間違いなくメッセージの送り主は自分を犯人だと確信している。
そして更に追加でメッセージが届く。それを小刻みに揺れる指で操作した。
これまでに送られてきたメッセージの下にはただ一つ、画像ファイルだけが添付されていた。
嫌な予感がした。恐る恐るそれを開く。映し出されたのは――業務用を思わせる大型の冷凍庫。それを見た瞬間。全ての考えが頭の中から吹き飛んだ。
脳内が一瞬で真っ白になり、気がついた時には高揚も、冷静さも何もかもをかなぐり捨て、一気にアクセルを踏み込んでいた。ステアリングを一気に右に切り、後輪を滑らせて車をUターンさせる。
後方からクラクションが激しく鳴らされるが、そんなもの耳に入ってこない。ステアリングを握る手が強張り、歯がカタカタと音を立てた。
全身が氷漬けにされかのように、ただただ酷く震えていた。
-拾八-
車は静かな住宅街を斬り裂くようにして猛スピードで走り抜けていった。安全など全く無視し、時折住宅の塀を擦りながらも自宅へと向かっていく。
自宅の前で急停止。余りの急ブレーキに前のめりになり、ハンドルに軽く額を打ち付けるも、そんな些事に拘っていられないとばかりに転がるようにして車から飛び降りた。
玄関のドアノブに手を掛け、引く。しかしガタン、と音がするだけで開かない。
「……っ!」
鍵は掛かっている。当たり前だ。朝、家を出る時に確かに自分が鍵を掛けたのだから。
ジーンズのポケットからキーケースを取り出し、家の鍵を穴へ突き刺す。だが焦りから位置が定まらず中々刺さらない。
焦れったさに汗が滴り落ちる。やっとの思いで突き刺さり、鍵が開く。ドアを開け放ち、靴も脱がずにリビングへ駆け込んでいった。
突き破らんばかりの勢いで扉を押し開け、そして真っ先に自宅の冷凍庫を探した。
広々としたリビングの片隅にそれはあった。先程メッセージで送られてきた写真と全く同じそれは、記憶と寸分違わずそこにある。
部屋を見渡す。荒らされた様子はない。窓の鍵も掛かっている。全てが、今朝方に見たままの状態だ。
――大丈夫、大丈夫
今にも胸を突き破って出ていきそうな心臓を抑え、冷凍庫へ向かう。震えが止まらない。確認したい。いや、したくない。相反する衝動がせめぎ合う。それでもやがて中身を見たいという衝動が打ち勝ち、何とか腕に力を込めて――開けた。
「あ……ああ……」
脚から力が抜け、その場に座り込む。喉が収縮し、掠れた声が勝手に発せられる。
「ああああああああああああっっっっ!!」
ワナワナと腕が震え、絶叫が木霊する。髪を掻きむしり、その怒りをぶちまけるように近くのテーブル上にあったものを払い飛ばしていく。天板に両手を何度も叩きつけ、テーブルを押し倒すと、やがてその場にズルズルと座り込んでしまう。
冷凍庫の中には何も入っていなかった。何よりも何よりも大事で大切でこの上なく掛け替えのない宝物が、「彼女」が消えてしまっていた。
放心し、動けない。虚ろな眼で自分に問いかける。奪ったのは何処の誰だ? 決まっている。メッセージを送ってきた奴だ。奴が世界中で一番大切なものを奪い取っていった。
「……っ!」
放心状態から一転、激しい怒りが胸を焦がす。歯が軋むほどに強く噛み締められ、瞳に憎悪と不安が浮かぶ。早く、早く取り戻さなければ。お前は知らないんだ。「彼女」は外に出してはいけないのだ。もう、長くは保たない。一刻も、一刻も早く奪い返さなければ――
その時、もう一度スマートフォンが震えた。
『交換場所は、伊藤しずるの処置をした廃ビルでどうでしょう?』
メッセージの内容を目にするや否や、即座に返信する。
『すぐに向かう。
彼女は大切に保管しろ。傷をつけたら――貴様も殺してやる』
画面を強い憎悪で睨みつけ、送信ボタンを押す。これまでのメッセージに続いて感情のこもらない無機質な文字列が下に並び、「既読」の表示が出たのを確認すると立ち上がり、未来を乗せたままの車に飛び乗る。そして再びアクセルを強く踏み込んだ。
血のように赤いテールランプが夜の街を舞い、消えていった。
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