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第2章 いざ異世界
8、デート
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百花がかっと目を見開いて後ろを振り向くと、ハンスが立っていた。彼は既にオウルからエプロンを受け取り、それをつけた状態で「手伝おうか?」と百花の手元に視線を送る。
「神様ー!!」
ハンスは大の甘党で、パンケーキを売り出した日に食べて「これは売れるぞ」と予言を残していた。そしてその通りになって、百花がてんやわんやになっているのを知ると、厨房に入って来てメレンゲを作ってくれるようになったのだ。ハンスはオウルとも旧知の仲のようで厨房も顔パスだったし、手伝いの申し出もオウルは二つ返事で承諾していた。
ハンスは榊のようないかにも鍛えていますといった男性なので、そのパワーとスタミナは無尽蔵だ。よって、メレンゲも百花の半分くらいの時間で泡だててしまう。ハンスがそうやって手伝ってくれると、百花は別の作業ができるので本当に助かるのだ。
「今日の任務は終わったの?」
「ああ。後はカイリにまかせた」
「え……また?」
初めてこちらに来てくれた時もそう言っていた。メレンゲより任務が大事だろうと百花は丁重にお断りしたのだが、ハンスはおおらかに笑って「俺の担当はもう終わってるから心配いらない。俺たちは分業制なんだ」と歯牙にもかけなかった。
分業制ってどういうことだ。一体どんな任務なんだ、と疑問はつきなかったけれど、それを聞いても教えてはもらえないだろう。前にたずねた時はけむに巻かれてしまったのだ。
「それより、あれの調子はどう?」
完全にたちあがったメレンゲを百花の前に置いた後、ハンスは食材の並ぶ棚の一角にある二つの瓶を指差した。これは今百花がおこしている天然酵母で、片方はマイルドベリー、もう片方はヒオン(バナナのような果物)で挑戦していた。何度かの失敗を経てどちらも酵母として安定してきていた。
「天然酵母? うん、順調だよ。あともう一段階したら、パン作りにチャレンジできるかな」
明日は店が休みだが、昼間一度様子を見にきて、良さそうだったら元種を作ろうと考えていた。天然酵母パンを作るのに必要な工程だ。
「そうか、その時は俺にも声をかけてくれよ」
「うんわかった。ハンスは本当にパンに興味があるんだね」
「というより、モモカが作るものに興味がある」
何かも目新しいからなと言って、ハンスはにやっと口角をあげた。彼も百花が異界渡りをしてきたことを知っている。別に百花から話したことはないのだが、彼は彼で勝手に気づいたそうだ。彼からも魔力がないのが見えたと言われ、そんなに魔力っていうのは内から滲み出るものなのだろうかと驚いてしまった。
実際はハンス自身がオウルのようにかなり高レベルの魔導師だから、そういうものを察することができるということらしい。この体躯のたくましさで魔導師なんて、明らかに見た目と職業のギャップがありすぎだ。
その後ハンスはピークが過ぎるまで厨房を手伝ってくれた後、食事をして帰って行った。
いれちがうようにカイリがやってきて、その日は珍しく百花の仕事終わりを待っていてくれた。「どうしたの」と聞いても「別に」とそっけなく返される。普段そんなことしないから、何か用事があるんだろうと思ったけれど、カイリは頑なに店では教えてくれなかった。
店の片付けを終えて外に出ると、あたりは真っ暗だった。街灯は一応あるのだがそれでも暗いので、カイリが手にランプを持って歩き出す。その淡い光を頼りに自然と寄り添って進んでいると、恋人同士だった頃を思い出してしまった。
(手をつないで歩きたいけど、今の関係性だと無理だしなぁ)
寒いからとでも言ったら手をつないでくれるだろうか。
一瞬チャレンジしてみようかと思ったが、少し葛藤している間に家に着いてしまった。家が近過ぎるのも考えものである。
「モモカ」
ドアの鍵を開けた後、カイリが振り向いた。
明日は休みでしょと聞かれて、うなずく。
「じゃあ食事にでも行かない?」
幻聴?
