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3話
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◇◇◇
礼拝堂には、司祭様の説教を聞きに来た人たちが集まっていた。会衆席に座る人々が、司祭様と僕が入場したことに気付きハッと息を呑む。
「彼が噂の。美しい……」
誰かがそう漏らしたのが僕の耳に聞こえた。表面上は平静を装っていたけれど、内心では何度も頷いていた。そうでしょ。司祭様はびっくりするほど美しいんだ。――と、自分事でもないのに嬉しくなる。
人々は司祭様の説教を静かに聞いていた。中にはうつらうつらと眠りに落ちそうな人もいる。司祭様の前で居眠りをするなんて許しがたいことだが、正直に言えば、その気持ちは少し分かる。なぜなら司祭様の声は、たとえ怒り狂っている人でさえも正気に戻すことができるほど、優しく、柔らかく、心地よく心に響くからだ。
司祭様の説教が終わると、僕が「ホルコペア」と題された聖なる書の朗読をする。僕の声はよく通るのだと、司祭様にも礼拝者にも褒められる。
僕の朗読を、礼拝者が熱心に聞いているのが伝わってくる。先ほどまで居眠りしていた人さえも、姿勢を正して僕の方を見つめている。
ファリスティア教会は、この国の国教であるホルアデンセ教の教会だ。それも、五本の指に数えられるほど有名なところらしい。僕はこの教会しか知らないのでよく分からないが、ここの教会が有名なのは当然だと思う。なぜなら、カルファス司祭様が祭壇に立つからだ。それ以外に理由はない。
朗読のあとは、礼拝者が聖なる歌を歌う。その間に、僕や他の下級職位の聖職者が籠を手に持ち、会衆席を回る。
「こっち来た! やったぞ!」
僕が回っていた場所からそう遠くないところにいた男性の礼拝者が、歌うことも忘れてそう言ったのが聞こえた。僕が顔を上げると、その男性はふいと目を逸らし、歌うのを再開する。しかし拳は胸元でグッと握られたままだった。殴られるのではないかと心配になったが、そんなことはなかった。代わりに彼は、ポケットに入っていた小銭を全て籠に入れてくれた。
「お心感謝いたします。あなたに神の加護があらんことを」
献金をしてくれた人に、僕は丁寧にお礼をする。ひざまずき、その人の手を握り、祈りの言葉を捧げるのだ。
「あぁぁ……」
男性が言葉にならない声を出した。手が汗ばみ、微かに震えている。そしてハッとして、腰をかがめた。
否が応でもそこに視線が向いてしまい、彼が少し勃起していることに気付いた。
「ち、違うんすっ。違うんすっ!」
真顔でそこを眺める僕に、男性は意味の分からないことを言う。おそらく弁解したいのだろう。
僕はその男性に微笑みかけた。
「かまいません」
それだけ言って僕は立ち上がり、再び歩き出した。
誰が勃起した礼拝者を責められようか。この礼拝堂の中で、おそらく一番勃起したままでいるのは僕だというのに。
「おや、これはなんとまあ美しい」
会衆席を回っていると、また歌うのを止めて私語をした人と会った。思わずその人の顔を見てしまう。見知らぬ顔だ。よく来る礼拝者の顔はだいたい覚えているので、おそらく気まぐれにやって来た人か、他の町の人なのだろう。
その男性は、服装からして平民ではなかった。しわだらけの薄汚れた人々の中で、靴の先まで丹念に整えられている彼は浮いていた。
僕と目が合うと、男性はゆったりと目じりを下げた。やはり普通の人ではない。礼拝者の中で、僕とまともに目を合わせる人なんていないのに、この人はなんの遠慮もなく真っすぐ僕の目を見てくる。
年齢は二十歳を過ぎたあたりだろうか。落ち着きと余裕を纏わせた彼に、妙な嫌悪感を抱いた。
僕が通り過ぎようとすると、「ちょっと待って」と呼び止められた。そして男性は胸ポケットから財布を取り出し、それまでに集めた献金を合わせても足元にも及ばないほどの大金を籠の中に放り込む。
「えっ」
思わず声が出た。それは感動の思いからではなく、さらに増した嫌悪感から出たものだった。ここまでの大金を惜しげもなく献金するなんて、もはや下品だ。
僕が呆然としていると、男性は首を傾げた。
「あれ? してくれないのかい?」
「え?」
「ほら、他の礼拝者にやってたやつ」
「あ……。は、はい」
促され、僕は慌ててひざまずく。そして差し出された手を握り、祈りを捧げた。
男性は僕の祈りの言葉を聞いている様子もなく、僕の手をまじまじ見つめ、「うわ、すべすべ」などと呟いていた。
気分が悪くなり、祈りを早口で言い終える。さっさと手を離そうとしたのに、男性に握られる。
「あ、あの」
「ん?」
「離していただけませんか?」
「んー」
男性は歯切れの悪い返事をして、僕の頭に触れた。
礼拝者から聖職者に触れることなんて許されないことだ。近くにいた礼拝者たちも、顔を真っ青にしてその様子を見ていた。
僕はたまらなくなり、彼の手を振り払った。
「あなた、教会に来るのは初めてですか?」
「よく分かったね。気まぐれに来てみたんだ」
「教会は暇つぶしに来るような場所ではありません」
「ふうん? とても良い暇つぶしになったけどな」
その言葉にカッとなる。
「なんとバチ当たりな……!」
しかし、男性は鼻で笑うだけだった。
「あいにく、神なんて信じていないんでね。バチを当てる神ならなおさら」
話にならない。僕は彼に背を向け、「お帰りください」と言い捨てその場から去った。
