2 / 23
第壱節(その1)
しおりを挟む-壱-
午前の授業終了を告げる鐘が鳴り、クラスメートに誘われて識也は食堂に向かった。
笑顔で雑談に応じながら廊下を歩き、他愛のない会話に興じながら日替わりのランチを胃に運ぶ。言葉を交わしながらも些かも知人の話す内容に興味は惹かれなかったがそんな素振りは全く見せない。適当に相槌を打ち、適度に話題を提供しながら普通の高校生を演じてみせる。
本質的に識也は一人を好む。他者との触れ合いというものをここ数年必要と感じた記憶はなく、しかしそれでは生きづらいこともまた理解している。大勢が居る中で一人で過ごすのに不満は無いし、むしろ他者と交わりながら生きる事の方が不満であるが、ぽつねんと交流を拒んでいるとそれが他者には歪に見えてしまうらしい。そうすると――識也には理解不能なのだが――要らない気を回してくる人間も存在するのだ。
不満を一切抱いていない識也からしてみれば余計なお世話と言う他無いのだが、だからといって完全に拒んでしまうのも軋轢を産んでしまう。そして然る後に自身に振りかかる事柄は些事と片付けるには面倒である事は中学の時に学習済みだ。だから高校入学以降は人懐っこい歳相応の顔を作ることを心掛け、そしてそれが苦もなく可能である程度に識也は器用であった。
「じゃあ俺はジュースと菓子でも買って戻るわ」
「おう、んじゃ俺らは先に戻ってるな」
時期はすでに十月。同じ教室で時を過ごすようになって半年以上が経過するが未だに名前さえ曖昧な友人もどきと別れて自動販売機へと向かう。器用さは持ち合わせていても演じるという精神的な疲労は如何ともしがたかった。
「ふぅ……」
誰かと共に生きる事は煩わしい。それどころか不快ですらある。だがそれも後一年と半年の我慢だ。
(……そう考えると長いな)
胃に詰め込んだ、いつ食べても味の違いが分からない昼飯が重い。アップルジュースの缶を大きく傾けて多少なりとも胃を労ってやる。そうしていると、建物の庇に隠れていた太陽が顔を出した。その眩しさに目眩がして、口から溜息が漏れた。
「こぉら! 昼間っから溜息なんかつきやがって!」
背後から楽しそうな声が掛けられ、直後の衝撃を前のめりになりながら受け止める。後ろからこっそり近づいて飛び掛かり、傍若無人にもヘッドロックをかましてくる人間など一人しか居ない。
識也は大きな溜息をこれ見よがしにもう一度吐いてみせた。
「重い。人が見てる。さっさと俺から降りろ、良太。そしてすぐに半径六,四〇〇キロ離れろ」
「地球から追放っ!?」
驚愕した声を振り向かずに聞きながら、識也は空になった缶をゴミ箱に投げ捨てた。
「いつもながらつっめてぇ奴。単なるスキンシップじゃん? 俺とお前の仲だろぉ? 良いじゃんかよぉ」
「ダメだ」
「なんでっ!?」
「存在が暑い。世界中に五体投地で謝罪しろ」
「ひどくねっ!? ……ってへぶぅっ!?」
酷評に衝撃を受けている隙に、識也は背中の同級生を全力で投げ捨てた。鮮やかな背負投げによって軽やかに芝生の上に叩きつけられ転がっていく。そうして止まった場所は、偶々歩いていた女子のスカートの中が見える位置。
背中の痛みも忘れてだらしなく鼻の下を伸ばした良太だったが、スカートの中身を目に焼き付ける間もなく悲鳴と共に顔面を上履きで踏み潰され、そのまま大の字になって動かなくなる。そんな良太を見て識也は小さく鼻を鳴らし、庇の奥から降り注ぐ日差しを手で遮りながら眼を細めた。
暦の上ではとうの昔に秋を迎えたというのに日中の気温は今日のようにまだ三十度を越えている。朝晩こそ幾分涼しくなってきたためTシャツの上に冬服の学生服を着ているが、正直今すぐにでも脱ぎたい気分だ。だというのに、男から抱きつかれるなど一体どんな拷問だ。
「おい、バカ。さっさと起きろ。そのままミミズみたく黒く焼け焦げたいなら構わんが」