百花は耳の中に残るカイリの声を反芻した。ドアを開いた状態のままカイリはしばらく百花を見つめ、彼女の反応を待っていたが、あまりに無言なので「何、どうしたの」と一歩近づいてくる。
「僕の言ったこと聞こえた?」
「き、聞こえた! ごはん行こうって! 間違ってないよね?」
「間違ってない。いつも朝食のお礼に、たまにはね」
カイリはぽんと百花の肩をたたいて先に家に入ってしまう。はっと気づいて「いいの? 嬉しい!」と百花はカイリを追いかける。
「何が食べたい?」
「えー、えーと……デートっぽいもの!」
「デートって?」
「恋人同士で食べに行くようなとこに行きたい!」
すっとカイリの目が細まり、百花の目の前に立った。あれ、調子乗りすぎた? と嫌な予感がしたのと同時に、おでこに強烈な衝撃が走る。カイリが百花にデコピンをしたのだ。
「ったぁーーーー!」
「そんなお店は知らないよ」
こっちの世界にもデコピンってあるのか! 容赦のないカイリの一撃に、百花は額を抑えた。
「明日の朝、もっかい聞くから。ちゃんと食べ物の名前出してよね」
カイリは淡々と百花に告げて振り返りもせずに階段をのぼっていく。何となく耳が赤いような気がするのは、気のせいだろうか。
(ちょっとは照れてる、と思いたい!)
むふふと微笑んで、百花は「はーい」と元気に返事をした。
◆
オミの国にきて二ヶ月ほどたつが、百花はまだ数えるほどしか街歩きをしたことがなかった。大体は家と店の往復だし、休みの時もオウルにちょっと買い出しに連れて行ってもらうくらいだ。だからどんな店があるのかも知らず、食べたいものと言われても、なんて答えたらいいのか本当に迷った。
だから結局、百花はカイリに「大衆食堂」とリクエストした。国民の誰もがいくような、身近な存在の店を教えてほしいと言った。
「デートっぽいところじゃなかったの?」
カイリが不思議そうにつぶやいたが、むしろそれを覚えていたカイリの方に百花はびっくりした。なんだ、それでいいなら雰囲気のいい店にも行ってみたかった。
とはいえ前言撤回するのもなぁと思って、ふたりは庶民街の中心部にある食堂へとやって来た。
オウルの店が最大で二十名分ほどの席しかないのに比べて、その店はとても広くて、聞けば百席あるという。厨房もホールも人数が多く、ファミレスのような雰囲気だ。日替わり定食を出しているというので、百花はそれを注文した。
出てきたのは、トルティーヤに鶏肉のグリル、季節の野菜盛り合わせ、そして卵スープだった。オウルの店でも似たような料理がある。カイリは日替わりではなく、鶏肉とハツ芋のグラタンを頼んでいた。
(こっちはお米ないもんなぁ。そうなると主食はこのトルティーヤか芋類かってことになるよねぇ)
料理はどれも美味しかった。味付けは薄めだったが、オミの国では多分これが標準の味付けなのだろう。何せ調味料が砂糖と塩しかない国なのだ。香辛料は海の向こうの国から輸入できるらしいが、かなり高額と聞いた。食べられるのは王族や貴族ばかりだそうだ。
(素材をいかした味ってことだよね)
ふむふむとうなずきながら、百花はまわりを見回してみた。昼時なだけあって、席はほとんどうまっている。皆一緒に来た相手とのおしゃべりと食事を楽しんでいて、その光景だけを見ていると、この国が現在戦争中だということを忘れてしまうほどだ。
「思い出してるの?」
ぼんやりしているのが気になったのか、カイリがそう声をかけてくる。
「思い出すって?」
「故郷のこと」
「ああ……」
全くそんなことはなかったのだが、言われたことをきっかけに百花は元の世界に思いをはせた。
一体向こうでは百花はどういう扱いになっているのだろうか。行方不明として時間が経過しているのだとしたら、家族やサツキベーカリーの面々に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。そして、引き抜きとプロポーズの返事を保留にしている榊に対しても。
ただ、不思議なくらい百花はこれに関しては落ち着いていた。
多分カイリがこうしてオミの国に戻っていったところを見ているからだろう。きっと自分もそのうちひょいっと向こうに帰されるのだろうと思っていた。それがいつになるかはわからないけれど、もしもカイリと同じくらいの期間なのだとしたら夏まではいられないだろう。
(そしたら、またカイリと離れないといけないのか……)
それを考えるとつんと鼻の奥が痛む。
(いやいや、そんなこと考えない! 今こうしてカイリと一緒にいられるんだから! 楽しまないと!)
