黒髪碧眼の美少年がやってきた【R18】

七篠りこ

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第1章 美少年の来訪

3、カルチャーショックあれこれ

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 カイリと一緒に救急車に乗った時、百花はまだカイリのことを何も知らなかった。
 救急隊員に聞かれてかろうじて名前だけは伝えることができたが、名字も年齢も住所も知らない、つまり関係性としては赤の他人だった。
 そういうスタート地点があっただけに、彼を自分の親戚と主張するのはかなり苦しかった。

「突然たずねてきた時は本当に何も心当たりがなかったんです。でも、話を聞いたら遠縁の親戚ということがわかりまして……えっと、住所とかは言いたがらなくて……どうやら家で虐待にあっていて施設にいたみたいで……とりあえず入院費はわたしがたてかえておいて、のちのち償還払いとかの手続きをしようかと……」

 適当な空物語をでっちあげて、付け焼き刃の医療費知識(知識とも言えないけれど)をかざして、うさんくさそうな医師の視線に負けずに頑張り、何とかカイリと百花は親戚関係という認識を持ってもらえた。
 
 そしてもう一つ、百花にはクリアしなければならない問題があった。

 入院費である。

 社会保険に加入していないカイリの医療費は十割負担。医師からは入院期間は三ヶ月くらいと言われたから、生半可な額ではないと予想できた。
 幸い、数年前に亡くなった祖母が遺産を百花にも振り分けていてくれたからまとまったお金は多少ある。ただ、果たしてそれで足りるかどうか──。

 カイリに大見得切った手前、表には出せなかったが、百花は内心では戦々恐々としていた。足りなかったら、誰かに貸してもらわないとならない。

 ──けれど、百花の心配は杞憂におわった。

 カイリの病状は医師の想像以上の速度で回復し、二週間での退院となったのだ。結果、入院費は百花自身の貯金で八割方まかなえた。祖母の遺産も少し使わせてもらったが、ほぼ無傷といっていい状態だ。

「嘘みたい! 先生から三ヶ月くらいはみてくださいって言われてたんだよ!」

 退院の時見送ってくれた医師も看護師も、皆が信じられないとでも言いたげだった。
 もちろん百花自身も心底びっくりした。病院の敷地を出てもまだ実感がわかない百花に対して、カイリは「だって僕、魔法使ったから」と柔らかく笑みながら伝えた。

「ま、魔法……!」
「薬を飲んだ後に治癒魔法をかけて、薬の効果が増すように働きかけたんだ。最初は賭けだったんだけど、うまくいったから良かったよ」
「はー、魔法ってほんとすごいねぇ」

(全く仕組みが理解できない。でも多分カイリの世界ではこういう理論が常識なんだろうな……)

「これが、モモカの世界……」

 百花がカルチャーショックを受けているそばで、カイリはカイリで目を輝かせながらあたりを見渡している。

 カイリが入院中に三月から四月にかわり、ちょうと今はいたるところで桜が満開だ。物珍しそうに見ているから、せっかくだしと病院から駅に行く途中の公園に寄ることにした。

 駅前通りから一歩入った住宅街にあるその公園は、中央にある広場の周りをめぐるように桜が植えられている。平日の昼間ということもあって、小さい子供たちを連れた親や近隣住人がのんびり花見をしていた。

「この花、迫力あるね」

 桜の木の真下から上を見上げて、カイリは感嘆の声をあげた。百花も同じように上をみると、咲き誇る花たちが風に揺れて視界を埋める。花の向こうに見える青い空とのコントラストも相まって、とても綺麗だった。

「カイリの国には、こういう木はないの?」
「そうだね、これだけ小さい花がたくさん咲く木は見たことない」
「そっか」

 熱心に桜を見つめるカイリの横顔を見て、百花は彼の心中を思った。
 これから定期的に診察を受けなくてはならないが、彼の身体はほぼ健康になったと言える。そうなると、いよいよこちらでの生活が始まるわけで……。
 二週間の入院生活の中、百花はカイリに小学生向けの図鑑を渡していた。おかげでちょっとした物の名前は覚えたし、文字もひらがなを読めるようになってきたかな? というレベルにはなってきた。

 いきなり一人で知らない場所に来てしまって不安は尽きないだろうに、この二週間、カイリはそんなものないかのように平然と過ごしていた。こちらの世界の常識や物の使い方、色々な知識や情報を貪欲に求めて、吸収していって……。新しいことを覚えるのが楽しくて仕方がないといった様子だった。

(若いのにすごいよなぁ……)

 そんなカイリを見ていて、百花は自分がどんどん彼に親愛の情を抱いていくのを感じた。
 頑張っている姿を見ると、応援したい。力になりたい。支えになりたい。
 彼の笑顔を見ると、百花の心にひだまりのような暖かさが広がった。

