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第拾六節
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十月八日(四回目)
街の色が茜から瑠璃色に変わってくる頃合い、男は植え込みの中に身を潜めていた。
グレーのパーカーをまとい、フードを目深に被る。男が見据える先は高校の校舎の裏手にある出入り口だ。この日は週に一度の早帰りの日で、生徒たちは部活生を含めて早めに帰宅させられており、いつもならまだ吹奏楽のご機嫌な音が響き渡っているが今日はひっそりと静まり返っている。
男は当然の事ながらその事を把握していた。息を殺し、じっと来るべき時を待つ。
やがて男の視線の先で教諭が一人現れた。見回り当番の若い男性教諭は鼻歌交じりに廊下を歩き窓の鍵をチェックしていく。そしてパーカーの男が見つめる中で裏手の扉に鍵を掛けてドアが開かないことを確認すると、また鼻歌交じりに立ち去っていった。
その様子を自身の眼で見ていた男は慎重に植え込みから這い出した。周囲に人影が無いことを確認すると、一気に裏手の出入り口へと駆け寄っていく。
たどり着くとすぐさまポケットから一本の鍵を取り出す。震える手でそれを鍵穴に差し込んでいく。だが焦りからか、中々鍵穴に鍵が入らない。
「くっ……この……っ!」
思わず舌打ちと悪態が口を衝く。今ならば見回りも戻ってこない上に、警報装置も可動していない。校舎へと忍び込むには今しかないのだ。
たった数秒が何分にも何時間にも感じられる中、鍵がスッと穴へ吸い込まれて回すとカチッと小気味よい音がした。
男はほくそ笑んだ。そして音を立てないようにそっと扉を開けて校舎の中に入っていった。
靴を脱ぎ、足音に気をつけながら向かったのは――女子トイレだ。フードの下で嫌らしい笑みを浮かべたまま女子トイレの中に入り込むと個室の中に侵入して壁下の目立たないところに小さなカメラを取り付けた。
――これで良し。
下卑た笑みが一層嫌らしく歪む。取り付けた彼自身であってもよくよく覗き込まなければ気づかない。後は送られてくる映像を明日以降じっくりと観賞するだけだ。
困難なミッションをやり遂げた満足感に浸り、すっかり気の抜けた男は先程の見回りの教諭と同じ様に鼻歌を歌いながらトイレから出てきた。
と、そこに。
「どうも、こんばんは」
「うひゃああああっっ!!」
背後から掛けられた声に男は情けない悲鳴を上げて転がった。その拍子にフードが外れて男の顔が露わになるが、男は驚きのあまりその事に気づいていない。
識也はポケットに手を突っ込んだままニコニコと人が良さそうに笑っていた。床に尻もちをついた男を見下ろし、首を傾げてその顔を覗き込む。
「部外者の方がこんな時間にどうしたんですか?」
「ななななななななんだオマエッ!?」
「何だ、と申されてもこの学校の生徒ですが」
笑みを絶やさないながらも軽く肩を竦めて困った顔をしてみせる。男は焦りながらも立ち上がり、顔色を悪くしながらも「へ、へへ……」と気味の悪い笑みを浮かべてズボンのポケットからナイフを取り出した。
「み、見られてしまったらしょ、しょうがないよな、な?」
「おや、そのナイフで僕をどうするつもりですか?」
「きき、決まってる。も、目撃者はけけけ消すもんだ。な、な? そ、そう相場が決まってるんだ……」
歪に笑いながら男は手慣れた動作でバタフライ式の刃を出した。剥き出しになった刃が差し込む夕陽に反射し、よりいっそう凶悪そうに男の不気味な笑みを際立たせる。
「なるほど、僕を殺す。そう仰られるわけですね?」
「そそそそうだ……他にどどどどう聞こえたんだ?」
「ふむ、そうですかそうですか。それは怖いですね」
言葉とは裏腹に、識也は平然とそのナイフをチラリと一瞥。そして前へと一歩踏み出す。
まさか男は識也が怯える様子さえ見せないどころか近づいてくるとは思っておらず、またその微かに口端を上げた笑みが妙に気味悪く思え、思わずナイフを一振りして叫んだ。