しかもデートだしと言い聞かせて、気分転換のためにもデザートのメニューに手を伸ばした。
「あれ、この店でもパンケーキあるんだね」
デザートメニューの中に見慣れた文字列を見つけ、思わず声に出していた。それを聞いてカイリもハッと気づいたように百花を見て「ああ、類似品だけど、モモカの作るのとは全然違うよ」と答える。
「へえ。せっかくだし、ちょっと頼んでみようかな」
「おすすめしないけど」
カイリは微妙な反応だったが、かまわずに百花はパンケーキを注文した。
そうして運ばれてきたのは、ただの甘ったるいトルティーヤだった。
ぱくりとかじりついて、口の中に甘さが広がる。そしてかたい食感。顎が鍛えられるパンケーキだなぁなんてフォローをしてみても、なかなか微妙な味だった。
「……これはパンケーキと言ってはいけないシロモノかも」
「だから言ったでしょ」
百花はうなった。
せっかくパンケーキを作っているならば、普及のためにも頑張ってほしい。オウルの店だけで食べられるという希少価値もいいのかもしれないけれど、せっかくなんだから食べたいと思った人が皆食べられる方が良い。多分、他店がパンケーキを出し始めたからと言って、オウルの店の客足が減ることもないだろう。あそこは根強いファンがいる。
(そして少し分散してくれれば、わたしがメレンゲ作業にかかる時間も減るはず!)
どうしようかと迷ったのは一瞬だった。
「カイリ、一つお願いがあるんだけど」
「なに?」
「今からわたしが言うこと、書き留めてくれないかな?」
「なんで?」
「まだ複雑な文章書けないから」
「……そうじゃなくて。何を書くの?」
「スフレパンケーキの作り方」
カイリは信じられないという目で百花を見やったが、彼女の視線を受けて言われた通りに紙とペンを出した。
「じゃあ言うよ」
パンケーキの材料とメレンゲ作りのコツ。どうやって泡立てるのか、どのくらいまで泡立てるのか、そしてそのメレンゲを生地と合わせる時の注意点、いよいよ焼く時の注意点。材料の分量は研究してねと書く以外は、ほぼレシピだった。
書きあがったメモを、ウエイトレスに渡す。パンケーキを作る方に渡してほしいと言ったら、怪訝な顔をしながらも受け取ってくれた。
「あれを読めば、きっとこの店のパンケーキも美味しくなるよ」
少なくとも、ふくらんだ形にはなるはず。
心の中でエールを送っていると、カイリが不思議そうな顔で自分を見ていることに気づいた。
「あんな大事なこと、なんで簡単に教えちゃうの?」
「だってせっかくだから色々なお店で出せるようになって、皆が食べられた方がいいでしょ? オウルの店は夜しか開かないし。パンケーキって、本来なら子供が大好きなおやつでもあるんだよ。だから子供も食べられるように、こういうお昼のお店でも出せるようになってほしいなぁと思ってさ。あ、あと他の店でもパンケーキを食べられるようになれば、わたしの負担が減る! そろそろパン作りに本腰いれたいし」
百花の言葉にカイリは目を丸くした。
「そ、そんなに驚くこと?」
「……あまりにモモカがおめでたいから、びっくりした」
「おめでたい……かな」
「これで、この店のパンケーキの方が人気になっちゃったらどうするの」
「えー? そしたら、もっと美味しいパンケーキを研究するしかないね」
サツキベーカリー時代はそんなことは日常茶飯事だった。
近所のライバル店が季節限定などで美味しいパンを店頭に出せば、こちらも負けじと新作を投入する。まさに群雄割拠の戦国時代である。だから百花にとってカイリの言うような事態はそこまで危惧するようなものではないし、その時の対処法もある程度は知っている。
「大丈夫、なんとかなるって。それよりパンケーキが普及する方が大事だよ」
こういうのが多分おめでたいっていうことなんだろうなぁ。
