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第3章 旅で得るもの、失うもの

1、ダイスへの旅立ち

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 翌日、早朝の鐘の音で百花は目を覚ました。冬の夜明けはまだ遠く、部屋の中は薄暗い。すぐそばで聞こえる息遣いに誘われるように目を開ければ、飛び込んでくるのはカイリの寝顔。

 伏せられたまつ毛の長さがはっきりと知覚できる距離で、もう少し顔を寄せればその吐息を肌に感じられるだろう。

 昨晩、あの後すぐにカイリは百花の手を引くと「もう寝よう」と彼女をベッドに誘った。昼間の大立ち回りで疲労困憊だったのか、カイリは横になってすぐに寝入ってしまった。しっかりと抱き込められて身動きとれず、百花は一人でドギマギしていたが、結局自分だって程なくして眠りに落ちていた。

 カイリは安らかな表情でよく眠っている。
 それを幸福な気持ちで眺めていると、触れたいという気持ちがわきあがってきた。

(いいかな。いいよね? きっといいはず!)

 よしと決めると百花はもぞもぞと体勢を変えて、カイリの胸にそっと頬をすりつけた。ゆったりとした呼吸音と暖かな体温が感じられる。思い切って手を背中にまわすと、呼応するようにカイリも百花を柔らかく抱きしめた。反応があったことに少し驚いたが、すぐにじわりと安心感が広がっていく。

「……起きてたの?」
「うん、今ね」

 柔らかく抱き合った状態でしばらくまどろんでいると、ゆったりとカイリが身じろぎをした。そしてそのまま百花の頬に唇を寄せて、軽く触れてくる。羽のように柔らかいキスだった。
 優しい感触に顔をほころばせて、百花もカイリに口付ける。唇に触れたので、カイリは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。

 けれどすぐに百花の後頭部に手を回すと、そこで支えるようにして深い口付けを仕掛けてくる。舌で唇をノックされ、薄く唇を開くとすぐにカイリは舌を入れてきた。絡め取られて優しく吸い上げられると、急ピッチで百花の官能が刺激されてしまう。

「……んっ……」

 ペロリと歯の裏側を舐められて、百花は声をあげてしまった。それでハッと気づいたのだが、カイリの下半身が反応している。

(わー、もう朝からこんなキスするから……!)

 恥ずかしくなった百花がタイミングを見計らって顔を離すと、カイリは百花を抱きしめる腕に力をこめて、顔を首筋に埋めた。

「……朝の鐘が鳴ったら、オウルのところ行くんだったよね」

 少しかすれた声で、カイリが確認してくる。
 今日はダイスへの出発する予定で、その前に百花はオウルとパンを焼くことになっていた。国王への献上品にするためである。
 そうだよと答えると、カイリは「……わかった」と拗ねたような声で答え、深く長く息を吐いた。哀愁すらこもったような溜息に、何事かとカイリの顔を確認する。

(眉間にしわ寄ってる……)

 明らかに不満そうな顔をしながら「じゃあ起きる」とカイリが身を離した。
 キスの余韻がまだ残っている百花としては摩訶不思議な気持ちである。急にどうしたの、とカイリの手を掴んで引き止めたが、返ってきたのは今度は困ったようなカイリの視線だった。

「まだ朝の鐘まで時間あるから、もうちょっと布団に入ってようよ」
「……モモカはそれでいいかもしれないけど」

 カイリは言葉を濁しながら、ゆったりと百花の手を外して立ち上がってしまった。本気で起きるつもりだ。うかつだったと小さな声で呟くから「何がうかつなの?」と聞くと、カイリはムスッとした表情で振り返った。

「それくらい察してくれる? パン作れなくなったら困るでしょ」
「なんでそんな話になるの?」
「だから──」

 これみよがしに溜息をついて、カイリは百花をにらみつけた。

「今から君を抱いたら、オウルのところ行けなくなるでしょ」

 自制してる身にもなってよねと絞り出すような声で吐き捨てると、その拍子にカイリは軽く咳き込んだ。発作かと百花があわてるより早く自分に治癒魔法をかけると、カイリは鼻息荒く出て行ってしまう。あの分だと咳は大丈夫なようだ。下半身事情は別だが。

「えーと……」

 ようやく合点がいき、それはお気遣いいただいて……と百花は一人顔を赤くした。

 でも別に我慢しなくていいのに、というのが百花の感想だった。せっかく想いを伝えあえたのだから、心とともに身体もつながりたい。

(一回くらいならできると思うんだけど、追いかけてまでは言えないからなぁ……)

