ロリっ子Jkは平穏を愛す

赤オニ

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 シャーペンを握って、目の前のノートを睨みつけ唸る。参考書を手に取り並んでいる文字を目で追いながら、頭を抱えたくなった。
 参考書には小説のように活字が並んでいて、わたしの頭のキャパを超えている。目が回りそう。かじりつく思いで参考書と睨めっこしていると、上から参考書を掴まれ取り上げられる。


「何するの、そーちゃん」


 抗議の声を上げて睨むと、呆れたような顔でホットココアの入ったマグカップを差し出される。
 休め、と無言で目が訴えてくる。む、と唇を尖らせながらも、渋々休憩をとることにした。
 そーちゃんが入れてくれたココアは温かくて、飲むと口の中に甘みが広がる。マグカップを手のひらで包むように持ち、温度が手に伝わってくるのを感じる。


「根詰めすぎだぞ。疲れた時に勉強しても、頭には入らない」
「うう……だって」
「だってじゃない。六花はやり始めるとすぐに周りが見えなくなるから、放っておいたら食事も取らないだろ」


 おっしゃる通りすぎて、ぐうの音も出ない。


 わたしが小春ノ高校に入学したのが、今年の秋。季節は冬に変わり始め、本格的な寒さがやってきた。
 暑いのが苦手なわたしにとってはまだ寒い方が我慢出来るからいい季節なんだけど……。
 高校一年とはいえ、わたしが勉強したのは高校1年の春頃に習う内容までだ。当然のように、秋に入学した時点で周りから遅れをとっている。


 個々に合わせた課題内容とはいえ、理解で出来ない所が多く、家で一人勉強しているところにそーちゃんが来たのだ。
 勉強を教える、と言ってくれたそーちゃんは今高校2年。大学に進学するのか就職するのかまだわからないけど、わたしに時間を割かせるのは勿体ないと思って断った。


 しかし、幼なじみなだけあってわたしの性格を熟知しているため詰め寄られ、不本意ながら勉強を教えてもらうことになった。
 そーちゃんの教え方はとてもわかりやすく、自分では気付かない所にさり気なく意識を持っていかせ、問題を解きやすくしてくれる。


 それはとってもありがたい。ありがたのだけど……。
 追い込んで勉強するタイプのわたしは、基本的に一度始めたら納得するまで終わらない。休憩も取らないし、食事の時間を忘れて結局食べないなんてこともしばしば。


 そんなわたしにとって、行き詰まるとすぐ飲み物やらおやつやら持ってきて甘やかしてくるそーちゃんのいるこの時間は、何とも言えない気持ちになる。
 もっとガーッてやりたいけど、休憩を挟みつつ進めていくと内容が頭に入ってくるのも事実。
 何となく、悔しい。


 でも、こんな風に並んで座るのも、そばで話すのも久しぶりだ。事故に遭う前のように戻った気がして、頬が緩む。
 あの頃も、そーちゃんに勉強教えてもらえばよかったなぁ。優しいそーちゃんの性格をそのまま表したような丁寧な説明と気遣いに、そっと笑う。


 温かい気持ちになったところで、切り替える。


 ココアを飲み干し、さぁやるぞとシャーペンを握って参考書を見る。わたしがペンを止めている所を見つけたそーちゃんが、少し体を寄せて問題文を指しながら話す。
 横並びで座って勉強していたのに、今の今まで体がくっつくことがなかったから、少しだけ触れた体にビックリする。


 筋肉がついて引き締まった体は硬くて、伸ばした腕が長いことに気付く。8歳の男の子の体ではなく、16歳の青年の体なんだと理解して、なぜか頬が熱くなった。
 小さなわたしの体は大きなそーちゃんの体にすっぽりと収まりそうだ。出会った時約束だと絡ませた指も、ごつごつとして男性の指に成長している。


 説明を終えた顔がこちらに向いて、一瞬固まったのちすごい勢いで顔を逸らされた。
 逸らしても、耳が赤くなっていることは見えてしまって、つられてわたしまで顔が火照る。


 どうしてだろう。成長しているのは当たり前のことなのに。
 見上げるほど高くなった身長も、わかっていたのに。それに、不思議だ。そーちゃんの成長はわたしにとって、ちょっと悲しいことのはずなのに……何で、頬が熱くなるんだろう。変なの。


 気まずい空気になりながらも、2時間ほどの勉強を終え一息つく。時計の針は夜の7時をさしていることに気が付き、思わず「うぇっ!?」と変な声が出た。


「勉強教えてくれてありがとう! 外暗いから、そーちゃんもう帰った方がいいよ」
「そ、そうだな。そろそろお暇するよ」


 帰り支度を始める背中を見て、なぜか犬飼さんの言葉が頭の中で蘇る。
 ーーわたしの当たり前は、そーちゃんにとっての当たり前じゃない。それを知った時、どんな反応をするんだろう。わたしはそーちゃんから離れないと、あの日約束した。でも、そーちゃんは?
 不安が胸の中に広がって、口の中に苦い何かを感じる。