百花は自分でもそれがわかっていたから、へらりと笑ってみせた。
カイリは何か言いたそうな顔をしていたが、結局それ以上は口を出すことはなかった。
「神様ー!!」
ハンスは大の甘党で、パンケーキを売り出した日に食べて「これは売れるぞ」と予言を残していた。そしてその通りになって、百花がてんやわんやになっているのを知ると、厨房に入って来てメレンゲを作ってくれるようになったのだ。ハンスはオウルとも旧知の仲のようで厨房も顔パスだったし、手伝いの申し出もオウルは二つ返事で承諾していた。
ハンスは榊のようないかにも鍛えていますといった男性なので、そのパワーとスタミナは無尽蔵だ。よって、メレンゲも百花の半分くらいの時間で泡だててしまう。ハンスがそうやって手伝ってくれると、百花は別の作業ができるので本当に助かるのだ。
「今日の任務は終わったの?」
「ああ。後はカイリにまかせた」
「え……また?」
初めてこちらに来てくれた時もそう言っていた。メレンゲより任務が大事だろうと百花は丁重にお断りしたのだが、ハンスはおおらかに笑って「俺の担当はもう終わってるから心配いらない。俺たちは分業制なんだ」と歯牙にもかけなかった。
分業制ってどういうことだ。一体どんな任務なんだ、と疑問はつきなかったけれど、それを聞いても教えてはもらえないだろう。前にたずねた時はけむに巻かれてしまったのだ。
「それより、あれの調子はどう?」
完全にたちあがったメレンゲを百花の前に置いた後、ハンスは食材の並ぶ棚の一角にある二つの瓶を指差した。これは今百花がおこしている天然酵母で、片方はマイルドベリー、もう片方はヒオン(バナナのような果物)で挑戦していた。何度かの失敗を経てどちらも酵母として安定してきていた。
「天然酵母? うん、順調だよ。あともう一段階したら、パン作りにチャレンジできるかな」
明日は店が休みだが、昼間一度様子を見にきて、良さそうだったら元種を作ろうと考えていた。天然酵母パンを作るのに必要な工程だ。
「そうか、その時は俺にも声をかけてくれよ」
「うんわかった。ハンスは本当にパンに興味があるんだね」
「というより、モモカが作るものに興味がある」
何かも目新しいからなと言って、ハンスはにやっと口角をあげた。彼も百花が異界渡りをしてきたことを知っている。別に百花から話したことはないのだが、彼は彼で勝手に気づいたそうだ。彼からも魔力がないのが見えたと言われ、そんなに魔力っていうのは内から滲み出るものなのだろうかと驚いてしまった。
実際はハンス自身がオウルのようにかなり高レベルの魔導師だから、そういうものを察することができるということらしい。この体躯のたくましさで魔導師なんて、明らかに見た目と職業のギャップがありすぎだ。
その後ハンスはピークが過ぎるまで厨房を手伝ってくれた後、食事をして帰って行った。
いれちがうようにカイリがやってきて、その日は珍しく百花の仕事終わりを待っていてくれた。「どうしたの」と聞いても「別に」とそっけなく返される。普段そんなことしないから、何か用事があるんだろうと思ったけれど、カイリは頑なに店では教えてくれなかった。
店の片付けを終えて外に出ると、あたりは真っ暗だった。街灯は一応あるのだがそれでも暗いので、カイリが手にランプを持って歩き出す。その淡い光を頼りに自然と寄り添って進んでいると、恋人同士だった頃を思い出してしまった。
(手をつないで歩きたいけど、今の関係性だと無理だしなぁ)
寒いからとでも言ったら手をつないでくれるだろうか。
一瞬チャレンジしてみようかと思ったが、少し葛藤している間に家に着いてしまった。家が近過ぎるのも考えものである。
「モモカ」
ドアの鍵を開けた後、カイリが振り向いた。
明日は休みでしょと聞かれて、うなずく。
「じゃあ食事にでも行かない?」
幻聴?
