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番外編
王子の惚れ薬 1
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ここからは番外編(後日談?)で、本編の「いつか」の一年後の話となります。
カイリが百花にプロポーズした後、ダイスで一緒に暮らし始めてます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ダイスの城は、街の真ん中に建っている。その北側に広がる森には、甘い果実をつけたり、その葉を煎じれば薬湯となるような、人間に有用なものばかりが群生していた。その恩恵に感謝して、人々は北の森を「恵みの森」と呼ぶ。
その森の入口を入ってすぐの、小さな湖の脇。そこに百花とカイリの新居があった。木のぬくもりを感じる二階建ての家と、温室付きの研究所。「二人の門出を祝って」とウェインとアリスが建ててくれたものだ。
あの日、二人で永遠を誓ってから一年。
百花とカイリはのんびりとそこで暮らしていた。
城の温室からそう遠くなく、恵みの森の資源は採り放題。おまけに上質な水源もそばにあるということで、カイリが薬草学に打ち込むにはうってつけの場所だ。
百花の方も、広めに作ってもらったキッチンのおかげで、思う存分にパン作りができている。いつかお店を開きたいと思いながら、今は色々なパンの試作を重ねているところ。できあがったものは、カイリだけでなく、ウェインやアリスに試食してもらっている。
「今日は少し研究室にこもるよ」
とある日の朝。
遠くでかすかに聴こえる朝の鐘の音を気にしてから、カイリは百花に告げた。テーブルの上に並んだ朝食は、お互い食べ終えている。いつもならば食後のお茶を飲もうというところだ。
「多分、昼食の時間には戻らないと思うから、先に食べてて」
急ぎの薬の依頼でも入ったのだろうか。それとも、研究成果がもう少しで出そうとか?
まあそのどっちかだろうとあたりをつけて、百花は「わかった」とうなずいた。
「そしたら、お昼ごはんは届けてあげるよ。今日はナッツのパンとコッペパン焼くから、適当に何かはさんでいくね」
「うん、助かる。ありがとう」
百花の言葉に、カイリは柔らかく微笑んだ。その表情から、以前のような少年らしさは消えている。身長も少しだけ伸びたし、なんだか声まで低くなった気さえする。
髪が伸びたことも関係するかもしれない。肩先につきそうなくらいに伸びた髪を、後ろで一つにまとめるようになって、雰囲気も変わった。
(なんか最近やけに余裕を感じるもんなぁ……。どっしり落ち着いた感じというか。かっこよくなったと言うか……)
「──どうしたの?」
百花の視線についに耐えられなくなったのか、カイリがたずねてきた。大きくて青い目がまっすぐに自分を見つめている。いつものことなのだけれど、どこか照れくさくなってしまって、百花は明るくごまかした。
◆
カイリを研究所へ送り出した後、百花は予定通り二種類のパンを焼いた。コッペパンには燻製肉などをはさんで、お昼の鐘が鳴る前にカイリには差し入れをする。このまま城にいるウェインやアリスにも届けに行こうと準備をしているところで、どっしりとしたノックの音が響いた。
普段は来客などない家だ。不思議に思ってドアを開けると、そこにいたのはオミの国の第二王子──エンハンスだった。
「ハンス!?」
明るい金色の髪をもち、がっちりした体格が軽装でもよくわかる。それがエンハンスだった。記憶よりも髪が少し短くなって、眉毛のりりしさが際立つようになっている。
前回会ったのは、半年ほど前のオミの国の建国式典。その時はかしこまった場だったので、少し会話を交わして別れていたのだが。
今のエンハンスはゆったりしたシャツにズボンというラフな格好だ。とてもじゃないが公式の用事とは思えない。それどころか、王族だということすら伺えないほど。