(すっかり絆されちゃった)

 齢二十三にして、養い子が一人。もしくはヒモ的存在とでもいうのだろうか。
 これからは大いに節約して頑張ろうと百花が決意を固めていると、左手に温もりを感じた。カイリが百花の手を握ったのだ。

「……オミの国では、僕の病気は死病だったんだ」

 カイリは一度百花に視線を送った後、桜を見上げて「治癒魔法でも症状を抑えることしかできない、薬もない。発症したら死を待つだけ。だから、あきらめてた」と淡々と続ける。

「でも、モモカのおかげで希望が持てた。君が大丈夫って、いつも笑ってそばにいてくれたから」

 だからきっと病気が治ったんだ、とカイリが微笑む。けれど、そのまま彼は瞳を曇らせた。

「感謝してもしきれない。──だからこそ、何をして返せばいいのか、わからない」

 なんて真面目な子なんだろう、と百花は思った。もしかしたら真面目すぎて、悩みだしたらものすごいダークサイドまでいってしまうタイプかもしれない。憂い顔のカイリも美しくて絵になっていたが、それに見惚れている場合じゃない。
 百花は「大丈夫だって」と笑って、カイリの肩をたたいた。

「そんなの、これからいくらでも考えたらいいじゃん! まずは家事を教えるから、そのあたり手伝ってくれたらいいんじゃない? 立派なお返しだよ!」
「モモカ……」
「せっかく奇跡の生還を果たしたんだから、笑って! スマイルは大事よー」

 百花が自分の頬を指差してにいっと口角をあげると、カイリも力の抜けた笑みを返した。

「そうそう。笑う門には福きたるだから。笑っていこう」

 軽く声をかけて、百花はつないだままの手を引っ張った。カイリも「うん」と先ほどよりは明るい声音で返して、軽く握り返してくる。よし、と百花は思った。



 カイリの世界では科学はまだ発達していないようで、人々の移動手段は徒歩か馬車、もしくは移動魔法だと言う。
 そんなわけで、駅に着いた途端カイリは興奮気味であたりを観察し始めた。

 電光掲示板もエスカレーターもエレベーターも、拡声器にすらカイリは目を丸くして反応した。電車がホームに走りこんで来た時など、小さく飛び上がって百花の腕をつかんだくらいだ。(ものすごくかわいかった)
 そんなカイリを温かい気持ちで見守りながら、弟がいたらこんなふうなんだろうかと百花はつかの間の夢想にひたった。

(こんな弟がいたら、毎日楽しいだろうなぁ)

 そんなことを考えていたら、どうやら顔がにやけていたらしい。カイリに「どうしたの」と突っ込まれてしまった。
 それをごまかしているうちに、電車は最寄り駅に着いた。ここは快速も停まらないこじんまりとした駅で、駅前の賑わいもどこか下町情緒が感じられる場所だ。百花は大学入学のために上京して以来、今も同じアパートに住んでいる。

 もともとは大学が近いからと決めたアパートだったが、卒業後に駅前の『サツキベーカリー』というパン屋に就職したから、引っ越す必要もなくずっと居座っている。パン屋の朝は早いので、自転車五分でいける距離というのはかなり助かるものだった。

「ちょっとお店寄って、挨拶だけしてこうね」

 駅前通りがちょっとした商店街になっていて、その一角にさつきベーカリーはある。具沢山のコッペパンや自家製酵母パンなどが人気商品の、この駅に住む人たちの御用達パン屋だ。百花は大学一年の頃からここでアルバイトをしていて、いざ就職というときにそのまま雇ってもらったのだ。大学では経済学部で経営を勉強していたのだが、他の友人ように金融関係への就職にやる気が出ず、むしろずっとパンを作っていたいという気持ちが盛り上がって、店長に交渉した。

 ずっと夫婦ふたりでやっていくつもりだった店長は最初渋っていたが、百花のガッツとちょうど奥さんが重度の腰痛になってしまいパン作りが思うようにできなくなってしまうという事件が重なって、正社員として雇ってもらえた。
 何となく奥さんの不幸を利用した気がして後ろめたかったが、百花が社員として働き出してからの売り上げもまずまずなので、結果オーライだろう。

『季節のおすすめ『桜あんぱん』焼けてます!』

 店の入り口前に置かれた黒板には、かわいらしい字とともにピンクを基調としたあんぱんの絵が描かれている。そこがサツキベーカリーの目印だ。
 山小屋をイメージしたという店内は木のぬくもりであふれている。店内中央の切り株をイメージしたテーブルの上には、桜あんぱんが並んでいる。
 お昼のピーク時を過ぎた時間帯だったので、他に客はいなかった。百花が入ると、この時間にパートで入っている主婦の上原が「百花ちゃん!」とにこやかに手を振って迎えてくれた。ついで入って来たカイリを見て「おやー、その子が百花ちゃんの従兄弟かい」と目を丸くする。

