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第拾四節(その2)
しおりを挟む識也は問うた。
「都月、未来について」陽向の表情が変わった。「彼女の事を、どう思ってますか?」
「ちょ、識也! なんでみーちゃんの……」
「……ああ、そういうことですか」
頷き気味だった陽向が顔を上げて識也を見つめる。見下ろすその表情は、一見人の良さそうなもののまま変わらない。だが識也の眼には、識也に対して隠そうとしない侮蔑と妬み嫉み、そして押し隠そうとして隠し切れない怒りの様な物が滲んでいるように見えた。
「そうですか、やっぱり貴方が……
実は僕もいつか貴方と話してみたいと思っていたんですよ、水崎さん」
「それは光栄です。ですがどうして?」
「いつも都月さんと一緒に居る人ですから。そして彼女の……想い人でもある」
「……よくご存知で」
「そりゃ知ってますよ。有名ですし、彼女の気持ちは。休み時間になるといつも水崎さんを探しに教室から出ていきますから。
貴方には彼女に興味がなくていっつも冷たくあしらってるのに彼女はめげない。廊下であれだけ毎日のように直接的なアプローチをされれば、彼女に気のある男子は気が気じゃありませんよ」
眉間に皺を寄せ、小さく溜息を陽向は吐いた。識也は押し黙っていた。
「しかし分からないんですよ」
「……何がです?」
「都月さんがどうして貴方に想いを寄せ続けるのか、ですよ。彼女に見せる顔は暗くて冷淡で、他の人の前では猫を被っていい人ぶってるような二面性のある人間だというのに」
「それも知ってたか」
「ええ。だって、いつも彼女の姿を追いかけてますから。そうすれば嫌でも貴方のことは目につく」
本質を見破られていると知った識也は作り笑いを捨て去り、陽向は薄く笑った。
「ここまでくれば明らかなので認めましょう――僕は都月さんの事が好きです」
「――」
「こういう事を口にするのは非常に恥ずかしいのですが、貴方には言わなければならないと思いました。
僕は彼女に惹かれています。気がついたらいつも彼女の姿を眼で追いかけている。彼女の笑顔を見ると思わず僕の方も嬉しくなって、胸が暖かくなってくる。
そして――」陽向は笑みを捨て去り、目の前の識也を睨みつけた。「そんな彼女の笑顔がいつも貴方に向けられているかと思うと、非常に腹立たしい。憎くさえある」
「――っ!」
「……」
普段の優しげな様子を知る良太は、陽向が初めて見せる激情に言葉を失った。対照的に識也は黙したまま陽向を見つめ、その表情には揺らぎは見られなかった。
「水崎さん」
「……何だ?」
「彼女から離れてください」良太が息を飲む音が聞こえた。「彼女に女性として興味がないのでしょう? だったら彼女に近付かないでください。彼女を近づけさせないでください。僕は水崎さんの都月さんに対する態度を冷たいと言いました。ですが、少し訂正します。冷淡さの中にも貴方が都月さんを見る眼は突き放しきれない優しさがあるように思います。異性としては冷たくても都月さんの事を放っておけない。そんな風に思ってるのではないですか?」
「幼馴染だからな……」
「その中途半端な優しさが都月さんを貴方に縛り付けているんじゃないんですか? 垣間見せる優しさのせいで彼女は貴方を見限りきれないで、アピールしていればいつか貴方が振り向いてくれるんじゃないかって期待してしまう。
このままじゃ彼女が余りにも可哀想だ。報われない。だから、少しでも彼女の事を思っているんなら彼女から離れてください。彼女に余計な期待を抱かせないで欲しいんです」
「……」
「恥知らずな事を言ってる自覚はあります。貴方にこんな事を言う筋合いはないって理解しています。だけど、僕は都月さんのことが好きだ。彼女の幸せを願っています。彼女の幸せを勝手に考えた時、貴方さえ彼女の傍に居なければきっと彼女はもっと幸せになれる。僕はそう信じています」
だから彼女から離れて欲しい。陽向は最後に深々と頭を識也に向かって下げた。識也は何も答えない。良太は識也をチラリと横目で見て、すぐに眼を逸らした。そして、震えを堪える様に唇を強く噛み締めたのだった。
識也から返事がないまま時間は経つ。陽向は長々と腰を折っていたがやがて頭を上げ、答えを得られそうに無いと悟ったか、軽く識也に向かって会釈をして背を向けた。
「向島」
陽向が化学室のドアを開けてレールを跨いだ時、識也は声を発した。
「一つ言っておく――未来は誰にも渡さない」
陽向は振り返り眼を見張った。良太は隣で口を半開きにして唖然と識也を見つめた。
「絶対に俺は未来を誰にも渡さない。例え誰に何を言われようが俺は……絶対にもう未来を手放さない」
「……そうですか」
「ああ。だからお前の要求に応えてやらないし、未来がお前の方へ行く事も無い」
「たいした自信ですね」
「自信じゃない。これは決意表明だ――未来を俺の傍に留めておくための」
識也はそう言って視線鋭く陽向を見据えた。絶対に引くつもりはない。そんな想いを視線に乗せて。
「……そうですか」驚きに眼を見開いていた陽向だったが、小さく笑って視線を識也から外す。「では、僕は僕らしく彼女に想いを伝えます。例え、彼女が振り向いてくれなかったとしても、誠実に僕の気持ちを彼女に理解してもらう。それだけです」