でも彼ほどの立場の人が、ひょっこり来るなんて信じられない。聞いてない。
「久しぶり。元気そうだな」
エンハンスは明るく言うと「──入っても?」と百花にたずねた。そういえば彼がここに来るのは久しぶりだ。それこそ一年前、ここに暮らし始めたときにお茶を飲みに来た以来だった。
百花はあわててエンハンスをダイニングテーブルへと案内し、椅子の一つをすすめた。そしてお茶を出すより先に、カイリを呼びに行く。
彼は彼で突然のエンハンスの来訪は寝耳に水だったようで、作業を止めて家へと戻って来た。
「今、こんなとこにいていいわけ?」
カイリがエンハンスを見てまず口にしたのが、それだった。
「おいおい、再会の挨拶にしてはそっけないな」
エンハンスはゆったりと椅子に座ったまま、楽しそうにカイリを見つめ返す。カイリは呆れた表情を隠しもせずに、その向かいに座った。
「そりゃ言うでしょ。結婚の式典の準備は佳境だって聞いてる」
そう。エンハンスは一ヶ月後に結婚することが決まっている。
前回の建国式典で大々的に発表されたのが、彼と帝国の皇女の婚姻だった。帝国側の正当な後継者はこの皇女一人。よって、エンハンスが婿入りすることになっている。
これから先、二国が争うことなく繁栄していけるように──事実上の同盟の締結。その犠牲になるのがエンハンスだった。
「人質になる準備のことか? まあ何かと物入りだからな」
うまくいけば、皇女の婿という立場を利用して、帝国内での地位を獲得できる。けれど同時に、オミの国にとっての人質でもある。
両国家の複雑な思惑が絡み合う婚姻だった。
肩をすくめて自嘲するエンハンスに、どこかやりきれないものを感じながら、百花はハーブティーを置いた。カイリ特製の調合で、花の香りがただよう穏やかな甘みのお茶だ。
(ザ・政略結婚って感じだもんね。……ハンスが乗り気になれないのも、仕方ないよね……)
普段の明るく豪胆なエンハンスでも、自分自身の道行きには何か思うことがあるんだろう。百花は少しでも気分が変わるように「ハンスが帝国に行ったら、わたしすぐに遊びに行くよ!」と、声を張った。
(眷属の力を使えば、空間転移の魔法でちょちょいと行けちゃうし)
言えない部分は心の中だけでつぶやく。カイリは百花を含みのある目で見やったけれど、そこには触れず「それで? 何か用事があるんでしょ?」とエンハンスを促した。
「そう。婿入り道具、っていうにはちょっとあれなんだが、カイリに用意してもらいたいものがあるんだ」
「いいよ、何の薬?」
ここに来てカイリに頼むものがあるとすれば、それしかない。
カイリは以前自分がかかっていた肺の病の画期的な薬を開発した後、今は魔力回復薬を研究していた。
もちろんそれ以外にも、大抵の薬は調合できる。
おそらく彼もどんな薬でも請け負えると構えていたのだろう。
けれど──。
「惚れ薬」
放たれたエンハンスの言葉に、百花もカイリも目を丸くした。
まったくの予想外だった。
「だ、誰が誰に使うの?」
百花のとまどいに対して、エンハンスは軽く微笑むと「俺がフィルリーン嬢に使うのさ」と言った。
フィルリーンとは、エンハンスの婚約者──帝国の皇女の名である。確か年齢は十八で、エンハンスよりも五つ年下だとか。
カイリは真顔になって、エンハンスの真意を探るような視線を向けている。
「何度か顔を合わせたんだが、もうフィルリーン嬢のそっけなさたるや、氷みたいに冷たくてね。一応夫婦となるならば、仲良くしたいじゃないか」
「──だったら逆じゃないの? フィルリーン皇女に薬を使って、ハンスに惚れさせるようにした方がいいんじゃない?」
カイリが冷静に問い返す。百花も確かに、と思ったけれど、エンハンスは「そんなのはいらない」と首を横に振った。
「俺が今のフィルリーン嬢に惚れたいんだよ。そうすれば、冷たくされても楽しめるだろう?」
(そんなものかなぁ……?)
