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入ってきちゃいけません
第三十六話
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僕はロジェに背を向ける。
「そんな嘘……つかなくていいです」
「本当です。信じてください」
ローラン様がまだ僕のことを大切な人だと思ってくれているなんて、そんなの信じられるわけないじゃないか。
ロジェが僕をうしろから抱きしめる。
「あなたはいろいろと誤解しています。まあ、私が誤解させたんですけど」
ロジェが背後でクスクス笑うのが聞こえた。
「ご機嫌のところ申し訳ないのですが、今の僕にはあなたの冗談に付き合えるほどの余裕はないので……」
「ふふ。感傷に浸っているところ申し訳ありませんが、そろそろお仕事の時間が始まりますよ」
「えっ……」
お仕事って……ロジェの男娼としてのお仕事?
「あなた……昨晩あんなにしたのに、まだし足りないんですか!?」
「いやですねえ。何を言っているのやら」
ロジェは大きく伸びをしてからベッドを出た。
「ボーイとしての仕事ですよ」
◇◇◇
一時間後――
「いやですよ!! どんな顔してローラン様にお会いしたらいいんですか!!」
僕はロジェに引きずられ、ローラン様の部屋まで向かっていた。
「わがまま言うんじゃありません。これ以上サボられたらたまったものじゃないです。お忘れですか? あなた、契約よりも一日多く休暇を取ったんですよ。今月のお給金から一日分引かせてもらいますからね」
「僕なんかが部屋に入ったら、ローラン様が嫌がりますよ!!」
「あなた……」
ロジェは僕と目線を合わせ、ニッコリ笑った。
「ローラン様のことを何も理解していないのに、分かったようなクチをきくのはおやめなさいな」
そして僕の腰を思いっきり蹴り飛ばした。
「ふぎゃっ!」
蹴り飛ばされた僕は、ローラン様の部屋の中に倒れ込んだ。
目の前に、すっと手を差し出される。ローラン様の手だ。
「あ……」
顔を上げるのが怖い。
ローラン様は今、どんな顔をしているのだろう。
昨晩のような冷たい目を向けられていたらどうしよう。
僕が動けないでいると、その手がすっと引っ込んだ。
「エディ……」
「っ……」
ローラン様に名前を呼ばれ、思わず体が強張った。
ローラン様はぎゅっと拳を握る。
「昨晩は……すまなかった」
「い、いえ……。僕のほうこそ、ずっと……その、隠してて……ごめんなさい」
「……」
ローラン様が立ち上がる。
「エディ。君と話がしたい。いいか?」
「は、はい……」
「ソファに座ってくれ」
解雇の話かな。ロジェが止めてくれると助かるんだけど、やっぱり難しいのかな……
そんなことを考えながら、僕は指示された場所に座った。
ローラン様は、僕と向かいのソファに腰掛ける。
そんな小さなことに、ちょっと傷付いた。
「ロジェから聞いた。君はずっとフェロモンを抑える薬を呑んでいたって」
「……はい」
「副作用であんなに強い発情になるとか」
「はい……」
「だったら、これからは呑まなくていい」
「え……?」
思わず顔を上げてしまった。
ローラン様と目が合った。彼もそれに気付き、優しく微笑んだ。
「今まで無理をさせた。もう隠さなくていい」
「え……。え、え」
「実を言うと、そちらのほうが僕も助かるんだ。君のフェロモンの匂いに慣れておきたいし、薬を呑まないことで発情も弱くなるだろうから」
「? ……? ??」
間抜けな顔で口をパクパクしている僕を見て、ロジェが噴き出した。
「ああ、面白い」
僕はロジェのネクタイを引っ張り、耳を寄せる。
「ロジェさん! なんか思ってた感じじゃありません……!!」
「ええ、そうですよ。これが現実です。あなたの妄想とは似ても似つきません」
「ほんとにこれが現実なんですか!?」
「はい」
「嘘です! だって……だって……!!」
そのとき、ローラン様が不機嫌そうにローテーブルを蹴った。
「ひっ!?」
「そういえばロジェ……。エディの発情が治まっているようだが……。お前、僕の言いつけを破ったな」
睨みつけられているのに、ロジェは悪びれもせずにニコニコしながら頷いた。
「はい」
「躾のなっていない執事だな」
「ふふ。実を言いますと、私、少しあなたに怒っておりまして」
「……」
「ちょっとあなたに嫌がらせ……もとい、お仕置きを」
「はあ……」
それに、とロジェが付け加える。
「これからもあなたがエディにひどいことをすれば、私は何度でもあなたの言いつけを破りますよ」
そしてロジェは、ローラン様にも聞こえる声で僕に耳打ちする。
「エディ、聞いてくださいよ。ローラン様ったらとってもワガママなんですよ? あなたにあんな仕打ちをしたくせに、私にあなたを抱くなと言うのです。たとえ発情を治めるためだとしても、どうしても嫌だと言って聞かなくて」
「え、え……? え?」
「でも私、我慢できなくてあなたを抱いちゃいました。ふふ」
ロジェは僕を抱き寄せ、横目でローラン様を見ながら言った。
「エディ。昨晩のあなた、とっても素敵でしたよ」
ローラン様は聞こえないふりをしているけれど、額に青筋を立てている。
「私ともはじめてキッスをしてくださいましたね。またしましょうね。昨晩のような濃厚なキッスを」
ローラン様が勢いよく立ち上がり、廊下を歩いていたメイドを呼び止めた。
「メイド」
「は、はいっ。どうされましたか、ローラン様」
「殺傷能力の高そうな鈍器を持ってきてくれ」
「はい……?」
殺意を高めているローラン様を見て、ロジェは腹をかかえて笑った。
さっきからのやり取りに、僕だけがついていけていない。どういう意味?