「いつつ……誰のせいでこうなったと思ってやがる」
「さあ? 酷いことをする奴もいたもんだ」
「お前っだっつってんの!」
「冗談だ」
表情筋を動かす事なくそう言ってのけて、識也は良太に手を貸して立ち上がらせた。
良太――藤巻 良太は今の識也にとって唯一と言ってよい友人であった。
中学時からのクラスメートであり、人に興味を失った直後から今の表面を取り繕う事を覚えるまでの識也を知っている。その為に識也もまた良太の前で特段態度を取り繕うようなことはしない。
無論全てを曝け出すような事は無いが、必要以上に何かを演じるということに疲労を感じる識也にとって、素で良太とじゃれ合える時間は貴重なものだった。
(そういえば、最初に俺に話しかけた時も同じように跳びかかってきたんだっけな)
初対面の、それもクラスで浮いている様な根暗な奴に突然じゃれついてくる程に人懐こい性格の友人をマジマジと見る。当時から変わっていないな、と成長しない友人を残念に思う。だがその視線の意味は伝わらなかったようで、良太は首を傾げた。
「どーした?」
「いや、別に」
識也は視線を良太から外して教室へ向かって歩き始め、隣のクラス――二年C組の良太もまた並んで歩く。廊下を通過し階段を昇っていく。そして感じるのはあちこちからギョッとしたような視線だ。もういつもの事だが、いい加減にうざったいそれの原因である友人を横目で睨むと、これみよがしに溜息をついた。
「おいおい、さっきから人を見て溜息ばっかつきやがって何なんだよ。
――ハッ! まさか!」
「聞いてやるから言ってみろ」
「俺に惚れた?」
「死ね。
相変わらず浮いた格好してるなって思っただけだ」
随分とイイ性格をしていると自覚している識也と友人関係を続ける程に面倒見が良くて明るい良太。少々ふざけた性格ではあるが何処に行っても友達に困らないはず。だがその実、良太もまた友人と呼べる人間は少なかった。
その主要因は間違いなく見た目だ。どちらかと言えば「イケメン」と呼んでも差し支えない部類に入っているはずだが、短い髪はオレンジと表現することが全く以て正しいくらいに明るく染められ、耳や唇にピアスが付いている。未だ学ランではなくワイシャツで過ごしているが、だらしなく裾をズボンから出して腰にはジャラジャラとチェーンを垂らし、指にはいかついドクロの指輪がはめられている。おまけに、今はシャツの下に隠れているが背中から左腕に渡って盛大に刺青が刻まれていた。
「そっかぁ? 自分では結構イケてると思ってんだけど」
「TPOをわきまえろ。どこのライブ会場に来てるつもりだ、お前は」
そちら系のロックバンドのライブでは目立たないだろうが、今居る場所は曲がりなりにも表面上は大人しい生徒ばかりが通う普通の高校内だ。深く考えるまでもなくひどく目立つ浮いた格好であり、彼の本質を理解する以前に見た目だけで敬遠されている。
それでも良太自身は気にしていないどころか、逆に見た目だけで判断するような連中はこっちからお断りだと言わんばかりに敢えて友人を作ろうともしていなかった。
「いいだろ? これが俺なんだ。俺が俺であろうとするのを何人たりとも止めることは出来ねーんだよ!」
「その心がけは立派で称賛してやらんこともないが、紛うこと無く校則違反だからな?」
「校則如きで俺を縛ることは到底無理だな」
「お姉さまには?」
「縛られたい……って何言わせてんだよっ!」
「乗っかったのはお前だろうが。後バンバン叩くな。痛い」
性癖を暴露された友人からの攻撃を適当にいなしつつ、識也はクセになっているため息を吐いた。
「むしろ識也の方こそ疲れねーのかよ? そんないい子ちゃんの仮面を被り続けて」
「いいんだよ。ちょっとの苦労で平穏に過ごしてる方が、人前で素の自分で居る時の煩わしさよりよっぽど楽だ。