「そーちゃん」
「? どうした、六花」
「……そーちゃんは、わたしから離れたり、しないよね?」


 どんな顔で、言葉を放ったんだろう。両手を握りしめ、少しだけ震えた声の問いかけに、目を見開いてーー黙って、そーちゃんが柔らかく微笑んだ。


 今まで見たことのない、穏やかでどこか心配になる表情に、出かけた言葉を遮られる。


「帰るよ。あまり根詰めるなよ……またな」


 またな、という言葉に泣きそうな気持ちになって、ぐっとこらえて笑顔で見送る。
 遠くなっていく背中が見えなくなるまで手を振り続け……扉を閉めてからずるずるとその場に座り込む。


 ひんやりとした床に、体が冷えていく。体を抱くように丸めて、ぎゅうっと目を瞑る。わたしの中で褪せることのない、小学生だった頃の記憶を思い出す。


 桜の花びらを掴みたくて一生懸命飛び跳ねたこと。雨の日に傘を持ってこなかったわたしに呆れながらも、一緒に小さな傘に入って帰ったこと。真理夏と2人で出かけた日にそーちゃんが拗ねてしまったと電話を受けたこと。
 それから、それからーーーー。


 頭の中に浮かぶ景色はどれも過去のもので、そーちゃんや真理夏の中ではとっくに色褪せてしまっているのかもしれない。
 目に涙の膜が張って、視界が滲む。


 泣くな、泣くな。笑える。わたしは笑っているから、周りに人がいてくれるんだから。泣いてしまったら、離れていってしまう。
 ……母のように。鬱陶しそうに顔を歪めて、離れていっちゃう。


 まだ今度会おうね。また勉強教えてね。
 かける言葉ならいくらでもあった。でも、出てこなかった。喉の奥でつっかえて、声にならずに積もっていく。


 そーちゃんは、問いかけに返事をくれなかった。
 黙ったまま、笑顔を見せた。


「そーちゃん……」


 ーー怖いよ、お母さん。助けて。


 縋り付くわたしなんて見えないみたいに、手を振りほどいて外へ出ていった母。冷たいあの感情を思い出して、胸の奥がじくじく痛む。
 離れていかないように、ずっと笑ってきた。怖いのも、悲しいのも、苦しいのも全部笑顔の裏に押し込んで隠した。それでも、離れていっちゃうの?


 嫌だよ、そーちゃん。
 約束したのに。どうして、わたしの言葉に頷いてくれなかったの? 怖いよ。一人になるのはもうーー嫌だよ。


 ふらふらとおぼつかない足取りで部屋へ戻ると、机の上に筆箱が置きっぱなしになっているのを見つけた。学校で渡せるけど……会って話がたくて、わたしはバッグと杖を掴んで外へ出た。


 風はそこまで強くないけど、空気が冷たい。
 ぶるりと体を震わせて、上着を着てこればよかったと後悔した。吐き出す息は白く、杖を持っているからむき出しの手が冷える。
 もう片方のではポケットに突っ込んでいるけど、あまり暖かくない。


 こ、これは早く帰らないと風邪引くやつだ。むずむずする鼻をすすりながら、そーちゃんの姿を探す。わたしの家からそう遠くないから、歩いてきたと思ったんだけど……。
 曲がり角の向こう側から、そーちゃんの声が聞こえた。誰かと話しているのか、もうひとつ声が聞こえる。


 寒いし、呑気に話している場合じゃない。筆箱渡して早く帰ろう。
 そーちゃんを呼ぼうとして、角を曲がる直前、聞こえた言葉に素早く身を潜めた。


「木櫻、俺はあとどれぐらい、六花のそばにいられる」


 木櫻さんはそーちゃんの付き人で、わたしと嫌味の応酬をする相手だ。それよりも、耳に届いたはずの言葉は、頭に入ってこない。なのに、勝手に耳から入ってくる。


「そうですね……17になれば若も親父の仕事を手伝わないといけません。他の組の者に目をつけられる可能性も考えるとーー」
「ああ、今年までが限界だな。3年に上がれば、六花も気を遣って自分からは近付いてこないだろう。少しずつ連絡の頻度も減らす」


 冷たい、感情がこもっていないような声。
 淡々と言葉を紡ぐ、その声を聞きたくないのに、わたしの体は固まったみたいに動かない。立ち聞きをしている罪悪感も吹き飛んで、目の前が真っ暗になったような感覚になる。


「本当に、いいのですか?」


 木櫻さんの言葉に、そーちゃんは間を置くことなく返事をした。


「これでいい。六花は……俺と違うからな」


 手に持った筆箱を握りしめ、2人がいなくなったあとも、呆然とその場から動けずにいた。
 足元から崩れていくようだった。わたしとそーちゃんは、違っていた。見ていた世界も、身を置いてる世界も、何かも。


 最初から、同じ世界になんていなかった。勝手に勘違いして、勝手に約束して、勝手にそばにいたいと願ってーーわたしはなんて馬鹿なんだろう。


<六花ちゃん! 急いでこの式神を追って来てくれるかい? 緊急事態だ。ストーカー被害の依頼……みきさんが、危ない>


 目の前に現れたのは、いつぞやの鳥の形をした式神で、犬飼さんの伝言を伝えたら羽ばたいて着いてこいと飛んでいく。
 何も考えられない頭で、手から滑り落ちたそーちゃんの筆箱に気付くことなく、式神を追う。
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