ロジェは笑いすぎて出た涙を拭いながら、僕に話しかけた。
「もうお分かりですね、エディ?」
「いいえ? 全く?」
「ああ。なんて物わかりの悪い子なんでしょう」
ひとしきり笑ってから、ロジェがローラン様に恭しく会釈をした。
「ローラン様。私の言葉ではエディは何も信じてくれません。どうかあなたの口から、あなたの言葉で」
ローラン様はこくりと唾を呑み込み――
僕の前で跪いた。
「エディ。昨晩のことは、本当にすまなかった。何度詫びても足りないほどに、君を傷付けたと思う」
「ローラン様! 僕に跪くなんて、そんなこと、しないでください……!」
「君がオメガだと知って、すごく驚いた」
「……」
「でも、それより驚いたことは――」
ローラン様が僕の手を握る。
「発情しているにもかかわらず僕を拒絶して、僕を守ってくれたことだ」
「そんな……当然のことをしたまでです……」
「僕には分かる。二次性に抗う難しさがどれほどのものなのか。少なくとも僕は、今までできたことがない」
ローラン様が僕を見上げた。その目には、慈しみと尊敬の気持ちが滲んでいた。
「二次性に呑み込まれることより、二次性に抗うことのほうが難しい。君はそれをやってのけた。僕のために……」
ローラン様の手に力がこもっていく。
「エディ。僕は昨晩、そんな君に……強い心を持ったオメガの君に、二度目の恋をしたんだ」
「そんな嘘……つかなくていいです」
「本当です。信じてください」
ローラン様がまだ僕のことを大切な人だと思ってくれているなんて、そんなの信じられるわけないじゃないか。
ロジェが僕をうしろから抱きしめる。
「あなたはいろいろと誤解しています。まあ、私が誤解させたんですけど」
ロジェが背後でクスクス笑うのが聞こえた。
「ご機嫌のところ申し訳ないのですが、今の僕にはあなたの冗談に付き合えるほどの余裕はないので……」
「ふふ。感傷に浸っているところ申し訳ありませんが、そろそろお仕事の時間が始まりますよ」
「えっ……」
お仕事って……ロジェの男娼としてのお仕事?
「あなた……昨晩あんなにしたのに、まだし足りないんですか!?」
「いやですねえ。何を言っているのやら」
ロジェは大きく伸びをしてからベッドを出た。
「ボーイとしての仕事ですよ」
◇◇◇
一時間後――
「いやですよ!! どんな顔してローラン様にお会いしたらいいんですか!!」
僕はロジェに引きずられ、ローラン様の部屋まで向かっていた。
「わがまま言うんじゃありません。これ以上サボられたらたまったものじゃないです。お忘れですか? あなた、契約よりも一日多く休暇を取ったんですよ。今月のお給金から一日分引かせてもらいますからね」
「僕なんかが部屋に入ったら、ローラン様が嫌がりますよ!!」
「あなた……」
ロジェは僕と目線を合わせ、ニッコリ笑った。
「ローラン様のことを何も理解していないのに、分かったようなクチをきくのはおやめなさいな」
そして僕の腰を思いっきり蹴り飛ばした。
「ふぎゃっ!」
蹴り飛ばされた僕は、ローラン様の部屋の中に倒れ込んだ。
目の前に、すっと手を差し出される。ローラン様の手だ。
「あ……」
顔を上げるのが怖い。
ローラン様は今、どんな顔をしているのだろう。
昨晩のような冷たい目を向けられていたらどうしよう。
僕が動けないでいると、その手がすっと引っ込んだ。
「エディ……」
「っ……」
ローラン様に名前を呼ばれ、思わず体が強張った。
ローラン様はぎゅっと拳を握る。
「昨晩は……すまなかった」
「い、いえ……。僕のほうこそ、ずっと……その、隠してて……ごめんなさい」
「……」
ローラン様が立ち上がる。
「エディ。君と話がしたい。いいか?」
「は、はい……」
「ソファに座ってくれ」
解雇の話かな。ロジェが止めてくれると助かるんだけど、やっぱり難しいのかな……
そんなことを考えながら、僕は指示された場所に座った。
ローラン様は、僕と向かいのソファに腰掛ける。
そんな小さなことに、ちょっと傷付いた。
「ロジェから聞いた。君はずっとフェロモンを抑える薬を呑んでいたって」
「……はい」
「副作用であんなに強い発情になるとか」