 本当に真面目なんだからと百花は苦笑して、再び布団をかぶるとカイリの残り香を堪能しながら目を閉じた。


 
 オミの国西部にある港町からダイスまでは、高速船で約半日かかる。
 順調にパンを焼き終えて、昼過ぎに船に乗り込んだ百花たちは、日が暮れた頃にダイスへと到着した。

(何ここ……めちゃくちゃあったかい)

 船から降りて、初めてダイスの地を踏んだ百花が思ったことは、これだった。
 ダイスは常夏の国だとは聞いていたけれど、こうして実際に体感するまでは半信半疑だった。
 百花は薄手のブラウスにロングスカートを履いている。この後すぐに城でダイスの大臣との会食の予定があり、かしこまった格好をしているせいで尚のこと暑い。会食時にはジャケットも着用するようにとエンハンスから渡されているが、とてもじゃないが今は着る気になれなかった。

 隣のカイリは既に腕まくりして暑さを和らげている。まわりを見渡すと、船着場にいる人々は皆半袖のシャツを着用していた。

(もう日が暮れ始めてる時間帯なのに半袖でも平気って……)

 地図で見た限り、ダイスは別に南国というわけではない。百花のもつ地理や気候の知識があてはまらないのはわかっているが、こうもオミの国と気候が違うことはやはり不思議だった。

「さすが、こちらは暑いですなぁ。これでは大臣に会う時には皆汗だくかもしれない」

 長くたくわえたあごひげをなでつけながら、百花の前方に立つ老人が振り向いた。今回の旅にエンハンスが同行者として連れて来た人物で、名前をアンソニーと言う。彼は長くオミの国の外交を請け負っている有力貴族で、ダイスの大臣とも知己の仲だそうだ。貴族議会でも発言力のある人物で、国王も一目置いているとか。

 そんなアンソニーは朗らかに微笑みながら、困ったねえと隣にいる妻のオリビーに同意を求めた。オリビーはアンソニーと同年代の上品な雰囲気を持つ女性で、夫の言葉に微笑んでうなずきながら、革製の小さなバッグからハンカチを取り出した。それで夫の額をそっと押さえながら「でもあのお方は度量がありますから、多少皆の頬が紅潮していたとしても気にも留めないでしょう」と楽しそうだ。

 好々爺然としたアンソニーと、負けず劣らずおっとりした雰囲気のオリビー。二人の醸し出す柔らかい雰囲気に、思わず百花もゆったりした気分になってしまう。お互いを敬いあっているような雰囲気は、理想的な老夫婦の姿そのものだ。素敵だなぁと感想を抱いていると、オリビーが視線を向けてきた。

「モモカさん、もしも汗が気になるようなら後で香油を塗ってさしあげるわ。とってもいい香りのものを持って来たのよ」
「わぁ、本当ですか! ぜひお願いします」

 百花のリアクションが嬉しかったのか、オリビーは更に目を細めた。

(オリビーさんって、まるでわたしのおばあちゃんみたいだなぁ……)

 百花の祖母も気性の穏やかな人だった。
 懐かしい気持ちが呼び起こされ、百花の胸があたたかくなる。それから少しの間会話を楽しんでいると「雑談はそのくらいにして、早く行きましょう」とカイリが口を挟んだ。彼はアンソニー達とは知り合いらしく、しかもどうやら少し苦手意識があるのか、港で出会った時には「うっ……」と小さく呻いていた。

 船中でそっと聞いたところによると、なんでもアンソニーはエンハンスとカイリの家庭教師を勤めていたこともあるらしく、なかなか厳しい先生だったそうだ。

『あんなふうにのほほんとしてるけど、あの人の本性はそりゃあもう厳しい人だから』

 苦虫を噛み潰したような表情で教えてくれたカイリに、小さく吹き出してしまったのは仕方ないことだと思う。何せとてつもなくカイリがかわいらしく見えたのだ。

「こらカイリ。急いては事を仕損じると教えただろう。この国の時間の流れは、オミとは違ってゆっくりとたゆたっている。それに合わせよ」
「そんなことしていたら日が暮れて、献上品を受け取ってもらえなくなるでしょう」

 カイリは百花の手をとると、アンソニーとオリビーを追い越して歩き出した。後ろから「おやまあ、せっかちだこと」と楽しそうなオリビーの声がする。国の未来を背負った旅のはずが、この二人はまるでそんなプレッシャーなどないかのように明るく呑気だ。けれどその位肩の力が抜けていた方が良いのかもしれない。

(多分ハンスはカイリがガッチガチになること、わかってたんだろうな)

 緊張でどこか表情が硬いカイリをリラックスさせるために、同行者にアンソニーとオリビーを選んだ面もあるんだろう。それを思うと、海の向こうにいるエンハンスからの精一杯のエールが聞こえた気がした。
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