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第2章 いざ異世界

9、パンを焼いたら

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 大衆食堂を出ると、北風がふたりの間を通り抜けた。

「寒いっ!」

 身を縮こませて外套をかきあわせる百花に対して、カイリは特に気にした様子はない。さすが、慣れているなと思いつつ、百花はフードまでかぶって防寒対策をした。

(デートだったら、この後は街歩きしてふらっと買い物したり、って流れもありだろうけど……)

「カイリって今日まだ暇なの?」

 フードの影からそっとカイリの様子を伺うと、カイリは「暇だけど。どっか行きたいところある?」と先回りして聞いてくれた。

「うん。あのさ、家庭用品が売ってるお店をよければ教えてほしい。湯たんぽが欲しいの」

 案の定カイリに湯たんぽについて聞き返されたので、簡単に仕組みを説明する。
 何せここ最近一段と寒さが厳しくなって、夜眠るときに冷たい布団に入るのがつらいのだ。靴下をはいたりと対策はしているのだが、寒さのせいで寝つきが悪かった。もし湯たんぽをあらかじめ布団に入れておいて、暖められたらどんなに素敵だろう。

 カイリはあるかどうかは分からないけどと言いながら、大きな雑貨屋に案内してくれた。先ほどの食堂くらいの広い店内には、鍋などのキッチン用品など日用品が並んでいる。
 百花は礼を言って、売り場を見て回った。カイリはカイリで欲しいものがあるようで別行動だ。

(……動力源が魔力じゃないやつあるかなぁ……)

 何せこの国の道具といえば、何でもかんでも魔力が必要なのだ。魔力のない人間はいないという前提の世界だから仕方ないのだろうけれど、百花にはつらいものがある。湯たんぽはやはりないようで、代わりにとすすめられたクッション型の暖房機器も、使うには魔力が必要だった。これは中に魔石というのが入っていて、そこに魔力を込めれば勝手に程よい熱を発し、それが一晩くらいは持続するという。まさに百花が求めていた機能だった。

「ほんの小指一本分くらいの魔力でいいから、かなりお手軽ですよ」

 店員のイチオシらしく前のめり気味に紹介されたが、そもそも魔力がない百花に使える道具ではない。試しにやってみたらどうかと言われても、困ってしまう。ぐいぐいそのクッションを押し付けられて「いやだから本当に」と眉を下げていると、ひょいと背後からそれを持ち上げる人がいた。カイリだった。

「これが欲しいの?」
「あ、いや、あったら便利だとは思うんだけど、魔力を入れないと動かないっていうからーー」
「魔力って言ってもほんの少しでいいんですよ。一度起動させれば、あとは魔石が反応して熱を発しますからーー」

 店員はカイリに対しても熱心に説明を始めてしまって、百花は「いや、だから」と改めて棚に戻す旨を伝えようとした。けれどカイリは「じゃあ買って行こうか」とそのままそれを抱えてしまう。
 ありがとうございますと嬉しそうな店員を残して、カイリがさっさと会計に向かおうとするから、あわてて百花は小声で言い募った。

「買わなくていいって! わたしには使えないしーー」
「起動させるくらいだったら僕がしてあげるよ」
「でも……」

 いくら少ない魔力でいいと言ったって、カイリの手をわずらわせてまで欲しいわけではない。今だって別に寒いけれど眠れないほどじゃないし、と百花が言っていると「うるさい」と一蹴されてしまった。

「普段図太いくせに、急に遠慮するのやめてくれる?」

 そして振り返ることもなく、あっというまに会計を終えてしまった。買うというなら支払うと言ったのだが、それもまるで聞いてもらえなかった。

(何だか、これだとまるでーー)

「プレゼントみたい」

 店を出てすぐ渡されたクッションを抱きながら呟くと、カイリは「今頃わかったの」と呆れたような表情になった。

「え、ほんとに?」
「朝食のお礼って言ったでしょ」
「それはさっきのお昼ごはんでしょ? さっきだっておごってもらったし、さらにこれ買ってもらうなんて悪いよ」

 だからお金をーーと財布を取り出そうとしたところで、デコピンがおそってきた。相変わらずためらいのない一撃で、百花は一瞬のけぞってしまう。

「いだぁ!」
「しつこいなぁ。いいったらいいの」

 心底嫌そうに眉をひそめながら「ほら、行くよ」とカイリは百花の手をとった。ものすごくあたたかい手で、冷え切った百花の手にじわりと熱が広がっていく。

「手、冷えすぎじゃない? 手袋はオウルにもらってないの?」
「あ、うん。そういえばないや」
「じゃあそれも買いにいくよ。これからもっと寒くなるんだから」
「うん。あ、でも次はわたしちゃんと自分で買うから!」
「当たり前でしょ」

(当たり前なんだ……いや、それで全然いいんだけど、ここでそんなハッキリ言うなら、このクッションだってわたしが払ったんだけどな……)

 カイリの心がよくわからないと百花は首をひねりながらも、衣料品店にいくという彼におとなしく手を引かれて行った。つないだ手からそそぎこまれた熱以上に、百花の心もあたたまっていった。



 楽しい時間はあっというまだ。
 あの後、手袋を買って、オウルの店に寄って酵母の状態を確認し元種をおこし、また外食して(ここもカイリがおごってくれた)家に帰宅する。
 夜は更けていたが眠くもないので、お湯をわかしてお茶をいれることにした。カイリも飲むというので二人分だ。
 オミの国ではハーブティーがさかんなようで、専門店もある。色々な効能ごとに売られていて、今いれているのは体があたたまるというお茶だった。カモミールのような香りがするけれど、名前は違う。

