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2章
72,まるでチープな恋愛もの
しおりを挟む小春は3冊ほど本を借りて帰り、離宮へと戻ってきていた。
アルファに言われたことを思い出しながら溜息をつきつつ、重たい足で中央階段を登る。
リュカとの付き合い方をもう一度見直すべきだろうか。
しかしここ最近ずっと、リュカが外に出ていなければ夕食で必ず顔を合わせることになる。
リュカは腹黒で性格が悪いなところに目を瞑れば、完璧なスパダリと言われる種族なわけで。そんな人間に何の含みもなく好意を向けられることを想像してもらいたい。男にほとんど免疫のない小春にはその相手は少々気が重い。
リュカに何の気持ちの変化があったか知らないが、以前とは違う態度に小春は対応できていない。
というかリュカも趣味が悪い。こんな捻くれた可愛げのない人間を構うより、鈴乃のようなふわふわで庇護欲がそそられるかわいらしい女の子に気が向くべきだ。
なら、他の女の子を宛がうのはどうだろうか。あの腹黒が恋愛に溺れるところなど想像つかないが、借りにそうなれば小春への興味も薄れることだろう。
とすると、あの男の好みの女の子を見つけなければならない。今までそういった子はいなかったのだろうか。オレーリアかアルファあたりにでもまた聞くか。
そんなことを考えながら歩いていると、階段の一番上まで登りきっていた。
そのまま自分の部屋の方向へ向かうとする、──瞬間。
「っ……」
唐突な痛みに思わず顔を顰める。
息が詰まりそうな、胸が締め付けられるような、焼け付くようなそんな感覚が小春を襲った。
いつもの発作だ。そういえばここ数日起きていなかった。
この発作は鈴乃に力を使って以降、2~3日に1回ほどの頻度で起こる。ただ、1回が1分にも満たないほどの時間で終わるし、立っていられない程の痛みでもない。
だからその発作が終わるまで、じっと息を調うのを待つだけである。
チラッと周りを見渡す。もちろん階段下の方も見て誰もいないことを確認し、内心ホッとする。こんなところに突っ立っていたら、何をしているのか怪しまれるかもしれない。
発作が徐々に収まっていくのを感じ、ゆっくりと深く息をする。そんな折。
トンッ。
と、肩に重みがかかった。
びっくりしたものの、その覚えのある感覚にそれが何かは理解する。
肌に当たるふわっとした触り心地の良い毛。視界の端に映る黒い影。
今しがた肩に乗ってきたのはルナだ。
それはいつものことで特に驚くことはなかった。
が、今はタイミングと場所が悪かった。
発作により身体の力が入っていない小春には、たかがそれだけの力で容易く身体の安定は損なわれ、傾いていく。
階段の頂上、登りきってすぐの場所。たかが身体重心が傾いていくだけで簡単に足を踏み外す。
直後来る浮遊感。
無駄に多い階段を一瞬にして下っていく。
徐々に眼前に迫る床。
発作の反動か、身体自由が効かない。
頭に浮かぶのは「落ちる」という3文字。
こんな高さから落ちればほぼ確実に死ぬだろう。手入れが行き届いた離宮の中心にある、この階段に見るも無惨な死体を転がすのは忍びないがもうどうしようもない。
まさか死因が転落死とは思わなんだ。しかも飼い猫が加害者。とんだ大間抜けだ。
迫りくる床に、次に来る衝撃を想像し目を思いっきり閉じる。
ドサッ。
かなりの高さから落ちたにしては可愛げのある衝撃音。
しかし、衝撃音と一緒に来るはずの痛みはやってこない。
一瞬で死んだから感覚がないのだろうか。いや、それならこの包まれたような温かい感触は何だ。
恐る恐る瞼を開けてみる。
まず視界が映したのは無機質な床ではなかった。
質の良さそうな服に小春は顔を埋めていたのだ。
つまり、小春の身体の下敷きになっているのは人間……、人間?!?!