最後にそう告げると陽向は「では」と短く断って静かにドアを閉めた。識也と良太の二人と陽向の間はジェリコの壁の様な扉で遮られ、もう言葉を交わすことはきっと無い。
「ふぅ……」
識也は安堵の息を吐き出した。ふと目に入った手のひらを見れば、じっとりと汗ばみ微かに震えていた。
柄にも無い事を口にした自覚はある。だがこれは決意を新たにするために必要な儀式だった。そう言い聞かせてストレスを訴えてくる心臓を慰めた。
と、背中に強い衝撃が走った。
「オイオイオイオイっ!! マジかよ、識也ぁっ!? お前、お前ついにみーちゃんと……!」
「まあな。逃げまわってたつもりは無いが、昨日じっくり考えてみた。
……やっぱ俺にとって未来は大切な奴みたいだ」
「そっかそっかそっか! いやー良かった良かった! これで俺も一安心だっつうとこだな! お前ら見ててずっとじれったいっつうか、みーちゃんが不憫でしかたねぇっつうか……」
良太は力いっぱい識也の背中を叩くと、わざとらしく浮かんでもいない涙を拭う仕草をして識也をからかう。そしてハッと何かに気づいた様に口を開けると、ヘッドロックを仕掛けて識也の頭を拘束した。
「まさか今日ずーっとみーちゃんの機嫌が良いのは……」
「あー、いや。未来にはまだ気持ちは伝えてない。さっきも言った通り俺の決意表明みたいなものだからな。
……未来には言うなよ?」
「何でだよ? 別に言ってもいいじゃんかよ? みーちゃんの事だから伝えた途端に踊り狂ってキスの嵐になるぜ、きっと」
「いいんだよ。
……人伝に聞くより、俺の口からキチンと伝えた方がアイツも喜ぶだろ」
「そっか。そりゃそうだな」
「良太」
笑いながら識也の頭を放して化学室の前から立ち去ろうとした良太を呼び止めた。首だけ振り向いた良太を見て、識也は視線を良太の顔から足元へ落とし、そしてもう一度顔を上げて向き合った。
「……悪い」
短い一言だった。だがそれだけで良太は意図するところを察して目を剥いた。
「お前……知ってたんか?」
「まあ、な」
識也としてはこの世界で得た情報ではない。意図せずして良太から叩きつけられた、反則に近い知識だ。それ故の後ろめたさと、自分よりずっと長く未来を想っている良太から未来を奪おうとしている。識也は良太を直視して居られずに顔を背けた。
何と言って非難されるか。良太が近寄ってくる気配を感じて識也は緊張した。また殴られるだろうか。想い人を、今更奪っていくなと罵声を浴びせられるだろうか。だが、それも甘んじて受け入れるつもりだ。
だが良太の拳が識也に振るわれる事は無かった。俯く識也の横をすれ違うその際に軽く肩に手を置いた。
「気にすんな。お前がそんな顔するって事は別に知るつもりは無かったってことだろ? むしろ俺ん方こそ黙っててスマンかったな」
「良太」
「謝るなよ」
笑いながら、だが幾分固い声質で識也の言葉を遮った。
「みーちゃんがお前を好きになったように、俺が勝手にみーちゃんを好きになったんだ。お前は悪くないし、謝られる筋合いはねぇ。
俺はずっとお前にみーちゃんの方を振り向いてほしいと思ってたんだ。俺の気持ちを知ったなら嘘だと思うかもしれねぇけど本当だぜ? みーちゃんはずっとお前しか見てないし、お前はみーちゃんの気持ちに応える気は無かった。陽向じゃねぇけど、みーちゃんを見ててずっと歯痒かったよ。けど……そんなみーちゃんに声を掛ける気に俺はなれなかったよ」
「……どうしてか、聞いてもいいか?」
「……なんつーか、みーちゃんの弱った気持ちに浸けこんでるみたいでさ。そんな風にしてみーちゃんに気持ちを伝えて、そんで俺の方を振り向いて貰ってもきっとみーちゃんはお前の事を忘れない。そんな状態で俺は付き合いたくないし、みーちゃんだって不幸だ。俺はいっつもお前に向けてるあの笑顔のみーちゃんが好きだからな。俺が願うのはいつだってみーちゃんの幸せであって、不幸なみーちゃんは見たくない」
「……そうだな。俺も見たくない」
「だろ?」
良太は識也を振り返った。ニカッと歯を見せて笑う顔に、そこに昏さは無かった。
「だから俺はお前がその気になってくれて嬉しいんだよ。これで――ようやく俺も舞台に上がれるからな」
「例えお前が相手でも容赦はしない」
「そりゃこっちのセリフだ。正々堂々お前からみーちゃんを奪い取れるんだからな。
だけどな、それとは別に――俺とお前はダチだ。だから誓ってやんよ」
「――」
「俺とみーちゃん、お前とみーちゃん。関係がどうあろうとも俺はお前を恨まねぇ。俺が恨む時は唯一つ。お前がみーちゃんを裏切った時だけだ」
「ああ――分かったよ」
良太が拳を識也に向かって突き出す。何をするのか、と怪訝な顔になった識也だったがすぐにその意図に気づいて自分も拳を突き出した。
軽くぶつかる拳と拳。骨を通じて響く微かな震えがどうしてだか心地良かった。
「じゃあな。今日は俺、帰るわ」
「いいのか? 一緒に帰らなくて」
「そう言ってくれるのはありがてぇし、いつもなら喜ぶトコだけどよ……今日は流石に気持ちが複雑過ぎるぜ。また今度な」
オレンジの髪を掻き毟りながら良太は俯き、浮かんだ表情を見られないよう識也に背を向けた。そして背を向けたまま識也に向かって手を振り、廊下の影へと消えていったのだった。
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