お前だって中学の俺を見てきたんだから分かるだろう? 望んでもないのに『みんな、水崎くんと仲良くしてあげて』だの『貴方の方からも心を開いてあげて』だの、うざくて仕方ない。親切の押し売りにはうんざりだ」
「まー、そりゃそうだな」吐き捨てるような識也の言葉を咎めるでもなく、あくびしながら同意してみせる。「ありゃ確かに面倒だ。『普通』からズレてただけでちょくちょく先公にゃ呼び出されるしな。俺もこのカッコ始めてどんだけ呼びだされた事か」
「お前はちっとは自重しろ。それで、俺に何か用があったんじゃなかったのか?」
識也が水を向けると良太は「そうだったそうだった」と頭を掻くと、ポケットからCDを取り出した。
「ほれ。こないだ言ってた、今俺の一押しアイドルのアルバム」
「ああ、悪いな。明日には返すよ」
良太の手からそれを受け取ると識也は自身の胸ポケットにそれを仕舞った。
クラスメートとの話題で最近の音楽やアイドルのネタは欠かせない。だが自宅のテレビは乾燥した作り笑いを垂れ流すだけで見向きもされず、たかが数千円とはいえCDの購入に遺産を使う気も起きない識也はこうして良太経由で得た情報で流行りを勉強するのが常であった。
「別にイイけどよ、そこまでしてクラスの連中と話を合わせる必要も無くね?」
「かもな。だが流行りを知って損は無いし、それに、たまに興味をそそられる曲に当たる事もある。音楽に特別興味があるわけじゃないけど、まあいい気分転換にもなるからな」
「なら自分で買えばいいじゃん」
「そもそもお前に教えてもらわなきゃ流行りの歌手さえ分からん。調べるのもメンドイ」
「このダメ人間め」
「褒め言葉だな、それは」
識也は勝ち誇った様に鼻で笑い、全く堪えた様子の無いその様に良太はがっくりと項垂れてみせる。
「まったく……みーちゃんもこんな奴の何処がいいんだか」
「知らん。俺の方こそ知りた――」
「あー! しーちゃんだっ!」
識也の後ろから響く女の子の叫び声。かと思えば、次の瞬間には「とぅっ!!」と威勢のよい掛け声が聞こえた。
普段は平凡なクセに識也を発見した時にだけ発揮される彼女の謎の脚力によって十メートルはあった距離が一瞬でゼロに詰められる。声を聞いた瞬間に識也も反応したのだが、振り返る間も無くあえなく背中には決して軽くはない衝撃と重量、更に普通の男子ならば鼻を伸ばすであろう柔らかい二つの感触がこれでもかと押し付けられたが、識也はなんとか踏みとどまることに成功した。
これが良太であれば下が硬いタイルだろうが問答無用で脳天から床に叩きつけるところだが、流石に良太ほどは頑丈ではないコイツを投げ飛ばす訳にもいかない。ずり落ちる彼女の尻を片手で支えながら空いている左手で顔を覆い、この短時間で何度目か分からないため息を吐いた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
それは奇妙な町でした
ねこしゃけ日和
ミステリー
売れない作家である有馬四迷は新作を目新しさが足りないと言われ、ボツにされた。
バイト先のオーナーであるアメリカ人のルドリックさんにそのことを告げるとちょうどいい町があると教えられた。
猫神町は誰もがねこを敬う奇妙な町だった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」
百門一新
ミステリー
雪弥は、自身も知らない「蒼緋蔵家」の特殊性により、驚異的な戦闘能力を持っていた。正妻の子ではない彼は家族とは距離を置き、国家特殊機動部隊総本部のエージェント【ナンバー4】として活動している。
彼はある日「高校三年生として」学園への潜入調査を命令される。24歳の自分が未成年に……頭を抱える彼に追い打ちをかけるように、美貌の仏頂面な兄が「副当主」にすると案を出したと新たな実家問題も浮上し――!?