百花は耳の中に残るカイリの声を反芻した。ドアを開いた状態のままカイリはしばらく百花を見つめ、彼女の反応を待っていたが、あまりに無言なので「何、どうしたの」と一歩近づいてくる。
「僕の言ったこと聞こえた?」
「き、聞こえた! ごはん行こうって! 間違ってないよね?」
「間違ってない。いつも朝食のお礼に、たまにはね」
カイリはぽんと百花の肩をたたいて先に家に入ってしまう。はっと気づいて「いいの? 嬉しい!」と百花はカイリを追いかける。
「何が食べたい?」
「えー、えーと……デートっぽいもの!」
「デートって?」
「恋人同士で食べに行くようなとこに行きたい!」
すっとカイリの目が細まり、百花の目の前に立った。あれ、調子乗りすぎた? と嫌な予感がしたのと同時に、おでこに強烈な衝撃が走る。カイリが百花にデコピンをしたのだ。
「ったぁーーーー!」
「そんなお店は知らないよ」
こっちの世界にもデコピンってあるのか! 容赦のないカイリの一撃に、百花は額を抑えた。
「明日の朝、もっかい聞くから。ちゃんと食べ物の名前出してよね」
カイリは淡々と百花に告げて振り返りもせずに階段をのぼっていく。何となく耳が赤いような気がするのは、気のせいだろうか。
(ちょっとは照れてる、と思いたい!)
むふふと微笑んで、百花は「はーい」と元気に返事をした。
◆
オミの国にきて二ヶ月ほどたつが、百花はまだ数えるほどしか街歩きをしたことがなかった。大体は家と店の往復だし、休みの時もオウルにちょっと買い出しに連れて行ってもらうくらいだ。だからどんな店があるのかも知らず、食べたいものと言われても、なんて答えたらいいのか本当に迷った。
だから結局、百花はカイリに「大衆食堂」とリクエストした。国民の誰もがいくような、身近な存在の店を教えてほしいと言った。
「デートっぽいところじゃなかったの?」
カイリが不思議そうにつぶやいたが、むしろそれを覚えていたカイリの方に百花はびっくりした。なんだ、それでいいなら雰囲気のいい店にも行ってみたかった。
とはいえ前言撤回するのもなぁと思って、ふたりは庶民街の中心部にある食堂へとやって来た。
オウルの店が最大で二十名分ほどの席しかないのに比べて、その店はとても広くて、聞けば百席あるという。厨房もホールも人数が多く、ファミレスのような雰囲気だ。日替わり定食を出しているというので、百花はそれを注文した。
出てきたのは、トルティーヤに鶏肉のグリル、季節の野菜盛り合わせ、そして卵スープだった。オウルの店でも似たような料理がある。カイリは日替わりではなく、鶏肉とハツ芋のグラタンを頼んでいた。
(こっちはお米ないもんなぁ。そうなると主食はこのトルティーヤか芋類かってことになるよねぇ)
料理はどれも美味しかった。味付けは薄めだったが、オミの国では多分これが標準の味付けなのだろう。何せ調味料が砂糖と塩しかない国なのだ。香辛料は海の向こうの国から輸入できるらしいが、かなり高額と聞いた。食べられるのは王族や貴族ばかりだそうだ。
(素材をいかした味ってことだよね)
ふむふむとうなずきながら、百花はまわりを見回してみた。昼時なだけあって、席はほとんどうまっている。皆一緒に来た相手とのおしゃべりと食事を楽しんでいて、その光景だけを見ていると、この国が現在戦争中だということを忘れてしまうほどだ。
「思い出してるの?」
ぼんやりしているのが気になったのか、カイリがそう声をかけてくる。
「思い出すって?」
「故郷のこと」
「ああ……」
全くそんなことはなかったのだが、言われたことをきっかけに百花は元の世界に思いをはせた。
一体向こうでは百花はどういう扱いになっているのだろうか。行方不明として時間が経過しているのだとしたら、家族やサツキベーカリーの面々に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。そして、引き抜きとプロポーズの返事を保留にしている榊に対しても。
ただ、不思議なくらい百花はこれに関しては落ち着いていた。
多分カイリがこうしてオミの国に戻っていったところを見ているからだろう。きっと自分もそのうちひょいっと向こうに帰されるのだろうと思っていた。それがいつになるかはわからないけれど、もしもカイリと同じくらいの期間なのだとしたら夏まではいられないだろう。
(そしたら、またカイリと離れないといけないのか……)
それを考えるとつんと鼻の奥が痛む。
(いやいや、そんなこと考えない! 今こうしてカイリと一緒にいられるんだから! 楽しまないと!)