「なんだかテレビにでも出てそうなオーラがあるね」

 うちの息子とは全然違うわぁと豪快に笑いながら、彼女はカイリに「退院おめでとう」と声をかけた。
 
 カイリの話は店長をはじめ、店のメンバーには話をしていた。ワケありの従兄弟が入院していると言うと、店長も奥さんもひどく心配してくれた。お見舞いに行く時間もたくさん作ってくれて、感謝してもしきれない。

「はじめまして、ササハラカイリといいます」

 真面目な表情のまま、カイリは小さく頭を下げた。上原は目尻を下げて「まあ、礼儀正しい子だねぇ」とにこにこしている。高校生の息子を持つ上原は常々息子の反抗期に悩まされているらしいから、カイリのような態度は輝いて見えるようだ。

「本当に線が細いね、病気してたんだから当たり前か。ここのパンたくさん食べて、体力取り戻すんだよ!」

 ばしばしと背中をたたかれながら上原に励まされ、カイリはつんのめりつつ笑顔でそれに応えている。百花は彼にパンを選ぶよう言い置いて、自分はレジの奥にある厨房へと入っていった。

「あ、榊さん」

 目の前の作業台でクリームパンの成形をしている男ーー榊は、百花の姿を見て「おう」とぶっきらぼうに返事をした。百花は入り口付近で不織布の帽子とマスクをつけると、榊のそばに寄って頭を下げる。

「今日は急に出勤早めてもらっちゃってすみませんでした。助かりました!」

 カイリの退院は前日に急に決まり、しかも百花の出勤日だった。昼過ぎに病院に来て欲しいとのことだったので仕事を早退しなければならず、遅番の榊に少し早めに出勤できないか頼んでいたのだ。

「気にすんな。二時間位どってことねえから。で、いわくつきのボーズがあれか」

 榊は体を傾けて店内の様子に視線を送る。熱心にパンを吟味しているカイリを見て鼻をならすと「ほっそいガキだな」と感想をもらした。榊は大学時代にアメフト部だったそうでかなりがっしりした体格をしている。だから、彼に評されると誰もがもやしっ子になる。

 百花は笑ってそれを受け流し「店長は休憩中ですか?」と聞いた。榊が首肯するのを見て「じゃあ、また顔見せは改めてしますね」と伝言を頼む。

「笹原」
「はい?」
「それで大丈夫だったのかよ、金」
「あっ……」

 声がひそめられ、ついでに榊の顔が近づいた。視線が鋭く光る。

「だってあいつ保険証ないんだろ? 普通に考えて医療費やばかっただろ。まさか変なところから借りたりしてねえだろうな!?」
「してませんしてません! なんとか足りました!」
「本当だな!?」
「本当です! いやー実は榊さんの脱サラ貯金のことチラっと思い出したんですけど、無事間に合いましたぁ」

 だははと冗談を言って笑うと、榊は「アホ」と肩をすくめた。彼は今年三十一だが、三十を目前にそれまで勤めていた会社を辞めて、パン屋になると一念発起。サツキベーカリーの戸を叩いたのだ。折しもその頃は百花が就職の交渉を勝ち取った時期で、早番と遅番をまわすためにもう一人雇わないといけないと店長も言っていたところ。かくして、百花と榊は一応は同期入社という間柄になった。
 榊はいつか自分のパン屋を開くために、サラリーマン時代にかなりの額を貯金したという話を聞いていたので、確かに奥の奥の手くらいであてにはしていた。

(でも同僚の人からお金借りるなんて、やっぱりしたくないもんね)

 カイリが早く退院してくれて本当に良かった。
 百花が店内に視線をうつすと、カイリと目が合った。どうやらパンは選び終わったらしい。なんとなく眉をひそめているように見えるのは気のせいだろうか。あれ、と思いつつも百花は榊に挨拶をして、店内に戻った。

「お待たせ」

 言いながらカイリのトレイを見ると、桜あんぱんを筆頭に甘いのやしょっぱいものが全部で十個ほどのせられている。それに百花も何個か追加して、会計を済ませた。
 店を出たところで「あの人、まさか……モモカの恋人?」と聞かれる。

「あ、榊さんのこと? 全然違う。ただの同僚」
「ふうん。……それにしては顔近かったよね」
「そうかな?」

 百花は首をひねり「それより、買ったパン、帰ったら何か半分こして食べようよ」とカイリに提案した。三時のおやつに菓子パンもいいだろう。やっぱり桜あんぱんかなぁなんて呟く百花に、カイリはどこかぶっきらぼうに「それがいい」と答えたのだった。
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