オミの国に来たばかりの頃、カイリに冷たくされてひどく凹んでいた時期を思い出して、百花は素直にうなずけなかった。
(あの頃は必死で、全然楽しさなんかなかったけどな……)
けれど、カイリはそうでもないらしい。
「──わからなくもない、かも」
そんなコメントだ。
このあたりの感覚は男女差でもあるんだろうか。
百花はふーむと首をかしげつつ、お茶を飲んで二人の会話を見守ることにした。
「で、どうなんだ? できる?」
「わかんないよ。作ったことないし、作ろうと思ったこともない。──ただ、やってはみる」
長くなった前髪をかきあげて、カイリは息をついた。お茶を一口飲んで「あんまり期待はしないでよ」と釘をさす。
エンハンスは「もちろん」と満足そうに微笑んだ。
◆
その日から、カイリは魔力回復薬ではなく、惚れ薬の研究にいそしむようになった。
「誰かを好きになるって言うのは幻覚みたいなものだから」だとか「理性じゃなくて感情が暴走するようにしむける」と言う、惚れ薬作成の方向性を聞いて、百花は人知れずドキドキしていた。
(そんな魔法みたいな薬、できるものなの!? あ、ていうかそういう魔法ないの!? ハンスほどの魔力の持ち主なら使えそうだけど……)
恋に人為的な力が作用するなんて、あり得るんだろうか。
心のあり方を変えてしまうような、そんな大きな影響力のある薬なんて、作れるんだろうか。
やきもきしながら日々を過ごすこと二週間。
その夜、研究室から戻って来たカイリは一つの小瓶を持って来た。親指ほどの小瓶の中には、真っ青な液体。
「──とりあえず、試作品ができたよ」
食事を済ませた後で、カイリはそれをテーブルの上に置いた。その薬を百花はまじまじと見つめる。
「ここに相手と自分の魔力を注げば完成。魔力量が多い方が少ない方のことを意識するようになる、はず」
「へぇ……」
十種類くらいの薬草をあれこれ混ぜたそうだ。主に、幻覚を見せたり、感覚を麻痺させるような毒薬系を。
(物騒な薬だなぁ……カイリが作ったんじゃなければ絶対信じられないやつ)
まじまじと見つめても、その液体が何かを起こすわけじゃない。
「それで、モモカ──」
カイリが瞳を揺らして、百花を見つめた。言いにくいことを言う時の癖で、前髪を何度もさわって気にしている。
それでわかった。
「いいよ、わたしたちで試してみようよ! これ!」
ていうよりも、元からそのつもりだった。
いつもカイリが新しい薬を作った時は、毒味役を二人のどちらかでしているのだから。
新しい薬の効果を確かめるのは重要だ。エンハンスはオミの国を背負う大事な人だ。今回は材料も危険なものを使っているようだし、間違いがあってはいけない。
「今でもカイリのこと好きだけど、もっと好きになるってことでしょ?」
「──そ、いうことだけど……」
「さっそく飲もう! あ、わたしがカイリを好きになる方にして!」
「なんでそっちがいいの?」
「え? なんか楽しそうだから」
今の毎日は幸せだ。十分満たされている。
カイリへの想いだって、その強さに迷いも疑いもない。
だからこそ、これ以上カイリを好きになれることがあるならば、体感してみたい。
百花の勢いがカイリには少しだけ意外だったようだ。しばらく百花と薬を交互に眺めていたが、やがて決意したのか「じゃあ……僕が最初に魔力入れるから、次はモモカね」と言った。
カイリが小瓶の蓋を開けて、指先から少しだけ魔力を注ぐ。静かに中身が揺れて、その色が黄色に変化した。無言で促されて、百花も指先に魔力を集める。眷属になって魔力を得てから一年、だいぶその大小のコントロールもできるようになった。
(どれくらいいるんだろう?)
