10 / 23
第拾壱節(その1)
しおりを挟む-拾壱-
功祐と別れた識也はアパートに戻るとすぐに情報の整理に掛かった。
カーテンを締め切った暗い部屋の中で机の上のスタンドライトとパソコンを起動し、パソコンに繋いだヘッドホンを耳に当てる。
音楽ソフトを立ち上げ、バッハの無伴奏チェロ組曲を音量最大にしてリピート再生する。周囲からの雑音をそれによって完全に遮断し、眼鏡を掛けた。眼鏡の度は弱く、普段は掛けずとも困らないが何かに集中したい時に行う、識也にとってある種儀式の様なものだ。
まず識也は立ち上げた表計算ソフトに、功祐から得た情報を入力していく。名前は「少女A」だのと特徴が分かる程度に適当に。性別、体格などは、細かくセル毎に分けて整理する。死亡者については遺体、現場の状況など思いつく項目を、記憶の中の写真を確認しながら埋めていく。被害者の共通性の有無を確認するためだ。
功祐からの情報を一通り入力を終えると、識也は今後の被害者――つまりは伊藤しずると都月未来――の情報を付け加えていく。未来については凡そ識也も知っているが、しずるについては遠目で確認しただけなので、体格などについては大雑把に、居住地は空欄で、そして殺害場所はネット上の地図サービスの画像をコピーしてマッピングしていく。
出来上がった簡易データベースを簡単に眺めると、識也は立ち上がってコーヒーメーカーからカップに朝淹れたコーヒーを注ぐ。淹れてから時間が経っているため渋く苦いが、頭を働かせるこの状況にはちょうどいい。湯気の立ち上る液面を軽く吹いて冷ましながら、椅子の背もたれに体を預けてコーヒーを胃に流し込んだ。
そのまま画面を睨みつけながら考えこむ。コーヒーカップだけを口に付けた状態で、右手のマウスを使って時折データを並べ替えたりしながら識也は思考の海に沈んでいった。
数時間後、識也は溜息と共に頭を抱えた。
結論から言って、識也には何か手がかりに繋がるものは見出すことはできなかった。
写真やデータとにらめっこし、必死に頭を働かせた。その結果分かった事と言えば被害者に女性が多い事と、行方不明の女性は十代後半から二十代前半で、その内の幾人かは事件以前から度々家出などの非行が見られた事くらいという、見てすぐに分かる程度のものに過ぎなかった。唯一、貰ったデータの中で最も古い四年前の行方不明の少女だけが例から外れて品行方正な生徒だったようだが、それらの情報から新たな何かを見出すことができない。
(そもそもこの人たち全員が一連の事件と関係あるとは限らないからな……)
自分は名探偵などではない、と功祐には謙遜して言ったが全く以てその通りだ。小説の中の彼らみたいに都合よく何かを閃く事など無く、功祐には悪いがこのままもらった情報を見続けても時間の無駄に終わりそうな気しかしない。
「……」
眼鏡を外し目元を揉み解す。立ち上がってもう何杯目か分からないコーヒーをカップに注ぎ、椅子に座りなおす。溜息を吐きながら無機質な天井を眺めると、椅子がキィと鳴いた。
少なくとも、ノイズの混じった情報から真実を見抜く聡明さも勘の鋭さも自分には無い。たまに浮かんだ仮説もすぐに自らによって全て否定された。誰かの手を借りたくてもそんな相手など居ないし、また、事件の起きていない今の段階で警察に動いてもらう訳にもいかない。
(未来……)
脳裏に未来の死に顔が浮かぶ。識也の拳が自然と握り込まれた。
この先の事を知っているのは自分だけだ。思い描く未来の姿を手に入れるためにも、自分一人で何とかしなければならない。だから、ここで簡単に諦める訳にはいかないのだ。
「この先を……知っている?」
知らず眉間に皺が寄っていた識也だったが、思考の中で過った言葉が引っかかった。
「そうか……伊藤 しずると未来の二人の事件は起こるんじゃないか」
確かにこの世界では二人の身に何かは起こっていない。だが間違いなく、この先に二人は殺される。それも――恐らくは犯人は同じ。
「……アプローチを変えるか」