「はい……」
「だったら、これからは呑まなくていい」
「え……?」
思わず顔を上げてしまった。
ローラン様と目が合った。彼もそれに気付き、優しく微笑んだ。
「今まで無理をさせた。もう隠さなくていい」
「え……。え、え」
「実を言うと、そちらのほうが僕も助かるんだ。君のフェロモンの匂いに慣れておきたいし、薬を呑まないことで発情も弱くなるだろうから」
「? ……? ??」
間抜けな顔で口をパクパクしている僕を見て、ロジェが噴き出した。
「ああ、面白い」
僕はロジェのネクタイを引っ張り、耳を寄せる。
「ロジェさん! なんか思ってた感じじゃありません……!!」
「ええ、そうですよ。これが現実です。あなたの妄想とは似ても似つきません」
「ほんとにこれが現実なんですか!?」
「はい」
「嘘です! だって……だって……!!」
そのとき、ローラン様が不機嫌そうにローテーブルを蹴った。
「ひっ!?」
「そういえばロジェ……。エディの発情が治まっているようだが……。お前、僕の言いつけを破ったな」
睨みつけられているのに、ロジェは悪びれもせずにニコニコしながら頷いた。
「はい」
「躾のなっていない執事だな」
「ふふ。実を言いますと、私、少しあなたに怒っておりまして」
「……」
「ちょっとあなたに嫌がらせ……もとい、お仕置きを」
「はあ……」
それに、とロジェが付け加える。
「これからもあなたがエディにひどいことをすれば、私は何度でもあなたの言いつけを破りますよ」
そしてロジェは、ローラン様にも聞こえる声で僕に耳打ちする。
「エディ、聞いてくださいよ。ローラン様ったらとってもワガママなんですよ? あなたにあんな仕打ちをしたくせに、私にあなたを抱くなと言うのです。たとえ発情を治めるためだとしても、どうしても嫌だと言って聞かなくて」
「え、え……? え?」
「でも私、我慢できなくてあなたを抱いちゃいました。ふふ」
ロジェは僕を抱き寄せ、横目でローラン様を見ながら言った。
「エディ。昨晩のあなた、とっても素敵でしたよ」
ローラン様は聞こえないふりをしているけれど、額に青筋を立てている。
「私ともはじめてキッスをしてくださいましたね。またしましょうね。昨晩のような濃厚なキッスを」
ローラン様が勢いよく立ち上がり、廊下を歩いていたメイドを呼び止めた。
「メイド」
「は、はいっ。どうされましたか、ローラン様」
「殺傷能力の高そうな鈍器を持ってきてくれ」
「はい……?」
殺意を高めているローラン様を見て、ロジェは腹をかかえて笑った。
さっきからのやり取りに、僕だけがついていけていない。どういう意味?
ロジェは笑いすぎて出た涙を拭いながら、僕に話しかけた。
「もうお分かりですね、エディ?」
「いいえ? 全く?」
「ああ。なんて物わかりの悪い子なんでしょう」
ひとしきり笑ってから、ロジェがローラン様に恭しく会釈をした。
「ローラン様。私の言葉ではエディは何も信じてくれません。どうかあなたの口から、あなたの言葉で」
ローラン様はこくりと唾を呑み込み――
僕の前で跪いた。
「エディ。昨晩のことは、本当にすまなかった。何度詫びても足りないほどに、君を傷付けたと思う」
「ローラン様! 僕に跪くなんて、そんなこと、しないでください……!」
「君がオメガだと知って、すごく驚いた」
「……」
「でも、それより驚いたことは――」
ローラン様が僕の手を握る。
「発情しているにもかかわらず僕を拒絶して、僕を守ってくれたことだ」
「そんな……当然のことをしたまでです……」
「僕には分かる。二次性に抗う難しさがどれほどのものなのか。少なくとも僕は、今までできたことがない」
ローラン様が僕を見上げた。その目には、慈しみと尊敬の気持ちが滲んでいた。
「二次性に呑み込まれることより、二次性に抗うことのほうが難しい。君はそれをやってのけた。僕のために……」
ローラン様の手に力がこもっていく。
「エディ。僕は昨晩、そんな君に……強い心を持ったオメガの君に、二度目の恋をしたんだ」
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