カイリよりも多く、ということでちょっとだけ力を込めると「多すぎ」とストップがかかった。液体が一瞬だけ泡立って、色は真っ赤に変わった。
「魔力を注ぐと色が変わる仕掛けなんて、綺麗だねぇ」
きらきらと輝いてみるその液体を眺めながら「でも、ハンスがこれを使おうとしたら、フィルリーン様の協力が必要じゃない? 惚れ薬ってばれてもいいの?」とふと思いついたことをたずねる。
カイリは表情を変えることなく「魔力を吸い取るような魔法があるんだ。ハンスは使えるから大丈夫」と言った。
(なるほど、相手が寝てる時とかにそっと吸い取ったりすれば気づかれることもないだろうし)
これで薬の効力さえきちんと出れば、問題ないということだ。
「じゃあ飲もうかな」
ためらいなく小瓶をとって口元に運ぼうとすると「モモカって……」としみじみとカイリが呟いた。
「たまに、ものすごく潔いよね……」
「ふふ、ありがと!」
そして、百花は一気にその薬を飲みほした。
カイリが百花にプロポーズした後、ダイスで一緒に暮らし始めてます。
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ダイスの城は、街の真ん中に建っている。その北側に広がる森には、甘い果実をつけたり、その葉を煎じれば薬湯となるような、人間に有用なものばかりが群生していた。その恩恵に感謝して、人々は北の森を「恵みの森」と呼ぶ。
その森の入口を入ってすぐの、小さな湖の脇。そこに百花とカイリの新居があった。木のぬくもりを感じる二階建ての家と、温室付きの研究所。「二人の門出を祝って」とウェインとアリスが建ててくれたものだ。
あの日、二人で永遠を誓ってから一年。
百花とカイリはのんびりとそこで暮らしていた。
城の温室からそう遠くなく、恵みの森の資源は採り放題。おまけに上質な水源もそばにあるということで、カイリが薬草学に打ち込むにはうってつけの場所だ。
百花の方も、広めに作ってもらったキッチンのおかげで、思う存分にパン作りができている。いつかお店を開きたいと思いながら、今は色々なパンの試作を重ねているところ。できあがったものは、カイリだけでなく、ウェインやアリスに試食してもらっている。
「今日は少し研究室にこもるよ」
とある日の朝。
遠くでかすかに聴こえる朝の鐘の音を気にしてから、カイリは百花に告げた。テーブルの上に並んだ朝食は、お互い食べ終えている。いつもならば食後のお茶を飲もうというところだ。
「多分、昼食の時間には戻らないと思うから、先に食べてて」
急ぎの薬の依頼でも入ったのだろうか。それとも、研究成果がもう少しで出そうとか?
まあそのどっちかだろうとあたりをつけて、百花は「わかった」とうなずいた。
「そしたら、お昼ごはんは届けてあげるよ。今日はナッツのパンとコッペパン焼くから、適当に何かはさんでいくね」
「うん、助かる。ありがとう」
百花の言葉に、カイリは柔らかく微笑んだ。その表情から、以前のような少年らしさは消えている。身長も少しだけ伸びたし、なんだか声まで低くなった気さえする。
髪が伸びたことも関係するかもしれない。肩先につきそうなくらいに伸びた髪を、後ろで一つにまとめるようになって、雰囲気も変わった。
(なんか最近やけに余裕を感じるもんなぁ……。どっしり落ち着いた感じというか。かっこよくなったと言うか……)
「──どうしたの?」
百花の視線についに耐えられなくなったのか、カイリがたずねてきた。大きくて青い目がまっすぐに自分を見つめている。いつものことなのだけれど、どこか照れくさくなってしまって、百花は明るくごまかした。
◆
カイリを研究所へ送り出した後、百花は予定通り二種類のパンを焼いた。コッペパンには燻製肉などをはさんで、お昼の鐘が鳴る前にカイリには差し入れをする。このまま城にいるウェインやアリスにも届けに行こうと準備をしているところで、どっしりとしたノックの音が響いた。
普段は来客などない家だ。不思議に思ってドアを開けると、そこにいたのはオミの国の第二王子──エンハンスだった。
「ハンス!?」
明るい金色の髪をもち、がっちりした体格が軽装でもよくわかる。それがエンハンスだった。記憶よりも髪が少し短くなって、眉毛のりりしさが際立つようになっている。