過去の情報ではなく将来の情報から得られるものは何か。功祐から貰ったものはどれが今回の事件に関わっているか分からないが、二人に関して識也が知っていることは全て、ノイズの混じっていない事実だ。識也は背もたれから体を起こし、机に肘を突いて口元を覆った。
まず伊藤 しずると都筑 未来の二人に共通するもの。それは女性であるということ。そして識也と同じ高校の生徒であるということだ。であれば、犯人は学校関係者、或いは学校の近くに住んでいて、彼女ら二人を知っている可能性が高い。
「……そういえば、学校の近くに不審者が居るって良太が言ってたな」
良太だけでなく担任教師もHRでそう伝えていた。性別については明言していなかったが、残念なことに現代日本においては不審者イコール男性という構図が成り立つ。例え女性が少々妙な行動をしていても、変わった女性と見られるだけで学校で警戒される程の不審人物とみなされる可能性は低い。
その不審者が男性であるとして、現時点での犯人第一候補。何処の誰かは知らないが、学校の近くを張り込みでもしておけばその彼が何者かは分かるか? いや、下手に警戒すると予想外の行動をとり始めることも考えられる。
確かに識也はこの先の出来事を知っているが、細かな出来事は変わりうる。全てが確定事項では無いのだ。ハッキリと犯人が分かっていない状況でそうするのは少々リスクが高そうに思えた。
「……」
しばし思考を巡らせ、識也は冷めたコーヒーに口をつけた。そしてまた少々思考の方向性を変えて二人のある共通点に焦点を当てる。
それはすなわち――遺体の状態だ。
「二人共首を斬り落とされていたよな……だが、どうしてそんな事をする必要がある?」
識也の脳内には明確に正確に二人の遺体の映像が再生されていた。棺に入った未来の寝顔が鮮明に思い出され、識也は下唇を強く噛み締め深い皺が眉間に刻まれる。
昂ぶる感情を飲み下し、気持ちを落ち着けて冷静に記憶の中の遺体を観察する。双方ともに鋭利な刃物で首が切断され、未来に至っては葬式の時点でも結局は体の方は見つかっていなかった。しずるの遺体を見る限りでは、頭部は暴行の跡があってかなり粗雑に扱われている反面、吊るされた肉体の方は傷も少なく丁寧に扱われている印象がある。
「体の方が必要だった? だが何に使う?」
しずるの遺体は首を斬り落とされた上に逆さに吊られていた。それはかなり手間だ。そんな手間を掛けるのは何かしらのそうしなければならない理由が存在するはず。
理由として識也が真っ先に思いついたのは臓器だ。非正規なルートで人間の臓器が売買されるといった噂は昔から枚挙に暇がない。肉体的に成熟して、しかも若く健康な臓器は必要としている人間からすれば魅力的だろう。その点、女子高生というのは理想的かもしれない。だがそうするとわざわざ首を斬り落とす必要はない。無駄な作業だ。
「体が必要じゃなくて頭が邪魔だったのか? 持ち運びの問題?」
それにしても頭部は、全身から考えれば大したサイズではないし絶対に斬り落とさなければならない理由としては弱い。
しばし考えるが識也はまたしても行き詰った。功祐に貰った情報を並べている時よりも先に進んだ感はあるし、幾つか正解そうな理由は思いつくが依然として自分の中でいまいちしっくりとこない。
「合理的な理由だけを追求しすぎなのか?」
ただ単に不要な部分を落としたというだけかもしれないし、犯人の気まぐれかもしれない。首を落とすことに意味はない。その可能性も否定できない。
犯人が体の部分だけを持ち去った理由はまだ不明だが、頭部に関しては深く考える必要はないのかもしれない。そう思いながら識也はベッドに寝転び、溜息を吐いた。
「しかし……犯人も全く分かっちゃいない。アレだけの綺麗な顔を残していくなんて」
馬鹿にしたように鼻を鳴らす。識也にしてみれば死体の頭部こそが最も価値がある場所だ。使わないからといって放置していくなど愚の骨頂。自分であれば使わないにしろ持ち帰ってじっくりと芸術品のように――
「――待てよ?」
ベッドから唐突に体を起こし、頭の隅を過った引っかかりに意識を集中する。
どうして自分はさっきから死体から一般的な意味ばかりを見出そうとしている? 一般的な価値のみを論じている?