「くくく来るなぁっ! し、しし、死にたいのかぁ!?」
「殺すと言ったのは貴方でしょうに……」ため息混じりに呆れて見せ、がっかりした様子を示しながら首を振った。「でも無理だと思いますよ?」
「ほほ、本気だ。馬鹿に、ばば馬鹿にするな……ぼ、僕は本気だぞ……!」
「いえ、馬鹿にしてるのではなくてですね」識也はニッコリと笑って告げた。「事実を教えてあげてるんですよ」
次の瞬間、男の背後から警官たちが飛び出してきた。識也に注意を向けていた男は全く気づいておらず、彼が気がついた時には何人もの制服警官に馬乗りにされていた。
「確保しましたっ!」
「よぉーしっ! よくやったっ!」
制服警官の一人が上げた声に高津 功祐はガッツポーズをした。「は、離せぇっ!」と叫ぶ男の手を捻り上げると容易くナイフを奪い、マジマジとそれを眺める。
「ったく……近頃は本当に簡単にこんなもんが手に入るんだからいけねぇ。コイツもこれでどんだけ人を傷つけてきたんだか……」
「高津刑事っ! 設置されたカメラも確認、確保しましたっ!」
「よぉーしっ! すぐに鑑識を呼べっ! それと、コイツの身元が割れたら即行で家宅捜索できるよう手配しとけよぉっ!! きっとわんさか悪行の証拠が出てくるぞ!」
「了解致しました!」
功祐の指示に、若いスーツの刑事はワクワクさを隠しきれず鼻息を荒くして敬礼をし、校舎から飛び出していく。功祐は「若いってのはいいねぇ……」と年寄り臭くつぶやき、そして今回の逮捕劇の立役者を労いに向かった。
「お疲れさん、識也」
「功祐さん」識也は年相応に幼く笑みを浮かべて大柄な叔父を見上げた。「大したことしてませんから。功祐さんこそありがとうございます。急な話だったのに来てくださって」
「犯罪が行われようとしてるってのに刑事が出張らなきゃ意味ねぇだろ」功祐は識也の頭をクシャクシャと乱暴に撫でた。「おかげさんでここ数年、手がかりさえ掴めてなかった凶悪事件が一気に解決だ。感謝こそすれ、お前が謝る必要なんて微塵もねぇよ」
功祐の言葉に識也は照れくさそうに頬を掻き、しかしすぐに表情を曇らせた。
「行方不明になった人たち……見つかりますか?」
「さて、そうだと良いんだがな……」
功祐は識也から顔を逸した。視線の先には連行されていく男の後ろ姿。それを見送ると首を小さく振り短い髪の頭を掻いた。
「少なくともこれ以上被害者は出ることはないだろうさ。
さ、後は俺たちに任せて今日のところはもう帰れ。俺らが見てたとはいえ、ナイフ向けられて緊張しただろ?」
「そんな事はないですけどね。でもお言葉に甘えて帰らさせてもらいます」
「ああ、そうしろ。
おっと、大事なこと忘れてたな。その、悪いけど……」
「大丈夫ですって。分かってます。
僕は偶々教室に残っていて、偶然事件に巻き込まれた。功祐さんに迷惑は掛けられませんから」
識也は少し茶目っ気を出した仕草で功祐にウインクしてみせる。警察が身内とはいえ一市民を凶悪犯の前にその身を晒させたとなればどれだけ大事になるか。事情の理解の早い識也に、功祐は安心したような、何処か申し訳無さそうな表情を浮かべた。
校舎から出ていきながら識也は手を振る。そしてパトカーのサイレンが鳴り響く夕暮れの中、高校の敷地から出るとスマートフォンを取り出して画面を睨みつけた。
足を止めて見たのはホンの数秒。もう何度となく繰り返し覚えて中身は頭に完全に叩き込んである。それでも確認せずにはいられなかったのは、自分が強く緊張しているからだ。
大丈夫、さあ、後はシナリオをなぞるだけ。識也は目を閉じて息を吸い込む。表示されていたスケジュール帳の画面を閉じ、ポケットに手を突っ込んで前へ進み始めた。
「それじゃあ――行くとしようか」
識也の口元が不敵に歪んだのだった。
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