前回会ったのは、半年ほど前のオミの国の建国式典。その時はかしこまった場だったので、少し会話を交わして別れていたのだが。
今のエンハンスはゆったりしたシャツにズボンというラフな格好だ。とてもじゃないが公式の用事とは思えない。それどころか、王族だということすら伺えないほど。
でも彼ほどの立場の人が、ひょっこり来るなんて信じられない。聞いてない。
「久しぶり。元気そうだな」
エンハンスは明るく言うと「──入っても?」と百花にたずねた。そういえば彼がここに来るのは久しぶりだ。それこそ一年前、ここに暮らし始めたときにお茶を飲みに来た以来だった。
百花はあわててエンハンスをダイニングテーブルへと案内し、椅子の一つをすすめた。そしてお茶を出すより先に、カイリを呼びに行く。
彼は彼で突然のエンハンスの来訪は寝耳に水だったようで、作業を止めて家へと戻って来た。
「今、こんなとこにいていいわけ?」
カイリがエンハンスを見てまず口にしたのが、それだった。
「おいおい、再会の挨拶にしてはそっけないな」
エンハンスはゆったりと椅子に座ったまま、楽しそうにカイリを見つめ返す。カイリは呆れた表情を隠しもせずに、その向かいに座った。
「そりゃ言うでしょ。結婚の式典の準備は佳境だって聞いてる」
そう。エンハンスは一ヶ月後に結婚することが決まっている。
前回の建国式典で大々的に発表されたのが、彼と帝国の皇女の婚姻だった。帝国側の正当な後継者はこの皇女一人。よって、エンハンスが婿入りすることになっている。
これから先、二国が争うことなく繁栄していけるように──事実上の同盟の締結。その犠牲になるのがエンハンスだった。
「人質になる準備のことか? まあ何かと物入りだからな」
うまくいけば、皇女の婿という立場を利用して、帝国内での地位を獲得できる。けれど同時に、オミの国にとっての人質でもある。
両国家の複雑な思惑が絡み合う婚姻だった。
肩をすくめて自嘲するエンハンスに、どこかやりきれないものを感じながら、百花はハーブティーを置いた。カイリ特製の調合で、花の香りがただよう穏やかな甘みのお茶だ。
(ザ・政略結婚って感じだもんね。……ハンスが乗り気になれないのも、仕方ないよね……)
普段の明るく豪胆なエンハンスでも、自分自身の道行きには何か思うことがあるんだろう。百花は少しでも気分が変わるように「ハンスが帝国に行ったら、わたしすぐに遊びに行くよ!」と、声を張った。
(眷属の力を使えば、空間転移の魔法でちょちょいと行けちゃうし)
言えない部分は心の中だけでつぶやく。カイリは百花を含みのある目で見やったけれど、そこには触れず「それで? 何か用事があるんでしょ?」とエンハンスを促した。
「そう。婿入り道具、っていうにはちょっとあれなんだが、カイリに用意してもらいたいものがあるんだ」
「いいよ、何の薬?」
ここに来てカイリに頼むものがあるとすれば、それしかない。
カイリは以前自分がかかっていた肺の病の画期的な薬を開発した後、今は魔力回復薬を研究していた。
もちろんそれ以外にも、大抵の薬は調合できる。
おそらく彼もどんな薬でも請け負えると構えていたのだろう。
けれど──。
「惚れ薬」
放たれたエンハンスの言葉に、百花もカイリも目を丸くした。
まったくの予想外だった。
「だ、誰が誰に使うの?」
百花のとまどいに対して、エンハンスは軽く微笑むと「俺がフィルリーン嬢に使うのさ」と言った。
フィルリーンとは、エンハンスの婚約者──帝国の皇女の名である。確か年齢は十八で、エンハンスよりも五つ年下だとか。
カイリは真顔になって、エンハンスの真意を探るような視線を向けている。
「何度か顔を合わせたんだが、もうフィルリーン嬢のそっけなさたるや、氷みたいに冷たくてね。一応夫婦となるならば、仲良くしたいじゃないか」
「──だったら逆じゃないの? フィルリーン皇女に薬を使って、ハンスに惚れさせるようにした方がいいんじゃない?」
カイリが冷静に問い返す。百花も確かに、と思ったけれど、エンハンスは「そんなのはいらない」と首を横に振った。
「俺が今のフィルリーン嬢に惚れたいんだよ。そうすれば、冷たくされても楽しめるだろう?」
(そんなものかなぁ……?)