立ち上がって台所へ移動。換気扇を回してタバコに火を点ける。煙が立ち上り、換気扇の奥へと吸い込まれていく。
自分は世間に溶け込もうとするあまりに、思考までそちらに寄せすぎていないだろうか? どうして金銭的価値や物質的意味にばかり解を追い求める必要があろうか。物の価値とは必ずしもそればかりではないというのに。
「もし――」
もしも犯人の思考が一般的なそれとはかけ離れていたら。もしも犯人の価値観が普通とは違いすぎていたら。
もしも犯人が――識也と同じく死体そのものに精神的な価値を見出しているとすれば。
「……」
灰が流しに落ち、ジュッと小さく音を奏でた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
それは奇妙な町でした
ねこしゃけ日和
ミステリー
売れない作家である有馬四迷は新作を目新しさが足りないと言われ、ボツにされた。
バイト先のオーナーであるアメリカ人のルドリックさんにそのことを告げるとちょうどいい町があると教えられた。
猫神町は誰もがねこを敬う奇妙な町だった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」
百門一新
ミステリー
雪弥は、自身も知らない「蒼緋蔵家」の特殊性により、驚異的な戦闘能力を持っていた。正妻の子ではない彼は家族とは距離を置き、国家特殊機動部隊総本部のエージェント【ナンバー4】として活動している。
彼はある日「高校三年生として」学園への潜入調査を命令される。24歳の自分が未成年に……頭を抱える彼に追い打ちをかけるように、美貌の仏頂面な兄が「副当主」にすると案を出したと新たな実家問題も浮上し――!?
日本人なのに、青い目。灰色かかった髪――彼の「爪」はあらゆるもの、そして怪異さえも切り裂いた。
『蒼緋蔵家の番犬』
彼の知らないところで『エージェントナンバー4』ではなく、その実家の奇妙なキーワードが、彼自身の秘密と共に、雪弥と、雪弥の大切な家族も巻き込んでいく――。
※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
放課後は、喫茶店で謎解きを 〜佐世保ジャズカフェの事件目録(ディスコグラフィ)〜
邑上主水
ミステリー
かつて「ジャズの聖地」と呼ばれた長崎県佐世保市の商店街にひっそりと店を構えるジャズ・カフェ「ビハインド・ザ・ビート」──
ひょんなことから、このカフェで働くジャズ好きの少女・有栖川ちひろと出会った主人公・住吉は、彼女とともに舞い込むジャズレコードにまつわる謎を解き明かしていく。
だがそんな中、有栖川には秘められた過去があることがわかり──。
これは、かつてジャズの聖地と言われた佐世保に今もひっそりと流れ続けている、ジャズ・ミュージックにまつわる切なくもあたたかい「想い」の物語。
SP警護と強気な華【完】
氷萌
ミステリー
『遺産10億の相続は
20歳の成人を迎えた孫娘”冬月カトレア”へ譲り渡す』
祖父の遺した遺書が波乱を呼び
美しい媛は欲に塗れた大人達から
大金を賭けて命を狙われる―――
彼女を護るは
たった1人のボディガード
金持ち強気な美人媛
冬月カトレア(20)-Katorea Fuyuduki-
×××
性悪専属護衛SP
柊ナツメ(27)-Nathume Hiragi-
過去と現在
複雑に絡み合う人間関係
金か仕事か
それとも愛か―――
***注意事項***
警察SPが民間人の護衛をする事は
基本的にはあり得ません。
ですがストーリー上、必要とする為
別物として捉えて頂ければ幸いです。
様々な意見はあるとは思いますが
今後の展開で明らかになりますので
お付き合いの程、宜しくお願い致します。
みんなみたいに上手に生きられない君へ
春音優月
ライト文芸
特別なことなんて何もいらないし、望まない。
みんなみたいに「普通」に生きていきたいだけなのに、私は、小さな頃からみんなみたいに上手に生きられないダメな人間だった。
どうしたら、みんなみたいに上手に生きられますか……?
一言でいい、嘘でもいい。
「がんばったね」
「大丈夫、そのままの君でいいんだよ」
誰かにそう言ってもらいたい、認めてもらいたいだけなのに。
私も、彼も、彼女も、それから君も、
みんなみたいに上手に生きられない。
「普通に生きる」って、簡単なようで、実はすごく難しいね。
2020.04.30〜2020.05.15 完結
どこにでもいる普通の高校生、であろうとする女の子と男の子の物語です。
絵:子兎。さま
ヘリオポリスー九柱の神々ー
soltydog369
ミステリー
古代エジプト
名君オシリスが治めるその国は長らく平和な日々が続いていた——。
しかし「ある事件」によってその均衡は突如崩れた。
突如奪われた王の命。
取り残された兄弟は父の無念を晴らすべく熾烈な争いに身を投じていく。
それぞれの思いが交錯する中、2人が選ぶ未来とは——。
バトル×ミステリー
新感覚叙事詩、2人の復讐劇が幕を開ける。
双珠楼秘話
平坂 静音
ミステリー
親を亡くして近所の家に引き取られて育った輪花は、自立してひとりで生きるため、呂家という大きな屋敷で働くことになった。
呂家には美しい未亡人や令嬢、年老いても威厳のある老女という女性たちがいた。
少しずつ屋敷の生活に慣れていく輪花だが、だんだん屋敷の奇妙な秘密に気づいていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる