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3話 禁忌の森

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ローランが目を覚ましたのは、柔らかな朝日が射し込む頃だった。
彼は重たい目蓋を無理矢理抉じ開ける。
そうしてしばし、視界いっぱいに広がる天井を眺める。
クリーム色の漆喰の塗られた天井や壁に、木製の梁が通っている。
漆喰はところどころ剥がれていて、その向こうの煉瓦が顔を覗かせている。
建物は何もかも純白で彩られた聖都ロージアでは、煉瓦造りの家などお目にかかれない天井である。
かつてロージアにもこのような建物がいっぱいあったということはローランも知っていたけれど、実物を見るのは初めてだった。
全身を打ち付けた体は未だにあちこち痛い。
しかし体には何故だか包帯が巻かれていて、折れていたであろう右足には添え木すらもされている。
それらを確認したローランは、ベッドの脇に目をやると、ふわりと笑った。
「……君が、助けてくれたんだね。ありがとう」
ローランの傍らで、男が一人その寝顔を覗き込んでいた。
長い銀髪の髪に映える、精悍な顔立ちの男。
そんな男が心配そうに人の顔を覗き込んでいる様が、ローランの目には可笑しく写った。
「僕はローラン。すぐそこの聖都ロージアの……これでも王なんだ。是非名前を聞かせてくれないかい?」
「……」
問われた男は、しかし何か考えあぐねている様子で、沈黙をしていた。
ローランはそんな彼の返答を、静に微笑みながら待った。
「シリルというのが、私の名前らしい」
男は重い口を開いて、低い声で答えた。
「シリル……? 素敵な名前だね。それから……ここは君の家ってことでいいんだよね? それと……」
ローランは名前が一つ分かった途端、畳み掛けるようにさらに質問を浴びせる。
けれどそのシリルは、そのローランの問いが終わるよりも前に、さっさと立ち上がり部屋の扉を開いた。
(あっ……)
訊ねたいことは沢山あった。
けれど、彼のことは引き止められなかった。
去り際のシリルの陰鬱な横顔に、適切な言葉をかけられる自信が、ローランにはなかったからだ。
結局シリルは部屋を振り返ることなく、扉を閉めてしまった。
彼が去るまで、ローランはその背中をじっと見続けていた。
特に、彼の右腕を。
人間のものとは到底思えないような、黒々とした毛皮に、人の皮膚など簡単に裂いてしまいそうな鋭い爪を有した、右腕を。
それが彼の服の袖から伸びているのだ。
(やっぱり……瘴気に充てられている……)
一目で、あの腕は瘴気に充てられたものであるということは分かる。
しかし不思議なことに、今少し話したローランは到底精神までは瘴気の影響を受けているものには見えなかった。
それをローランが、気にならないはずがない。
彼はベッドから立ち上がった。
地面にしたたかに打ち付けた体は、どこもかしこも痛いし、折れた足では歩くこともままならない。
ローランはベッドの傍らに立て掛けてあった、自分の剣を杖代わりに歩いた。
部屋の扉を開けたローラン。
その向こうにあったものに、彼は少しばかり驚き、感心を覚えた。
流れ落ちるように造られた螺旋階段が、上階から下階に向かって伸びていたのだ。
どうやらここは、高い塔の中らしい。
そして彼は、その塔の中腹辺りに誂えられた部屋に寝かされていたようだ。
ローランが視線を走らせ、さっきのシリルと名乗った男の背中を見つけた。
上階へと向かっている最中だった。
「ねぇ、待ってってば」
ローランがその背中に向けて声を張ると、シリルは驚いたように振り返った。
「まだ、話は終わってないよ……聞きたいことが山ほどあるんだ」
いつもの柔和な笑みを、痛みと疲労で僅かに歪ませながら、彼の元まで歩き出すローラン。
「ここは『禁忌の森』の中でいいんだよね。ねぇ、なんで君はここに住んでいるの? それから……」
──その腕、瘴気に充てられてヴィスのものに変化しているよね?
言いかけて、ローランは土壇場で口をつぐんだ。
それは勢いに任せて訊ねていいものなのか、彼の良心が咎めたのだ。
その直後だった。
ローランが杖の代わりにしていた剣の鞘が、床を滑ってしまったのは。
「あっ……!!」
支えを失ったローランの体が、ずるりと崩れ落ちていく。
普段なら転倒なんてするはずのないローランであるけれど、満身創痍の今状態では受け身すら間に合わない。
そのまま彼は床へと転がり落ち──。
「っと……」
ローランが床へと倒れ込もうとする寸前、そんな彼を支える腕があった。
シリルのものだ。
ローランはシリルの胸の中に顔を埋める形で、彼に受け止められたのだ。
「あぁ、すまない……」
そう言いながら見上げたローランの琥珀色の瞳は、シリルの青い瞳とぶつかった。
青い瞳に映る、自分の鏡像。
普段ならその鏡像を見る度に、自分以外の誰かに見つめられているような、居心地の悪さを覚えていた。
しかし、その青い瞳に映る自分はどうだろう。
その鏡像はまさしく”自分”でしかない。
まるで見知らぬ他人と相対しているような、おかしな感覚はまるで感じないのだ。
ローランはしばし、その瞳を見上げ続けた。
青い瞳は、不思議そうにローランを見下ろしている。
ローランも、同じような面持ちで彼を見上げ続けていた。
「ねぇ君、どこかで僕と会ったこと、ある?」
その言葉は、ローランの口から不意に飛び出したものだった。
うわ言に近いふわふわとした言葉は、自分でも言ったことに驚く程だった。
不思議そうにローランを見下ろしながらその言葉を聞いたシリルは、しかししばらくするとそんなローランを抱えあげ出したのだ。
「って、ちょっと待って……!」
ローランの両足が、ふわりと地面から離れた
シリルが彼を、横抱きに抱えたのだ。
彼はローランを抱えたまま、彼を元いた部屋へと通す。
「あの、いいよ? 自分で歩けるから……」
シリルに対する申し訳なさと、いい年をして横抱きに運ばれる気恥ずかしさに、ローランは顔を赤くさせて抵抗をした。
しかしシリルの頑強な腕は、しっかりとローランを抱き止めている。
下手に動くと、どちらも怪我をしてしまうだろう。
そう悟ったローランは、大人しく彼の胸板に体を預ける他になく。
そうしてローランはシリルの手によって、再びベッドに寝かされることとなった。 
「……ありがとう」
柔らかいベッドに横にさせられながら、ローランはシリルを見上げ続けた。
そんなシリルは、ローランの安全が確保されたのを確認すると、背を向けた。
ローランはそれ以上、シリルを追うことはできなかった。
本人が自分と話したがらないようならば、どうしようもない。
しかしそうなると、この場所の詳細や今の状況を知ることもできない。
一度外へ出て、自分で調べてみるか……。
ローランがそう考えた、そんな時だった。
「お目覚めですかぁ!? それならお腹ぎ空いているはずですよね!? あぁ、何をお出しすればよいのやら……!」
突然、自分がいるベッドの脇から声が上がった。
まさか自分とシリル以外の者がここにいるとは思っていなかったローラン。
彼はびっくりしながら起き上がり、声のする方を振り返った。
そこにいたのは、小さいカーバンクルだった。
猫とも兎ともつかない見た目の黒い毛並み。
額には紫の宝石を持っている。
イニャスはかなり老齢でしわがれた声をしていたけれど、こちらは見た目通りの愛くるしい声音をしていた。
そのカーバンクルが立て板に水の如く喋り続け、ベッドの脇や上を走り回っている様を、ローランは可笑しそうに目で追った。
一頻り走り回ったカーバンクルは、やがて自分を見つめ続けていたローランの前に居ずまいを正した。
「お初にお目にかかります、ローラン陛下。ワタクシ、シリル様にお仕え致しておりますダミアンと申します。以後お見知りおきを!」
こてんと頭を下げた。
ローランは目を見開いて、そのカーバンクル……ダミアンを見つめたした。
「僕の名前を知っているのかい?」
「はい! 先程からずっとこちらにいましたので! お聞きしておりました!」
「そ、そっか……」
ローランは、苦笑を浮かべた。
「そんなことより!」
しかし当のダミアンはそんなローランに構うことなく、ぴしゃりと言った。
「お腹、空いていらっしゃるでしょう!? そんなことと思い、ワタクシ、お食事の準備をしていたんですよ! しばしお待ちを!」
ダミアンはそう言うと、凄い勢いで──少なくとも、室内で出すには早すぎるスピードで──部屋から出て行ってしまった。
ローランはそれを見届けると、しばし思考を巡らせた。
そして仕方なしに、再びベッドに仰向けに寝転んだ。
ヴィスと戦い、禁忌の森で大怪我を負い、気がつくと見知らぬ建物の中にいて。
そこにいたのは、瘴気に充てられたにも関わらず理性を保つ無口な男に、お喋りなカーバンクル。
(……なんだか、疲れたなぁ)
それが今のローランの胸に浮かんだ、正直な気持ちだった。
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