オミの国に来たばかりの頃、カイリに冷たくされてひどく凹んでいた時期を思い出して、百花は素直にうなずけなかった。
(あの頃は必死で、全然楽しさなんかなかったけどな……)
けれど、カイリはそうでもないらしい。
「──わからなくもない、かも」
そんなコメントだ。
このあたりの感覚は男女差でもあるんだろうか。
百花はふーむと首をかしげつつ、お茶を飲んで二人の会話を見守ることにした。
「で、どうなんだ? できる?」
「わかんないよ。作ったことないし、作ろうと思ったこともない。──ただ、やってはみる」
長くなった前髪をかきあげて、カイリは息をついた。お茶を一口飲んで「あんまり期待はしないでよ」と釘をさす。
エンハンスは「もちろん」と満足そうに微笑んだ。
◆
その日から、カイリは魔力回復薬ではなく、惚れ薬の研究にいそしむようになった。
「誰かを好きになるって言うのは幻覚みたいなものだから」だとか「理性じゃなくて感情が暴走するようにしむける」と言う、惚れ薬作成の方向性を聞いて、百花は人知れずドキドキしていた。
(そんな魔法みたいな薬、できるものなの!? あ、ていうかそういう魔法ないの!? ハンスほどの魔力の持ち主なら使えそうだけど……)
恋に人為的な力が作用するなんて、あり得るんだろうか。
心のあり方を変えてしまうような、そんな大きな影響力のある薬なんて、作れるんだろうか。
やきもきしながら日々を過ごすこと二週間。
その夜、研究室から戻って来たカイリは一つの小瓶を持って来た。親指ほどの小瓶の中には、真っ青な液体。
「──とりあえず、試作品ができたよ」
食事を済ませた後で、カイリはそれをテーブルの上に置いた。その薬を百花はまじまじと見つめる。
「ここに相手と自分の魔力を注げば完成。魔力量が多い方が少ない方のことを意識するようになる、はず」
「へぇ……」
十種類くらいの薬草をあれこれ混ぜたそうだ。主に、幻覚を見せたり、感覚を麻痺させるような毒薬系を。
(物騒な薬だなぁ……カイリが作ったんじゃなければ絶対信じられないやつ)
まじまじと見つめても、その液体が何かを起こすわけじゃない。
「それで、モモカ──」
カイリが瞳を揺らして、百花を見つめた。言いにくいことを言う時の癖で、前髪を何度もさわって気にしている。
それでわかった。
「いいよ、わたしたちで試してみようよ! これ!」
ていうよりも、元からそのつもりだった。
いつもカイリが新しい薬を作った時は、毒味役を二人のどちらかでしているのだから。
新しい薬の効果を確かめるのは重要だ。エンハンスはオミの国を背負う大事な人だ。今回は材料も危険なものを使っているようだし、間違いがあってはいけない。
「今でもカイリのこと好きだけど、もっと好きになるってことでしょ?」
「──そ、いうことだけど……」
「さっそく飲もう! あ、わたしがカイリを好きになる方にして!」
「なんでそっちがいいの?」
「え? なんか楽しそうだから」
今の毎日は幸せだ。十分満たされている。
カイリへの想いだって、その強さに迷いも疑いもない。
だからこそ、これ以上カイリを好きになれることがあるならば、体感してみたい。
百花の勢いがカイリには少しだけ意外だったようだ。しばらく百花と薬を交互に眺めていたが、やがて決意したのか「じゃあ……僕が最初に魔力入れるから、次はモモカね」と言った。
カイリが小瓶の蓋を開けて、指先から少しだけ魔力を注ぐ。静かに中身が揺れて、その色が黄色に変化した。無言で促されて、百花も指先に魔力を集める。眷属になって魔力を得てから一年、だいぶその大小のコントロールもできるようになった。
(どれくらいいるんだろう?)
カイリよりも多く、ということでちょっとだけ力を込めると「多すぎ」とストップがかかった。液体が一瞬だけ泡立って、色は真っ赤に変わった。
「魔力を注ぐと色が変わる仕掛けなんて、綺麗だねぇ」
きらきらと輝いてみるその液体を眺めながら「でも、ハンスがこれを使おうとしたら、フィルリーン様の協力が必要じゃない? 惚れ薬ってばれてもいいの?」とふと思いついたことをたずねる。
カイリは表情を変えることなく「魔力を吸い取るような魔法があるんだ。ハンスは使えるから大丈夫」と言った。
(なるほど、相手が寝てる時とかにそっと吸い取ったりすれば気づかれることもないだろうし)
これで薬の効力さえきちんと出れば、問題ないということだ。
「じゃあ飲もうかな」
ためらいなく小瓶をとって口元に運ぼうとすると「モモカって……」としみじみとカイリが呟いた。
「たまに、ものすごく潔いよね……」
「ふふ、ありがと!」
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