 湯気がたったカップを置くとカイリは「ありがとう」と言い、それに口をつけた。向かい側に座って、百花も一口飲む。
 まだ熱い液体が喉元をすぎて体に染み込んでいく。内側からあたたまる感覚がした。

「カイリ、今日は一日ありがとう。ごはん美味しかったし、あのクッションも嬉しかった。一日中楽しかったよ」

 カイリは黙って百花を見つめ、一度目を伏せた。

「……僕も」

 楽しかったという言葉は、独り言のような音量だったけれど、確かに百花の耳に届いた。顔をあげたカイリの頬は少しだけ色づいている。目も少し潤んでいて、どこかかぐわしさすら感じられた。

(こういうの、天然の色気っていうのかな。破壊力抜群……)

 無邪気な表情は、百花の胸を苦しくさせる。
 なぜだろう、自分でもわからない。
 嬉しくて、苦しくて、切ない。
 カイリの無垢な表情をもっと見たい。
 もっと彼に近づきたい。触れたい。でもできないから、もどかしい。

(ーーなまじ、触ったことがあるだけに、こういうの生殺しって言うのかも)

 このままカイリと過ごす時間が増えれば増えるほど、貪欲になっていく。そんな自分が簡単に想像できた。今日一日ですっかり期待する気持ちが増幅されてしまった。

(座禅でも組んだ方がいいかもしれない。雑念退散! とか言って)

 想像上の自分のそんな姿は、ずいぶんと滑稽だった。



 カイリとのデートの翌日、ついに百花はオミの国で初めてのパンを焼いた。
 
 最初は簡単なものということで、分割して丸く成形したテーブルロールを作ることにした。発酵も成形も無事に終わり、今はオウルの店の厨房にある石窯でそれを焼いている。
 隣ではカイリとハンスが固唾をのんで、パンがふくらんでいく様を見守っていた。

 朝食の席でカイリに「今日パンを焼くよ」と伝えると、カイリはうなずき、そして店にハンスを連れてやって来た。夕方にはできているから取りにきてくれたらいいと伝言したのだが、どうしても作業しているところを見たかったらしい。確かにハンスはこれまで話してきて、パン作りに興味があるのは知っていたけれど、カイリまで来たのは意外だった。

「カイリもそんなにパンが気になるの!?」

 驚いて問いかけると、カイリは「まあね」と曖昧にうなずく。そうして二人して石窯の前に張り付いているのだ。なんだか不思議な気持ちで、百花も石窯の中を確認する。

「……そろそろいいかな」

 ふくらみが落ち着いて、焼き色がつき始めたのがわかったところで、百花は扉をあけた。ハンスが百花の代わりに天板を出して、作業台に置いてくれた。あたりにふわりと香ばしい香りが漂う。

「これが……パン?」

 ハンスの声が少し震えている。瞳孔が開いているんじゃないかというくらいに目を開けて、パンを見つめている。 
 その大げさな様子にびっくりしつつ、百花もパンを観察する。しっかりと丸くふくらみ、焼き色もついて美味しそうだ。

(見た目は、ちゃんとパンになってる!)
 
 網にうつしてしばらくしてから、一つ手にとって割ってみた。見た感じ、外側はカリッとしていて、中はふわっとしている。これは食感の方は期待できるだろう。
 肝心の味はどうだろうか。
 緊張しながら、一口食べてみる。

(うん……悪くない!)

 思ったよりは弾力のある食感で、もちもちとしたパンだった。味は粉の風味がよく出ていて、もう少し砂糖と塩を入れてもいいかもしれない。どうぞとカイリとハンスに渡す。別の作業をしていたオウルもやってきたので、彼女にも渡した。

「すごいふくらみようだね」

 手のひらにあるテーブルロールはやはり初めて見るものらしく、オウルもまじまじと見つめている。二人とも緊張した面持ちでテーブルロールを口にした。

「ーーどうかな?」

 食べた後に三人とも何も言わないから心配になって、感想を催促すると、まず口を開いたのはハンスだった。

「モモカ!」

 がしっと肩をつかまれて、その力強さにびっくりする。ハンスは輝きに満ちた目で百花を見下ろし「ありがとう!」と言った。

「すごいものを作ってくれてありがとう!」
「ど、どういたしまして……?」

 味の感想を聞きたかったんだけど、ここまで感動してるってことは美味しかったということなんだろうか。疑問符を浮かべながらカイリとオウルを見ると、カイリは苦い顔でハンスを見ていた。一方でオウルは百花に微笑みかけてくれた。

「すごく美味しいよ。何よりこの食感がいいね」

 そうオウルは言い、カイリもハッとした表情で百花に視線を戻すと「僕もこれは美味しいと思う」と微笑んだ。そのカイリの様子にどこか釈然としないというか、違和感を感じつつも、百花はお礼を言った。

「プリンやパンケーキの時も衝撃を受けたけれど、これはそれ以上かもしれない」

 ハンスのそのつぶやきに「大げさだよ」と百花は苦笑する。けれどハンスは百花の軽口に流されることなく、顔をひきしめて百花を見つめた。急にあたりの雰囲気も硬質なものになり、百花は身体をかたくしてハンスを見上げる。

「パンって誰でも作れるの?」
「え? うん、そうだね。作り方さえ知ってれば」
「天然酵母も?」
「多分」

 百花の返答にハンスは真面目な表情でうなずく。そして百花の肩をつかんだ手をそのまま、オウルに顔を向けた。ハンスの視線を受けてオウルは眉根を寄せて険しい表情になり、重々しくうなずく。
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