しかもデートだしと言い聞かせて、気分転換のためにもデザートのメニューに手を伸ばした。
「あれ、この店でもパンケーキあるんだね」
デザートメニューの中に見慣れた文字列を見つけ、思わず声に出していた。それを聞いてカイリもハッと気づいたように百花を見て「ああ、類似品だけど、モモカの作るのとは全然違うよ」と答える。
「へえ。せっかくだし、ちょっと頼んでみようかな」
「おすすめしないけど」
カイリは微妙な反応だったが、かまわずに百花はパンケーキを注文した。
そうして運ばれてきたのは、ただの甘ったるいトルティーヤだった。
ぱくりとかじりついて、口の中に甘さが広がる。そしてかたい食感。顎が鍛えられるパンケーキだなぁなんてフォローをしてみても、なかなか微妙な味だった。
「……これはパンケーキと言ってはいけないシロモノかも」
「だから言ったでしょ」
百花はうなった。
せっかくパンケーキを作っているならば、普及のためにも頑張ってほしい。オウルの店だけで食べられるという希少価値もいいのかもしれないけれど、せっかくなんだから食べたいと思った人が皆食べられる方が良い。多分、他店がパンケーキを出し始めたからと言って、オウルの店の客足が減ることもないだろう。あそこは根強いファンがいる。
(そして少し分散してくれれば、わたしがメレンゲ作業にかかる時間も減るはず!)
どうしようかと迷ったのは一瞬だった。
「カイリ、一つお願いがあるんだけど」
「なに?」
「今からわたしが言うこと、書き留めてくれないかな?」
「なんで?」
「まだ複雑な文章書けないから」
「……そうじゃなくて。何を書くの?」
「スフレパンケーキの作り方」
カイリは信じられないという目で百花を見やったが、彼女の視線を受けて言われた通りに紙とペンを出した。
「じゃあ言うよ」
パンケーキの材料とメレンゲ作りのコツ。どうやって泡立てるのか、どのくらいまで泡立てるのか、そしてそのメレンゲを生地と合わせる時の注意点、いよいよ焼く時の注意点。材料の分量は研究してねと書く以外は、ほぼレシピだった。
書きあがったメモを、ウエイトレスに渡す。パンケーキを作る方に渡してほしいと言ったら、怪訝な顔をしながらも受け取ってくれた。
「あれを読めば、きっとこの店のパンケーキも美味しくなるよ」
少なくとも、ふくらんだ形にはなるはず。
心の中でエールを送っていると、カイリが不思議そうな顔で自分を見ていることに気づいた。
「あんな大事なこと、なんで簡単に教えちゃうの?」
「だってせっかくだから色々なお店で出せるようになって、皆が食べられた方がいいでしょ? オウルの店は夜しか開かないし。パンケーキって、本来なら子供が大好きなおやつでもあるんだよ。だから子供も食べられるように、こういうお昼のお店でも出せるようになってほしいなぁと思ってさ。あ、あと他の店でもパンケーキを食べられるようになれば、わたしの負担が減る! そろそろパン作りに本腰いれたいし」
百花の言葉にカイリは目を丸くした。
「そ、そんなに驚くこと?」
「……あまりにモモカがおめでたいから、びっくりした」
「おめでたい……かな」
「これで、この店のパンケーキの方が人気になっちゃったらどうするの」
「えー? そしたら、もっと美味しいパンケーキを研究するしかないね」
サツキベーカリー時代はそんなことは日常茶飯事だった。
近所のライバル店が季節限定などで美味しいパンを店頭に出せば、こちらも負けじと新作を投入する。まさに群雄割拠の戦国時代である。だから百花にとってカイリの言うような事態はそこまで危惧するようなものではないし、その時の対処法もある程度は知っている。
「大丈夫、なんとかなるって。それよりパンケーキが普及する方が大事だよ」
こういうのが多分おめでたいっていうことなんだろうなぁ。
百花は自分でもそれがわかっていたから、へらりと笑ってみせた。
カイリは何か言いたそうな顔をしていたが、結局それ以上は口を出すことはなかった。
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