慌てて起き上がろうとするも小春の身体ごと抱きしめられており、身動きが取れなかった。
包まれているような感覚ではない。実際に抱きしめられていたのだ。
しかもこの力強さにしっかりとした胸板。
階段から落ちる小春を抱きとめたのは男の人だ。
起き上がれないものの、誰を下敷きにしているのか見ようと顔を上げると。
「リュカ様?!」
やたらと整ったきれいな顔。伏せていた瞼に男のくせに長いまつ毛。
小春の驚いた声に目を開くと、吸い込まれそうになるほど深く美しいラピスラズリの瞳。
「あいたた……。コハルさんはやんちゃだね」
誰もが魅了されるであろうふわっと笑みを浮かべたリュカに思わず顔を赤らめる。
そして今のこの状況を改めて思い出し羞恥で頭がいっぱいになる。
それを知ってか知らずか、リュカは小春の頭を撫でながら言葉を続けた。
「けがはしてない?」
「は……はい。ていうか……、その、もう大丈夫なんで、手を離してください……」
「あぁ、そっか」
耳まで赤くしてボソボソと話す小春をジィと見たあと、自身が抱きしめているせいで小春が身動きを取れないことを理解したらしく、リュカは腕を緩めた。
緩められた瞬間、すぐに起き上がるべく腕に力をいれ、慌てて上体を起こした。
王弟殿下をいつまでも下敷きにするだなんて流石に無礼すぎる。しかもこんな離宮のど真ん中で。
気を紛らわすようにチラリと視線を動かすと、遠くからこちらを不安げに見つめている黒猫。
流石に猫なだけあってあの高さでもうまいこと着地したらしい。
自分のせいで小春が落ちてしまったのを落ち込んでいるようだった。もともと怒るつもりもなかったが、やはり憎めないというか。
ルナのもとに行こうとそのまま立ち上がる。
途端、小春の腕を掴まれ引っ張られた。
「え」
そのまま掴まれた方へ倒れ、再びリュカを下敷きにしてしまう。しかも今回は倒れまいと腕で支えたことで、完全に小春がリュカを「床ドン」する形になる。
先程よりも整った顔立ちが眼前にあり、心臓がバクバクし始める。
小春を捉えたまま離さないラピスラズリの瞳に、息を呑む。
それでもこの状況にしたこの男に一言ぐらいは言わなければと、睨みつけるように見返す。
「なんのつもりで………」
強めに放とうとした言葉は途中で途切れた。
というのも、リュカが垂れ下がる小春の髪を梳くように撫で始めたことに動揺したからだ。
「どうして階段から落ちたの?」
「……え」
「君、そんな階段から落ちるようなドジする子でもないでしょ?」
こちらを探るような視線。それも嫌味なものではない。ただ純粋に心配しているようだった。
いつからだろう。リュカが小春に何の含みもない視線を向けるようになったのは。
いつからだろう。こんなにも胸が苦しいようなそんな感情が生まれるようになったのは。
リュカを、そして自分自身を誤魔化すように目を逸らして答える。
「私だって躓いて階段を落ちることはありますよ」
「じゃあ今までにも何度があるの?」
「……それはないですけど」
死にかけるぐらいの高さから階段を落ちることが何度もあったらそれはそれでどうかと思う。
「じゃあ」
リュカは髪を梳いていた手をスルリと小春の頬へ持っていき、撫でるように触れた。
「この顔色が悪いことと関係があるってこと?」
「……っ」
リュカが至近距離にいる事も忘れ、思わず目を見張る。
なぜこの男はこうも些細なことに勘づくのか。
小春が固まって答えないと見るや、リュカは何か思案したかと思うと、急に小春をグイッと引き寄せた。
状況を理解できず、素っ頓狂な声を上げる前に気づけば小春の身体は宙に浮いていた。
「な、何を?!」
状況を理解した途端、顔を真っ赤に染め焦る。
だってこれは。
背中と膝下に回ったリュカの腕。つまり、「オヒメサマダッコ」をされているわけで。
考えれば考えるほど恥ずかしさでどうにかなりそうで、腕の中で暴れてみるがびくともしない。
「こら、暴れないで。落としちゃうから」
「それでいいです!!お、降ろしてください!!」
一刻も早くこの状況から脱したいがために拒もうとする小春だが、リュカはそれに応じようとしない。
「顔色が悪いし、また階段から落ちたら世話ないでしょ。部屋までおくる」
「そんな何回も落ちないですから!顔色悪いのも単純に落ちた時に死ぬかと思って血の気が引いただけですし!」
ああ言えばこう言う小春にリュカははぁと溜息をついた。
その態度に少々腹が立ったが、観念してくれそうだったので今は目を瞑る。
だが。
リュカは何を思ったのか、小春を降ろさずあろうことか顔を近づけ、小春のおでこに唇を寄せた。
おでこに柔らかい感覚を感じた途端、目を見開きおでこを両手で押さえる。
「な、ななな……!」
言葉を失っている小春にリュカはものすごく上機嫌に微笑んだ。
「次暴れたら今度は……」
「暴れません!!!」
「そっかぁ。それは残念だな」
「……」
何をされるのか想像して、この男ならやりかねないと考え即答する。
リュカはどちらともとれないような顔でさも残念そうにそう言ってあるき出した。
もうツッコむ気にもなれずそのまま黙り込んで俯いた。
こんなのまるでチープな恋愛もののようではないか。
小春はその事実にひたすら現実逃避したくなるのだった。
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