日本人なのに、青い目。灰色かかった髪――彼の「爪」はあらゆるもの、そして怪異さえも切り裂いた。
『蒼緋蔵家の番犬』
彼の知らないところで『エージェントナンバー4』ではなく、その実家の奇妙なキーワードが、彼自身の秘密と共に、雪弥と、雪弥の大切な家族も巻き込んでいく――。
※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
放課後は、喫茶店で謎解きを 〜佐世保ジャズカフェの事件目録(ディスコグラフィ)〜
邑上主水
ミステリー
かつて「ジャズの聖地」と呼ばれた長崎県佐世保市の商店街にひっそりと店を構えるジャズ・カフェ「ビハインド・ザ・ビート」──
ひょんなことから、このカフェで働くジャズ好きの少女・有栖川ちひろと出会った主人公・住吉は、彼女とともに舞い込むジャズレコードにまつわる謎を解き明かしていく。
だがそんな中、有栖川には秘められた過去があることがわかり──。
これは、かつてジャズの聖地と言われた佐世保に今もひっそりと流れ続けている、ジャズ・ミュージックにまつわる切なくもあたたかい「想い」の物語。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
SP警護と強気な華【完】
氷萌
ミステリー
『遺産10億の相続は
20歳の成人を迎えた孫娘”冬月カトレア”へ譲り渡す』
祖父の遺した遺書が波乱を呼び
美しい媛は欲に塗れた大人達から
大金を賭けて命を狙われる―――
彼女を護るは
たった1人のボディガード
金持ち強気な美人媛
冬月カトレア(20)-Katorea Fuyuduki-
×××
性悪専属護衛SP
柊ナツメ(27)-Nathume Hiragi-
過去と現在
複雑に絡み合う人間関係
金か仕事か
それとも愛か―――
***注意事項***
警察SPが民間人の護衛をする事は
基本的にはあり得ません。
ですがストーリー上、必要とする為
別物として捉えて頂ければ幸いです。
様々な意見はあるとは思いますが
今後の展開で明らかになりますので
お付き合いの程、宜しくお願い致します。
みんなみたいに上手に生きられない君へ
春音優月
ライト文芸
特別なことなんて何もいらないし、望まない。
みんなみたいに「普通」に生きていきたいだけなのに、私は、小さな頃からみんなみたいに上手に生きられないダメな人間だった。
どうしたら、みんなみたいに上手に生きられますか……?
一言でいい、嘘でもいい。
「がんばったね」
「大丈夫、そのままの君でいいんだよ」
誰かにそう言ってもらいたい、認めてもらいたいだけなのに。
私も、彼も、彼女も、それから君も、
みんなみたいに上手に生きられない。
「普通に生きる」って、簡単なようで、実はすごく難しいね。
2020.04.30〜2020.05.15 完結
どこにでもいる普通の高校生、であろうとする女の子と男の子の物語です。
絵:子兎。さま
ヘリオポリスー九柱の神々ー
soltydog369
ミステリー
古代エジプト
名君オシリスが治めるその国は長らく平和な日々が続いていた——。
しかし「ある事件」によってその均衡は突如崩れた。
突如奪われた王の命。
取り残された兄弟は父の無念を晴らすべく熾烈な争いに身を投じていく。
それぞれの思いが交錯する中、2人が選ぶ未来とは——。
バトル×ミステリー
新感覚叙事詩、2人の復讐劇が幕を開ける。
双珠楼秘話
平坂 静音
ミステリー
親を亡くして近所の家に引き取られて育った輪花は、自立してひとりで生きるため、呂家という大きな屋敷で働くことになった。
呂家には美しい未亡人や令嬢、年老いても威厳のある老女という女性たちがいた。
少しずつ屋敷の生活に慣れていく輪花だが、だんだん屋敷の奇妙な秘密に気づいていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる