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夏休み中旬:怜

51話 8月16日:大企業の社長

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 鶴川社長との騒動があった次の日。義父はなにかに憑りつかれたような虚ろな目で僕を抱き続けた。その間、彼は小さな声でずっとなにかを呟いていた。でも僕には聞き取れなかった。もしかしたら鶴川社長に向けての呪いの言葉だったのかもしれないし、僕に対しての言葉だったのかもしれない。どちらにせよ、僕にはあまり興味はなかった。

 そしてその翌日、東京からわざわざ僕を抱きに来た奇特な大企業の社長が二人、僕が閉じ込められているマンションを訪れた。

 部屋の前で、義父と社長たちが何か話しているのが聞こえた。

「ドアの前にこのSPを置いといてもいいかな」
「はい。もちろんです」
「ありがとう」
「私もここでお待ちしておりますので、何かございましたらお声がけください」
「ああ」

 すでに契約を交わしたあとなのか、見知らぬ人二人だけが部屋に入って来た。

 僕はぽかんと口を開けた。匂いからして二人ともアルファだけれど、一人は女性だった。

 挨拶もせずにじっと女性を見つめてしまっていたことに気付いて、僕は慌てて立ち上がり、ぺこっと頭を下げた。

「は、はじめまして。遠いところ、おそれいります」

 男性が挨拶を返そうと口を開いたけれど、女性に先を越されていた。

「はじめまして! 株式会社〇〇のミサよ。ミサさんって呼んでね」
「は、はい……」

 初対面で名前呼びをさせるなんて、フレンドリーな社長だな……。
 ミサさんはびっくりするほど腰が細い、キリッとした顔の美人な女性だった。表情豊かで、親しみやすそうな雰囲気をまとわせている。

 次に男性が片手を上げる。

「怜くん、はじめまして。〇〇ホールディングスの鶯巣(うぐす)です。よろしく」
「よろしくお願いします……」

 鶯巣社長は、垂れ目で甘い色気がある、高級スーツをビシッと着こなす男性だった。彼の姿とアルファの匂いに、思わずポッと頬が熱くなる。

 ……いけないいけない。どうして今から僕を無理やり犯す人にときめかなきゃいけないんだ。それに僕には――

 ストップ。

 これ以上考えるのはやめよう。

 ミサさんと鶯巣社長は、三十半ばあたりの見た目をしていた。こんなに若くして大企業の社長をするなんて、よっぽど優秀なのだろう。

「じゃあ……ベッドにどうぞ……」

 僕がそう言うと、ミサさんと鶯巣社長は目を見合わせた。

「あら。もう少しおしゃべりしましょうよ」
「え? おしゃべり?」
「ええ。私、あなたのこともっと知りたいわ」
「は、はい……」

 鶯巣社長もミサさんに同意のようだ。彼らはオブジェクトとしてしか機能を果たしたことがない丸テーブルを囲み、席についた。僕もそこに座ったものの、顧客とセックス以外のことをするのははじめてで戸惑ってしまう。

 ミサさんはテーブルに肘をつき、品定めするようにじろじろと僕を見た。

「予想以上に上等な子ね。ねえ、そう思わない?」
「ああ。ここまでの子は今まで出会ったことがないね」
「さすがねえ」
「さすがだね」

 さすが鶴川社長ってことかな。彼はオメガ遊びに精通しているから、アルファの中で〝オメガソムリエ〟と呼ばれているくらい、そこそこ有名なんだ。

「ねえ、怜くんはどうしてこんなことしてるの?」
「えっ」

 割と長い時間をとりとめのない世間話に費やしたあと、ミサさんがそう尋ねた。
 言葉に詰まった僕に、ミサさんは質問を重ねる。

「お義父さんのため? それともお小遣い稼ぎ?」
「……」

 こんな質問、答えられないよ。
 押し黙っていたけれど、ミサさんは僕の答えをくみ取ったようだ。

「ここから逃げたい?」
「……」

 さっきからこの人は何を言っているんだ?
 僕を試しているのか……?

「い、いいえ」
「あら」
「ミサ。あまりイジめてやるな」

 鶯巣社長がうんざりした口調でミサさんをたしなめた。そして今度は鶯巣社長が僕に話しかける。

「怜くん、東京に興味はない?」
「……っ」

 東京。たった二カ月だけ、僕が暮らしていた場所。
 ……朱鷺がいる場所。僕の心がある場所……

「あるんだね。どうして?」
「それ、は……」

 言えない。でも、我慢できずに涙が出た。

「……すみません」
「かまわないよ」

 たぶん、この人は僕を買おうとしているんだ。東京に連れ帰って、僕を番にして、一生自分だけのものにしようとしている。いや、それならまだある意味良心的だ。義父のように、接待させる男娼として連れ帰る可能性の方が多いいだろう。

 僕は唾を呑み込み、口を開いた。

「あの」

 僕が立ち上がると、鶯巣社長とミサさんは微笑を浮かべたまま「どうしたの?」と尋ねた。

「あなたたちは、僕を義父から買い取って、東京に連れ帰るおつもりでしょうか……?」
「あら」
「ほう」

 鶯巣社長とミサさんが視線を交わす。

「だったら……その。ふたつ、お願いがあります」
「なんだい?」
「将来、僕をそちらの会社で働かせてくれませんか」
「おや。君は働かなくてもいいんだよ。働かなくても、養ってあげるから」
「いいえ。僕は自分で働いて、お金を稼ぎたいです。それで……母を、養いたいから……」

 鶯巣社長とミサはまた目で何かを語り合っていた。そのあと、鶯巣社長は頷く。

「かまわないよ」
「ありがとうございます……!」
「それで? もうひとつのお願いとは?」
「僕を番には……しないでほしいんです」
「ほう? なぜ」
「……」

 本当のことなんて言えない。
 僕は答えず、頭を下げた。

「お願いします……。その代わり、接待でもなんでもします。だから……」

 朱鷺以外の番になるくらいなら、猿のおもちゃになる方がましだ。

 隣で話を聞いていたミサさんが、ちょっと息を吸う。

「その首はすでに予約済みなのかしら?」
「……」
「ふうん」

 ミサさんはしばらく僕を見つめたあと、ニッコリ笑った。

「たかが男娼の分際で、私たちに条件を出してくるなんてビックリだわ」
「す、すみません……!」
「そのあつかましさ、私好きよ。それに……あなたのお願いは全部、大切な人のためだった。自分の身を犠牲にしてでも、守りたい人たちなのね」
「……っ」

 ミサさんは鶯巣社長に向けて言った。

「あなたはどう思う?」
「いいね。気に入った」
「私も」
「さすがだね」
「ええ、さすがだわ」

 おもむろにミサさんが立ち上がり、僕の手を引きベッドに向かった。彼女の背中に、鶯巣社長が声をかける。

「おい、ミサ。何をするつもりだ?」
「あなた、この子の匂いを間近に嗅いでいてよく我慢できるわね。私はもう限界よ」
「おい……」
「いいじゃない、ちょっとくらい」

 ミサさんは、まるでお人形をそっと枕の横に寝かせるように、優しく僕をベッドに寝かせた。彼女の長い髪が僕にかかる。

「あ、あの、ミサさん」
「ん?」
「僕、女の人とするの、はじめてで……」
「あら。最高」

 ミサさんが、細い指で僕の頬を撫でる。そっと唇を合わせ、すぐに離した。そして微笑をたたえ、僕を見る。

「優しくしてあげるから、楽にしていなさい」
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