それからも会衆席回りは続いたが、僕は苛立ちを押さえるので精いっぱいで、礼拝者に心からの祈りを捧げることができなかった。
礼拝堂には、司祭様の説教を聞きに来た人たちが集まっていた。会衆席に座る人々が、司祭様と僕が入場したことに気付きハッと息を呑む。
「彼が噂の。美しい……」
誰かがそう漏らしたのが僕の耳に聞こえた。表面上は平静を装っていたけれど、内心では何度も頷いていた。そうでしょ。司祭様はびっくりするほど美しいんだ。――と、自分事でもないのに嬉しくなる。
人々は司祭様の説教を静かに聞いていた。中にはうつらうつらと眠りに落ちそうな人もいる。司祭様の前で居眠りをするなんて許しがたいことだが、正直に言えば、その気持ちは少し分かる。なぜなら司祭様の声は、たとえ怒り狂っている人でさえも正気に戻すことができるほど、優しく、柔らかく、心地よく心に響くからだ。
司祭様の説教が終わると、僕が「ホルコペア」と題された聖なる書の朗読をする。僕の声はよく通るのだと、司祭様にも礼拝者にも褒められる。
僕の朗読を、礼拝者が熱心に聞いているのが伝わってくる。先ほどまで居眠りしていた人さえも、姿勢を正して僕の方を見つめている。
ファリスティア教会は、この国の国教であるホルアデンセ教の教会だ。それも、五本の指に数えられるほど有名なところらしい。僕はこの教会しか知らないのでよく分からないが、ここの教会が有名なのは当然だと思う。なぜなら、カルファス司祭様が祭壇に立つからだ。それ以外に理由はない。
朗読のあとは、礼拝者が聖なる歌を歌う。その間に、僕や他の下級職位の聖職者が籠を手に持ち、会衆席を回る。
「こっち来た! やったぞ!」
僕が回っていた場所からそう遠くないところにいた男性の礼拝者が、歌うことも忘れてそう言ったのが聞こえた。僕が顔を上げると、その男性はふいと目を逸らし、歌うのを再開する。しかし拳は胸元でグッと握られたままだった。殴られるのではないかと心配になったが、そんなことはなかった。代わりに彼は、ポケットに入っていた小銭を全て籠に入れてくれた。
「お心感謝いたします。あなたに神の加護があらんことを」
献金をしてくれた人に、僕は丁寧にお礼をする。ひざまずき、その人の手を握り、祈りの言葉を捧げるのだ。
「あぁぁ……」
男性が言葉にならない声を出した。手が汗ばみ、微かに震えている。そしてハッとして、腰をかがめた。
否が応でもそこに視線が向いてしまい、彼が少し勃起していることに気付いた。
「ち、違うんすっ。違うんすっ!」
真顔でそこを眺める僕に、男性は意味の分からないことを言う。おそらく弁解したいのだろう。
僕はその男性に微笑みかけた。
「かまいません」
それだけ言って僕は立ち上がり、再び歩き出した。
誰が勃起した礼拝者を責められようか。この礼拝堂の中で、おそらく一番勃起したままでいるのは僕だというのに。
「おや、これはなんとまあ美しい」
会衆席を回っていると、また歌うのを止めて私語をした人と会った。思わずその人の顔を見てしまう。見知らぬ顔だ。よく来る礼拝者の顔はだいたい覚えているので、おそらく気まぐれにやって来た人か、他の町の人なのだろう。
その男性は、服装からして平民ではなかった。しわだらけの薄汚れた人々の中で、靴の先まで丹念に整えられている彼は浮いていた。
僕と目が合うと、男性はゆったりと目じりを下げた。やはり普通の人ではない。礼拝者の中で、僕とまともに目を合わせる人なんていないのに、この人はなんの遠慮もなく真っすぐ僕の目を見てくる。
年齢は二十歳を過ぎたあたりだろうか。落ち着きと余裕を纏わせた彼に、妙な嫌悪感を抱いた。
僕が通り過ぎようとすると、「ちょっと待って」と呼び止められた。そして男性は胸ポケットから財布を取り出し、それまでに集めた献金を合わせても足元にも及ばないほどの大金を籠の中に放り込む。
「えっ」
思わず声が出た。それは感動の思いからではなく、さらに増した嫌悪感から出たものだった。ここまでの大金を惜しげもなく献金するなんて、もはや下品だ。
僕が呆然としていると、男性は首を傾げた。
「あれ? してくれないのかい?」
「え?」
「ほら、他の礼拝者にやってたやつ」
「あ……。は、はい」
促され、僕は慌ててひざまずく。そして差し出された手を握り、祈りを捧げた。
男性は僕の祈りの言葉を聞いている様子もなく、僕の手をまじまじ見つめ、「うわ、すべすべ」などと呟いていた。
気分が悪くなり、祈りを早口で言い終える。さっさと手を離そうとしたのに、男性に握られる。
「あ、あの」
「ん?」
「離していただけませんか?」
「んー」
男性は歯切れの悪い返事をして、僕の頭に触れた。
礼拝者から聖職者に触れることなんて許されないことだ。近くにいた礼拝者たちも、顔を真っ青にしてその様子を見ていた。
僕はたまらなくなり、彼の手を振り払った。
「あなた、教会に来るのは初めてですか?」
「よく分かったね。気まぐれに来てみたんだ」
「教会は暇つぶしに来るような場所ではありません」
「ふうん? とても良い暇つぶしになったけどな」
その言葉にカッとなる。
「なんとバチ当たりな……!」
しかし、男性は鼻で笑うだけだった。
「あいにく、神なんて信じていないんでね。バチを当てる神ならなおさら」
話にならない。僕は彼に背を向け、「お帰りください」と言い捨てその場から去った。
それからも会衆席回りは続いたが、僕は苛立ちを押さえるので精いっぱいで、礼拝者に心からの祈りを捧げることができなかった。
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